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名も無き戦いの終わりに  作者: 吉幸晶
15/27

死闘

 妖狐は暮色が消えた夕闇に紛れ、秘かに本陣の手前までやって来ていた。そして本陣を前にすると、いきなりおぞましい姿を現し、高々と勝鬨(かちどき)のような雄叫びを上げ、八坂達を驚かせた。

「何だ!」

 各山の頂に陣取り、やって来るであろう妖狐を監視していた天寿院達も、本陣に腰を据えて妖狐の襲来を待っていた八坂と青龍までもが、意表を突かれた。

 天寿院は異変を察知して、砦の代わりをする、山の監視を強化していたにも拘わらず、目に触れる事も察知する事も無く、簡単に越された事に慌てた。そして妖狐の恐々とした姿を目の当りにして、愕然とした。

「あれが、妖狐!」

 背後を取られた天寿院が、振り向き驚愕の声を漏らした。

「何と言う大きさだ!」



「青龍、悪いが君の頭の上に乗せてくれ!」

「しかし表に出られては、危のうございます。」

「ここからでは戦況がまるでわからない!山を越えられたんだ、戦況に応じて動くしかない。」

「判りました。しかし危険を察知いたしましたら、蛇局の中にお戻りいただきます!」

「わかった!」

 返事とともに八坂は青龍の頭上に立ち、浅草寺の雷門を有に越える、大きな妖狐の姿を初めて見た。

「白虎達の元の姿を見て、かなり大きいと予想はしていたが、まさかこんなに大きいなんて――。」

 すでに戦いが始まり、陽動役の阿吽や白虎達より先に、妖狐と一戦を交えている、朱雀と天寿院が本陣から見えた。


 妖狐の近くを飛ぶ、朱雀の両翼を広げた大きさが、妖狐の頭とほぼ同じ大きさに見えるところから比較すると、体だけでも優に二十メートルを超え、尻尾までいれると四十メートルを越えていることになる。

 初見で連想した浅草寺の雷門も、強ち間違ってはいないと言える。

(このままでは……。早く勾玉を――)

 八坂は戦況をみながら、焦り勾玉の開放の方法を考えた。

 


「朱雀!顔の方に回って頂戴!」

「尾を狙うには、背を取った方が良いのでは?」

「入られたのは私のミス。白虎達が来るまで、本陣に進める訳にはいかない!足止めを優先する!」

「御意。旋回します!」

 天寿院の指示で、妖狐の後方から回り込もうとした朱雀が、九本の内の、一本の尾に当り飛ばされ、朱雀の背中にいた天寿院は、妖狐の足元に振り落とされた。



「一葉!朱雀!このままでは、一葉が危ない!」

 急ぎ立ち上がり、草薙の剣を振り翳す一葉が遠目で伺えた。

「一葉!逃げろ!逃げてくれ!」

 八坂の声は、天寿院には届くことは無かった。


 『刹那』であった。


 妖狐はクルリと体勢を入れ替えると、足元に落ちた天寿院を銜え、顔を小刻みに振った。結果、天寿院は妖狐に、腹部を喰い千切られ、頭から胸までが妖狐の足元に落ち、腹部は妖狐に喰われ、下半身だけが先に飛ばされた朱雀の方へ散った。

「一葉!」



 一週間……。一葉と出会ってから、今日が八日目になる。思えば突然の出会いであったが故に訪れた、当然の別れなのかもしれない。

 そもそも母を鬼に喰われるあの夢を見てから――、わらべ歌の『とおりゃんせ』が、聞こえたのが全ての始まりであった。


 とおりゃんせ……とおりゃんせ……


 八坂の耳にわらべ歌が聴こえてきた。


(そう言えば、母が良く、指遊びと一緒に口ずさんでいたのが『とうりゃんせ』だったな。確か、歌う時に何か言っていた――。)


 八坂の脳裏に、その時の情景が浮かんできた。

『数珠が災難にあったなら、この歌が救ってくれるわ。もし数珠に起こらなかったなら、貴方の子供に歌っておあげなさい』

 歌いながら、指を絡めて色々な形を作っていた、母の姿がはっきりと蘇った。


(そうか!この歌詞に、勾玉のヒントが隠されている)


