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名も無き戦いの終わりに  作者: 吉幸晶
14/27

抱擁

 予行練習の夜は、何事も無く静かに明けた。太陽が昇り辺りを照らし始めると、夜の主役であった秋虫達が眠りに入ったのか、木々に覆われて出来た、草むらの陰の中で寝そびれた虫達が、時よりか細く奏でる声が聞こえるだけになった。

 陽を浴びた、紅や黄色に色付き始めた広葉樹は、澄んだ青い空に良く映えて、極寒の長い冬が、やがて足早に訪れる事を知らせているようにも見えた。

「おはよう、青龍。夜が明けたようだね。」

 青龍の蛇局の中に、差し込む日の光で目を覚まし、寝ずの番をしていた青龍へ言った。

「はい。この時期らしい、とても爽やかな朝です。」

 蛇局を解き、八坂を外へ出した。

「夕べ妖力を開放していると、食事を取らなくても平気だって言っていたよね?」

「はい。申しました」

「本当に大丈夫なのかい?」

 八坂は柔軟体操をして、体を解し始めた。

「えぇ。ご心配には及びません」

「それじゃ、皆の妖力を封じて、朝食にしようか」

「それはご無用に願います。」

「どうして?」屈伸運動の途中で体を止めて、青龍を振り返った。

「妖狐の襲撃に備えての事」、と鎌首を八坂へ向け、頭を下げて言った。

「でも予行練習は終わったから良いじゃないか?」

「気を抜くと襲われます。このまま、妖狐を待っていた方が、得策かと――。」

「それは、そうだけど……」

 途中で止まっていた屈伸運動が再び動き出した。

「それに昨日の昼食が、皆で摂る最後の食事と、数珠様が」

「そうだったね。ではお腹の空いた者がいたら、ここへ来るように伝えてくれないかな。」

「御意。しばらくお待ちを」

 青龍は両目を瞑り念じた。

「天寿院だけが、こちらに来るようです。」

「一葉ちゃんが?珍しいな。」

 八坂が体側を伸ばしながら、天寿院が守る山頂を見る。すると朱雀が、天寿院の詰める山頂へと飛んで行くのが見えた。それから間も無く背中に天寿院を乗せ、朱雀が勢い良く本陣(こっち)に向かって飛んで来る。

「随分と慌てているように見えるけど、そんなにお腹が空いていたのかな?」

 青龍が声を掛けて、僅か二分と掛からずに、二人は本陣に着いた。

「青龍、何事だ!」

 朱雀の背中から飛び降りて、急ぎ天寿院が訊いたが、八坂と目が合い「数珠さん大丈夫?」と訊き直した。


「やぁ一葉ちゃん、おはよう」

 血相を変えてやってきた天寿院へ、いつもと同じ様に朝の挨拶をした。

「大丈夫なの?」

 八坂の驚いた顔を見て、無事の姿を確認した天寿院は、ホッと胸を撫で下ろすと、怒りで引きつった顔を青龍へ向けた。

「青龍。どう言う事かしら、ちゃんと説明してくれるのよね。」

 天寿院の右手は、怒りを抑えている所為か、わなわなと震えている。

「本当ですよ青龍。私だって寿命が縮まる思いでした。許せる事ではありませんよ!」

 速度の関係で、一度上空を行過ぎた朱雀が旋回して戻って来ると、息を整える間も無く苦情を言った。

「悪いけど、青龍。僕も君の説明を聞いてみたいな。」

 さすがに八坂も、天寿院と朱雀の尋常ではない怒りが、どのようにして生まれた物なのか、訊かずにはいられなかった。

「いや……、済まぬ。わしの言い方が、不味かったと反省しとる」

 持ち上げていた鎌首をうな垂れ、三人へ侘びを入れた。

「一体、何と言って呼び出したの?」

「はぁ。急ぎ来い……と。あと、数珠様が……と」

「ちょっと待って。要点が無くて、しかも切れ切れに伝えたって事かい?」

 驚いたのは八坂であった。朝食の事を聞いたつもりが、青龍は気を利かせて、天寿院だけに、急ぎ本陣へ来るようにと言った為、天寿院が朱雀を呼び、慌ててやって来たのであった。

