妖狐
夜が明けた。秋の日の乾いた爽快な晴天が、八坂神社で初めて迎えた朝であった。
朝食を済ませてから、八坂と天寿院は玄武の背中に乗り、神社周辺の地形の確認に出ることにした。
大勢で動くよりは、少数の方が偵察には都合が良いと、八坂と天寿院は説得したが、玄武意外の留守番組は納得せず、口々に不満を漏らした。特に白虎は、玄武が飛び上がる寸前まで諦め切れず、一緒に行くと言い張り、玄武の甲羅にしがみ付いた。
「離れそうにないわね。良いわ、玄武飛んで頂戴」
呆れ顔で天寿院が言った。
「では、出発します。落ちないように、しっかりつかまってください」
残された者達が、納得が行かない顔で見送る中、玄武がゆっくりと上昇を始める。
「やっぱり、わしは一緒に――。ん?」
浮上した事に安心して、白虎の手足の力が抜けたのを、天寿院は見逃さなかった。
天寿院に首の皮を摘まれ、白虎自身が宙に浮いたと思った瞬間、ポイっと外へ放り投げ出された。
「天寿院――!」
『しまった』と思った時には遅く、白虎は留守番組が見送っている輪の真ん中に落ちて行った。
「一葉ちゃん。あまり過激なことは……」
「何かしたかしら?」
天寿院のやたらと澄んだ声と、微かな笑顔の裏に、恐怖を感じたのか、八坂は後の言葉を飲み込んだ。
上空、五十メートル程まで上がると、玄武は結界を張り姿と妖気を消した。
さすがに高度をここまで上げると、神社の後方に連なる山々の裾までが確認できた。八坂は地図を出し方角を合わせて広げた。
「山の中に湖が見えるわ」
天寿院に言われて、八坂が天寿院の指す先を見た。
「あれはダムだね。ダムがあると言う事は人が居るって事か、その向こうにも、大きな建物が見えるけど――。あれは自衛隊の車両かな?」
幌付のカーキー色のトラックが二台、建物の前に停めてあるのが見えた。
「自衛隊?」
「国を護る……。昔で言うと、『侍』みたいなものかな」
「それは厄介ね。この辺りは避けた方が良いわね」
「そうすると、ダムと港の中間辺りか、或いは、もっと北になるな」
八坂が地図を見返して、その地点を指して移動するよう玄武に伝えた。
「あそこに、洞穴が見えるわ」北へ数分進んだ所で、天寿院が進行方向の左下を指して言った。
「変ですよ。あの洞穴から何かを感じます」
「えっ?私には何も感じないけど――」
「一葉ちゃんには感じなくて、玄武には感じるって、何がいるのかな?玄武、少し近づけるかい?」
「駄目よ、危険だわ。玄武、方向を変えて!」
天寿院が危険を予知して玄武へ指示した。
「もう少しなら大丈夫です。私の結界は完璧です。たとえ妖狐だって、私の結界を破り、私達を見付ける事などできません。」そう言いきると、「もう少しだけ近付いてみます」と言い、高度を下げ始めた。
「玄武、世の中に『完璧』なんてものは無いわ。それは、単なる驕りに過ぎない。」すかさず天寿院が苦言を呈した。
「私には、天寿院に無い能力に対する、僻みのように思えますけど――。もう少し下降します」
玄武が天寿院の言葉を無視して、さらに高度を下げ始めた。
「駄目よ!さっさと方向を変えなさい!」
「大丈夫ですって!私の力を信じてください」
玄武にしては珍しく、強気に言い返した時に、玄武の体が大きく揺れた。地図を見ていた八坂の目の前を、玄武の甲羅を突き破って、下から上へ閃光が走った。
「すみません……。やられ……ました」
「玄武!どうした!」
「わかりません……。下から……撃たれ……ました」
「今すぐ、治そう!」
八坂が手印を結び結界を張ったが、玄武の首はうな垂れて体は、勢い良く降下を始めた。
「玄武!しっかりして!」
「天寿院の……」
「喋っちゃ駄目だ!静かに!結界だけでは間に合わない!」
八坂が玄武の傷口に直接手を置き、念を入れ始めた。
