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名も無き戦いの終わりに  作者: 吉幸晶
8/27

夜襲

 午前零時の時報がラジオから聞こえた。ライトグリーンのミニカは、予定より二十分ほど遅れで、村田インターチェンジを過ぎた所を走っていた。

「仙台までもう少し掛かるか――。」

 先日からの度重なる戦いと、初めてとも言える、長距離の運転からの疲労を隠せない、掠れた声で呟いた。

「仙台を過ぎたら、仮眠を取った方がいいわ」

 八坂の体を案じて天寿院が言った。

「そうだね。確か泉を過ぎたところに、鶴巣というパーキングが有ったな。あそこなら民家も少なそうだったし、二十四時間人が行き来するサービスエリアと違い、万が一襲われても安心して戦えるかもしれない」

 昼間のうちに、パソコンで下調べして得た情報を思い出しながら、天寿院に応えた。

「鶴巣?そこまでどの位で行けるの?」

「一時間は掛からないと思うけど」

「大丈夫?」八坂の顔を覗いて聞いた。

「うん。ありがとう」

 天寿院は東京からの道すがら、助手席でミニカに付いているスイッチの色々な操作を覚えた。雑音の多くなったラジオ放送から、CDに変えると、ビリー・ジョエルの切ない歌声がピアノの伴奏と共に車内に流れ始めた。


「一葉の母親が亡くなったのは聞いたけど、父親はどうしたの?兄弟はいたのかしら?」

 眠気覚ましになればと思い、気になっていたことを訊いた。

「弟と妹がいたよ。火事の時に、お父さんと一緒に亡くなってしまったけど……。」

 八坂の顔に悲壮の色が濃く浮かんだ。

「そう……。やっぱり妖狐の仕業なの?」

「消防と警察は『蝋燭の火の不始末による火事』だと言っていたらしいけど。母は違うと断言していたよ。どうしてそう言ったのか、意味はわからないけど……。焼け跡からは、子供二人と大人の男性の焼死体が見付かったらしい。母がそのことでも何か言っていた気はするけど――。思いだせない。ごめんね。」

「気にしないで」

「奴に会ったら、その辺も確かめてから退治しなくちゃね」

「えぇ。数珠さんのお母様やご家族の事も、合わせて問い詰めてから、それに似合った罰を下してあげるわ」

「怖いのう。天寿院は」

「またトイレ?」

 二人の会話と時間に、無遠慮に割り込んできた白虎へ、鬱陶しさを剥き出して言った。

「他に言いようが有っても良いじゃろ」

「オシッコ?」

「同じじゃ」

「違うの?」

「当りじゃ」

 天寿院の鉄の拳が、白虎の脳天に炸裂した。

「次のパーキングで仮眠を取るから、少し我慢してくれるかい?」

「一時間ほどなら、何とか我慢できますじゃ」

 天寿院の顔色を伺いながら、遠慮がちに答える。

「ははは。そこまでは掛からないよ」

「もう少しで泉インターだから、あと十五分位ね」

 天寿院がカーナビを操作して、所要時間を確認してから、白虎へ教えた。

「助かった。我慢の範疇ですじゃ」

(さっきので、ちびったなど言ったら、間違いなく殺される……)

 カーナビの表示通り、十五分程で鶴巣パーキングに辿り着いた。


 八坂が思っていたとおり、売店は閉まっていて、駐車場には数台のトラックと乗用車が停まっているだけで、閑散としていた。ミニカを一番空きが多く、暗めのスペースに停めた。白虎は八坂がサイドブレーキを掛ける前に、窓から飛び出し潅木の中に消えて行った。それを見送り「僕もトイレに行ってくる。」と天寿院に伝え、車を降りると建物に向かって歩いていった。

