表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名も無き戦いの終わりに  作者: 吉幸晶
4/27

朔日(ついたち)

寝返りを打つと、ふわふわした柔らかい物が左手に触れ、八坂は驚いて目が覚めた。掛け布団を捲ると、まん丸と太ったトラ猫が一匹、丸くなって寝ていた。

「白虎か……」

 八坂は枕元の時計を取り上げた。

(結構寝た感じだけど――)

 時計は七時三分を指していた。

 

 白虎が睡眠を妨げられたと、迷惑そうな目で八坂を見上げ、「もう、御目覚めですか?」と訊く。

 八坂は「うん」とひとこと応えて、「一葉ちゃんが見当たらないけど知らないか?」

「さて?」

 布団の上で、猫特有の伸びをした。

「まさか朝ご飯の支度なんて――。テレビドラマや小説めいた事は無いとは思うけど……」

「そういった事を期待されてますな?」

「子供だし期待はしていないけど。他の事では期待というより、頼りにしている。」

「それは残念な事で……。あの小娘に、数珠様のお気持ちが通じますかな」

 白虎は襖の向こう側を伺いながら言った。

「僕は、念じれば通じると思っているよ」

「ふーっ」

 白虎が何か言いたげに、首を左右に振るのを横目にして、「それじゃ飯にしようか」と八坂は立ち上がった。

 立ち上がりながら、何気なく見た文机の上に、巻物が置かれているのに気付いた。おもむろにそれを手に取り広げると、中には、昨夜天寿院が言っていた、手印の絵と意味が、規則正しく整列して書かれていた。

「本当にこんなに有るのか……」と溜息を吐いた。

 

 めげた気持ちから無理やりやる気を搾り出し、窓と雨戸を開けた。秋の乾いた新鮮な外気を取り込み、布団をたたみ始める。白虎は、文字通り足手まといにならぬように、文机に上がって丹念に顔を洗ってから毛繕いを始めた。

「随分と早いお目覚めね。」

 天寿院が襖を開けて顔を出した。

「おはよう」八坂が答えるのに、「おはよう」と軽く天寿院は返事をする。

「簡単だけど、朝ご飯作っておいたわ」

 少し照れながらそう言うと、たたんだ布団を押入れに押し込んでいた八坂が、びっくりして振り返った。

「本当!」

 途中で力が抜けた手から、ずりずりと布団が崩れ始め、慌てて抑えたが間に合わず、布団一式が、八坂を巻き込み畳に落ちた。

「人が作った朝食なんて、叔母が亡くなって以来だから、二十年振りかなぁ」

 落ちた布団を急いでたたみ直しながら、嬉しそうに二人へ言った。

「早くしないと、冷めるわよ。」

 素直に喜ぶ八坂へ、照れ隠しにわざと冷めた言い方をして、赤らいだ顔を見られないよう、襖を締めて台所へ戻った。

「どうだい。ちゃんと朝ご飯を作ってくれていたじゃないか。」

 布団を押入れに押し込みながら、白虎に言ったが返事が無い。八坂は押入れの襖を閉めて文机の方を見た。

 白虎は文机の上で、毛繕いの状態のまま止まっていた。

「電池切れかい?」

 声を掛けたが白虎は止まったまま、瞬きさえせずにいる。

(心臓は動いているよな)

