11話 束の間の休息
次の日からまたいつもの日常が戻ってきた。朝起きてサリューンに挨拶をして勉強をする。勉強が終われば部屋の掃除や細々とした仕事をこなし、少しの自由時間にはリオンと神殿の中を散策したりした。
忙しいようで退屈な日々。即位式と拝謁の儀の日のことを思い出して溜め息をついてしまう。
「なんだよ、でかい溜め息ついて。掃除が嫌になったか?」
アメリアとリオンは白の間の掃除をしていたのだが、盛大な溜め息にリオンが手を止めて話し掛けてきた。
「掃除は嫌じゃないわよ。でもちょっと考えるわけ。今私なんでここで掃除なんかしてるのかしらって」
「なんでって、サリューンの嫁になったからだろ?」
至極もっともな意見を言われてアメリアは眉間に皺を寄せる。
「そうなのよ。そこが問題なの」
「どこか問題なんだよ」
「私まだなんで妻に選ばれたのか知らないのよ」
アメリアはまた溜め息をついて持っていたほうきの柄に顎を乗せる。リオンはなぜか答えずに気まずそうに視線を背けた。
「なによ、その顔。リオンは気にならない? 私が選ばれた理由」
「き、気になるわけないだろ。それより早く掃除済ませちまおうぜ」
背中を向けて慌てて手を動かしだしたリオンにアメリアは首を傾げる。
(変なの……)
たまにリオンの行動や言動は理解できないことがあるが、もう慣れてしまった。こういう時は放っておくのが一番いいと、またアメリアは手を動かし始める。
もう随分サリューンとは親しくなったと思う。冗談みたいなことを言っても平気だし、気兼ねなく話せるようになった。
そろそろ聞いてみてもいいかもしれない。
(ちゃんとした理由があるのかしら……。私じゃなくちゃいけない理由……)
特別な力がある訳でもない。たぶん容姿で選ばれた訳でもない気がする。ならばなんなのだろう。
ぐるぐると同じことを考えながら、掃除を終わらせ夕食を済ませた。それでもやはり気になってしまい就寝前の時間だったが神域に向かった。
どうしても聞いてみたかったのだ。
「夜になってる」
神域の中は夜になっていた。空を見上げると美しい星が瞬いている。自分の世界がそうなのだから当たり前と言えば当たり前だが、なんとなくここはいつでも昼のように思っていたので驚いた。
星空と辺りにふわふわと漂うホタルの明かりで周囲は思った以上に明るい。アメリアは石の椅子に行ってみるがサリューンの姿はない。
(もう森の奥に入ってしまったかしら)
いつも姿を消す森の奥にはサリューンの部屋があるのかもしれないと考えていたが、まだ確かめてはいない。今度付いて行ってみようかしらと思いながら森の中に入ると、滝の前でサリューンを見つけた。泉の水を銀の器で飲んでいる。
「サリューン」
「ああ、メル。こんばんは」
「こんばんは。こんな時間にごめんなさい」
「いや、いい。どうした?」
「あー、えっと、ちょっと聞きたいことがあって来たんですけど」
面と向かうとなんだか少し恥ずかしくなって言葉が出てこない。
「……泉の水って美味しいんですか?」
サリューンの手にしていた銀の器を見てつい話を逸らしてしまうと、サリューンは頷く。
「ああ、美味いぞ。少し甘いが飲みやすい」
「へえ……。甘いんですか……」
そういえばここに初めてきて飲んだ朝露も甘味があったことを思い出す。もしかして神域の水はすべて甘いのかしらと思考がそちらに向き始めて、慌てて首を振る。
今日はそんなことを聞きに来たんじゃないと、もう一度気合いを入れ直しサリューンを見上げる。
「サリューンはどうして私を妻に選んだんですか?」
真っ直ぐに見つめて直球で聞いてみる。サリューンは顔色を変えずじっとアメリアの顔を見つめるとゆっくりと口を開いた。
「目が……」
「目が?」
「琥珀だったから」
「……は?」
目を逸らしたサリューンの少し照れた横顔を見つめて、アメリアは呆然としてしまう。
(え? 確かに私の瞳は琥珀色だけど……、え、それだけ? それだけで私って選ばれたの?)