 天寿院は車窓から星空を眺めた。首都高の上で見た、東京の夜景より、数万倍も綺麗な星の瞬きを見て感動した。

「なんて綺麗なのかしら。昔と夜空の星は変わらないのね。」

「私には星が見えないのでわかりませんが、天寿院殿のお言葉で、よほど美しい光景なのだという事はわかります」

「あら、朱雀も起きたの。トイレへ行っておく?」

「ご心配には及びません。白虎よりは幾分若いので」

「そうね。不慣れな所で寝付けないと思うけど、少しは寝られて?」

「はい。少なくても、数珠様や天寿院殿よりは、ぐっすりと寝かさせていただきました。」

「青龍達が襲ってくる時刻だと、数珠さんが言っていたわ。目が利かないところで申し訳ないけど、番をお願いできるかしら」

「お任せください。目は利かなくても、妖気を感じる事はできます」

「本当は夜目の利く、トラブタに打って付けの仕事だけど、すぐ寝てしまうから、いまひとつ信用できないのよ。」

「わしだって、ちゃんと役に立つのじゃがな」

「あら、いたの?」

「わしが居るのを知っておって、ワザと言っていたじゃろ」

「お願いね」天寿院が真顔で白虎へ頼んだ。

「わかっておる。天寿院も少し休め。いくら式神と(いえど)も、三日間も不眠不休では体が持つまいて。」

「数珠さんが戻ったら、一緒に少し休ませてもらうわ」

「心配せんで、最初からそうしたら良いのじゃよ。」

 白虎はミニカのボンネットに乗り座り込んだ。

「わしが見張っておる。青龍には、玄武の分も返してやらねば気が済まんのじゃ」

「そこはかなり熱いと思うけど、大丈夫?」

 白虎は慌てて飛び降りた。

「キンタマが焼けどしたわい」

「本当に頼りにして良いのね?」

「腫れが引くまで、少し待ってくれんじゃろか?」 

 下半身を丁寧に舐めだした白虎を見て「朱雀。やっぱりあなただけが頼りよ。」と後部座席へ声を掛けた。


 八坂は車に戻ると、運転席を倒し仮眠を取った。天寿院も、八坂に習ってシートを倒し、目を閉じた。疲れているはずなのだが、寝付ける気がしなかった。しかし時間が経つにつれ、段々と記憶が遠退くのを僅かに感じた。

(数珠さん。おやすみなさい)

 

 後部席の背もたれにとまっていた朱雀が『異変』を感知すると、続けて後部座席で丸くなっていた白虎が顔を上げ、その隣で甲羅に手足と顔を仕舞って寝ていた玄武も、首を伸ばした。

「来ました!」

 その声で二人も目を覚ました。体を休めてまだ三十分も経っていなかった。

「数珠様の予想通り三匹のようですじゃ」夜空の闇の一点を睨み八坂へ伝えた。

「わかった。では白虎、玄武。阿吽を頼むよ」と小声で返した。

「御意」

 八坂はそっと窓のボタンを押して、四つの扉のガラス窓を同時に開けた。

「朱雀。一葉ちゃんの腕へ」

 天寿院が手を伸ばして朱雀を抱きかかえた。

「白虎と玄武は僕のところへ」

 白虎は八坂の膝の上へ来て座り、玄武は八坂の伸ばした手の中に納まった。

「悪いけど、君達を外へ放り出す。それと同時に妖力を完全開放する」

「了解いたしました」

「君達の力が元に戻るまでは、僕が引き付ける」

「駄目よ!だったら私が――」天寿院が言い掛けたところを振り向き止めた。

「今、力がすぐに使えるのは僕だけだよ。僕の結界はみんな知っているだろ」

「でも……」天寿院は迷っていた。

「来る!」

 八坂は三人の妖力を開放する手印を結ぶと、玄武を窓から投げ出し、白虎は同時に玄武へ向かって飛び出した。天寿院も仕方無しに朱雀を車外へ投げた。

 八坂はドアを開け車外へ出て、三人を白い光が包み大きく膨らんだのを確認すると、次に天寿院を招いて急ぎ結界を張り、「右手を!」と催促する。天寿院が右手を出した。八坂はその手をしっかりと握り、自分の呪力を分け始めた。


