本当の経緯(いきさつ)
白虎は焦っていた。走っているのだが、前には一向に進まない。ここでは急げば急ぐほど進まない事は、承知の上だが、焦らずにはいられなかった。
玄武が消滅したと言う事は、八坂の仲間に、玄武に騙されたと思っている者が居るということに成る。もし玄武が白虎に言い残した事が確かであれば、八坂の側近にいる朱雀は、何者なのか八坂が罠に嵌る前に、合流し確認しなくてはならない。
「えーい。もどかしい!何故に進めぬ!急いでいるのだ。頼む。もっと早く進んでくれ!」
まるで神に頼んでいるかのように、白虎は声に出して言った。
八坂達が入って行ったと思われる入口から森へ飛び込む。
「間に合ってくれれば良いのだが――。」
白虎にしてみれば、何度も迷った慣れた森である。迷う事無く、八坂達を追えると、意気込み勇んで森へ飛び込んだが、流石の白虎も、八坂が向かった先までは検討が付かない。
時折、木に登り、誰かが歩いた僅かな形跡を探し、見付けては進む。判らなくなるとまた木に登る。そうして繰り返し進む内に、何かの光が目の片隅に入った。
「何だ!この光は!」
白虎の頭の片隅に、八坂の顔が僅かに浮かんだ。
「急がねば!あの光の基に、数珠様が居る!」
白虎は光が見えた方へ進路を変えたが、途端、光が途絶えた。
「この先に、数珠様がおられる。」
疑問が核心に代わっていた。すでに方向に迷いは無かった。
「ここの木に登っても大丈夫なのかな?」
八坂が妖狐へ聞いた。
「何故、わしに聞く」
「だって何か知っていそうだもの」
「そうやって何でもわしに選択させるのは、良くないと思うが」
「頼りにしているのですぅ」
「玄武よ、頼って貰うのは良いが、頼りっぱなしは別だ。」
「妖狐って意地悪ですぅ」
「玄武こそ、甘え過ぎではないのか?」
「まぁまぁ。三人しかいないんだらさ、持ちつ持たれつ仲良くやろうよ」
「元を作ったのはお前だろう。」
「そうかな。僕は木に登って方角が判れば良いかな、と思ったけど、草や木は魂の一つだとすると、無闇に登ったりしてはいけないのかな?ってことで、物知りの妖狐に聞いただけだよ。」
「わしらは草を踏んで歩いているのではないのか?」
「そうか。なら、木に登っても大丈夫だ」
「多分だがな」
「迷わす様な言い方はよして欲しいな。」
妖狐は黙って八坂を横目で見た。
「わかったよ。自分の意思で登れば良いんでしょ。できますよ。それぐらい。僕だって――。何かあると困るから、玄武は妖狐と一緒に居て。」
八坂が玄武を妖狐の頭に乗せると、一番手近な木に手を伸ばし、するすると登り始めた。
「上手いものよのう。」と珍しく褒めた。
「体重が無いからね。力もいらないし、木登りの技術は子供の頃に習得しているから、これぐらいは朝飯前だね。」
褒められ気を良くした八坂は、どんどんと上へ登って行き、木の頂上で辺りを見回した。
「うーん。全然、違う方向を向いているね。森の外れは、あっちの方だよ。」と下にいる二人へ、手で方角を指して伝えた。
「ん?」
八坂が木を降りようとした時、隣の木のてっぺんに、一羽のカラスを見付けた。
「妖狐、隣の木にカラスがいるよ。天国とカラスって、おかしくないか?」
カラスが不吉な鳥のイメージが強い所為か、木を降りかけた状態のまま妖狐へ訊いたが、八坂の大きな声に驚いたのか、カラスは十本ほど先の木へ飛んでいってしまった。
「駄目だ、驚いて逃げてしまったよ。」そう言いながら、降りてきた。
「カラスってさ、陰のイメージが強いだろ。天国には、不似合いな気がするんだけどな」
「ひょっとして三本足のカラスでは?八咫烏でしたら『神の遣い』と聞いておりますぅ」
「だが噂では、加茂一族が使っていたとも聞き覚えがある。」
「と言う事は、保憲の手下か――。僕達を見張っているのかな」
「そうかも知れん。」
「鳥を隠すなら森の中って事か――。」
「正式には、『木を隠すなら』ですぅ」
「そうだった?」