「白虎、先に行くよ。」

 心配を他所に、八坂は暖かい朝食の誘惑に負けて、先に部屋を出た。


 ()きたてのご飯、(ねぎ)と豆腐の味噌汁に、焼いたしゃけが、湯気を立てて八坂を迎えた。

「簡単って言っていてけど、本格的じゃない!」

「そうかしら……。あなたの健康管理も、私の仕事のひとつなのよ。」

 天寿院は照れて横を向いた。

「なんと!わしの分も……」遅れて来た白虎も素直に喜んだ。

「あれ?一葉ちゃんの分は?」

 天寿院自身の朝食が、用意されていないのに気付いて訊く。

「私は式神よ。食事も睡眠も必要ないの」と寂しげに小声で答えた。

「睡眠も……って。まさか寝ていないのかい?」

「特に必要ないから――。それより冷めるわよ。」

「うん。それでは遠慮なくいただきます。でも、しばらくは一緒にここで暮らすようだから、食事が摂れるなら一緒に食べて、寝るときは一緒に寝ようよ」

「一緒に寝る?何か変な事されそうね。」

「おいおい。それは言葉の――」

「冗談よ。わかっているわ」

「――何か一葉ちゃん、大きくなってない?」

「確かに。昨晩の小娘と言うよりは、成長した感じがしますじゃ」

 良く見ると、昨晩は小学生ほどだった天寿院が、十代半ばの女子高生の容姿に変わっていた。

「式神も歳を取るようだね」

「私の外見は自由に変えられるのよ。夕べ見たでしょ」

「歳を取れば記憶が戻るかと期待したけど、違うのか……」

「そんな事より、おかわり有るけど?」

「では、おかわり。」

 天寿院へ空いたご飯茶碗を手渡した。

(変ね。私の意思とは関係なく、年齢が変わっているわ。『朔』の所為かしら……)

 八坂にとって、久し振りの賑やかで暖かい朝食であった。


「あとで友人の工務店へ行って、窓の修理を頼んでくるよ。」

 朝食が済みお茶を飲みながら二人へ言った。

「出向かずに、電話で済ませた方が良いわよ」

「でも急ぎ仕事になるし、近所だから行って頼んだほうが早いよ」

「数珠様、わしも小娘と同じ考えですじゃ……」

 二人の始めて合った意見に、少し戸惑った。

「どうして?」

 天寿院が言いかけた時、「わしが話そう」と言って、白虎が食卓に上がった。

「今日は、小娘は式神ではなく、ただの小娘に過ぎないのですじゃ」

「?」八坂の怪訝な顔が白虎に向いた。

「今日は『朔日(ついたち)』なのですじゃ」

「え?今日は八日だよ」

 食卓の脇に掛かっている、日捲りを見て言った。

「日付ではなく『(さく)』の日なのですじゃ――。つまり、日の出と共に月が出て、夕方には沈んでしまう」

「夜、月が出ないってことかい?」

「はい。」

「それが式神に関係が有るってこと?」

「大問題ですじゃ。今日は数珠様も同じで、呪力が大変弱くなる日なのですじゃ」

「だとすると、敵も同じじゃないの?」

「これは、陰陽師の呪術に関して起きる事で、妖狐やトラブタのような、妖怪には関係無い事なのよ。」

 黙って聞いていた天寿院が答えた。

「だから外出は控えて、微かだけど、お札の霊力が残るここにいた方が安全なの」

「そうか……。『朔』はいつまで?」

「今日と明日ってところね。」

「二日間か……。しょうがない。極力外出は控えるよ。」

 楽天家の八坂も、さすがにこの件は神妙に受け入れた。

「丁度良いから、巻物に書いてある『印』を、全部今日中に覚えてよ」

「えっ!」八坂の顔から血の気が引いた。


 十一時を過ぎた頃、玄関のチャイムが鳴るのと同時に扉が開いた。居間で日向ぼっこを愉しんでいた白虎は跳ね起き、食卓で八坂が昨夜持って来た、缶の中の写真や手紙を見ていた、天寿院も身構えた。

「八坂いるかい?」

 意外と甲高い、ひょうきんな声が八坂を呼んだ。

「根川か?」

 八坂が仕事部屋から出てきて、玄関に立つ友人を迎えた。

 根川は、八坂とは幼馴染で、幼稚園から高校まで奇跡的に常に同級だった。高校を卒業し、親戚の工務店に見習いへ行き、十年ほど前から、親より実家の工務店を継ぎ、経営一切を任されている。丸い童顔で角刈りが実に不似合いだが、腕の良い大工でもある。