 駐車場に停まっているその殆どは、車中で寝ているようで、人目に付かずに移動する事ができた。

「さっき見てきたけど、向こう側がゴルフ場になっている。そっちへ誘い出そう!」

 そう言いながら天寿院の手を強く握り、ゴルフ場へ向かって全力で走り出した。

 ガサガサと地を這う音が、八坂の背中越しに聞こえてきた。

「数珠さん後ろから!」

「わかった。しかし、もう少し中に入りたい」

「駄目!そこまで来ているわ、追いつかれる!」

「朱雀!僕らを乗せてくれ!」

 赤い光が一閃して二人を地面から浚った。

「どの辺りまで行かれますか?」朱雀は夜空高く舞い上がった。

 上空から八坂は急いで、暗く見難い地上に目を凝らし、ゴルフ場のロケーションを確認した。

「とりあえず、青龍の好む池は避けよう。池を越えた先に開けた平地が見える。あそこにしよう!」

「わかりました!」

 朱雀は右に旋回しながら、八坂が指した方へ飛んだ。



 妖猫に戻った白虎は玄武の上に立ち、阿吽の攻撃に備えた。

「玄武。まだ妖気は消すな」

「それでは、すぐに襲われるわよ!」

「わしらが襲われるのなら好都合だ。」

「――そうね。数珠様の方へ向かわせる訳にはいかないものね。」

 二人の正面。まだ距離はあるが、白虎は肉眼で、阿吽の飛ぶ筋を捕らえていた。

「まずい!阿吽の奴ら左右に分かれた。数珠様の方へ行く気だ!」

「数珠様の後を追いかけるわ!」

「頼む。わしは奴らから目が離せん」

(見失うと後が厄介だ)

 玄武は朱雀の赤い光を追って、ゴルフ場へ向かって移動を開始した。

「池の上に青龍が見えるわ!」

「何!水は青龍の適地だと知っているはずでは!」

「大丈夫、朱雀はその先を飛んでいる」

「そうか。少しでも地の利を活かせる場所を、数珠様が選ばれるだろう。玄武、我々は阿吽に集中しよう。」

 右手に阿形左手に吽形と分かれたままで、闇夜の中を真っ直ぐに、八坂へ向かって近付いている。二人を見ながら、「相変わらず、奴らの動きは息がピッタリ合っているな」と感心した。