 このこのななつのおいわいに……


「六では無くて七つの文字か」


 おふだをおさめにまいります……


「お札……、そうだ、母が残したお札に……。たしか六個の文字が円状に書かれていて、真ん中に一文字あった……」



「しまった!妖狐の尾に当ったか」

 飛ばされた朱雀が、山の傾斜面に叩きつけられながらも、痛みを堪えて立ち上がり天寿院を探した。すると、その目の前に何かが飛んできた。

「!」

 朱雀は自分の目を疑った。


 探し始めた天寿院の物と判る下半身が、自分の目の前に飛んできたのであった。慌てて妖狐を見る。口の周りは真っ赤な鮮血で覆われ、足元には天寿院の上半身が落ちていた。

「天寿院殿!なんて……貴様はなんて事を!」

 朱雀の体に紅蓮の炎が燃え上がった。

 朱雀は天寿院の下半身を(くちばし)で拾い上げると、上半身を目指して一直線に飛び立った。



「玄武!天寿院が遣られた!」

「なんですって!」

 白虎の搾り出すような声を聴き、玄武は急いで妖狐を見て、その足元に天寿院の上半身を見付けた。

「なんて惨い!」玄武は一瞬、恐怖を覚え怯んだ。

「まずい!朱雀が我を忘れて、妖狐へ突っ込む!」

「違うわ、天寿院を守ろうとしているのよ!白虎急ぐわよ!」

 言うより早く漆黒の炎を身に纏った玄武が、天寿院目掛けて突進した。


 妖狐は天寿院の体の一部をわざと自分の足元に落とし、仲間がそれを取り戻しにやって来るのを、狩猟をするかの様に楽しみながら待っていた。

 右手から来る、赤い炎が視界に入るのと同時に、反対側からは、何かが突進してくる気配を察知して、仕掛ける時を計っていた。


「朱雀!除けろ!」

 叫び玄武の背中を白い閃光と化し、白虎が飛び出して妖狐の喉元に一撃を加えた。妖狐の喉元は裂けて()飛沫(しぶき)が散った。空かさず白虎は、妖狐の右目へ、前足の爪を立てて切りつけた。

