最初の仲間
あれからどのくらい歩いただろうか――。
意気揚々と一歩を踏み出してから、小高い丘をくだり始めた時に見た、視界一杯に広がった草原と、空が描く広野の風景は、その時と寸分も変わらない。
風が無い所為なのか、雲は同じ形を保ちながら、空に浮かんだままで、視線の先の大地に見えている、木の形や大きささえも、一向に変わらない。
歩いている時間や距離を計る事はできなくても、歩いた疲れの感じで、距離はだいたい判るものだが、しかしいくら歩いても、いまだに白い何かは豆粒大の『白い何か』のままで、形が判別できる大きさにはならない。
保憲が言っていたように『天国』と言う所は、途方も無く広い所なので、八坂が少し歩いたくらいでは、目に見える場所でさえ、遥か先なのかもしれないが、その場で足踏みでもしているような感じに囚われ、八坂は些か苛立ち始めていた。
「いったいいつになったら、あそこに着くのか――。僕は保憲の恩人だぞ!空を飛ぶ道具ぐらいくれたっていいじゃないか!」
大海の一滴の身の上で、誰に気を使う事も無い所為か、大きな声で保憲を罵った。
「大体、保憲がもっと気を利かせば――。」
ふと、保憲との会話を思い出した。
「たしか、神と自分を怨むな……。みたいに言っていたよな。保憲を怨みはしても、神様には会ったことも無いし、今居るのが天国だから、もしこれから会ったとしても、皆を天国へ入れてくれた恩は有るが、恨むことなんか無いしなぁ。逆らうなと言われても――。」
考えながらも歩みは止めず前へ進む。時より目に入る『白い何か』が、点から形が見分けられる程になってきていたが、保憲との話しを考える作業に没頭している八坂には、白い何かは依然『白い何か』のままであった。
「たしか自分のことを『第二神』と言ってから『使徒』と言い直していたよな。それに、最愛の人と七人の仲間とも――。仲間は六人なのに、七人って言い間違えるなんて、彼は本当の保憲様だったのかな……。」
疑り出したら気になって仕方がない。そもそも保憲とは初対面で、本人が保憲だと名乗れば疑う余地など、あの時には無かった。
まして八坂から保憲だと訊いたのだから、本名を言いそびれた可能性も、まるっきり無いわけでもない――。
保憲のことを考えて歩いているうちに、丘をくだりきり、草原は平地になっていた。空には変わらず白い雲が、ぽっかりと不動のまま浮かんでいる。
八坂の頭の中に保憲への疑惑が募る。一方では本当に、ここに一葉や他の皆が居るのだろうかと、新しい疑問も湧いてきた。その時『白い何か』がはっきりと『白い馬』であると判別できる事にやっと気がついた。
八坂は「おーい!」と嬉しさを大声で表現して、手を大きく振り、小走りに白馬へ向かって走り出した。
どれぐらい走っただろうか。
白馬を見付けて走り出してから、生きている時であったら恐らく息は切れて、心臓も止まりそうなくらいの距離は走っているだろう。しかし『白い馬』を見付けた時と同じで、一向に近付かない。
焦り苛立つ八坂に『ここでは、焦る事も、慌てる事もしなくて良いのですよ』という、保憲の言葉が頭を過ぎった。
「もしかして――。」
八坂は走るのを止めて、ぶらぶらと歩き出した。
「やっぱり!」
白馬へ見る見るうちに近付いて行く。
「焦っちゃ駄目なんだ。焦らず慌てずにゆっくりと進む――。のがコツ。」
八坂は天国でのひとつのルールに気付いた。白馬を目の片隅に置き焦る気持ちを抑え、ぶらぶらと白馬の方へゆっくりと歩く。
すると今まで微動だにもせずにいた白馬が、八坂に気付いたのか、八坂が近付いてくる方向とは逆に、ゆっくりと歩き出した。
「ちょっと待って!僕は怪しい者じゃないよ!」
逃げる白馬へ声を掛けた瞬間、大声に驚いたのか、白馬は大きな白銀に輝く翼を広げ羽ばたくと、空の雲と同化して消えた。