「私達も。でしょ」

「戯け。そう言う事は、それなりの場所と時を選んで使え」

「妖猫に戻っても、女が怖いの?」

「怖いものか。妖狐を倒した後の楽しみに、取っているだけのことだ」

「本当?」

「あぁ。だから玄武も死ぬではないぞ」

「嬉しい!白虎もよ。約束よ!」

「近いぞ!覚悟しろ!」白虎が闇夜を睨んで言った。



「下に青龍が見えます」

「あれが青龍?」

 まさに大蛇であった。白虎から聞いた体長五間(約九メートル)は優に超えているであろう。胴回りも、八坂のミニカをすっぽり飲み込めるほどに太い。

「池に掛かるわ」

 青龍は池に入った途端、加速し猛追してくると思い、天寿院は焦った。

「もう少し高く飛べないかしら?」

「申し訳ございません。さすがに二人を乗せては、今はこれが最速かつ最高度です。」

「朱雀。あそこまで持ってくれれば良い!」

 八坂が再び行き場を指した。

「いざとなったら私が飛び降りる。数珠さんだけをお守りするのよ!」

「馬鹿な事言わない!大丈夫。ここで襲って来た青龍達の負けは見えている。」

「どういう事?」

「一葉ちゃんの呪力は、もう満タンでしょ」

「そういえば。力が漲る感じがするわ。」

 天寿院は右手を見た。しっかりと八坂の手を握っている。八坂の手もまた、天寿院の手をしっかり握り返していた。

「移動しているから、昨日よりも時間が稼げた。僕自身の呪力も元に戻り始めているし、何より周りに気兼ねせずに、皆がフルパワーで戦える!僕達に負けの二文字は無いさ。」

「さすが、我等が大将です。一緒にいる私にも、力が漲ってきたようです!」

 朱雀はグンと、速度と高度を同時に上げた。


「青龍は追い付けないみたいよ」

「いい具合だな。これで、僕を狙うためにはここまで昇ってこなければならない。青龍の苦手な空へ」

「では、この場で青龍を待ちましょうか?」

「いいや。場所は、あくまでもあそこで無ければ駄目だ。」

 八坂が三度その場所を指した。

「あの場所に、拘る理由がわからないわ」

「ここはまだ池に近い。戦って青龍が池に落ちたら、厄介だからね」

「なるほど。比較的広い平地であれば、待つ事無く勾玉を取り出せるって事ですね」

「そうだよ。早く青龍を倒さなければ、防戦一方の白虎と玄武か、あるいは防戦から攻撃に転じた白虎に、阿吽達が傷を負うことになる」


 八坂が示した場所の上空に到達した。

「青龍が池の中に潜ったわ!」

「朱雀。作戦変更だ!僕を下の平地へ降ろしてくれ!」

「そのご命令は、お聞きする訳にはまいりません!」

「青龍は適地(テリトリー)の池に潜った。もう、みすみす不利になるこんな上空まで、追っては来ないだろう。であれば、僕が地上に降りて、青龍を誘き出すしか無い!長引けば白虎と玄武が辛くなる!」