 妖狐は苦しそうに、体を大きくくねらせたが、時は遅く妖狐の右腕は容赦無く朱雀を、天寿院の上半身諸共、踏み潰した。

 玄武は急ぎ結界を張り、朱雀と天寿院を包んだ。

「なんて!こんなに惨い!天寿院……。貴女の無念は絶対に晴らすわ!」

「朱雀はどうだ?」

 苦しむ妖狐を見据えて、玄武の傍らにやってきて訊いた。

「二人とも……」

 玄武は首を横に振りながら答えたが、最後の方は声にならなかった。

「このまま一気にけりをつける。巻き添えを喰らわぬ様に離れていろ」

 長い年月を共に過ごしてきたが、初めて見る怒りの白虎であった。

 しかし玄武は「ここは動けない。これ以上、天寿院と朱雀を醜くしたくない」と告げた。

「わかった。約束はできんが、出来る限りここには来させん」

「ありがとう。気を付けてね」

「あぁ」

 白虎は、もがき苦しむ妖狐の前に仁王立ちして睨むと、出血している喉元へ再度攻撃を掛けた。



「確か、お札には『蛇』『亀』『雉』『猫』『犬』そして」

 八坂は、母がしていた指遊びと、天寿院が書き残した『印』の形を思い出しながら、一文字、一文字しっかりと結び始めた。

「数珠様、白虎が妖狐の喉を喰いちぎりました。これで、少しは時間が稼げます。」

「そのようだね。一葉と朱雀の仇だから、二度とこの世に出られないように、闇の中の一番奥に封

じ込めてやる!」



 その時、苦しんでいるはずの妖狐に異変が起きた。

 喉を喰いちぎられた妖狐の体が、一瞬のうちに消えた。仕掛ける間際に敵を一瞬で見失い、白虎は焦り阿吽へ叫ぶ。

「まだ近くにいるはずだ!阿吽よ、匂いで探せるであろう!」

「任せろ!」

 そう返事をすると、阿吽は共に空へ鼻を向け匂いを追った。

「白虎変だぞ!何も匂わん」

「馬鹿な!あれだけ血を流しているのだ。匂わんはずが無かろう」

「しかし本当に、私達の臭い以外、何も匂わないのよ」

「変だな」

 白虎を初め、生き残った四人は、青龍の頭に立っている八坂を見た。



 異様な雰囲気を察知した八坂は、皆へ指示を出した。

「何か厭な予感がする。辺りに気を付けていてくれ、僕は急いで『印』を結ぶ!」

「遅いのう。わしが来る前に、印は結んでおくべきじゃったのう」

「何!どこだ?」辺りを見回すが何も見えない。

「わしを見付ける事すら出来んのか、とんだ茶番で有ったわい」

「何だと!茶番で一葉や朱雀を殺されてたまるか!」

 八坂が話しをしているうちに、阿吽が風下の八坂の背後に、妖狐の位置を聞き分け特定した。

 阿吽は素早く、右や左に体を入れ替えながら、妖狐の臭いがする近くの空中を駆けた。

「えぇい!五月蝿(うるさ)い虫が!」

 そう言うと、妖狐は再び姿を見せた。

「お前が本体か!随分と小さいな」

 妖狐は八坂の後方、およそ四十メートルの所に本体を晒した。

「人間は体の大きさで、強弱を決めるのか?」

「そうでは無いが、さっき見ていたのとは、掛け離れた大きさじゃないか」

 消える前は、二十メートルを越える身の丈であったが、阿吽に追い詰められ、山の斜面に現れた妖狐の体は、白虎とほぼ同じ二メートル程の体長であった。



「本体が見付かれば、戦い易くなる!数の上ではわしらが有利だ。わしは、阿吽と合流して妖狐を討つ。玄武よ、朱雀と天寿院の亡骸を頼むぞ!」

 白虎はそう言い残し、地面をひと蹴りして宙へ飛んだ。

「無理はしないで!私も直ぐに加勢に行くわ!」

 しかし玄武の叫びは、白虎が去った空間に消えた。



「まさか、小僧の前に姿を出すとは思わなんだわい」

「姿だけで済ませるか!」

「鳥と女の仇だと言うではないぞ。興醒めするでのう」

「ふざけるな!」


 八坂が注意を向けているうちにと、阿吽が妖狐の左右から近付いた。

 妖狐はそれに気が付くと、呪文を唱え「小賢しい犬どもが、これで仕舞いだわい」、と素早く右手を高く翳し勢い良く振り降ろした。

 するとまだ阿形との距離が十メートルもあるはずなのに、いきなり阿形は地面に叩きつけられ潰された。

「阿形――!おのれ!」

 その様を一番近くで見た吽形が、妖狐の喉元に喰い付こうと一気に詰め寄ったが、一瞬妖狐は身を翻し、やはり吽形に触る事も無く左手を振り降ろしただけで、吽形を大きな岩に叩き落とした。

 吽形は岩に頭を打ちつけ砕け散り、その傍らに頭を失った胴体が転がった。


「阿形!吽形!――きさま!今、阿吽(ふたり)に何をした!」

「これが、お前が言うておった『妖力』だわい。体は小さくなっても、わしの体を包む結界の大きさは、さっきと、なんら変わりはせん」

「何!それじゃ、あの巨大な体は結界(オーラ)だと言うのか」

「実体が有るから、攻撃ができる。当たり前のことだわい。小僧等は、わしの姿を見る事は出来ても、到底触れる事などできはせんわい」

「しかし、白虎がお前の喉を」

「たかが妖猫(ばけねこ)風情が、わしの実体に傷を付けることなど、ありわせん。小僧は保憲や元成に近いと期待したが――、残念な事だわい」


 白い閃光が、妖狐の左側からいきなり現れ、体を貫き右側へ()()った。

「化け猫風情でも、化け狐如きに負けはせん!」

 白虎が妖狐の右の前足を銜えて、阿形の潰れた屍の脇に悠然と立った。

「ほう。それで、わしに触れたつもりか?」

 噛み切った妖狐の前足を吐き捨て、「次は首を取ってくれる!」と後ろ足に力を貯めた。

「愚かな、ぬしが吐き捨てた物をよう見ろ」

「白虎!退け!妖狐はまだ何か隠している!」

 八坂は白虎の吐き捨て物が木の枝だと知り、妖狐の忠告を聞かずに飛び出した白虎へ、退却を指示した。が、時遅く、白お虎は閃光となって妖狐へ向けて疾走(はし)っていた。

 閃光が妖狐に当る瞬間、白虎は空を切った様に、妖狐の体をすり抜けた。

「何!」

 妖狐は自分の体をすり抜けた、白い閃光の後方から、右前足の爪を大きく広げ振り下ろした。

 着地した白虎の首が胴体から落ち、上半身と下半身とがバランスを崩して、鮮血を飛ばしながら、ばらばらにその場へ崩れた。

「白虎!」

 八坂が、玄武が、青龍が声を上げ呼んだ!