八坂は白馬を見失い、慌てて飛び去ったであろう先を、慎重に目で追った。すると遠い草原の中に、『白い馬』が降りて行くところが見えた。
「綺麗な翼だなぁ。朱雀の真っ赤な翼とは違うけど、でも美しさは同じだ。」と逃げられた悔しさよりも先に、白馬の翼の美しさに見惚れ、感動が言葉になった。
少し間を置き、再び白馬を追い始める。
「大声を出したのが敗因だ。同じ轍は踏まないように、今度は黙って近付こう」
さっきと同じようにぶらぶらと歩き、白馬まで数十メートルほどまで近寄ると、白馬は振り向き、しばらくは八坂の歩調に合わせ距離を保って歩く。八坂が距離を詰めようとすると、翼を広げひと羽ばたきして距離を取る。
それから数度、同じことを繰り返したが、やはり同じ距離で白馬は飛び、八坂と距離を置いた。
「何が『それらしい人を見付けたなら、相手から理解が得られるまで、辛抱強く説明してください』だ。近付くだけで逃げられていたんじゃ、話したくたってできないじゃないか。」
八坂は恨めしそうに、遠退いた白馬を見ながら、保憲へ八つ当たりの言葉を吐いた。
草原に腰を下ろし、保憲への不満を次々と上げていると、保憲の言葉にまた引っ掛かった。
『魂が寄り添いあうことが無いように、されていますから』
そういえば生き物、と呼んで良いのか難しいところだが、天国に入ってから今まで、あの白馬以外に、動く物は辺りには見当たらない。
「そうか、ここでの第二のルールか。これはやっかいなルールだな……。」
八坂は草の上に横になり、遠目で白馬を見ながら考え込んだ。
「白馬に近付く事はできた。次はどうやったら話しができるかだ。保憲様は確か『争いが起きないように』と最初に言っていたよな。こっちが争う気が無い事を、どうやって知らせるかが、このルールの解決策だろう――。糸口でもわかれば進めようもあるけど……。」
長考していると天国でも瞼が重くなってくる。良い案は浮かばないが眠気覚ましにと、唄を歌いながら近付いたり、口笛を吹きながら近付いたりしたが、ほぼ同じ距離まで近付くと、白馬は翼を広げ距離を置いた。
何度も繰り返していると、いつかは見えないところまで、飛んで行ってしまうのではないかと、不安が過ぎり始めた時、白虎達と始めた合った時の事を思い出した。
「一葉には光らなかったけど、皆には僕の額に勾玉の紋章が光った。僕に記憶が残っているのと同じように、もしもあの力がまだ残っているとしたら――。試してみる価値はあるよな。これが、最後かもしれないし、やるだけやってみみるか。」
八坂は奮起して、白馬の方へゆっくり歩き出した。
数回の白馬とのやり取りで、天国での歩き方のコツを掴み、すんなりと、白馬へ近付く事ができるようになった。そして前回と同じ距離まで近付くと手印を結んだ。
「おい君!」
呼ばれて白馬はいつものように振り向いた。
「僕のこの光は浄化の光!」、と決め科白を言うと、運良く『勾玉の光』が輝いた。
白馬はじっとして、八坂が放つ光を全身で受け止めている。
「別に君に危害を加える事はしない。頼むから、少しで良いから僕の話しを聞いて欲しい!」
「懐かしき光!どこぞで見た記憶は有るが、詳しい事は思い出せん」
「えっ」八坂は白馬の言葉に驚いて手印を解いた。
「僕のこの光を知っているのかい?」
「あぁ。知っておる。だが、思い出せんのだ。お前は誰だ?その光の意味を教えろ」
白馬は四本の足で凛と立ち、八坂を一直線に見据えて言った。
「長い話しになるけど」と少しもったいぶった言い方をして応えた。が、「構わん。時など無限に有る」、と白馬は一蹴した。
「僕の名は八坂数珠。前世で生き別れた仲間を探している。そしてこの光は――。」八坂はどう伝えるべきか、脳細胞をフル回転させて考え、「仲間との大事な繋がりだ。」と伝えた。