頭が混乱したままじっとサリューンを見続けていると、サリューンはうろうろと視線をさまよわせ、最後には背中を向けてしまった。
「サリューン?」
「あ、では……、もう寝る時間だろう。おやすみ」
「え、ちょっ、サリューン!?」
サリューンはアメリアが呼び止めるのも聞かず、そそくさと逃げるように森の中へ去ってしまう。取り残されたアメリアは大きな溜め息をついてその場に座り込んだ。
「目が琥珀だからって……、どういうことよ……」
話す相手もおらず一人でぶつぶつと文句を漏らす。なんだかはぐらかされたような気もした。いつもはこういう質問にはサリューンは結構あたふたするのに、今日は珍しく動揺を見せなかった。まるで答えを用意していたかのようだ。
「絶対他になにかある気がする……」
アメリアはそう呟くとぼんやりと滝を見つめた。考えてもそんなに簡単に答えが分かる訳もなく、なんとなく泉に寄ると両手で水を掬い取る。少しだけ口に含んでみるととても甘かった。
「わっ、すっごく美味しい……」
口の中に広がる果実のような甘味。鼻に抜ける良い匂いに笑みを作るともう一口飲み込む。一度も味わったことがない美味しさに思わずごくごくと飲み干した。
ふと気付くとアメリアのそばにうさぎやきつねが集まっていて、泉の水を飲んでいた。
「あなたたちもこの甘い水を飲みに来たの?」
ここで鳥以外を見たことがなかったが、森の中にはやはり動物がいたんだとアメリアは思いながらまた水を掬う。アメリアのことを気に掛ける様子もない動物たちと水を飲んでいると、なんだかとても身体がポカポカしてきた。
「ねぇ、うさぎさんたち……。サリューンってどういう人なの? 優しいおじい様ってことは分かるんだけど……、なんだか全然分からない時もあるのよ……」
鼻をひくひくと動かすうさぎに笑いながらアメリアは話し続ける。
「男の人ってみんなああなのかしら……。リオンもたまにサリューンみたいに変に慌てたり目を逸らしたりするのよね……。あれなんなのかしら……。全然年齢は違うけど、ホントに同じ反応みたいに見える時があるのよ……」
頭がぼんやりとしてきて自分がなにを言っているのか分からなくなってくる。上半身がふらふらしてそのまま下草に横になってしまうと、緑の隙間から覗く星空を見上げた。
「きれい……」
さわさわと柔らかな風が頬を撫でて目を閉じる。このまま眠ってしまったらとても素敵な夢が見られそうな気がする。
森のざわめきを聞きながら心地良い眠りに落ちていく。けれどしばらくして身体を揺さぶられて目をうっすらと開けた。
「メル、こんなところで寝るな」
「あれ……、サリューン……」
心配そうな顔が目の前にあってアメリアは微笑む。それでも起き上がる気になれなくてにこにこと笑ってそのままでいると、ふわりと身体が浮き上がった。
「しょうがないやつめ」
呆れたようなサリューンの小さな声に、閉じてしまいそうになる目をどうにか開けると、なぜかその顔がリオンに見えた。
(リオン……?)
自分を抱き上げているのはサリューンのはずだ。ここは神域でリオンは入れない。けれどぼんやりとする視界の中に見えているのはリオンにそっくりな青年だった。
「え……サリューン……リオン……?」
なんだか訳が分からなくなってアメリアは目を閉じる。そこで意識は途切れた。
◇◇◇
朝の起床の鐘の音に目覚めたアメリアは、起き上がるとなぜか酷く頭が痛んだ。こめかみを指で触れながら視界を巡らせるといつもの部屋の風景に違和感を感じる。
「……あら、私……昨日……」
いつベッドに入ったのかしらと考えていると、ふと思い出した記憶に首を傾げる。
(夢……?)
サリューンがリオンにそっくりな青年に見えた。少しだけリオンより年上のような雰囲気で、鼻筋の通った美しい顔立ちだった。
アメリアを抱き上げる腕が力強くて、とても温かかった。
「夢、よね……」
そんな訳ないと呟く。なんだか頬が熱い。
アメリアは腑に落ちない気持ちでなんとなく考え続けていたが、ふと見た時計の針にハッとする。もうすぐリオンが来てしまう時間に、慌ててベッドから下りると朝の支度を始めたのだった。