「悪いな、忙しいところ出向いてもらって」

「良いってことよ。現場見るのに丁度良い」

 根川は持参した大学ノートを、パラパラ捲って見せた。

「窓が壊れたって訊いたけど?」

「こっちだ。見てくれるかい」

 そう言いながら、八坂は根川を居間に通して窓を見せた。

「かなりなダメージだな。まるで蹴破って入ったみたいだ。」

 窓際でしゃがみ込み、砕けた雨戸とガラス窓を見て言った。

「俺がちょっと押しただけで、この有様だよ。家自体が古いから仕方ないと諦めてはいるけどさ」

「お前ん家みたいのが有るから、ウチの様な弱小工務店が何とか生きていられるのさ。」

 窓枠を丁寧に見ていた根川が立ち上がった。

「そんな事言ったって、建て替える(もと)は無いぜ」

「分かっているさ。稼ぎの少ないお前を当てになどしないさ」

「そうそう。今時、儲かりもしない、しがない研ぎ師とフリーターの二束の草鞋じゃ、窓を直すのだって苦しい限りだ。」

「ウチだって一緒だぜ。工務店を残すために、職人や若い衆も大分減らした。」

「天下の根川工務店が良く言うよ」

「おいおい、おだてたって同級生割引までだぜ。それ以上は、この世知辛い世の中では無理だからな」

「承知!それでも大助かりだ。」

『御茶淹れたわよ』

 八坂が振り向くと、食卓の丸盆に湯飲みと急須が用意されていた。

(やっぱり、根川にも一葉ちゃんは見えないのか)

 八坂は天寿院へ『ありがとう』と目配せして、根川に「茶でもどうよ」と誘った。


「ところで、猫なんていつから飼ってんだ?」

 お茶を一口啜って根川が訊いた。

「昨夜、割れた窓から入ってきて、居着ちまった」

「よっぽど、窓際が好きみてーだ。俺が近付いても動きゃしない」

 日の差す畳の上で、白虎は丸くなったまま動かずにいた。

「それにしても、随分と見事な体型だな。まるで子豚みたいだ」

 今まで根川が近付いても、平気で寝ていた白虎だが、今の一言に反応して『ピョコン』と顔をもたげて、根川を睨んだ。

「気を悪くしているぞ」

「かまうものかよ、金運の招き猫ならまだしも、窓が壊れた時に来た猫じゃ、疫病神かも知れんよ」

「でも今では、俺の家の同居人だぜ。余り悪く言わないで欲しいな」

「おっと。こいつは失礼。つい友人との馴れ合いになっちまった――。窓はサッシで良いか?その方が安く上がる。」

 湯飲みの中のお茶を飲み干して、今までの雑談を仕事に変えた。

「それは助かる。一番安くて見栄えの良いのを、見繕ってくれよ」

「ほいさね。そんじゃ、夕方になるかもしれんが、見積を届けさせる。ついでに、ベニヤを何枚か持って来て、ビニールシートを貼り付けてやるよ」

「サービスか?」

「当然――。同級生割引だ。」

「わかった。それで頼むよ。」

 根川が雪駄をつっかけて「じゃな」と小走りに路地を行き、バス通りに消えた。

 八坂が根川を見送り家に戻ると、白虎は不機嫌極まり無い様子を露骨に表して、ムスっとしていた。その傍らで、天寿院も機嫌を害したのか、黙って座ったままであった。


 昼食は、八坂が支度をして天寿院にも勧めた。しかし「食欲がないから」と断り、居間の壊れた窓から秋の晴れた、東京では珍しい、清んだ青い空を眺めていた。

 昼食後、白虎は天寿院に昼寝の場所を取られたのが不愉快なのか、黙って窓から出て行った。

 八坂は、食後のお茶をふたつ手盆で持ってきて、天寿院に声を掛けた。

「お茶、どうぞ」

「ありがとう。でも、遠慮するわ」

「どうしたの?朔の所為?」

「何が?」

 天寿院は外を見たまま、振り向きもせずに問い返した。

「元気が無いみたいでさ」

「私が?」

「うん」

「意外と優しいのね。そんなに気になる?」

 八坂を横目で見て冷やかした。

「二十数年振りに得た身内だからね。気になるのは当たり前じゃないか」

「身内って――。私は式神で、人じゃないわよ」

「一緒に暮らせば、立派な身内だよ。」

「そういう優しさの押し売りみたいな言葉は、実体を持たない私にはとても辛い言葉よ。」

「……。」八坂は返事に窮した。

「実体が無い私って、あの月と同じ」

 空へ視線を戻して呟いた。八坂は天寿院の視線の先を辿り、目を凝らす。

「自分の生きる場所と時間が合っていれば、誰もが気付き見てくれるけど、今のあの月は、誰にも気付かれずに、見付けて貰う事さえしてもらえない――。人の世界にいるのに、誰にも気付いて貰えない私は、あの月と同じ……。」