「最後に……白虎を……呼びます」
「無駄だよ!遠過ぎてここからでは、彼等の妖力は戻せない!」
念を送りながら八坂が大声で言った。
天寿院も呪珠の印を結び、まだ見ぬ未知の相手との遭遇に備えた。
「どうやら、あの洞窟へ引き込まれているようだね」
「そのようね。玄武の結界を破るなんて、相当、力の有る相手だと思うわ!」
「僕も同感だ。とんでもない奴に出くわしたな。」
体が拒否反応を示すほどの相手が、下の洞窟に居ることの証なのか、八坂の腕に鳥肌が立っている。
「この傷では、体が大きいままでは不利だ!地面に近付いたら玄武の妖力を封じるよ」
「そうね。玄武、頑張るのよ!最後まで諦めないで!」
「……は……い」
「玄武、妖力を封じるよ」
地面が近くなり、八坂が新たな手印を結ぶと、玄武は元の岩亀に戻った。
三人は上空で八坂が言った通り、この洞穴に引き寄せられて来た。
「二人とも、大丈夫かい?」
着地と同時に、八坂は二人の具合を訊いた。
「玄武は気を失っているわ」天寿院が玄武を覗き答えた。
「多分、傷のダメージに、この何とも言えない――。とても厭な感じの気に、当てられた所為かも。とりあえず、傷口に札を貼ろう」
八坂が胸ポケットから札を出して、玄武の傷口に貼った。
「厭な感じ?確かに妖気では無い様ね」
「うん。体の芯まで凍えそうな冷たい目で、心の奥底を覗かれている様な、すごく厭な感じだよ。見て」
八坂は袖をめくって、鳥肌が立っている腕を見せた。
「ひょっとして『邪気』かしら?」
「邪気って?」
洞窟の中から、威圧されるような『気』を感じ、八坂は玄武から洞窟へ目を移した。
「小僧。やっとここまで来たか」
地の底から響いてくるような、重く圧し掛かるような声であった。
(妖狐か!)
「そうよ。わしが、九尾の妖狐だ」
(こいつ、心の中が読めるのか?)
「驚くことは無かろう。まだ完全体にはちと早いが、今のわしにでも、これぐらいの芸当はできるわい」
「どこにいる!」
「ふふふ。大声を出しおったな。怯えておるのか?」
声は洞窟の中から聞こえてくる。八坂は急いで三人を包む、防御の結界を張った。
「そんな子供騙しの結界で、わしの攻撃を防げるとでも思っておるのか?その亀で、わしの力がわかったと思うたが、些か残念だわい」
「喰らえ!」
それまで黙っていた天寿院が、呪珠を洞窟へ投げ込んだ。
洞窟の壁か、妖狐に当ったのかは定かではないが、呪珠は洞窟の中で弾け光を放った。
「小賢しい真似は止せ。そんな陳腐な物では、わしの結界に触れる事さえ出来ぬわい」
「どうして出てこない!」
次の呪珠の印を結ぼうとしている天寿院を制して訊いた。
「声だけでも、十分にわしの恐ろしさが伝わっておる。今日は挨拶だけの積りだからのう」
「驕るな!」
「笑止!今、わしの姿を見て、その恐怖に尻込みされては、数百年も待った甲斐が無くなるわい」
「何を!」
「はっはっは。動けるようになるまでは、実に長かったわい」
「保憲様から逃げるのが、精一杯だったようだからな!」
「馬鹿な。わしが動けんのは、勾玉に尻尾を託したからだ!保憲ごときの呪術など、苦に及ばずじゃ」
「何!」天寿院が身を乗り出したが、八坂が慌てて制した。
「賢明なことよのう。女!先に言うておくぞ。話が終わるまで、小僧の結界の中で大人しゅうしておれ。もし出おったら、その場で殺してやろう」
「黙れ!施しなど要らん!」
飛び出そうとする天寿院を、八坂は羽交い絞めにして止めた。
「勾玉は六個。尻尾は三本も残っていたじゃないか!それでも動けなかったのか」
「何を言うか。時空を越えるに、残り三本を費やした。一本の尻尾を戻すには百年掛かる。九本が揃うた時には、六個の勾玉も自然と手に入ったが、勾玉だけでは何も起こらなんだ。保憲は当に死に、どうすれば使えるようになるのか、訊く相手もおらん――」