「僕は人間界で妖怪と戦い、最愛の人と、六人の仲間を失った。しかし神は、その功績を認めてくれて、人間界で失った仲間を探せるように、この光を僕に残してくれたんだ。」
「仲間……。また異な物を」
「異な物なんかじゃないよ。大切な者だよ。」
「ここでは、ひとり過ごすのが決まりだ。集えば争いを生み、争えば地獄へ堕ちる。」
「確かにそう聞いて扉から――。あの辺りからここへ入ってきたよ。」
八坂が小高い丘の上を指して応えた。
「知っているのであれば、仲間など探す必要もなかろう。集えば大切な仲間を地獄へ落とす事になるのだ。そうなれば、本末転倒だろうが」
「そうとは限らないさ。仲良くここでの生活を満喫できるかもしれないじゃないか」
「笑止千万。誰に束縛も監視もされる事無く、心静かにここでの日々を過ごせる方が、仲間などに囚われる日々よりも、数万倍の至福だ。」
白馬の意思の強さが、彼の目から伝わってくるのを感じた。少し考えて八坂は提案をひとつ出した。
「君の考え方を否定するつもりはまったく無いよ。でも頑なに仲間への思いを否定するのなら、仲間を持って、少しの時間を共有してからでも良いじゃないか?」
「みすみす無駄な事と判っていて、時を使うなど御免被る。」
「時間ならたくさん有る。とさっき言っていたよね。だったらほんの少しの時間を費やすぐらい良いじゃないか」
「御託ばかりよう並べる奴よな。」
「僕も驚いているところだよ、生きている時は、無口で人付き合いもほとんどしなかった。つまらない時間を生きていた。今思うと、仲間と敵ができてから、自分の目標が見えて、そのおかげで変われたと思っている。だから君も――。」
「わしもお前の前世と同じように仲間を作り、挙句、失えと言うのか。」
仲間を全滅させた八坂には、その一言が堪えた。明るく話していた言葉と、生き生きとさせていた笑顔が、八坂から完全に消え失せた。
見る見るうちに、蒼白な面持ちへと豹変してゆく八坂を見て、白馬は驚き慌てた。
「どうした。いままでの勢いが失せたぞ」
八坂は返事をせずに、俯き草むらに両膝から崩れ落ち、頭を両手で抱えこみながら、「そうだよ――。忘れていた。」と呟くと、とても悲しい顔を白馬に向けた。
「僕は――。僕は大事な皆を死なせてしまった。探して一緒に暮らせると、勝手に思い込んでいたけど、僕は一体、みんなにどうやって謝れば良いんだ。」
苦しそうに言葉を絞り出し、白馬へ訊いた。
「記憶など持って来なければ、苦しむ事も無かったものを、神も辛い試練を与えたものだな――。」
白馬は静かに答え、「理由はどうであれ、お前の気を落としたのはわしの所為だ。」と付け加えた。
「それにお前をこのままにして、神から誤解を受け地獄へ落とされるのは御免だ――。仕方無しにだが、お前の仲間を探す手伝いをしてやろう。」
気落ちした八坂へ、申し訳なそうに白馬は言ったが、八坂は草の上に座り込んだまま、立ち直る兆しはまるで見えなかった。
白馬はしばらく黙っていたが、このままでは埒が明かないと、草の上に座り込んだ八坂のうしろに周り、鼻先で八坂の尻を持ち上げた。
「いつまでそうやっているのだ。立たぬか!」
押された八坂は、そのまま草原にうつ伏せに倒れこんだ。
「過ちは文字通り過ぎた事。素直に詫びを入れれば天国の者達なら、快く許してくれよう。だがこのままここに居っては、詫びる事さえできぬであろう。お前に本当に詫びる気持ちがあるのであれば、立ってわしと共に、お前の仲間を捜そうではないか!」
一瞬、八坂の目に力が戻った。
「仲間……。」
「そうよ!お前の仲間だ!」
うつ伏せの八坂は両手を大地に着け、上半身を起こし、四つん這いの姿勢で「僕の仲間――。」とまた呟いた。
「さぁ行くぞ!わしの背中に跨れ」、と白馬に嗾けられ、八坂は再び天国の大地に、自分の両足で立った。
