魔王が人間に無視される
気がつけば、夜が明けていた。肌触りのよい敷物に、何やら心地よい毛皮のようなもの。自らの身体を全て預けたくなるほどの気持ちよさに、思わず思考が奪われそうになる。
――いかん! これは罠だ。
そう自らを奮い立たせ心地よい毛皮のようなものを跳ね除けた。このような堕落に溺れる魔王では、断じてない。
起き上がって周りを見渡すと、そこは全く見たことも無い部屋だった。我が居城であるノアシュバルト城の部屋と比べると酷く矮小に感じる。
「おはようございまーす、魔王さん。朝ご飯ですよ」
そう言いながら昨日会った千草と言う女が扉を開けて入ってきた。
「……ここはどこだ?」
「ここ? あー、私のお父さんのアパートの一室です。だって昨日魔王さん気絶しちゃうんですもん。二人で運ぶの大変でしたよー」
そうか、不覚にも我は気を失ってしまっていたのか。しかし、よくあの狂暴な女に殺されなかったものだ。傷口をえぐられた時は命が無いと思ったが。
「あの女は?」
「花? ああ、下でご飯食べてるよ。さっ、早く行きましょう」
そう言いながら千草は我を引っ張るが、あの女と違い優しい引っ張り方だ。しかし、それにも逆らう事が出来ないほど、魔力も体力も衰えている。今は口惜しいが、従うほかない。
階段を降りると、酷く不機嫌そうな顔で食事をしている花。そして、花も含め3名分の食事が用意されていた。千草は我を強引に座らせ、自分も座って食事を始めた。
「食べないの、魔王さん?」
「……何を企んでいるか知らぬが、恩には着ぬぞ」
そう言い放ち、食事に手を付け始める。
――ううむ……これはまた美味な
「あ、あのぅお箸とスプーンをお使いになっては?」
「……なんだそれは?」
「あっ……とこれです。こうやって食べるんです」
そう言って、千草は2本の棒で上手にモノを掴んで口に運んだり鉄の掬い口に運んだりしていた。
「何の為にそれを行う?」
――手の方が食べやすそうだ。
「えっと……あの、汚れるじゃないですか手が」
「洗えばいいのではないか? 水不足なのか?」
「いえ、あの……別にそうでは無いです、はい。お好きにどうぞ」
そう言った千草が何だか困っている様子だったので、興に存じて人間どもの真似ごとを少しやってみることにした。何も実践もせずに、その所業を否と断ずるほど器量の狭い我では断じてない。それに、少なくともこの女は最低限の礼儀は備えている。礼には礼で応じなければならぬ。
「……それを貸せ。やってみる」
「はっ、はい! どうぞ」
千草は嬉しそうに『箸』とやらを差し出した。
――うーむ、しかし扱いが難しいな。
食材を刺して食べると、千草が凄い残念そうな表情を浮かべるので何とか真似ごとで掴もうとするが、
「あの……スプーンの方が簡単ですよ?」
そう千草が恐る恐る鉄の掬いを差し出した。
「……我には『箸』が扱えぬと言うのか?」
それはアレか。この『箸』と言うのはあくまで人間のような器用さが必要で我ら魔族にはそんな繊細な所業は出来ないでしょうって事か?
「いえいえいえ! そんな事は決して。お好きにどうぞ、はい」
白い柔らかい『ご飯』と言う食べ物は何とか掴める。問題は『五目豆』と『ひじき』だ。これは中々コツがいる……よし、しかし段々つかめて来たぞ。
「それ毒入ってるわよ」
ブフ―――――ッ! な、なんだとぉ!
「な、何言ってんの花ちゃん!? 嘘よ嘘! 毒なんて入ってません」
千草が慌てて弁明する。
「花……貴様、我を謀ったのか?」
「……」
――無視するな―!