 八坂はやっと、真昼の快晴の空に、儚く薄っすらと浮いている満月を見付けた。

「早く、妖狐から勾玉を取り戻して、元の世に戻りたい――。」

 天寿院の頬を一筋の涙が(こぼ)れ伝った。

「そうだね。確かに今の一葉ちゃんは、あの月と同じだ。」

 天寿院の悲しい目が、八坂に向けられた。が、八坂は月を見たまま続けた。

「でもね。あの月だって何日かすれば、元の自分の場所と時間に戻るよ。だから一葉ちゃんだって、姿は違っていても、自分の場所と時間に――。ここに帰って来たじゃないか。あとは無くした空白が埋まるまで、僕はしっかり君を見ている。」

「……ばか。そんな恥ずかしい事を、真顔で言うなんて……。」

「この歳まで一人で暮らしているとね、何でも平気で言える様になるのさ。」

 笑った八坂の口元から八重歯が覗いた。

「その八重歯」

「僕のチャームポイント」意識して作った笑顔に、「とても気持ち悪いわ。抜いた方が良いわよ。」

 二人はしばらくの間、儚く浮かぶ昼の月を眺めていた。


 夕方になって、根川工務店の者だと言う二人の若い男が、ベニヤとビニールシートを軽トラに積んでやって来た。流石に手馴れた様子で、段取り良くベニヤとシートで、壊れた窓を覆い始めた。