「安心しろ。痛みどころか、まだ死んだ事さえ判ってはおらんわい。」

 妖狐は三人の悲しみを余所に、冷ややかに言い薄笑いを浮かべた。

「おのれ化け狐!白虎を返せ!」

 天寿院と朱雀の死体を護っていた玄武は、身に纏っていた漆黒の炎を、怒りで燃え上がらせて飛び立った。

「やめろ!玄武!青龍急げ!急いで妖狐の所へ行くぞ!」

 青龍は頭から八坂を落とした。


「青龍、どうした!」

「無理は承知の上です。玄武を見逃してくだされ」

「えっ?」

 玄武は妖狐へ、呪珠を飛ばしながら近付いたが、妖狐は呪珠を全て避け、玄武へ両手を振り下ろし、空中を切る真似をした。

 玄武の体は、甲羅諸共、六つの肉片に切り刻まれ、白虎の亡骸の近くに散った。

「玄武……」

「わしが時を稼ぎます。数珠様は早く、勾玉の力を発動させてくだされ」

「馬鹿な真似は止せ。印は結び終わった。発動できると判っていて、それでも妖狐と戦うなんて、無駄死にじゃないか!」

「数珠様、わしだけが何もせず生き残り、生き恥などかきとうはございません。せめてみなと同じ様に、妖狐と戦い死なせてくだされ」

 そういい残し、八坂が止めるのを訊かずに、青龍は妖狐へ向かって地を這って行った。


「仕舞いは蛇か」

 容赦無い妖狐の冷たい視線が青龍に注がれた。

「仕舞いはぬしだ」

「虚けが……」

「虚けかどうか試してみればよかろう。わしは白虎達へ、土産を持って逝かねばならぬ。ぬしの命、頂戴する!」

 鎌首を上げて蛇特有の攻撃態勢を取った。

「青龍!その妖狐もまた結界を纏った姿だ。近くに妖狐の本体は必ずいるはずだ、本体を探して叩く!」

「数珠様……。承知!」

 青龍は蛇局を巻き、じっと妖狐の周りを見て慎重に本体を探した。

「無駄な事よ。簡単に見付かるわけは無かろう」

「そうやって高を括って、(たが)を緩めておればよかろう。最後に泣くは――」

「蛇。お前だ!」

 対峙していた妖狐は、いきなり両手を振り上げ、玄武を仕留めた時と同じ空中を切り裂く様に、勢い良く振り下ろした。

 妖狐が動くのとほぼ同時に、青龍は尻尾の先を素早く回転させ、目の前の妖狐より右へ十メートルの所を勢い良く掃った。

 刹那に二人の戦いは終結した。

「まさか蛇如きに、見付かるとはのう」

 やはり六つに切り刻まれた肉塊の中の、頭の上に登って立ち、妖狐が言った。

「わしは目が不自由ゆえ……、舌だけでは無うて……、尻尾の先でも……、獲物を感知できる」

 息も絶え絶えに、切り札を明かした。

「成る程のう。見事に前足を持ってゆかれたわい。」

 そう青龍へ言った妖狐の右の前足は、骨が砕かれているのであろうか、拉げ、だらっと垂れて、体からぶら下がっていた。

「青龍……。皆に、良い土産が……できたね。」

 八坂は既に意識の無い青龍へ、労いの言葉を掛け妖狐に激しい怒りの篭った視線を向けた。

 