「監視が付いたのに、お前は呑気なものだな。」
呆れ気味に妖狐が言うと、玄武も無言で頷いた。
「呑気っていうわけじゃ無いけど。監視が付くと言う事は、当てにしていた朱雀を失い、慌てているって事じゃないかな。」
妖狐は「ほう」と呟くと、少し見直したような目に変わった。
「僕もだけど、朱雀を失った穴が大きいんだよ。だから仕方なく、八咫烏を送ってきたのじゃないかな。次の手を模索しているのなら、少しは気を休められる。大草原には辟易としていたけど、視界の通らないこの森は、息が詰まりそうなくらいだ。せめて気を休める時間を得られるなら、保憲の二の手、三の手に余裕を持って臨める。」
「確かにそうだな。お前と会ってから、ずっと、根を詰め過ぎていたようだ。」
「こう見えても僕が焦っていた所為だと、反省しているよ。」
八坂はそう言うと、両腕を天に向け大きな伸びをし、「おおー」と大声を上げた。そして妖狐と玄武を振り返ると、額に勾玉の光が輝き出した。
「いきなりどうしのだ!」
「御免、脅かす積りじゃなかった。」
「大声では有りません。額に光が、浮かび始めておりますぅ」
「えっ?本当に」
僅かな木々の間を通り、光は真っ直ぐと、一筋の道を作っていた。
「玄武の時と同じだ。僕の意思とは別に輝き出した。」
急ぎ進む白虎の前を、一羽の烏が横切った。体を返し避けたが、着地の所へ今度は別の烏が飛んで来る。ぎりぎりの所で何とかかわしたが、「しまった、光の方角を見失った。」と襲われた事の驚きよりも、光が指した先を見失った事を悔やんだ。
気を取り直し、白虎は辺りを見ると二羽の烏が、草の上でもがき消えて行くところであった。
「何て事を、故意に私を狙ったというのか!」
「お前を奴等に合わせる事は断じてできないのだ。体制が整うまで何度でも、我ら八咫烏はやってくるぞ!」
「何故に!」
白虎の声は、八咫烏と共に消えた。
「数珠様が危ない!」
急ぎ助けに向かおうにも、完全に方角を見失っていた。
「八咫烏と言っていたな。『神の遣い』と聞いてはいたが、どうして私や数珠様を襲うのか……」
白虎の心の中で、何かが見え隠れしていた。
どうして八坂を数珠様と呼ぶのか、何故に八坂の基へ急ぎ、守ろうとするのか、早く八坂に伝えなければならない、何かが有るはずなのに、霧は晴れず見たい物を覆い隠す。
見たい物を思い描こうと、目を閉じてじっとしていると、ばさばさと無音の森の静寂を破り近付く、陰の気配を感じた。
「またか!」
白虎は手近な木を一気に登り、勢いで隣の木に飛び移る。その時に周辺を見回し方角を確かめた。
「邪魔をするな!」
追って来る八咫烏を無視して、急ぎ木を降りて身を低く保ち、草の上を走る。
八咫烏は木と草が邪魔になり、白虎へ近づけないでいた。すると二羽とも地に落ち消えた。消えると別の八咫烏が現れ、また白虎を追う。
地を這うように進むため、方角を見失と仕方なく確かめるべく、木に登る。すると狙いやすくなった白虎を目掛けて、八咫烏が襲いかかる。
ぎりぎりで除けるが、身を翻すと方角を見失い、また木に登り確かめる。
「何度も!小癪な真似を!」
白虎の我慢の限界を迎えようとした瞬間。木の上を飛んだ白虎を光が包む。『こっちだ』と言わんばかりに、白虎へ行き先を示した。地面に降りた白虎は、光の来る方へ向かい走りだした。
「数珠様、今、暫く!」
光が薄らいぎ始めると、その先から何かが光を追いかけ走ってくるのが見えた。
「誰だ?誰か光に付いてやって来るよ!」
八坂の言葉に、妖狐と玄武が、光の先へ目を向けると、さっき別れた白虎が走って来るのが見えた。
「白虎さん!」
八坂がそれに気付き手を振りながら名前を呼んだ。
「数珠様、ご無事で何よりでした。」
息も絶え絶えに白虎が言った。
「あれ白虎は、記憶が戻ったのかい?」
先程別れた時と様子が変わった事を訊いた。
「はっ。先程の御印の光を受け、全てを思い出しました。」
