刺客の最後
「玄武、やけに戻りが早いではないか?」
「はい……」歯切れの悪い返事であった。
「どうしたのだ?ちゃんと池の有る森の入口まで、ご案内をしたのか?」
「それが、一つ目の入口に着いた時に、ここで良いと言われました。ですから、『入口は、まだこの先になります、もう少しご案内をさせていただきます。』と申したのですが、『不要』と半ば強引に戻されたのです。」
「どなたにだ?」
「朱雀様にですが――。」
「おかしいですね。完全に道に迷ったようです。紋白蝶の玄武様からお聞きした内容ですと、森に入ったら近いとの事でしたが、池など一向に見えて参りませんね。出口もですが……。」
「これは、本格的に迷っちゃたみたいだね。」
「どうされますか?」
「最終手段としては、木に登って方向を確かめれば良いさ。ただ一本道だと玄武さんは言っていたんだよね。」
「はい。森に入ったら一本道なので迷い様は無い。と話しておられました。」
「入口を間違えたかな?」
「いえ。この森の入口まで、案内をしていただけましたので、間違い様は無いかと思いますが……。」
「僕も、ちゃんと聞いて置くべきだったな。」
「何を今更」と妖狐が憮然と言った。
「そうですとも、私が代表してお聞きしたのですから、迷ったのは私の所為です。しかし確かにおかしいですね。紋白蝶の玄武様が、申された通りに進んでいるのですが……。まさか騙された――。」
「まだ間に合うかも知れない。うろ覚えでも記憶が有るうちに、少し戻ってみよう。」
八坂は朱雀の言葉を急に遮り、妖狐へ方向転換を告げて、来た道を戻り始めた。
「まさか、最初の入口を入った訳ではなかろうな」
「判りません。さっさと帰れと言わんばかりの勢いで、何処の入口に入られたのかは、見ておりませんでした。」
「厭な予感がする。」
体中の毛が逆立つ様な、今までに感じた事の無い。とても厭な感じに白虎は囚われた。
「悪いが阿吽を見ていてくれ、私は八坂様達を追いかける。」
「わかりました。気を付けてください。」
白虎は森へ向かい掛けた時、玄武の異変に気が付いた。
「お前の体が薄らいでいる。」
「えっ?どうして私が?」
「体が消えるということは、誰かを騙した証だ。八坂様達は玄武に騙されたと思い、玄武自信も騙したと認めなければ、このような事は起きない。」
「しかし私は、騙してなどおりません!」
「では何故に――。本当に森へ入って行く、八坂様達を見てはいないのだな?」
玄武は問われ「はっ」と声をだした。
「いいえちらっとですが、振り返った時に、ご一行のお姿が見えなくなっておりました。」
「では何故。その時にお止めしなかったのだ!」
「私を追い返したからだと……。朱雀様が少し困れば良いなどと、詰まらない事を思ってしまいました。」
「馬鹿な……。何て馬鹿な事をしたのだ――。特に、あの辺りは木が密集しておるから、迷うと出るのに苦労すると、玄武とて承知のはず。」
「はい。ですから迷う事の無い様にと、道案内を買って出たのです。森の入口までしか付き添えませんでしたが、決して騙そうなどと、一片も思ってはおりません。」
「しかし、結果、八坂様達と玄武の間では、騙し騙される形となった。だから玄武は――。」
「白虎さん。私はどうなるのでしょうか?」
殆ど体が消えている。
「白虎さん。助けてくだ……」
言い終わる前に、玄武は消滅した。白虎は天を仰ぎ見た。青い空と白い雲、見飽きた景色の中、友を失った悲しみが込み上げてきた。
数珠達は来た道を戻り始めた。ちゃんと戻っているのかも判らない、木深い森の中をひたすら歩いた。
入った時よりも多く歩いた感じがする。肉体的に『疲労』と言うものが無い世界ゆえに、歩き疲れはしないが、精神的にはかなりのダメージであった。
歩けど歩けど木々は密集していて、見通しの聞く所へは、なかなか出られない。とてつもない広大な草原に慣れていただけに、自分の周りをぐるりと覆われると、息が詰まる思いであった。
「やっぱり、偽の玄武に騙されたのですよ。」
朱雀が禁句をはっきりと口にしてしまった。
「どうして、そう思うの?」
八坂の掌に乗り、先導をしている朱雀へ聞いた。
「私にこの森の入口を教えたのは、偽の玄武です。」
「でも道に迷ったのは僕達で、紋白蝶の玄武さんの所為ではないよ。」
「いいえ。偽の玄武は、一本道なので迷わないと言っておりました。それなのに入ってみると、道と呼べるものなど殆ど無く、狭い木の間を縫って歩く始末です。これで道に迷わない訳などございませんよ。」
「朱雀はかなり不服そうだね。」
「不服と言う訳ではございませんが、ただ――。」
「ただ?」
「白虎だの玄武や阿吽、青龍まで、仲間の名を騙られて、大変不愉快です。」
