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名も無き戦いの終わりに  作者: 吉幸晶
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プロローグ

  からすなぜなくの――


 人気(ひとけ)の無い畦道を、女がひとり荷車を引いてやってくる。今日、収穫できた野菜は少なく、荷台に載せた背負いかごの中で、荷車の揺れに合わせて転がっている。


  からすはやまに――


 目を合わせる事も、挨拶を交わすことも無く、女は男とすれ違う。


 男はすれ違い様に、女が背負った赤子に気付いた。背中の赤子に聴かせている歌声は、優しく暖かい。しかし女が通り過ぎた畦道に、堕ちて残った歌声は、悲しく暗く、男の心に染み込んで、寡黙に峠を越えて来た、道程(みちのり)以上に重い(おもり)を上乗せた。

 

 男の背負ったものの重さは、見た目よりは遥かに軽いが、背負っているものに抱く想いは、女が背負っていた赤子と等しく重い。その重さが、男の足の運びを鈍らせる。


 秋の爽やかな青空は、西方(にしかた)の隅を茜に染め始め、今日も終わりに近付いていることを、男へ告げる。振り向くと、女の姿はもう見えなくなっていた。

 前を向き直した畦道の先に、草木が鬱蒼と生い茂る大きな山が、行く手を阻むかのように(そび)え立つ。

 鈍いが確実に出る一歩は、少しずつその山へ近付き、やがて山の傾斜と、秋の斜陽が創りだす影が、男の足元に、異世界との境界線を引いた。

 

 男は山の影の暗闇に、吸い込まれるような錯覚を感じ、その手前で歩みを停めると、影の持ち主を確かめるかのように仰ぎ見た。

 もっと、遠くに有ると思っていたが、あまりにも間近に迫る山に、諦めが付いたのか、木々の合間から、僅かに見える石段に向かって境界線を越えた。


 石段の手前の鳥居をくぐった所で、両脇から覆い被る木々が作った一層深い闇に怯え、男の足が再び止まった。

 目の前の影は、山と夕陽が作る影とはまるで異質で、もっと深い闇が息を殺し、入って来る獲物をひっそりと待ち構えているような、恐怖を感じた。


 男は闇の手前で躊躇し、その中を凝視した。


 その闇の中で、僅かに差し込む秋の陽が見せる、苔生(こけむ)した不揃いな石段が、『ここから先へは、心して進め。』と言っているかのような、威圧的で傲慢(ごうまん)な、とても冷たい視線を男へ向けて返した。

 男はここまで黙々と歩いて来たが、今度ばかりはたじろぎ、進む次の足をなかなか出せずにいる。見かねたのか、男の背中に背負われたものから、呟くように聴こえていた童歌(わらべうた)が止み、代わりに、「はやぐ行け」、と立ち止まり動かなくなった男へ、ひとこと無感情に命じた。

 それでも動けずにいる男へ、「何さしでる。はやぐ行け。」

 今度は語気を強めて背中の老婆が言い、馬を急かすように、両足で男の太腿の辺りを蹴った。

 男は揺らいでふらっと半歩前へ進む。戸惑いながら大きな溜息をひとつ吐く。恐怖に目をつむり、進む決心が付いたのか、あるいは拒む事を諦めたのか、闇に身を入れて石段に足を掛けた。