「ありがとう。君の言う通りだよね。まだ会ってもいないのに、悔やんでいたってしょうがない!例えその時は許してもらえなくても、謝り続けていれば、いつか許してもらえるかもしれない。」
「背に乗せてやると言った途端に、元気になるとは、随分とげんきんな奴よな。」
「元来が、打たれ弱くて、立ち直り安い性分さ。」
「何か騙されたような気もするが……。約束したからには、お前の六人の仲間と、大事な人とやらを捜し終わるまで、付き合ってやろう。善は急ぐ物よ早く乗れ。」
白馬はそう言って、鼻先で自分の背を指した。八坂は素直に白馬の背中によじ登ると、翼の前に足を出し首に手をまわした。
「他人を乗せて飛ぶのは初めてだ、慣れるまでは振り落とされぬよう、しっかり掴まっておれ」
白銀に輝く翼が大きく開かれた。
「まだ、君の名前を聞いていなかったよ。教えてくれないか?」
飛び立つ瞬間に意表を衝かれ、白馬は翼をたたみ、「わしの名だと?」一瞬、躊躇して「聞いてどうする」と続けた。
「これから長い時間を一緒に過ごすんだ、お互いを呼ぶのに知っていた方が良いでしょ。」
「それも前世では当たり前のことなのか?」
「そうだよ」と大きく頷いて見せ、「僕の事は『数珠』と呼んで欲しい」と改めて名乗った。
「しかしわしには名なぞ、前の記憶が無いのと同じで、持ち合わせてはおらん。」
「だったら、白い虎と書いて『白虎』と呼ぶのはどうだい?」
「前の世では、わしは虎になるのか?」
「いいや。君は馬の部類になるけど、翼の生えた馬は、空想の生き物で、たしかペガサスと呼ばれていたと思うよ。」
「では何故に『虎』と呼ぶのだ」
「僕はひと目見た時から、君は白虎だと思っていた。姿こそ違えど、白銀に輝くからだの色や、勾玉の光に見覚えがあることから、君は間違いなく『白虎』だと僕は思う。」
自信に満ちた八坂の言葉を受け、白馬は面倒な者と付き合ってしまったと悔いた。
首を振りながら、「元より無かった名だ。好きに呼べば良い。」と少し投げやりに返事をした。
「だがな。わしはお前を知らんのだ。そういう過信は、間違いだった時の悲しみが、ひときわ大きなものになるぞ。」
「そうだね。喜び半分にしておくよ。」
「聞き分けが良い奴なのか、違うのか。お前を扱うのは難しそうだ。実に厄介なやつよな。」
呆れ顔を八坂には向けずに呟き、正面を向き直した。
「では行くが、どっちへ向かえば良いのだ」
「北はどっちかな?」
「北?とはなんだ」
「方角の事さ。」
(君がここにいたと言う事は、ここは西を意味する。次に僕のところに来たのは玄武と朱雀。玄武の方が少し早かったから、次に会うのはおそらく玄武だ。つまり『北の神』の居る方向――。)
「そのようなものはこの国には無い。」
「では陽が出るのはどっち?」
「ひがでる?」
「空に居て大地を照らして……。」
八坂は言いながら、空を見回したが、明るい空には太陽はどこにも見えない。
「この明るさは、お前とわしが望んでいるから、明るく見えているだけだ。少し休みたいと願えば、辺りは暗くなる。」
天国の仕組みに慣れない八坂を気遣い、白虎が天国の昼夜を簡単に説明した。
「そうか……。僕達次第で昼にも、夜にもなるってことか。判ったよ。ではあっちへ行こう」
八坂は左手を真横に上げて言った。
「向こうを選んだ訳はあるのか?」
「『感』だよ。」
「『感』か――。信じて良いものか?」
「間違いか、合っているのかなんて、行けばわかるさ。」
「そうだな。」と言うと、再度白銀の翼を大きく広げ直し、前足を高々に持ち上げた。
落ちそうなって、慌てて首にしがみ付く八坂へ、気を配る訳でもなく二度、三度と羽ばたくと、二人は青空に浮かんだ。
「白虎!しばらくの間、よろしく頼むね!」と改めて言うと「是非も無い」と何処かで聞き覚えのある言葉が返ってきた。
「探すは玄武!向かうは北の国!」
白虎に跨り、赴く地を示した。