「そこで保憲様の生まれ変わりを探した。それが、八坂元成か」
「そうだ。お前の先祖、元成だわい」
「元成は、保憲様に匹敵する力を持っていたようだな」
「はっはっは。言い難い事を言いよるわい。確かにその通り。当時の元成は、京にある八坂神社で宮侍をしておった」
「宮侍?」八坂には意外であった。
「しかも側近の二人は、保憲の息子の賀茂光栄と、安部晴明の生まれ変わりと思う程に、腕の立つ家臣じゃったわい。三人がかりでは、流石に勾玉を取られそうになり、仕方無しに、二本の尻尾を、家臣二人の命と引き換えにくれてやった――。」
妖狐の声から威圧感が消えた。
「家臣を失った元成は、奥義を使いわしも深手を負った。残った力で跳べる限り京から遠いこの洞窟に身を隠したが、執念深い元成は、わしを追って、遠いこの地にやってきおった。」
「勾玉を取り返して退治する。お前は極悪な妖怪だ、当たり前の事だろ」
「わしが極悪とな。人間とどちらが極悪か判らんぞ」
「戯言を」
消えかけていた威圧感が戻った。二人は洞窟に向かって身構えた。
「わしの傷が多少でも回復しておれば、元成一人ぐらい返り討ちにできる。奴はそれを知っておった」間を取り、妖狐が話しの続きを始めた。
「だから空き家になっていた、小さな神社に住み着き、わしの邪気を受けて、近寄ってきた妖怪を手懐け、時期を待った」
(白虎達の事か)
「しかしわしは、治癒を早くするため、深い眠りに入った。それゆえ、元成の寿命が尽きた事に……」
妖狐の声の色が変わった。
「眠りから覚めて、八坂神社を襲ったのか」
「そうだ。百数十年も眠ってしまったが、それがわしにとって、偶然だった。運が良かったわい。」
八坂が怪訝な顔をした。
「なんの力も持たぬただの人間の宮司では、わしの姿を見せただけで怯え、八坂家の言い伝えと言う『銀の房』の事を聞きだせたわい」
「そして……喰ったのか……」
「そうよな。狛犬共は元より食を取らぬでのう、喰らいはせんかったが、四神獣と名乗る、間抜けな妖怪共に喰わせてやったわい。二人の子供は『銀の房』の継承もあるのでな、喰うなと言うたのだが、蛇めが男のわらべを喰らいよった。あの時は流石にわしも慌てたわい。娘を生かす為に、わざわざ出向いて、蛇を止めたのだ。でなければ、小僧の母親も喰われておった。」
八坂には、その時の事が、頭の奥の方に浮かんで見えた気がした。
「わしを守らせながら、銀の房の持ち主が転生するのを見張らせるには、丁度良かろうと勾玉を埋め込んだのだが、埋め込むと元の妖怪に戻りよった。わしの言う事を聞かせるまで、何年掛かったことか……。六匹を上手く操るには骨がおれたわい。」
八坂は愕然とした。もし、妖狐が言うのが本当であれば、自分が信じた白虎達が、主となる八坂の親族を喰ったことになる。
「嘘をつくな!四神獣が人間を喰らうはずが無い!」
「何を今更。こんなところで嘘などつかんわい。蛇と亀と妖猫が喰らっておった。誰が何を喰らったのか、美味いかどうかなども、聞いてはおらんがな」
「しかし、白虎と玄武が家に来た時、窓を壊して入ってきた。母からは、家が壊されたなどとは聞いていない」
「小僧……。妖怪はそもそも実態など持たん。いわば『妖しい気』の塊に過ぎん。物を直接壊すなどありえんわい」
「それなら――」
「待て。最後まで聞け。妖猫達が小僧の家を壊したは、小僧の恐怖心をあおる為だ。本来はそっと近付き、いきなり現れ、魂か肉を喰らうのが妖怪と言うものだ。」
反論のしようも無かった。反論が出来ないと言う事は、白虎達が親族を殺めたと肯定することになる。
体から力が抜けて行くのを八坂は感じた。ふらつき天寿院を抑えていた手が、今度は天寿院にしがみ付く手に変わった。