「そうだね。確かに良い気持ちはしないな。」
「当然でございます。」
朱雀の怒りは収まらず、矛先を八坂へ向ける。
「大体どうして数珠様は、偽者と判り切っているのに、文句のひとつも言わずに出て来たのでしょうか?」
「君には判らないかい?」
「何となくですが、生前でも白虎は別格な扱いでしたので、偽者でも別格なのかと――。」
「別に僕は皆を分けて考えた事なんか、一度も無いよ。」
「そうでしょうか?私にはその様には思えませんでしたが」
「そうだろうね。君はあの――。妖狐との戦いの中には居なかったものね。」
「何を申されます!私はちゃんと妖狐と戦い、死んだじゃありませんか!」
「もうよせ。お前が保憲からの刺客なのは承知の上だ。」
妖狐の一声で、朱雀は焦り声が上ずった。
「なっ、何を根拠に。そのような戯言を!」
「朱雀、戯言ではないよ。大変残念なことだけど、核心だよ。」
八坂は俯き悲しそうな声で言った。
「証拠に君の姿が、薄れ初めている……。」
「保憲に命じられて来たのか。」
妖狐の低い声が少し掠れた。
「私は朱雀その者です。誰に命じられる事無く、数珠様の基へ参った次第です。」
「朱雀、君に僕の額の光は見えているかい?」
「いいえ。今は光っておりません」
八坂は目を硬く瞑り、下を向いたまま、涙声で搾り出すように伝えた。
「玄武も妖狐にも、今、光っているのが見えているはずだよ。それなのに、どうして君には見えないのか――。」
朱雀は慌てて、妖狐と玄武を交互に見た。光を受けているのか、目を閉じ微動だにしない。
「玄武と会った時に、君は妙な事を言った。」
光が消え妖狐が目を開けた。八坂の掌のにいる朱雀へ視線を落とし、八坂の話しを受け継いだ。
「お前は光の名前を褒めたが、光に対しては、良く判らないと言った。」
「それは言葉のあやで、見えていない訳ではありません!」
「では今の光は?」
「私は青虫ですので――。」
「最早、言い逃れはできまいて。」
「どうして……。信じていたのに――。」
「それが……」
抗うのを諦めたのか、朱雀がぼんやりと語りだした。
「数珠様がこの世界で、誰も信じる事ができなくなる様にするのが、私の使命でした。」
「君から聞いた話しは全て嘘だったのかい?」
「いいえ、お話しいたしました事は、全て本当の事です――。でなければとっくに消えておりました。森の入口の事は、多少端折って、お話しいたしましたので、嘘を申した事にはならなかったのです。」
「今頃、紋白蝶の玄武さんは消えてしまっているのだろうね。」
「あの者も承知の上でしょう。」
「仲間なのかい?」
「大雑把に数珠様の敵か味方かと言うのであれば――。仲間か否かは、地獄の者であれば魂が歪んでおりますので、見れば判ります。」
「僕達にも判るのかな?」
「いいえ。地獄の者の『特権』でしょうか?」
「君と出会えて、一緒に旅ができて楽しかった。できれば、ずっと仲間を捜す旅を続けたかったよ。」
「私もです。できれば最初から、数珠様のお仲間で産まれたかったです。」
「朱雀ぅ。本当の名前はぁ?」
「裏切り者には、そのような物は有りません。」
「このような複雑な事が、陰陽師の保憲にできると思えんのだが」
「私は火炎地獄で、焼かれては元に戻り、また焼かれる。それを数え切れない程――、それは、それは長い間、受けておりました。その苦しみから逃れる方法が有ると声を掛けてきたのが、保憲様でした。が、保憲様のご本意なのかは、本当のところは生憎判りません。」
「もう時間が無いね。」と八坂はとても悲しい目を朱雀へ向けた。
「これが最後でしょう。数珠様の残りのお仲間は、白虎様がご存知です。白虎様の記憶が戻れば、自ずと残りのお仲間の全員が、揃われるはずです――。嘘では御座いません。最後くらいは、数珠様の仲間として、お役に立てれば……」
朱雀は八坂の掌のから、微塵も残さず消えた。
後に残ったものは、短い時間であったが、一緒に旅をした想いだけであった。ほんの僅かな時間であったが、朱雀の明るい性格に、助けられていたのは事実であった。
肩にいた玄武が、朱雀がいた八坂の掌に舞い降りてきた。
「逝ってしましましたぁ。本当の仲間ではありませんでしたがぁ、凄くぅ、悲しいですぅ。」
「そうだね。凄く悲しいね。」
「そう言ってここで止まる事はできまい。行くぞ。」
妖狐は先に歩き出した。それでも八坂は、暫く朱雀の特等席であった、自分の掌を見つめていた。
「離れるな!迷子になるぞ」
少し離れた所から、妖狐が声を掛けてきた。
「わかった。今行くよ。」
八坂が朱雀との別れを終え、「それじゃ行きますか。」と玄武へ声を掛けた。
「何処へでも、お供させていただきますぅ」
玄武の返事も寂しげな音がした。