 視線が合った妖狐は、砕かれた前足を引きずりながら、八坂の方へ向かい歩きだした。

「さて、残るは小僧だけだのう」

 体長が僅か四十センチにも満たない、九本の尾を携えた小さな体の狐が目の前にいた。

「あぁ僕・だ・け・だよ。お前の奇襲に合い全滅さ」

「奇襲とは心外だわい」

「違うと言うのか?」

「宣戦は布告済みだ。だから小僧もこの地へ移り、陣形を整えわしが来るのを待っておったのだろう」

「確かに。何時来るのか判らない、お前を待っていた」

「多勢に無勢の不利を承知の上で、一日待って来たのだ。もっとも小僧が歳老い、力が弱ってしもうては楽しみが減る。そう成らぬ前にと今日にしたのだが」

「礼を言えと?」

「ふふふ。礼などは要らんわい。代わりに、勾玉と小僧の房を頂戴するとしよう」

 無くした足を庇いながら、ゆっくり近付いてくる妖狐へ、銀の房に付いた六個の勾玉を出して見せた。

「これかい?妖狐は気付かないだろうけど、僕はもう勾玉の力を発動する六個の『印』は結び終わっている」

「馬鹿な。小僧に結べる筈などないわい」

 妖狐は薄っすらと笑みを浮かべた。

「『七つの印』の意味が――。」

「小僧にはわかったと?」

 意外だというような顔を八坂へ向けた。

「あぁ。六個の印は『蛇』『亀』『雉』『猫』『犬』それと阿形の『獅子』だ」

「ほう。気付いたか」

「よく似ている阿吽は、二人とも狛犬だと思われがちだが、阿形は唐獅子だと前に朱雀から聞いた。六つの勾玉の印は、勾玉がそれぞれ持っている、浮かび上がる『文字』では無くて、元成様が残した六人の戦士そのもの。そして最後のひとつは、僕の持っている銀の房の『輪』」

 妖狐はそれを聞くと再び「ほう」と小さく声を出し、「良く判ったな。大した者だわい」と感心してみせた。

「母が歌ってくれた童謡と、指遊びを思い出せたお陰だよ。」

 思い出すのに時間が掛かり過ぎた事を、悔いた寂しい笑いを見せた。


「ところで小僧は……。死ぬのが怖くはないのか」

 妖狐が(おもむろ)に訊いてきた。八坂はその意味を少し考えると、ある結論にたどり尽いた。

「そう言う事か――。『浄化』とは、使う者の命も含め、周りにある、忌みするもの全てを消滅させるって事か」

「知らんで使う気だったか。今一度訊くが、死ぬのが怖くはないのか?」

「怖いさ」躊躇無く答え続けた。

「でもお前は死への恐怖以上に、生きる意味を僕から奪い過ぎた――。僕の親族を奪った上に、仲間と一番大切な(ひと)も……。今の僕にはこの世に残る意味はもう無い。」

「愚かな」

「何とでも言えば良い。あとは最後の印を結び、呪文を唱えれば、僕本来の『浄化』の力が無限大に広がり、お前を封じて全てが終わる。遠慮はいらない。九本の尾を使えば、一瞬で千里を駆ける事が出来るだろ。今の内に逃げろよ。」

「無駄な事はせんわい。勾玉はわしを中心に発動するように、印を結ぶ事ぐらいは承知しておる」

「随分と潔いな」

「特にこの千二百年余り、色々と見てきた。つくづく人間の強欲さが嫌になっていたとろに、女の持っておった剣と鏡が、保憲の作った(まが)い物と、判った事も合わされば潔くもなるわい」

「剣と鏡が紛い物だと?」

 八坂は眉を(ひそ)めた。

「気付いておらんとは――。実におめでたい奴だわい。」

「どう言う事だ」

「鏡が本物ならわしの術など跳ね返す。剣が本物ならばわしの体を切り刻む。それが神器の本当の力だわい。女と対峙してわかったが遅過ぎたわい。」

「では何故、保憲様は」

「大方、わしを(おび)き寄せる為だろう。保憲の小癪な罠に、まんまと引っ掛かりこんな所まで出向いた。それが口惜しいわい」

「『敵を騙すにはまず味方から』って事か――。」

 八坂は保憲の置いた布石に、憤りを抑えることができなかった。

「僕が保憲様の布石に気が付かない所為で、皆は命を落としたのか!」

「小僧もまた、保憲に騙された者の一人。さぞかし心痛よのう」

「黙れ!妖怪如きに、今の僕の気持ちがわかるはずは無い!」

「妖怪は人間以上に強欲ではないぞ。小僧こそ、妖怪を人間などと一緒にするでは無い。人を喰らうも、多くて数年に一、二度の事、まして妖怪同士で、領地の取り合いや、捕食する人間の奪い合いも、騙しあいもせんわい。何故か判るか?」