「しかし――。危険が大き過ぎます!」

「それに、あの青龍の巨体の動きを、完全に封じ込めるには、直接触れて体内に呪力を流し込むしか無さそうだ」

 朱雀は八坂達を降ろすか否かを、上空を旋回して思案していた。

「僕に襲う為に青龍が池から出てきたら、空から朱雀が、地上から一葉ちゃんが同時に攻撃をしかけて、僕が青龍に触れるその隙を作って欲しい!朱雀。わかってくれ!」

「――わかりました。しかし、数珠様に危険を察知した時は、青龍へ突っ込みます」

「相打ち覚悟ってこと?」八坂を守るという、朱雀の強い意志と苦渋の選択を、天寿院は汲み取った。

「いかにも!」覚悟を決めた語意であった。

「仕方無い。白虎達の事もあるし、それにいくら近くに民家が無いとは言え、長引けば人に気付かれる。頼むよ!」

 朱雀は旋回をしながら、二つのフェアウエーが面した、開けた平地に降下した。

 八坂は朱雀が着陸するよりも早く「飛ぶよ」と天寿院へ言い、朱雀の背中から飛び降りた。

「朱雀。急いで上へ!」

 体が軽くなった朱雀は、飛ぶ速度が増して、刹那に元いた上空へ舞い戻り、戦況を確認するためにホバリングをして待機した。



「朱雀が数珠様と天寿院を降ろしたわよ」

「何!青龍はどうしている?」

「池の中で、数珠様の動きを伺っているみたい。潜ったきり出てこないわ」

「向こうへ加勢したい所だが、阿吽も距離を徐々に詰めてきている。こっちもそろそろだぞ」

 左右から近付いて来るのを、玄武も肉眼で確認した。

「玄武。作戦は変更だ」

「どうするの?」

「結界を張って姿を隠す」

「それじゃ――」

「どうやら、青龍だけでは無さそうだ。わしらを無視して、阿吽も数珠様を襲う気だ」

「えっ」

「恐らく、数珠様が天寿院と陸に降りたのは、何か策が有ってのこと。わしらは、姿を消して朱雀の上で、機を待つ!」

「わかった!白虎の言う通りにする。」

 玄武は印を念じ、体の回りに結界を張り、姿と妖気を消した。

「数珠様の近くへ行かなくて良いの?」

「姿は消えても、わしらの臭いまでは完全には消せん。吽形の鼻は侮れん。万が一、それが原因で数珠様の策に、支障を来たす訳にはいかん」

「やっぱり白虎は素敵よ。どんな時でも先を読んで、あらゆる事に備える」

「玄武」命を掛けた戦いの合図のような、冷たく厳しい言い方であった。

「ごめんなさい。」素直に受け入れた。

 玄武自身も覚悟を決めて気構えを変え、白虎の言う朱雀の上へ移動した。

 阿吽は左右より、まっすぐに朱雀を目掛けて距離を詰めてきている。朱雀が攻撃を受けるまで、あと数十秒程であろう。しかし、白虎は朱雀へ教える訳では無かった。



「数珠様。阿吽が左右からやって来ます!」上空で待機していた朱雀が阿吽を見付け言った。

「トラブタは――。しくじったの?」朱雀を見上げて訊いた。

「ここからではわかりません」

 左右別れて近付く阿吽を交互に見て答える。

「朱雀!来たら避けろ!阿吽は白虎に任せてある。相手をすることは無い!」

 池から目をはなさずに八坂は指示をだした。

「しかし!私の監視が外れた隙を、青龍が狙っているのであれば」

「構わない!君は僕の指示だけに従ってくれ!」

「わかり……ました」

 朱雀は阿吽の間合い入っていることに気付き返事はしたが、まだ動く気配は見せずに、池の監視をしている。

 ぎりぎりまで迷ったすえ、八坂の命を優先して朱雀が避けようとした時、上から呪珠(じゅず)が阿吽目掛けて飛んできた。寸前で阿吽はこれをかわすと呪珠は二つとも、ゴルフ場の芝生に空しく落ちて炎を上げた。

(今の呪珠は白虎の物)

 朱雀は白虎達が、加勢に回っている事に気付いた。


 落ちた呪珠が火を熾し、コースの枯れた芝生を燃やし始めた。その火が段々と大きくなり、暗闇の中で佇む、八坂と天寿院の姿を照らし浮かび上がらせた。

 それで確認したのか、池の中から無数の泡が浮かび出し、水面に何重もの放物線を描き波立たせた。

「朱雀!青龍が池から出たら合図を頼む!」

「了解しました」

「僕の浄化の光が通じなかったら、二人同時に攻撃を仕掛けて!」

 八坂の指示に、朱雀は空中で頷いたが、天寿院は八坂の隣で、池を直視しながら「数珠さんに危害を加えるようなら、遠慮せず切り刻むわよ。」と八坂へは返事をせずに、池の中に潜む青龍へ言った。

 やがて池の泡は大きくなり、百メートル先に居る二人にも、泡が弾ける音が聞こえてきた。放物線も大きな波と変わり、物体の浮上間際を示した。



 白虎の呪珠を避けた阿吽は、大きく旋回して、今度は八坂を標的に近付いてくる。上空でそれを確認した白虎と玄武は、急降下をして、八坂が背にしている大きな松の木の後方へ回り込み陣を張った。

「ここからなら、青龍と阿吽にも迎撃できる」

「もう少し近付いたら?」

「青龍が池から出るまでは我慢だ。」

 白虎は池を睨み、耳は阿吽が出す、風きり音を聞き分けていた。

「いつでも俊敏に動ける様に、準備をしておけ」

「私は亀よ。俊敏な動きは無理って知っているくせに」

「なら、わしが先行する。後に続け」

「そう言って、自分を犠牲にする気でしょ」

「わしは死んでも、数珠様をお守りしなければならん。」

「今――。ここで死んだら、妖狐の時はどうするのよ」

「犬死はせん。わしの代わりに、青龍と阿吽を置いて逝く。」

(馬鹿、白虎の代わりなんている訳ないじゃない)

