第五話
袁紹との面会が済んでしばらくしてから、正式な呂布の歓迎の宴が開かれた。
袁術の時とは違い、呂布だけでなく張遼や郝萌と言った旗下の武将はもちろん、賊将であった魏越や成廉、さらに家族も招かれていた。
呂布軍や袁術の援軍も別席を設けられ、そこで行軍の疲れを癒している。
一通り歓迎を受け、呂布の家族が退席した後、袁紹の懸念した通り呂布軍の配置について多少揉めるところがあった。
まず、援軍をどこに配置するかで一悶着起きた。
呂布の目には袁紹軍の軍師集団には大きく分けて二派の派閥がある様に見え、意見が真っ二つに別れ、収集をつけづらくなっている。
そもそも最大の敵は公孫瓚であるのだから、援軍は公孫瓚軍に備えるべきであると言う主張と、後方に不安を抱えて戦う事は無用の被害を招く為、呂布と言う精鋭は公孫瓚ではなく黒山の賊軍にこそ当てるべきと言う主張である。
先の袁紹との会見では袁紹の方から黒山の賊軍の事を振る予定だったが、その必要も無く会話の中に出てきた。
その為、呂布は袁紹から言われていた通りに率いてきた袁術軍の援軍は公孫瓚に備え、自分の兵だけで黒山の賊軍に当たる事を提案する。
すると袁紹が言っていた通り、すぐに呂布に対して袁紹軍からも兵を出すと言う話になった。
これは袁紹の読みの素晴らしさなのか、それともそう言う風に誘導する様に提案した軍師がいるのかは呂布にはわからないが、少なくとも公孫瓚に備えるべきと主張していた派閥の意見は一転して、呂布は黒山の賊軍に当たる事が決まった。
しかし、袁術軍からの援軍といっても実数は二千程度。呂布が率いていたのが三千程度で、残る五千近くは魏越と成廉の帰順した賊軍である。
そこで郝萌と曹性の袁術軍の援軍の他、魏続と侯成に呂布軍の二千を預けて公孫瓚軍の備えに回ってもらい、高順には三百の呂布軍の兵で呂布の家族の警護を、呂布と張遼、魏越と成廉と残りの兵で黒山の賊軍に当たる事になった。
その編成では呂布軍の精鋭は七百程度しか残らないのだが、主力となるのは袁紹軍から出される兵となる予定であったので、それほど大きな問題にはならないはずである。
また、袁紹軍からは顔良の他、張郃と宋憲、軍監として面識のある審配と袁紹の信任も厚い若手を代表する形で郭図が選出された。
ちなみにではあるが、一兵卒ではあるものの趙雲も同行する事が張郃から伝わってきた。
「趙雲は出て行くとか言ってなかったか?」
「いや、同行させます。嫌とは言わせませんって。場合によっては首に縄を付けて、引きずってでも連れてきます。本物ってヤツを思う存分見せつけてやって下さい」
呂布としては趙雲に思うところがあっての行動なのだろうから、それを優先させるべきではないかと思ったのだが、張郃は無理矢理にでも同行させると言っていた。
実際に趙雲はまだ袁紹軍に残っていた為、首に縄を付けるまでもなく同行の意思はあったらしい。
黒山の賊軍討伐の為に出た兵力が、呂布の混成軍が五千強、袁紹軍から八千近く、合わせて一万三千の軍となった。
袁紹軍の八千の内、五千が袁紹軍の正規兵であり、三千は顔良の侠客時代からの私兵と言えるような者達である。
「ま、どこの連中も同じ様なものでしょうが、荒っぽい連中ですよ」
張郃が呂布にそう説明した。
「情報をもらうのは素晴らしく有難いんだが、張郃将軍は袁紹軍所属だろ? 何故ウチの方に自然な形で参入してるんだ?」
「それは凄く簡単な理由ですよ。俺は呂布将軍が好きで、顔良の野郎が嫌いなんです」
張郃はさらりと言う。
こう言うところはいかにも張郃らしい。
黄巾の乱の頃から袁紹軍には合わないと言っていたのだが、相変わらずのようだ。
「袁紹軍って、とにかく身分が大事なんですよね。まず立場や階級があって、その身分やら立場やらが高い人の評価やら評判やらがあって、さらになんやかんやあって、実力が有るかどうかはその後なんですよ。そんな訳で俺や趙雲はこんな扱いなわけでして」
「趙雲はともかく、張郃は日頃の行いなのでは?」
「うるさいよ、文遠君」
張遼の言葉に、張郃はそんな反応を返す。
特別ひねくれものと言うわけでもないのだが、何かとクセの強い張郃である。
武将としての能力の高さは際立ったものがあるのだが、その性格が災いして袁紹軍の中では悪目立ちしてしまい、その能力ほど高く評価されていない。