 問われて八坂は考えた。が、答えが引き出せずにいた。

「同族の妖怪などおらんからのう、我等妖怪は子孫など残せんのだ」

「えっ!」

 八坂の驚きの声に呆れ顔をすると、「小僧は(ほん)に何も知らんのだな」と前置きをして、その場に座り込んだ。

「元々、命有る動物(もの)達がその動物(もの)が持つ寿命よりも、数十年の長い年月を不思議と生き、やがて魂が妖しい気を発し始める。それが妖怪と呼ばれるものの始まりだわい。だから同族がおる可能性など無いに等しい――。」

 戸惑いの色が消えない八坂へ、妖狐は淡々と話して聞かせた。

「やがて『長老』と奉られた同族の仲間からも、『化け物』と恐れられるのだわい。仕方なく群れを離れひっそりと、深山や海原に潜み、時より人間を喰らいながら生き永らえる。それが妖怪の宿命だわい。妖怪同士、共存する事はしても、殺し合うことなどはせん!」

 妖狐は時より九本の尾を揺らし、気持ちの昂りを見せるが、八坂を襲う仕草は見せなかった。

「しかし人間はそうはいかん。『欲』に負け『奪う』。その為に『騙す』生き物だわい」

「確かに。否めないところだ。」

 色々な事が起きた心境からか、素直に認めた。

「人間同士で争っているうちは良かったのだが、保憲を初めとする陰陽師などと言う輩が、暇潰しに我々妖怪を狩る事を始めよった。わしは消えてゆく仲間を守るため、無力な妖怪に力を持たせようと三種の神器を盗む事にした。」

「無力だと?」

「妖怪の殆どは特別な力など持ってはおらん。」

「しかし妖力が」

「それは人間が作った、まやかしの話しだわい。もっともわしぐらいに、数千年も生きておれば、色々な力を身に付ける事はあるが、妖力など持っている妖怪など、ほんの一握りおれば良いところだわい」

「でも白虎達には備わっていた」

「確かにやつらは持っておったが、それは元成が妖力を持っておる妖怪を封じたに過ぎん。もっとも雉は若すぎて妖力など持っておらんがな。」

 八坂は朱雀の事を思い返した。確かに大きな体に赤を主体とした、燃えるような綺麗な体はしていたが、青龍を迎えた一戦の時も、呪珠を放つなど、特殊な能力は見てはいない。

「まさか……」思わず声が出た。

「理解できたようだのう――。小僧のように、特殊な力を持った者が、弱者を守ると言う事は、何も人間だけのものでは無いのだわい」

 全てを理解して八坂は沈黙した。妖狐自身もまた、人間の持っている業の強さの被害者なのだと思うと、戦う気力が薄れた。

「妖狐は三種の神器を集めて、何をする気だったんだ?」

 消沈した気持ちの中で、最後の疑問を投げた。

「人間共の殲滅(せんめつ)だ」

「また無理な事を――。」

「判っておるわい。しかし妖怪を守るには、人間に消えてもらうしか無い」

「人里に近付かなければ、人間だって妖怪と争ったりはしない。それに、妖怪が出るとわかれば――。」

「陰陽師や山伏、僧侶に至り呪術者を呼んで、わしらを封じるか殺す」

「だったら、もっと奥へ」

「馬鹿な。さっきも言うたが、どんなに山深い所に住んでおっても、人間がやってきて住み付く。そして妖怪はもっと深山へ……。繰り返しだわい。所詮、ぬしら人間とわしら妖怪は、不倶戴天の仲。」