「菅井さん。この家、古過ぎて窓枠だけじゃなく、全体的にかなりやばいらしいですよ。だから周りの壁を壊さないよう、気を付けて仕事しろと親方が言ってたっす!」

 勢い良くベニヤを打ちつけている兄貴分の職人へ、見習いらしい若い男が大声で注意した。

「馬鹿野郎!そう言う事は、施主(せしゅ)に聞こえねぇように、もっと小さな声で言え!」

「外と中の違いはあるが、ベニヤ一枚じゃからな、おぬしらの声など丸聞こえじゃ」

 白虎が食卓の上で、毛繕いをしながら言った。

「お茶、淹れるのよす?」

 天寿院が真面目に訊く。

「ははは。そうはいかないよ」

「しかし現代人は、慈愛と言うものが無さ過ぎですじゃ」

「窓を壊したのはあなたよ」白虎を細目で見ながら責めた。

「あれは……」

「その後始末をしてくれているのだから、あなたに彼等を非難できるのかしら?」

 言い返すことができず、白虎は渋い顔をした。

「外が静かになったな。お茶持っていこうか」

 その時、玄関の扉が開き、菅井と呼ばれた方の職人が顔をだした。

「八坂さん、終わりました。」

「今、お茶淹れているから、ちょっと一服してきなよ」

 台所から八坂が返事をした。

「ありがとうございます。が、もう仕舞いなので……。」

「おっ、そうか!飲みに行くのか」

「へい。すみません。これ、親方から八坂さんへ手渡すようにと――」菅井が封筒を差し出した。

「見積りか。確かに受け取ったよ」

 封筒から四つ折りの紙片を出し、広げて金額を確認した。

「それじゃ、失礼いたします」

「おっと。これ持っていってくれるかい」

 そう言いながら、用意していた一升瓶を菅井の方へ出した。

「これは……」

「先月貰ったけど、日本酒は飲まないから。持っていってくれると助かる。」

「そう言う事でしたら、遠慮無く頂戴します」

「ありがとう。工事の方、宜しくと根川に伝えてくれる?」

「へい。では、これで失礼いたします。」

 見習の運転する軽トラに菅井が乗り込むと、運転も見習いとわかる、危なっかしい走りで帰っていった。

 金槌で釘を打つ音も、粋の良い職人達の大声も収まり、八坂家に静けさが甦った。


 風呂に入り夕食も済ませ、就寝前に居間で寝転びながら、ニュース番組を観ていると、白虎が八坂の脇に来て言った。

「静かな夜ですじゃ」

「そうだね。このまま何とか、今日一日を無事に過ごしたいね」

「上手く、夜が明けるまで来なければ助かるけど」

 窓際を警戒している天寿院も、朔が明けるまでは。と願った。

「なんてったてさ、今日の今日で、ベニヤを壊されたら。根川への言い訳を考えないといけなくなるしね」

「申し訳ありませんですじゃ」白虎が頭を下げた。

「気にするなよ。二十万は痛いけど、白虎の所為じゃないよ。」

「貧乏な割には、気前が良いのね」

「貧乏か。確かに否めないな。」

 テレビの画面が突如乱れた。


「来たようですじゃ!この感じは――朱雀か!」

「まったく、今夜だけは『招かれざる客』を理解して欲しかったな」

「私が引き付けるから、トラブタは死んでも八坂のおじさんを守るのよ」

「今のぬしには、奴を引き付ける事もできんじゃて。無闇に掛かれば瞬殺は間逃れまい」

「……トラブタの分際で」

「でも今は、白虎の言う通りだよ。」

「……そのようね。足手纏いは辛いけど、私の所為で、あなたを危険に晒すわけにはいかないものね……。」

 天寿院は八坂の前に立った。

「このまま、玄関先で帰ってくれれば良いのだが……」

「それは期待薄ですじゃ。数珠様、早くわしの妖力をお戻しくだされ」

「わかった。頼むよ白虎。」

 八坂は手印を結び白虎の妖力を戻した。

 白い光が白虎を包むと大きく膨らみ、光の中から昨夜の大きな妖猫(ばけねこ)が現れた。

「力がみなぎる!朱雀の目を覚まさせてくれる!」

 白虎はそう言うと、狭い廊下を通り玄関へ向かった。と同時に、轟音と共にベニヤとシートが居間に飛び込んできた。

「なに!」

 居間の窓を背にしていた八坂と天寿院は、後ろを魔物に取られた格好になっていた。急ぎ振り向いた八坂の目に、黒く大きな岩が映った。

(しまった!この気配は玄武!朱雀は(おとり)か、しかしここを動けば間違い無く朱雀は襲ってくる。どうする!)