 火は弱る事無く、芝生の燃える面積を徐々に広げていった。

「阿吽が近付いて来た。青龍よ、早く池から出て来い!」

「どうするの?」

「わしの今の使命は、阿吽を捉える事だが、青龍が阿吽と同時に数珠様を襲うなら、三匹纏めて相手にするだけだ」

 火に照らされて、八坂と天寿院が呪文を唱えているのが、二人の場所からも浮かんで見える。

「私も手伝うわ。どっちを狙えば良いの」

「狙い易い方はどっちだ?」

「私は左利きよ」

「ではわしは右へ放つ。印を結び用意しろ」

「わかった。」

 白虎は阿形を、玄武は吽形へ狙いを付け呪文を唱え、印を念じ始めた。



 唐突であった。目の前の池に、太く大きな水柱が立った。八坂たち全員が、水柱を青龍と間違え目を取られたその隙を付き、青龍は八坂へ向けて突進してきた。

 気が付いた時にはすでに遅く、避ける事も、他から攻撃する事も間に合わない。唯一、隣にいた天寿院が盾になろうと八坂の前に出たが、まるでピンポン玉を弾いたように、遥か後方へ跳ね飛ばされた。

「数珠様!」

 出遅れたが、それでも全力で朱雀や白虎、玄武が青龍へ突っ込んで行った。しかし、八坂は三人の目の前で青龍に一飲みにされた。

「おのれ青龍!」

 朱雀の真っ赤な体が、炎を纏い小刻みに震え、一番に青龍へ突っ込んだ。嘴が青龍の背中に刺さったが、尾で弾かれ朱雀は勢いよく飛ばされ、池の中へ落ちた。



 白虎は悪夢を見ているのだと言い聞かせた。まさか、自分の目の前で、主君である八坂を失うなど、微塵も思わなかった。

 体中の力を出し切り、駆けているのにまったく青龍に追いつかない。それでも、青龍を目の前にした時、横腹に激痛を感じた。見ると阿形が白虎へ突っ込んでいた。

「貴様ら!」

白虎が大声で吠えた。その声が玄武に届いた時、玄武の体に黒い炎が点いた。

「青龍!貴様は生かしておかぬ!」

青龍へ挑む玄武に、今度は吽形が牙と爪で仕掛けてきた。



 天寿院は、体中を走る激痛の中で目を覚ました。

「数珠さん!」

 自分が置かれている状況を思い出すまでに、多少の時間が掛かった。思い出して、自分の周りに八坂を探したが姿は見えない。遠くで白虎と玄武の咆哮が聞こえる。天寿院は痛みを堪えて立ち上がり、青龍の方へ走り出した。