「しかし……」

「ふっふっふ。人間の強欲さに終わりが無いと、わかっておるのではないのか」

 妖狐に心の中を見透かされた感じがした。

「だから、せめてわし等が住んでおる所から、人間共を追い出す為には、わしの『力』だけではなく、もっと強力な『力』が必要だった」

「しかし、その力を手に入れて使ったとしても、人間を殲滅するなどできる事では無い」

「そうよな。人間の図太さは……」

「『生きる力』と言って欲しいな」

「なんと勝手な言い草だ。虫唾が走るわい。」

 妖狐が顔を横に向け唾を吐いた。

「しかし――。幾つもの人間共を襲った『戦』や『病』、『天変地異』……。長い……途方も無く長い時間の中を見たり、感じたりしてきた中で、確かに人間はどんな窮地に堕ち入ろうとも、その都度、見事に甦りおった。遅蒔きながら、わしのやろうとしていた事は、この世が終わらない限り、無理なことだと悟った。」

 人間を捕食する妖怪と、妖怪を退治する人間が『共存する』という道を選ぶ事は、恐らく未来永劫、訪れる事は無いだろう。妖狐が言う通り、不倶戴天の仲なのだと、八坂も判っていた。今ここで、妖狐を封じても、何年後か何十年、あるいは何百年後には、別の妖怪が頭角を現し、人間に戦いを挑むのかも知れない。

「そして、その人間どもが、生き残るために、この地球自体を壊し、地球の寿命を縮めた事を知った。もう、そう長くは持たないと気付いたから、『潔く』諦めたのかもしれんわい。」

「地球の寿命って、どういう事だ?」

「ここで死ぬおぬしには、今更、いや(こと)(さら)、関係のないことだわい。気にするな。」


 八坂自身から『闘争心』が完全に消えた。

 

「さてと、そろそろ終結させねば、愚かな人間共が騒ぎを知って押し寄せる。」

 そんな八坂の心中を察したのか、妖狐自ら幕引きを言って出た。

「そうだな……。大分派手にやったから、自衛隊は動き始めている頃だろう」

「早ようわしを封じて、英雄になれ!」

「英雄?僕が?」

「当然じゃ。地球の命までは守れんかったが、妖狐(わし)から人間共を守ったのだ。」

 妖狐はゆっくりと首を縦に二度振り頷いた。

「五十間際で英雄(ヒーロー)か。今まで幸薄い八坂の家には喜ばしい、名誉な事だけど……。日本中の誰一人として、僕達と妖狐の事を知らないのに、それでも英雄と言えるのか?」

「ふっふっふ。そうよのう。保憲にも騙された小僧には、英雄になる資質も無い様だわい」乾いた笑い声が辺りに流れた。

「どうやらそのようだ。」

 保憲の布石のことを言われたが、怒る気力もすでに失せたのか、軽く肯定した。

「それでも幕を引かなければならないなんて、釈然としないが、今更、後戻りも出来ない――。」

「悲しい定めよのう」

「同情は要らない――。引導を渡してやるよ。覚悟は良いか?」

「是非も無いわい。」

 八坂は、自分の盾になり妖狐との戦いに散った、仲間の無残な遺体を見渡した。

(白虎、玄武。天国では一緒になれるといいな。朱雀、君は勉強家だから、天国でもきっと勉強熱心だろうね。青龍は僕と一葉ちゃんが契るところを見せろと、きっと五月蝿く付き纏うだろうな。阿吽、君達のように、僕も一葉ちゃんと息の合った夫婦になるよ)

「何を躊躇(ためら)っておる?」

 仲間に別れを告げて『闘争心』が再燃したところを(あお)った。

「躊躇っている訳では無いさ。人間ってのは、別れ際の言葉を大事にするものだ。」

「なんと愚かな生き物だわい」

「その愚かな生き物に負けたお前は、惨めだな。」

「はっはっは。確かにそうだわい」

 妖狐は腹の底から、愉快そうに大声を出して笑った。

「一葉。今、君のそばに逝くよ!」手印で『輪』を組み、最後の呪文を唱えた。


「『封』」



 秋田県男鹿市の山中を、半径一キロ近いドーム状の青白い光が包んだ。隣接する、航空自衛隊加茂分屯基地もその発光を確認し、第三国からの攻撃を含み、確認が急がれた。秋田分屯基地はスクランブルが取られ、自衛隊のF-15数機が調査に出発した。