 白虎は居間の騒動を察知したが、身動きが取れない。急ぎ戻らなければ八坂が玄武に襲われると思い焦った。

「白虎!こっちの岩は何とかするから、そっちだけ頼む!」

 白虎の焦る気持ちを悟ったのか、八坂が大声で指示を出した。

「わかりました。そやつは玄武です。防御には滅法強いですが、大丈夫ですか?」

「自信は無いけど考えがある!少ない呪力を有効的に使う方法がね。」

 八坂と玄武の間に入ろうとする天寿院を止めながら、八坂は手印を結んだ。

 玄関の戸が揺れ始め、ガラスがガタガタと音を立てた。

「来るか!朱雀!」


「白虎の方も、いよいよ始まるのか。こっちも早く整えなくては。」

 玄武と対峙した八坂が手印を結び終わると、左手で天寿院の右腕を掴んだ。

「一葉ちゃん、君を守ると言っていたのに、君に頼らざるを得ない自分が情けない。時間にするとほんの数分だと思うけど、君のこの手に昨夜の剣を呼び寄せる」

「『草薙の剣』は御神剣よ。一介の陰陽師の末裔が、簡単に呼び寄せられる物では無いわ」

「あれは、草薙の剣だったの?」

「保憲様がそう呼んでおられたわ」

「そうか。でも剣を呼ぶのは君だよ。僕は手助けするだけさ。」

 天寿院は少し考え、「わかったわ。今はそれに掛けるしかないものね。」と八坂に握られた右腕に集中した。

「そう言う事。では始めるよ。」

 二人が同時に呪文を唱えると、天寿院の右手が金色に輝き剣が現れた。

「勾玉は何処?」

「首の付け根――。左の肩口辺り」

「任せて!」

「ひょっとしたら、これで結界も消えるかもしれない。一撃必殺で頼むよ」

「首を切り落とせば済むわ。刹那の業よ」

「殺生は避けて欲しい。玄武も朱雀も白虎と同じ、元は僕達の仲間だから。」

「……成るべく気を付けるけど、約束は出来ないわよ」

「玄武の注意を僕に向ける、後は頼むよ。」

 八坂の額に、勾玉の形をした光が浮かんだ。

「玄武!思い出せ!僕のこの光は浄化の光!」

 八坂の声で光を見た玄武が、眩しさに負けて目を閉じた。それを見て天寿院が八坂の背後から飛び出し、玄武の首の付け根に切りつけた。

 切り口から、白虎の時と同じように、勾玉がひとつこぼれ落ちた。

「『()』の文字の勾玉、確かに預かった。一葉ちゃん、窓から出て玄関へ回って」

「挟み撃ちのお返しってところね」

 八坂は「うん」と頷き、「あまり無理はしないように。」と天寿院を気遣った。

「時間が無いみたい。急ぐわ!」

 八坂と呼び寄せた、右手の剣の輝きが薄らいできていた。天寿院はそれを感じて、窓から暗闇の中へ飛び出した。

「さぁ玄武。白虎のように、自分を取り戻しておくれ。」

 妖力が残る玄武が、八坂家に仕えていた事を思いださなければ、敵前に身を晒す危険な賭けであった。しかし、残量の少ない八坂自身の呪力を有効活用するには、これに掛けるしか、他に手立ては無かった。


 玄武の傷口は塞がり始めてゆく。目を硬く閉じて頭をうな垂れていた玄武が、八坂の声に反応して頭をもたげ目を開けた。

「額に浮かぶ勾玉の紋章。間違いなく元成様の末裔――。私は、自分の意思では無いとは言え、とんでもない事をしていたのですね。」

「僕は八坂数珠だ。玄武、君とゆっくり話をしたいところだけど、今は朱雀と白虎を救うために、君の力を借りたい。」

「白虎と朱雀……ですか?」

「そうだよ。朱雀は君同様、妖狐に操られている。今、白虎が対峙しているけど、じきに天寿院も参戦するだろう。そうなると三人の中で大怪我をするか、命を落とす者が出るかもしれない。できれば、僕は皆を無事に取り戻したい。だから協力して貰えないか」

「わかりました。元成様とのお約束です。貴方様にお仕えいたします。」

「ありがとう玄武。では、早速で悪いが、そのまま外へ出て、表へ回ってくれ。三人の無意味な戦いを止める!」

 玄武は重たそうな体をゆっくりと動かし、窓枠に(はま)っている体を外へ出した。窓から毀れる僅かな光が、玄武の全体を(あら)わにした。

 ベニヤを壊し部屋に入っていたのは、玄武のほんの一部でしか無かった。決して広いとは言えない八坂家の庭だが、それでも優に四坪はある。その庭のほとんどが、玄武の体で覆われていた。