「私が……、私が一緒にいたのに!一番そばにいたのに!」

 天寿院は自分を責めながら、八坂の姿を求めて青龍へ駆け寄った。

「貴様!数珠さんをどうした!何故答えぬ!」

 右手には既に草薙の剣が呼び出され、金色の光を放っていた。

「青龍!答えねば、ここで切り刻むまでだ!」

「天寿……院……。天寿院!」

 呼ばれ声のする右下を見ると、燃える芝生の傍に白虎が横たわっているのに気が付いた。

「白虎!大丈夫か!」叫び駆け寄る天寿院へ、息も絶え絶えに答える。

「済まぬ、阿形は何とか停めたが、この有様だ。」

 白虎の腹から、かなりの量の出血が見えた。その傍らに、二メートルほどの大きな狛犬が一頭横たわっていた。

「良くやったな。玄武はどうした?」

 出血の個所を抑えながら訊いた。

「わからん……。あ奴も、数珠さまが青龍に食われる所を見て、(たが)が外れ青龍に向かって行ったが、途中で見失った」

「わかった。もうしゃべるな!傷に悪い。」

「天寿院。今ならまだ間に合う。青龍の腹を切って数珠様を――。」

 白虎が吐血した。

「もうしゃべるな!貴様が死ねば、数珠さんが悲しむ!」

「……」

「白虎!気を確かに持て!絶対に諦めるな!良いな!」

 天寿院は白虎の元を離れ、青龍の後を追った。

「私の所為だ!(あなど)っていた。これでは全滅ではないか――。もっと慎重に対峙するべきだった。特に、数珠さんの疲れをもっと気にするべきだった――。」

 悔やんでも遅い事などよくわかっていた。しかし、天寿院の心の中は、自分への憤りが先立った。



 紅蓮の炎を纏い池の中から朱雀が飛び立つ。

「無念!狙う所を間違えた。数珠様を飲み込んだ時点で、眉間を貫くべきだった」

 空高く舞い上がり、上空から戦況を確認した。白虎が左下で倒れているのが見えた。その横には、阿形が横たわっている。

 対面には、玄武と吽形が共に倒れているのが見えた。青龍を探すと、前方の芝生の上を這っていた。

「おのれ青龍!数珠様を返して貰うぞ!」

 青龍へ向け急降下を始めた朱雀の目に、天寿院が映った。

「天寿院殿!」

 呼ばれて天寿院が振り向いた。

「朱雀!いいところに来た!私を乗せて青龍を追え!」

「御意!」

 朱雀の赤い閃光が天寿院を拾い上げた。

「よいか。数珠さんを青龍の腹から救い出す!」

「わかっております。急がねば、数珠様が奴の腹の中で、解けてしまいます」

「承知だ。急ぎ奴の前に回り込み私を落せ!刹那に腹を切り開く」

「御意!」

 朱雀は速度を増して、天寿院が言う様に回り込んだその時、青龍が悶え苦しみ出した。

「ぐぁー!」

 ゴルフ場の芝生の上で大声を上げて、急に倒れ込み動かなくなった。

「どうしたのだ?」

 天寿院は朱雀の背中から、動かなくなった青龍の上に飛び移った。青龍の膨らんだ腹の少し上に、僅かに光が透けて見えた。天寿院は光の横を、草薙の剣で突き刺した。

 切っ先からは、『(しん)』の文字が浮かんだ勾玉が出てきた。

「こんな物、数珠さんがいなければ何の意味も無い!」

 勾玉を拾い上げて、横たわる青龍を見下ろしていると、腹の中を何かが動いているのに気付いた。

 塊は、もぞもぞと青龍の口の方へ進んで行く。

(もしかして!)

 天寿院が青龍の口を大きく開けて「数珠さん!」と呼んだ。

「一葉ちゃん?出口はこっちで合っているの?」

 八坂の呑気な声が返ってきた。

 

「これじゃ、まるで漫画だね」

 青龍の口から出てきて、胃液と(よだれ)を拭いながら八坂が言った。

「お帰りなさい」

 天寿院が八坂の胸に顔を埋め、両腕でしっかりと八坂を抱きしめて迎えた。

 