「妖狐、それは誠なのか!」
八坂の気落ちに耐えられず、黙って成り行きを見ていた天寿院が聞いた。
「まだ妖怪達を庇おうと言うか、実に愚かだわい」
落ち着き払い八坂達を哀れむ声に、本当の事だと受け取るしかなかった。
「何と惨い事をさせた!主を喰わせるなど、あまりにも……惨すぎるではないか!」
「女。わしは、怨みや嫉み、憎しみに快楽を感じるのだ。わしが喰らうより、自らが主を喰らえば、真実を知った時の楽しみが増すであろう。人間の供になり下がり、わしを裏切った馬鹿な妖怪共には、とても良い余興ではないか!」
「何と言う――」天寿院はあとの言葉を失った。
「もう、知りたいことは無いのか?」
二人の沈黙に飽きたのか、妖狐が催促した。
「勾玉ごと尻尾を捨てた訳では無いのか」
八坂が支えられる天寿院の腕をそっと解き、やっとの思いで話しを繋いだ。
「馬鹿らしい。元成や保憲ほどの力を持つ者がおらん時代に、わしから勾玉を奪える輩などはおりはせんわい。間抜けな妖怪共に、預けておけば守りながらわしに仕える。それにわしの尻尾は、それほど安い物ではないぞ」
「今なら、僕から『銀の房』ごと持って行けるだろう。何故そうしない」
「今日は挨拶だけだと、さっきも言うたはずだわい。」
「何を企んでいる!」
「企む?はっはっは。安心せい、今日は単なる宣戦布告だ。これが済めば無事に帰してやる」
「ゆとりのつもりか?」
「わしへの憎悪を増し、昂りと絶望の同居する魂と、戦の中で萎縮し疲れきった肉体を喰らうのも、一興。人間を直接喰らうのは、実に久しぶりじゃ。美味く料理をせんとのう。――おぉ、そうじゃ。五十年程前――。尾部と言う神社に、三種の神器のひとつを感じての、暇を持て余しておった、妖猫を供にして出向いた事が有ったわい」
「『三種の神器』……だと」
「小僧も陰陽師の端くれ、聞いた事はあるだろう」
「たしか、草薙の剣と鏡に勾玉」
「さよう。そもそもわしが勾玉を取りに行ったは、三種の神器を手中に収めるがためだ。三種全てを一度に盗ることはできなかったが、保憲が守る主都より、勾玉は手に入れた。勾玉だけでも一国が盗れるほどの力が有るとわかった。なら、残りの二つを盗み三種全部が揃えば、どの様な力がわしの物になるか楽しみだった。だから、急いで出掛けたのだが、着くなり女に見られてのう」
八坂と天寿院は『まさか!』と言う顔でお互いを見た。
「まだ若い女だったわい」
「貴様が喰ったのか!」
「ん?知り合いだったか?」
「それは恐らく彼女の母親だ!」
「そうか女。貴様の母親だったか。供の妖猫が、ねずみにじゃれ付くように弄んだに過ぎんが、人間は柔らかく脆い物よ。甘噛しただけで首根っこが千切れおった」
「貴様!」
天寿院は草薙の剣を呼び寄せる印を結び始めたが、それに気付いた八坂が慌てて止めた。
「――数珠さん!どうして――」
八坂にうしろから、両腕を封じられた天寿院は、逃れようともがいたが、必死に止める八坂の力に負けて諦めた。
「では、宮司と子供を殺し、火を付けたのも妖狐、お前の仕業か!」
「火だと?馬鹿な。ただ若い宮司は、妖猫が女を喰ろうているのを見ておっての、気が病んだみたいじゃったが……」
「貴様!」
「待つんだ!」
一度は退いた怒りが再び込み上げて、天寿院が洞窟へ入る勢いで前に出ようとするのを、やっと抑えこんだ。
「一葉ちゃん!気持ちはわかるが、僕達だけでは妖狐には勝てない。だから、今は無事に帰る事だけを考えよう」
「えっ?数珠さん……」
天寿院のとても悲しく、寂しい目が八坂を見つめた。
「はっはっはっ。物分かりが良い小僧で良かったわい。約束しよう、今日の所は、小心者の小僧の謙虚さに免じて、無事に帰してやると!はっはっはっ」
「戯言を!保憲様の式神の私が、仕留めてくれる!」