 あまりの大きさに、隣家を潰してしまったのではないかなどと余計な心配をしたが、無事な隣家を見て八坂は安堵した。

 玄武は体全体が庭に出ると、「私の背中へお乗りください」と八坂を自分の背中へ招いた。

「玄関までなら歩いた方が早いけど……」

「朱雀は鳥です。白虎も空を飛べます。恐らく空中での戦いになるはずですから、数珠様も空中におられた方が良いかと――。」

「わかった。それじゃ玄武、頼むよ。」

 八坂が背中に乗ると、玄武はゆっくりと浮上した。平屋の八坂の家が眼下に見えた。

「もう、始まってしまったようです。」

 八坂は玄武の顔の向く先を見た。その先で、炎のように赤い大きな鳥が、羽ばたいて空中に止まっているのが見えた。

 広げた両翼が、隣家の二階家の部分より大きく見える。恐らく五メートルを越えていると、八坂は推測した。

 朱雀の尾は長く、赤い羽に青や黄、緑などの紋様が美しく輝いている。

「なんて綺麗なんだ」感嘆が口を吐いた。

「朱雀はあの美しさで、人間や魔物を引き付け、捕食しておりました――」

「なるほど。確かに、魂を吸い取られるような感じがする」

「もう少し近付きましょう」

 玄武はゆっくりと進んだ。

「私は、朱雀や白虎のような攻撃型ではなく、守備型です。姿や妖気を消す結界と、治癒の結界の能力を持っております。」

「それで朱雀は僕達に気付かないのか」

「はい」

「頼もしいね。玄武は動く要塞だな。」

「お褒めに預かり光栄です。」


 朱雀が見下ろしている視線の先から、白い影が飛び上がってきた。

「朱雀、目を覚ませ!ここは元成様の末裔のお家!貴様だって覚えているだろう!」

「トラブタ!早く朱雀に近寄れ!剣が……剣が消えてしまう!」

「小娘!朱雀を切り刻む気だろうが!」

「今の私はそれしか考えていない!早く行け!」

「小癪な小娘だ!数珠様をお守りする為、止むを得ずわしの背に乗せたが、朱雀を殺すと言うのであれば、振り落とす!」

「何を言うか!勾玉を取り除かなければあの人が狙われる。今の――。『朔』の今は、この剣が消えたら、あの人を守ることができなくなるのよ!朱雀を殺すしかないじゃないの!」

「わしが話せば、朱雀も目を覚ます!それまで待て!」

「時間が無いのよ。もう一、二分もすれば貰った力が消える。そうしたら勾玉を取り出せなくなるわ」

「一葉ちゃん!白虎!お待たせ!」

 玄武に乗った八坂が、二人に声を掛けた。

「数珠様!玄武!」

「一葉ちゃん、勾玉は朱雀の背中だよ。右の羽の付け根辺りだ!」

 玄武の首にしがみ付いたまま、八坂が勾玉の在り処を示した。

「訊いたトラブタ!急いで!」

「急げと言っても、あっちは飛ぶのが商売の鳥だ。しかも『妖鳥』だ。追いつける訳など無かろうが――」

「玄武、あっちのチームの息はまだ合っていないようだ。もう少し朱雀に近づけるかい?」

「近付くだけであれば。しっかりお掴まりください。」

 そう言うと、また玄武は結界を張った。そして朱雀の真下に入り込む。

「朱雀!君が欲しがっているのは僕だろ!さぁ来いよ!」

 いきなり現れた八坂達に驚き、朱雀は声のする方を見下ろした。八坂の額の光が朱雀の目に入ると、玄武と同様に、朱雀の動きが鈍くなった。

「今よ!」

 天寿院が、跨がっている白虎の脇腹を蹴った。

「わしは馬ではないぞ!」

「文句言わない!一回よ!この一回が、最初で最後のチャンス!」

「わかっている。黙って狙え!」

 白虎は少し大回りをして、朱雀の背後から、疾風のごとく近付き、天寿院が朱雀の背中を、草薙の剣で切りつけた。

 朱雀の下で止まっていた八坂は、朱雀の背中から落ちた『(けん)』の文字の勾玉を受け取り、残り少ない呪力で浄化すると、八坂の首にある、銀の房に三つ目の勾玉が連なった。


 庭に玄武を下ろし、残った最後の呪力で白虎達の妖力を封じた。

 白虎はまた、子豚の様に太ったトラ猫に戻り、玄武は四十五センチも有る岩亀に、そして朱雀は体長八十センチほどの、雄の雉になった。

「皆の力でなんとかなったよ。お疲れさま。」

 庭で一息付いて、八坂が皆を労った。

「二匹のお陰で苦労させられたわ」

 天寿院が醒めた目で、いつも通りに挑発したが、白虎は挑発には乗らず、八坂の前で座り改まった。

「数珠様。私を含め朱雀や玄武までをお助けいただき、本当にありがとうございますじゃ。ほれ、二人もお礼を言わんか」

「私は朱雀と申します。危うく数珠様に手を賭けるところでした。それなのに、私の命を優先に思っていただき、何とお礼を申せば良いのか……。」

 白虎の左側に並び朱雀が言った。

「改めまして、私は玄武と申しますぅ。本当に、私達の裏切りに目を瞑っていただいた上に、命まで助けていただき、この御恩をどのようにお返しすればよいのか……。」

「そんなに(かしこ)まらなくても良いよ。仲間を。みんな生きたまま取り返して、妖狐と勾玉を封じるのが、僕の生まれ持った定めだと、一葉ちゃんと白虎の話しでわかった。」