「ここの石段は、全部で百八つある。『人の煩悩の数』と同じじゃ」

 老婆が石段を登り始めた男へ語り始めた。

「百八つの石段を、ひとつひとつしっかりと登るのじゃ。しかし、ここまでと同じ、お前は何があっても口を利いちゃなんねぇ。わがったな。」

 老婆は揺れる男の背中にしがみ付きながら、きつく言って諭した。


 石段のほぼ真中辺りまで登って来た時に、男の耳に薄っすらと唄が聴こえてきた。


  とおりゃんせ、とおりゃんせ……


 老婆の歌声と違うその声が気になり、立ち止まって耳を澄ます。

「駄目じゃ!耳を貸してはなんねぇ!はやぐ。はやぐ!」

 老婆が男の異変に気付くと、大声で再び男を急かす。

 怒鳴られて男は正気に戻り、石段を見上げ上の鳥居を目指し、再び登り始めた。


  ここは、どこのほそみちじゃ……


 百段目を過ぎると、石段の先に境内が見えた。中では十人ほどの子供が遊んでいる。

「目を合わすな。話しも聞くな」戸惑う男の様子を感じ、老婆は男の耳元で静かに言った。


 男は百八段の石段を登りきり、ふたつめの鳥居をくぐって境内に入った。その途端、境内で遊んでいた子供達が男を取り囲んだ。


「そのお婆さんはどうするの?」

「どこへ連れて行くの?」

「お婆さんは歩けないの?」

 子供達は間髪入れずに次々と訊いてくる。


「耳を貸しちゃなんねぇ!はよ!はよ!」

 危なく子供の問いに答えようとした男を、老婆は制して掠れた声で先を急かせた。


(うば)捨てなの?」

「そのお婆さんを捨てるの?」

「お婆さんまだ生きているのに?」

「姥捨て!」

「姥捨て!」

 子供達は男に(まと)わり着き、立て続けに言葉を浴びせる。


「耳を貸すな!」

 老婆の声が上擦っている。

「わしにはお前の周りにおるものの姿は見えん、声を聞くこともできん。じゃが、お前の近くに来たのは、間違い無く『悪鬼(あっき)』じゃ!決して相手にしてはならん!」

 男の背中で老婆は怯え、力の限り怒鳴った。


「姥捨て!」

「捨てたら喰って良いの?」

「ばばの肉は硬いから、あまり好きじゃない」

「おばばの肉は少ないから、喧嘩になる」

「子供か若い女が美味い!」

 子供達は男を真ん中にしてグルリと囲み唄い始める。


  かごめ、かごめ

  かごのなかのとりは

  いついつでやる――


 男の足は完全に止まった。止まって子供達の言葉に惑わされ、ついに境内の真ん中で、両膝を着いてしまった。老婆は慌てて男の背中にしがみ付いた。

「もう……許してけろ……」

 男が(たま)らず、今までの思いを声にしてしまった。

「こっ、この馬鹿息子が!」

 背中の老婆が、泣きながら息子の頭を叩いた。


「声を聞いたよ」

「私も聞いたよ」

「じゃ、食べて良いの?」

「釜を用意しよう!」

「湯を沸かそう!」

 無邪気に遊んでいた子供が、いつの間にか『鬼』の姿に変わっていた。母親が言った通り、男に纏わり着いていたのは、悪鬼であった。


 拝殿の前で(ひざまず)いた息子は、背中が軽くなった事に気付くと、慌てて両腕で自分の背中を探った。しかしそこに母の存在は既に無く、両の腕は虚しく空を切った。


 男は立ち上がり、母の姿を辺りに探す。


 拝殿の奥に奉られている『御魂』に、境内が映っているのが見える。しかし悪鬼の姿も釜も無い、哀れな情けない顔をした、自分の姿だけが映しだされていた。


  あぶくたった、にえたった

  にえたかどうだかたべてみよう――


 悪鬼の唄に思わず、釜の方を振り返る。悪鬼達は一目で人の物と判る、腕や足を持ちしゃぶりついていた。

 「!――まさか」

 晴天の空全体に広がる、秋の夕陽でそう見えるのか、あるいは、母の血潮の所為なのか、境内も拝殿も、男の目に映る辺り一面が、朱に染まった。


  むしゃむしゃむしゃ――


「やっぱり硬い肉」

「硬い、硬い」

「硬くて少ない肉」


 男はふらふらと釜に近付き、自分が導き出した答えを確認するべく中を覗いた。



「うわぁ!」

 八坂(やさか)数珠(かずま)は、自分の上げた悲鳴で目が醒めた。体中に寝汗をかいて、下着だけではなくパジャマまでぐっしょりと濡れている。呼吸も延々と何キロも走しってきたかのように、早く荒く乱れていた。

(また同じ夢だ……)

 八坂はこの頃この夢を良く見る。始めて見たのは、四十八回目の誕生日の晩であった。

 それから三ヶ月ほどは、数週間に一度位であったが、九月に入ってからは、今夜で五夜連続して見た事になる。

 普通五日も連続して夜中に大声を出したら、家族から心配の域を越えて非難されるところだ。が、幸い八坂は四十八歳にして、未だに独身でいるために、そのような事を気遣う必要は無かった。

 しかし今の八坂の問題は、家族に非難されるか否かではなく、同じ悪夢を、立て続けに何日も見ると言う、ところのはずなのだが――。

(どうしてかな?何度も見て慣れているはずなのに、どうして同じ所で驚くのかな。だから一番気掛かりな、釜の中身が判らないままなんだ。)

当の八坂自身が(こだわ)る所も、些か一般人とは違っていた。


 八坂はベッドから起き上がり、汗で濡れた下着とパジャマを着替えるついでに、シャワーを浴びることにした。着替えを持ち風呂場へ行き、少し熱めのシャワーを頭から浴びながら、また夢の事を考えた。

(どうしていつもあのタイミングなのかな?もう少し先でも良いのに。そうすれば釜の中の謎も判って、サッパリするのに……)

 石鹸とシャンプーがもたらす、泡の滑りをよく洗い流しながら、釜の中身に拘り続けていた。

「駄目だ――。いくら考えても判らない。たぶん明日も見るだろうし、今日はもうこれ以上考えるのは止めにしよう。」

 頭の中の考えが声になり、いつも通りの結論に達した。

 

 少し長めのシャワーで体を暖め、蛇口を閉めて振り返った八坂の目の前に、あの夢の中の老婆が無言で立っていた。

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