「保憲の式神だと?戯言を言うておるのは貴様だろう。何の力も持たぬ式神など、保憲らしからぬわい」
「化け狐!無力かどうか、その身で思い知れ!」
「女!わしを化け狐と言うか。それでは、九尾の格の差を見せてやるわい」
妖狐の声はそう言い残して消えた。消えたと同時に、八坂はその場に崩れるように倒れた。
「数珠さん!どうしたの?しっかりして!」
八坂を抱き起こした天寿院の声は、虚しく洞窟の中に響いた。
陽が西に大分傾き、東の空は夕闇に色を変え始めた。八坂を抱きかかえ、じっとしている天寿院の頭上は、澄んだ青と暮色の藍色と、夕陽の朱色が混ざり合い、天寿院の心の中を映し出しているような、とても複雑な色合いをしていた。
妖狐と対峙した後、瀕死の玄武を邪気に晒す訳にはいかないと、八坂の守護の結界が残るこの場で、二人が目覚めるのを待った。
天寿院は、尾部一葉の記憶が無い今、正直白虎が、両親と弟達の仇だと言う思いは、意外と薄い。従って然程、恨みを感じずにいるが、八坂は妖狐と戦う仲間と信じた者と、親族を喰らった者が同一だった事実を、どのように受け止めたのか。
もし八坂が、親族を喰らった四神獣の事を許さなければ、二人で妖狐と戦う事になる。しかし仲間を選ぶのであれば、幸い玄武は気を失い、妖狐の話しは聞いていない分、二人が黙っていれば問題なく、力を借りて妖狐を討てる。どちらにしても八坂は、目が覚めたら辛い選択を迫られるだろう。
「もし、数珠様達の御身に何か起きたら、玄武がわしに、知らせを送る事になっておるのじゃ。だから、心配せず待っておったら良いのじゃ」
留守番組には何度も繰り返す、白虎のこの言葉が虚しく聞こえた。
「近場なら、私が飛んで探しましょう」
「待て。近場なら阿形、吽形に声が聞こえるし、臭いでもわかるはず。阿吽でさえ感知できずにおるのだ。数珠様のおられる所は、少なくても、雉の姿のぬしが飛んで行けるような、近場ではあるまい」
帰りが遅すぎる八坂達の身を案じて、それぞれの言い分で揉めていた。揉めても妖力の無い今の白虎達には、どうすることも出来ず、ただ八坂達の帰りを待つしかなかった。
「わしらに妖力が戻っていないと言う事は、数珠様はご無事と言うことだ」
「青龍が言うのはもっともじゃ。だから何度も言うが――」
「その話しはもう良いです。白虎達と違い、私は夜目が利かない身。ですから行くのなら、夜になる前で無ければならないのです」
「朱雀よ、ぬしの飛べる範囲では――」
すでに半日以上、堂々巡りの話しが続いていた。これからも八坂達が戻るまで、永遠にこの話しは繰り返し続くのである。
「うっ」
夕闇が辺りを包み込んだ頃、玄武が目を覚ました。
「玄武!目覚めて良かったわ」
天寿院は心の底から、玄武の目覚めを喜んだ。
「数珠様は?」痛みが残る体を起こしながら訊いた。
「妖狐と対峙して、とても強い邪気に当てられたみたい。ずっと眠っているわ」
「天寿院。私が、あなたの指示を無視したから、数珠様を危険な目に、合わせてしまいました……」
「済んでしまった事はしょうがないわ。今は早く、数珠さんを連れて神社に戻ることを考えましょう」
「妖力が戻れば、飛んで帰れるのですが……」
「それは無理ね。私にはそういう力は無いわ。でもとりあえずこの場を離れるわよ」
「どうしてですか?」
「そこの洞窟が、妖狐の巣なのよ。こんな所に数珠さんを、いつまでも置いてはいられない」
「では、すぐに移動していただければ」
「数珠さんの結界から出ると、邪気に当てられて玄武の命が危うくなる。だから連れて出ることは出来なかったの」
「では、私を置いて行けば――」
「そんなことしたら数珠さんに叱られる。」
「天寿院……」
「泣くのは無事に戻ってからにして。歩ける?」