「本当に良かったですぅ。先程まで、偽白虎と思っていたのですぅ」
「何と、偽とな。」
「でも数珠様は、天国で白虎が無事に暮らせればと、願っておられましたぁ」
「数珠様変わらぬお心遣い。誠にありがとう御座います。」
「僕こそ、君に――」言いかけた八坂の言葉を遮り、「数珠様、お話しは後にて、少し遠回りになりますが、この森より皆の待つ所へお連れ申します。」
「皆――。わかった。案内を頼めるかい。」
「御意。私が先導いたします。妖狐!殿を頼む!」
「任せろ!」
「では急ぎ出ます。時より八咫烏が攻めて参りますが、相手はせず、決して手など出さないよう。」
「判ったよ。避ければ良いんだね。」
言うと玄武を優しく左手で包んだ。準備を確認し、「では、参る!」と白虎の掛け声で一斉に走り出した。
動き出して間も無く、白虎が言ったように、八咫烏が羽音を立てて八坂目掛けて突っ込んでくる。と、「させん!」とばかりに、妖狐が間に入り八坂の盾になった。
八咫烏は妖狐の首に当った後。地に落ち消えた。空かさず、次の八咫烏が現れては八坂へ襲い掛かる。それを妖狐が身を挺して守る。森の出口まで、矢継ぎ早に八咫烏の攻撃は続いた。
「妖狐、もう少しで外に出る。我慢してくれ!」
白虎が殿の妖狐を気遣い言う。
「何、気にせず進め。わしはそれほど軟にはできてはおらん!」
「お主に辛い役回りをさせて済まぬ。」
「前世でわしがした罪から考えれば、容易い事だ。」
「二人とも前世の事を思い出したのかい?」
「ああ。」
「御意」
同時に返事をした。
「それにしても、何度も五月蝿いカラス共だ。払い落としたくなる!」
「妖狐、その様な事は、決して成らぬぞ!」
「判っておる。わしとて本当の経緯を知らずに、消えとうは無い。安心しろ八坂の盾に徹する。」
「妖狐、御免よ。」
「気にするなと言っておる。」
八坂を覆う形で翼を軽く開き、八咫烏の攻撃を受ける度、翼から白い羽が落ちた。
「出口が見えて来たぞ。もう少しの辛抱だ。」
白虎が後方へ伝える。
木々の間が明るく見え始めた。出口の先に何かの影が見えた。白虎はその影を目指して進み、一気に森の外へ飛び出した。そのすぐ後を八坂が、最後に妖狐が続き全員が草原へと出ることができた。
それでも八咫烏の攻撃は止む事は無かった。返って広くなった分、後方だけではなく、八方から攻撃を展開し始めた。
そうなると妖狐だけでの盾では間に合わない、白虎も八坂の防護に加わり八咫烏の嘴を背中で受けた。
「これでは埒が明かない。僕に防護の力が残っていれば――。」
悔やむ八坂の額に、勾玉の光が輝き始めた。八坂を守る妖狐と白虎を包むと、光は四方八方に輝きが増した。そして八坂へ近付くいくつかの影も包み込んだ。
輝きが消えると、八坂達は数十羽の八咫烏に取り囲まれていた。その内の数羽が、妖狐と白虎へ容赦無く襲い掛かっては消えた。その光景を見た影のひとつが、大きく息を吸った。
「八咫烏共!それ以上は無駄な事!まだ続けるのであれば、こちらとて容赦はせぬ!さっさと消え失せろ!」
八坂を取り囲む八咫烏を、その声は一括した。
その怒声の基、刹那に数十羽全ての八咫烏は消えた。
「助かった。」
八坂の素直な言葉が、安堵の気持ちを回りに伝えた。
そして八坂は妖狐と白虎へ、「ありがとう。大分、傷を負ったのではないかい?」と心配顔を向けた。
「何の、大したことは無い。」
「私の方も、大丈夫でございます。」と妖狐に続き白虎も返した。
返事を聞いて二人の傷を確認した後、八坂は気になった、大声の主を見仰いだ。
「数珠さん……。」
八坂の見る先には、巫女の姿をした、死に別れた時と同じ姿の一葉が立っていた。
「か……、かずは……。一葉!」
八坂は玄武を白虎へ渡すと、一葉目指して走り出した。一葉は走り寄る八坂に向け両手を大きく広げ、「数珠さん!」と大きな声で呼んだ。
そして二人は強く抱きしめ合い、お互いの名を何度も呼びながら、その存在を確かめ合った。