「随分と、格好良いことを言うのね。」

 朱雀と玄武が天寿院を見上げた。

「この小生意気な小娘は、天寿院と言う式神じゃ。わしらを操っておる勾玉を取り返しに、遠い昔の陰陽師に言われて、わざわざやって来たらしい」

「紹介していただいて光栄だわ」

「小娘こそ。そうやって数珠様に突っかかっておるが、本音はどうなのじゃ」

 白虎がニヤニヤしながら言った。

「どうって?」

「わしの背中で『あの人が、あの人が』と何度も言っておったではないか」

「そ……それは……」

 天寿院の顔が、朱雀の羽の様に真っ赤になった。

「トラブタ!朔が終わったら叩き切ってやる!」

 そう言い残し、壊れた窓から家に駆け込んだ。

「白虎、あまり苛めないでくれないかな」

「そうですな。でも、たった二日程で、あんなに正直に成るとは――」

「数珠様の御人徳なのです。」

 朱雀が天寿院の消えた方を見ながら言った。

「僕にそんな特技が有ったら、この歳まで独身をしてないよ」

「そんな事はございません。私が、人間の女だったら……」

「玄武!」空かさず白虎が(たしな)めた。

「すみません」

「こんなにもてたのは、生まれて初めてだよ」

 八坂は頭を掻きながら言った。

「あと、青龍と阿吽の三人を、無事に取り戻さなければね。皆、僕に力を貸してくれるね。」

「勿論です。が、数珠様。我々は人ではないので、『(にん)』は可笑しいかと」

 朱雀が遠慮がちに言った。

「そうかな?細かく言えば、一葉ちゃんも含めて、皆は神様だから確かに『人』では可笑しいか――」

「いいえ。『人』で結構ですじゃ。朱雀も玄武もよかろう?」

「私は、数珠様に呼ばれるだけで……」

 白虎が玄武を睨んだ。玄武が甲羅に顔を隠すと、朱雀へ視線を移した。

「どうじゃ、朱雀」

「私も良いのですが、ただ、我々妖怪を『仲間』と呼んでいただいた上に、『匹』ではなく、『人』と呼んでいただいては、勿体無くて」

「そんなことかい。僕は神様に失礼かと思ったよ」

「我々は『神』では無く『妖怪』ですじゃ」

 寂しそうに白虎が答えた。

「では『仲間』で『人』で良いね」

「嬉しゅうございますぅ」

 甲羅の中から、玄武がいち早く返事をした。白虎と朱雀が目を合わせ、白虎が代表して「御意」と答えた。

「これで問題がひとつ片付いた。だけど、こっちの方が大問題だ」

「何ですかぁ?」

 玄武が顔を出して訊いた。

「これだよ」と夕方に張られたばかりの、ベニヤとブルーシートの残骸を手に取り、一層に壊れた窓枠を見ながら溜息が漏れた。

 玄武が申し訳なさそうに、顔だけではなく、手足まで甲羅に仕舞ってしまった。

「さてさて、どうした物でしょうか?」

 朱雀も、無残な窓枠を見て首を傾げた。

「なぁに。まだ今夜は早いですから、朝までに皆で考えれば、何とかなりますじゃ」

「そうだね、根川への言い訳を考える時間は、沢山有るか……」

 確かに朝まではまだ五、六時間ほど有るが、天岩戸に隠れたような玄武に、楽天的な白虎。神経質そうな朱雀に、今はちょっと顔を合わすのが照れ臭い、天寿院達では、時間は有っても、名案など出る期待は持てない。そうなると必然的に、八坂一人で考えるしか無い――。

 考えなければ成らない事は、それ以外にも山積みである。まずは昨夜の件で、夜中に警察官を引き連れやって来た、隣家に住む町内会長の杉田の動きも気になるし、天寿院から出された『印』も、覚えなくてはならない。その他には、青龍と阿吽の三人の性格や攻撃パターンなどを、白虎達から聞いて、ある程度の防衛策を立てる必要もある。

 何より一番の問題は、正体のわからない妖狐の存在であった。天寿院が主人と呼ぶ、賀茂保憲に訊くのが早いのだろうが、時代の違う現在では大変難しい。また、白虎達に聞いても良いのだが、今は傷口に塩を塗るようで心が痛み訊き難い。

 そんな事を考えているうちに、夜は静かに深まり、八坂は自室の文机を前に、寝息を立てていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