「はい。頑張って歩きますぅ」
「それじゃ、行くわよ」
天寿院は手印を結び、八坂を空中に浮かせると、星を読んで神社のある方角へ歩き出した。
東の空が明るくなりだした頃、八坂が目をさました。
「一葉……ちゃん」
「お昼寝にしては、随分と遅いお目覚めね」
天寿院は歩みを止めて、八坂へ「おはよう」と言いながら抱きつき涙した。
「妖狐の強力な邪気に、僕はやられたんだね。」
抱きつく天寿院に、軽いハグを返しながら八坂は訊いた。
「えぇ。いきなり倒れたから、とても心配したわ」
八坂の腕から少し離れ、八坂の鳶色の瞳を見て答えた。
「ごめんね。君や僕の家族の事を聞きたい一心で、妖狐と通じ過ぎた。気がついた時には、妖狐から離れる事が出来なくなって……。ただ、君と玄武だけは無事に逃がそうと、そればかり考えていたような気がする」
「そうよ、戦おうとした私を止めて『帰る事だけ考えよう』って言っていたわ」
「確かにあの時、僕達二人だけでは、とても敵わない相手だと対峙して判ったからね。止めるしかなかった。」
「それでは……。もう戦えないの?」
心配顔で天寿院が訊いた。
「そんな事は無いさ。あの時、あそこで戦うのは、犬死すると思った。でも妖狐と話しているうちに、幾つかの疑問が見えてきた」
「どんな?」
「一つ目は、妖狐は何故洞窟から出ないのか、またどうして僕達を殺さなかったのか。二つ目は、何故、僕の首から無理やりでも勾玉を取らなかったのか――」
八坂は起き上がり、完全に明けた空に向かって、大きく伸びをした。
「その答えがわかれば、皆の力を借りて、妖狐は倒せると僕は思う」
「本当?」
「あぁ本当さ。ただ、答えを見付けるのが先か、妖狐が完全体で現れるのが先か――。どちらにしても準備を急がなければね」
「数珠さん。ごめんなさい」
「何が?」
「私は、数珠さんが戦意を失くしてしまったと、思い込んでいたわ」
「僕の演技も、なかなかだったって事かな」
「演技?」
「妖狐は僕の心の中を読んでいた」
「えっ。数珠さんの心の中を?」
「うん。だから、迂闊なことは言えないし、考える事も出来ないと咄嗟に判断して、君と僕の家族の事だけを聞こうと、僕自身の心に楔を打った」右手で拳を作ると、左胸をポンと叩いた。
「それで……。聞くことが無くなったから生きて帰ると?」
「そうだよ。僕も皆も、妖狐を倒すまで絶対に死ぬ訳にはいかない。妖狐を倒す糸口を得るまで、命乞いをしてでも生き残って、絶対に息の根を止めてやる!」
「今、皆って……」
天寿院は玄武に、気付かれないよう小声で訊いた。
「うん。妖狐は簡単な相手じゃない。白虎達を含めた、チームで上手くやらなければ勝てないと思う」
「白虎……達?妖狐が言っていた事」
「判っているよ。白虎達を見ていると、彼等自身も薄々気付いている節もある。だから尚更の事、白虎達にちゃんと話しをして、その思いを百万倍にして妖狐へ返させてやりたい。」
玄武が何か言いたそうに、ゆっくりと八坂の横に来た。
「玄武、大丈夫かい?ごめんな守れなくて」
「私こそ、数珠様をお守りできませんでした」
「気にする事は無いよ。命が有っただけ幸運だった」
「私達が何かしたのでしょうか?」
「帰ってから、妖狐との事を皆に話すから、それまで待っていてくれるかい?」
「わかりました……」
「数珠さん。話すのは」
「僕も迷った。だけど、もし戦闘中に妖狐からその話を持ち出されたら、戦意を喪失して、僕達の全滅は間逃れない。」
天寿院は無言で頷いた。
「さてと帰ろうか。白虎達が怒っているだろうね。無断外泊の朝帰りじゃ、何を言われるか――。ある意味妖狐より怖いかもね。」
八坂は手印を結び、玄武へ妖力を帰すと、玄武の甲羅に乗り「いざ!八坂神社へ!」と大きな声で玄武へ言った。