「御意。わしは想いを飛ばすのが、今ひとつ苦手なもので……」

 下げた頭に上半身までも地面に付け、ひれ伏して続けた。

「いいわ。わかったから、顔を上げてちょうだい」

「一葉ちゃん、朱雀。僕に非があるようだ。御免。心配を掛けてすまなかった。」

 八坂も二人へ頭を下げ謝った。

「今回は、何も無くて良かったけど、連絡の取り方を考える必要が有るわね」

「うん。毎回これじゃ、連絡の着け様が無いものね」

「申し訳……ございません」

「気にするなよ。ところで、テレパシーの苦手なのは、他にいるのかな?」

「テレパ……。数珠様、何ですかそれは?」朱雀が訊いた。

「あっそうか。さっきの青龍の言葉を借りると、想いを飛ばすって事だよ。」

「それでしたら、青龍だけになります。先程、白虎達から何事かと聞かれましたので、私の方で、間違いで合ったと伝え合っておりました」

「凄いね。そんな事をしているなんて、全然気付かなかったよ」

「お褒めに預かり光栄です」

 朱雀は嬉しそうに頭を下げた。

「そうすると、本陣だけが、テレパシーを使えないって事か。問題だな。」

 八坂は新しく出てきたこの問題を、早く解決させる必要に迫られた。当の青龍も、事の重大おさに気が付き途方に暮れている。

「昨日決めた組を変える必要もあるわね。」

「そうなると、玄武と青龍を入れ替えて、陽動は阿吽だけに――。攻撃陣が多過ぎても、戦いにくくなって不利だな」

 二人の話しに朱雀が割って入った。

「青龍が練習をして、テレパシーを上手く使える様になればよろしいのでは?」

 深刻な事態を、どう切り抜けるか真剣に話していた二人が、朱雀へ同時に振り返った。

「さすが朱雀、良い事言うわね。貴方、どれぐらいで上手く出来るようになるの?」青龍へ詰め寄り詰問した。

「そっ、そうだな。半日もあれば」

 意表を突かれ、さほど考えずに安易に答えた。

「それじゃ。猶予を与えても、今日中にはできるわね。一生懸命に練習するのよ。」

「しかし相手が――」自信無げに上目使いで天寿院を見た。

「相手なら、貴方を除いても六人もいるのよ。一人、二時間も付き合えば十分じゃ無くて?」

 有無を言わせない天寿院のごり押しに、たじろぎながらも、「わかった。やってみよう」と答えた。

「本陣の連絡系統は大事だもの。しっかり頼むわよ。」

「御意」

 青龍は柳眉を逆立てた天寿院に、再び平伏して答えた。


「一葉ちゃんと朱雀。ついでに、朝ご飯食べて行かない?」

 話しが落ち着いたところで、本来の用件を言って誘った。

「誘って頂いて本当に嬉しいけど、朝食を摂っている時に攻められると対応が遅れるから、遠慮させていただくわ。」

 天寿院は残念な表情を浮かべて辞退した。

「そうだね。さっき青龍にも同じ事を言われた。人間ってこんな時でも、腹は空くし眠くも成る。面倒だ生き物だ。」

「仕方ないわ。それが生きている証しだもの。私からすると羨ましいわ」

 天寿院は寂し気に笑った。

「悲しいけど私は人間にはなれない。どんなにお願いしても、絶対に叶わないこと……」

「一葉」

 八坂が抱き寄せ唇を重ねた。


 数珠の腕に抱かれ、一葉も数珠を強く抱きしめて返した。

「悲しい事は言わないで欲しい。僕にとって君はかけがえの無い大事な人だ」

「ありがとう。とっても嬉しいわ。」

 見つめ合う二人の顔が再び重なった。


「青龍。あれが『契る』ってやつですね」

「違う。あれは『口吸い』と言って――」

 とても強い殺気を感じた。その方を見ると、長い抱擁を済ませたばかりの天寿院と目が合った。

「今のは、単なる挨拶だ。」

「本当ですか?今まで、あのような事をしている所は見ていなかったので、てっきり」

「朱雀!帰るわよ!」

「は、はい。ただ今」

「一葉。朱雀。気を着けて、決して無理はしないように」

 自分の持ち場に帰る二人へ声を掛けた。

「ありがとう。数珠さんもよ」

 天寿院が笑顔で返した。

「青龍。ちゃんと練習するのよ!数珠さんに何かあったら、切り刻む!」

「承知!」殺気の篭る言葉に慌てて答えた。

「では、失礼いたします。」

 朱雀はそう言うと翼を広げて、青い大空へ羽ばたき飛び上がった。

 二人を見送ってから、八坂は朝食の支度に取り掛かった。



 天寿院は暮れてゆく赤い夕陽を、ぼんやりと眺めていた。

 今朝、八坂のもとより帰ってからと言うもの、初めて重ねた八坂との唇の感触が何度となく蘇り、その都度心が躍り、八坂の事を思っては胸が苦しくなった。

 今の天寿院は、夕日の朱に負けないほどに、心の中を赤く色付けていた。

(妖狐との戦いが終われば、私は消える。どんなに、数珠さんを慕っても……。私は消える。)

 夕陽が山間(やまあい)に沈み始め、長い影を地に落とした。空の茜色は西へ西へと追いやられ、東の端から夜の空へと変わって行く。

(もう一度……。もう一度だけ、数珠さんの腕の中に――。寂しく、辛い事だけど、望んではいけない事だけど――。)

 感慨に耽る天寿院の胸に、一瞬、不安が過ぎった。

「何だろう?この胸騒ぎは……。」

 五感全ての神経を研ぎ澄ませて、天寿院は周りを見た。

「そうよ虫の音が聴こえない。まさか!」

 いち早く異変を感じ取った天寿院は、『襲来』の合図である呪珠(じゅず)を、星の瞬きが見え始めた、秋の星座の中へ高々と放った。


「数珠様、天寿院から合図が上りました。」

「わかった。ここまで来るには、まだ時間が掛かるだろうけど、戦闘の準備をしておこう。」

「御意」

 青龍は八坂を中心にして蛇局を巻いた。


 吽形は阿形のいる山頂へ、玄武も白虎の所へ急ぎ移動した。

「天寿院殿、妖狐は何処ですか?」

 天寿院の元へやって来た朱雀が訊いた。

「姿も気配もまだだけど、虫の音が止んでいるの。それに、この肌に刺さる様な空気――。間違い無く近くまで来ているわ。」

 天寿院は山の斜面から目を離す事無く答えた。

「確かに、何か感じますね。」

 朱雀も天寿院の視線を追って答えた。


 秋の夜空には散らばった星々が瞬き、夜空を飾り始めた。秋虫の声は遠く離れた山間に、微かに聞こえているが、この周りの静けさは、緊張した戦士の肌を冷やし、まだ見ぬ大敵への恐怖を煽った。

 誰にも知られる事の無い、大戦の合図を、山の斜面を見つめ待つ天寿院は、恋する女から戦士へと変わっていた。

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