 遠くの方で、消防車のサイレンが聴こえる。

「もたもたしていられないな。さっさと阿吽からも勾玉を取り出して、三人の妖力を封じよう」

 腕の中で泣いている天寿院へ優しく言い、天寿院は頷いた。

「数珠様、ご無事で何よりでございます。」

 上空で戦いの終焉を確認していた朱雀が、二人の基に降りてきた。

「朱雀、心配かけたね。状況は?」

「白虎と玄武が瀕死の重傷です。阿吽と青龍を含め、全員手当てが必要かと。」

「君は?」

「私はかすり傷ですので、ご心配は無用です。それよりも、天寿院殿の方が――」

「私も大丈夫よ。速く阿吽の勾玉を取りましょう」

「では、お乗りくだい」

 朱雀に促され、二人は朱雀の背中に乗り込んだ。


 サイレンが近付く中で、阿形の勾玉の『(まん)』を浄化して、白虎と阿形の妖力を封じると、次に吽形の体内から、最後の勾玉の『()』を取り出し浄化した。

「これで、勾玉は全て取り戻した。サイレンも近いし、長居は無用だ」

 天寿院へそう言うと、八坂は玄武を抱き上げ、天寿院は白虎を抱えて朱雀に乗り、青龍の元へ戻った。

「今、自由にするよ」青龍へ既に掛けていた術を解いた。

「危険じゃなくて?」

「大丈夫、青龍の腹の中で話は着けた。もう、僕達を襲う事は無いはずだよ」

「青龍、本当か?」

「朱雀か――。迷惑を掛けた」

「青龍、君の妖力を封じるよ。怪我が治るまで、寝ていれば良い」

「数珠様。本当にわしを、許してくださるのか?」

「許すも何も、自分の意思では無いだろ。気にしてないさ」

「何と――。」

 青龍が嗚咽を洩らした。

「おいおい。青龍には悪いけど時間が無いんだ。先に妖力だけは封じさせて貰うよ」

 天寿院と朱雀の目の前で、青龍の体は萎んでいった。

「小さくなっても、体は長いね」

 体長が二メートル程迄に小さくなったが、蛇を見慣れない八坂は、青龍の長く碧色に光る美しい体に感嘆した。

「朱雀。悪いけど、もうひと働きしてくれるかい」

「はい。皆さんを車までお連れするのですね」

「ご名答。先に僕と白虎と玄武を、次に一葉ちゃんと三人を頼む」

「数珠さん。トラブタが弱り切っているから、速く手当てをしてあげて」

 八坂は、天寿院から白虎を引き受け「うん」と頷いた。

「朱雀、頼む。」

 消防車のサイレンが段々と近付いてくる。闇夜の中を炎が舞う様に、赤い体の朱雀が飛んで行く。


「この不快な音は何だ?」

「この時代の火消しが来る音よ」

「では、速く逃げなくては――」

「動けないでしょ、青龍は。朱雀が来るまで待っていても大丈夫だから、あなたは寝ていなさい。」

「何故に……。何故あの時、わしを切り裂かなかった?」

「あら、あなたは死にたかったの?」

「わしのした事は、どのような理由があったとしても、許される事では無い。それを思えば、いっそ殺してくれた方が――」

「白虎に朱雀、それに玄武。みんな同じ事を言ったわ。でも、数珠さんは殺すことはしなかった」

「情け――か?」

「情けと言うより、『愛』だと私は思うわ。」

「愛――?」

「えぇ。仲間というより、家族に向ける感情に近い愛情」

「それなのに、わしは喰らってしまった――」

「そうよ。あなたは、六人の敵の中で唯一、数珠さんを喰らったのよ。仲間が傍に居て守っていたのに……。わかって?」

「殺して……くれまいか……」

「青龍はわかっていないのね。数珠さんを守りながら、妖狐へ挑める存在は、あなたしかいないって事を」

「わしだけ……」

「そうよ。あなたは死ぬ気で、数珠さんへ力を貸す義務があるの。ここで犬死するような、安い命ではないわ!いい加減に目を覚ましなさい!」

「天寿院……」

「青龍の死に場所は他にあるわ。焦る事などないのよ。」

「わしの死に場所――か」

「朱雀が迎えに来たわ。良くて青龍。他のみんなが苦しむから、もうこの事は絶対に、口にしないで頂戴。」

「わかった。約束しよう」

 朱雀の背中へ阿吽を乗せてから、青龍を担いで自分も乗り込んだ。

「では落ちないように、しっかり捕まっていてください」

 朱雀はひと叩きすると、四人を乗せて垂直に上昇した。遠目からは、炎が燃え上がるように見えるのであろう。聞こえてくる消防車のサイレンの数が増えていた。

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