 根川は菅井を相手に、事務所にある応接セットで、乾き物をつまみに酒を飲んでいた。

 口から出るのは、段々と伸びてゆくスカイツリーの高さと、不況に対する政府の対応の悪さ、そして、続く猛暑の話しが殆どであった。

 寂しさを紛らわす為に点けていたテレビから、ニュース速報のテロップが流れたが、二人は特に気にせず話しを続けた。しかし流れていた、若手芸人の物まね番組が、途中で切り替わりスーツ姿の、堅苦しいアナウンサーが映し出されると、流石に酒を飲みかけた手が口元で止まり、ニュースに見入った。



「芸人物まね歌合戦の途中ですが、緊急のニュースが入りましたので、中断して報道デスクより放送いたします。」

 そう言うと画面が切り替わり、機器や雑誌、ファイルが乱雑に置かれた見苦しいほどの風景をバックに、昔良くニュース番組で見慣れた、アナウンサーが久し振りに現れた。

「本日九月十四日、午後八時二十三分頃。秋田県男鹿市の山中で、直径二キロほどのドーム状の光を、航空自衛隊と近くを航行中の民間旅客機が相次いで確認した模様です。

 また、その少し前には、赤い火柱や白い閃光も見られたとの情報も入っており、航空自衛隊はこれらに対し、スクランブルを駆けF-15戦闘機、数機と画像撮影機器を積んだヘリが、相次ぎ現場へ急行し、現地の被害状況の確認を始めております。

 これに付きましては、第三国からの攻撃。あるいはテロに寄るものかを、慎重に確認する必要が有ると、政府からの発表がありましたが、いまだに犯行声明文などは、どの局にも届いてはいない模様です。

 先日――、一昨日になりますが、この発光に類似した事件が、宮城県大和町のゴルフ場にて、赤く燃える炎や白い光などにより、ゴルフコースの芝が燃えると言う騒ぎが起きたばかりで、これとの関連も含め、早急に調査をすると発表しております――。」


 画面に出ている報道デスクのアナウンサーは、同じ文面を繰り返し読み始めた。


「秋田って言うと、八坂が行った先じゃないか?」とテレビを無視して菅井へ訊いた。

「そうですね。無事っすかね?」

「車で行くって言っていたが、宮城も通り道じゃないか」

「まさか、八坂さんがテロの主犯とかじゃ……」

「馬鹿も休み休みに言えよ。あいつが、そんな大それた事出来るわけないだろ。まぁ、不幸は好んで八坂のところへ来るみたいだから、巻き込まれていなければ良いがな。」

 そこに根川の女房の里子が、封筒を手にやってきた。

「おまえさん。昼間、八坂さんから届いたけど」

「八坂から?現金書留じゃないか。」

 秋田中央郵便局の消印がある、現金書留を里子から受け取り、封を開けて中身をテーブルの上に出した。

 同封された手紙を見ると、八坂の丸みを帯びた癖のある文字で『出張が思っていたより長引きそうなので、工事費用と昨夜の修理代金を送る。後はよろしく』と書かれていた。

 読み終えてから根川が金を数えると、見積書の工事費よりも十万程多い、三十一枚の一万円札が入っていた。

「ったく。出張先で金が必要になったらどうすんだ。」

 根川が送られた金を手にして呟いた。

「里子、明日にでも帳簿に付けて、金は銀行へ持って行ってくれ」

「はいよ」と返事をして、里子は封筒に金をしまい、机の引出しへ無造作に入れると、事務所から出て行った。

「ところで、あのまん丸に太った猫はどうしたのかな?」

 根川が気になって、独り言を口にした。

「お前、見なかったか?」気になり菅井に聞いた。

「猫っすか?」と首を傾げて見せ「白い着物を着た、女子高生なら見ましたが、太った猫は――。」

「おいおい。いくら暑い日が続くたって、もう九月も中旬だぜ。」

「へぇ」と、何を言われているのか理解できずに頷く。

「残暑が厳しいからってよ、八坂ん家に女が居るわけなかろ。」

「おぉ。ゆ、幽霊っすか!」そう言って、自分の両肩を抱き身震いをした。

「まぁ、明日からの八坂邸。頼むわ。」と幽霊話しで気落ちした、菅井へ酒を勧めながら言った。

「はい」と返事をし、頭を軽く下げてから、注がれた酒を一口含むと、根川から徳利を受け取り注ぎ返した。


(八坂。帰ってきたら、驚くほどきれいになっているぜ。感謝しろよ)


 根川は神棚に向かって杯を掲げ、グイっと飲み干した。

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