「大体、おかしいんスよね。戦って別に身分とかでするわけじゃないっしょ? むしろそれらの武勲で身分やら階級やらが高くなるって訳で、親から継承した身分が高いからって能力が優れているって保証は無いわけで。正直、俺とか趙雲の方が袁紹軍の大半の武将より優れてると思うんですよ」
「思うのは勝手だけど、口に出すから嫌われるんですよ」
「出ちゃうんだよなぁ、つい」
張郃と同行している趙雲からも言われ、張郃はため息混じりに言う。
「そう言う趙雲も何故ここに?」
「私は将軍達とは違って、自由の身。もう袁紹軍の兵でも無い訳ですから、どこに行くにも誰の許可も必要ありません」
張遼の質問に、趙雲は堂々と答える。
これはこれで問題がありそうな人物でもある。
「張郃将軍、ここにいたか。呂布将軍、少々困った事になりました」
馬で走ってきたのは、審配である。
「うわ、見つかった」
「見つかった、ではない。貴殿は袁紹軍の将軍だろう。あまりに規律を無視すると、さすがに罰せざるを得ないぞ?」
「いや、決して規律を無視している訳では無いッスよ? これでも呂布軍の内情を探ると言う重要な任務を受けていますので、その為にも呂布将軍の近くにいると言う次第で」
張郃はすらすらと流暢に言い訳している。
完全な虚偽と言う訳では無いと思うが、そこまで露骨に自分が間者である事をバラしても良いのだろうかと、呂布の方が心配になる。
「それで審配殿、困った事と言うのは?」
張郃の事は袁紹軍の問題なのでそちらで解決してもらう事にして、呂布はこちらにも関わりそうな問題の方に目を向ける。
「この戦は袁紹軍の援軍として呂布将軍に来ていただいた戦だと言うのに、援軍である呂布将軍が戦わないのはおかしいと言い出す輩がいまして」
「郭図ッスね」
せっかく審配は個人名を出さずに説明していたと言うのに、張郃がその名を口にする。
まあ、消去法で考えれば二択か三択になってしまうのですぐに分かる事でもあった。
「とにかく作戦を新たに練り直す為の軍議が必要との事ですので、今日の行軍はここまでにして、急ぎ幕舎の設営に移っていただきたいとの事。理不尽に感じるかもしれませんが、総大将である顔良将軍からの正式な命令であれば無視する事も出来ません」
「わかりました。設営が済み次第、そちらに向かうと顔良将軍にお伝えください」
まだ日中であり、行軍が遅れればそれだけ黒山の賊軍にも対応の時間を与えてしまう。
何より公孫瓚にも、現在賊軍との交戦のために二正面作戦を行っている事を知られてしまう恐れもあるのだから、これは上策とは言えない。
呂布はそう思ったのだが、それでも立場から考えると強く主張出来るものでもなかった。
呂布達は設営を終えると、本隊の方へ向かう。
呂布軍にとって基本的な設営と言うのは、雨風を凌いで一息付ける、あるいは横になって眠れる様にする状態にすれば完成と言う程度である。
成廉や魏越のような元賊軍にとっても同様であり、それに対して不満や不平を言う事は無い。
そんな彼らだったから、袁紹軍の設営を見た時には言葉を失った。
別にここに永住するわけでもなかろうに、と思うようなこだわりを見せる幕舎と、そこまでやる必要があるか疑わしいくらいに整然と並べられる天幕、乾燥させた食料をかじって飢えをしのぐと言う認識だった兵糧も、袁紹軍では妙に手間をかけた炊き出しの準備が行われている。
なるほど、これであれば日中から設営にかからなければ夜に休む事は出来そうにない。
だが、ここに使われている労力はまったく必要の無い労力なのではないか、と呂布などは不思議に思う。
しかし、案外これくらいきっちりやった方が疲労回復も見込めて、実は効果が高いのかもしれないと考えながら、総大将である顔良のところに向かった。
一泊するだけだと呂布は思っていたのだが、もしかするとここを拠点にして黒山の賊軍と戦うのではないかと疑うほど、立派な幕舎を用意しているものの、まだ完成しそうにない顔良の幕舎の前に集合する。
「これは呂布将軍。さすがに実戦で鍛えられているだけあって、この様な雑務であっても手早く処理されたみたいですな」
顔良は椅子に座った状態で兵の動きを監視していたみたいだが、呂布達が到着したのを知っても立ち上がろうとせず、そんな挨拶を返す。
それは労をねぎらうと言うより、雑務に対する慣れを蔑んでいる様にしか聞こえない。
実際に顔良の言葉に呂布以外の表情が険しくなり、張郃は苦笑いしている。
「何だ、まだ幕舎の準備も済んでいないのか。我々に恥をかかせるつもりか」
どこにいたのかも分からない郭図がやって来ると、兵を叱咤している。
そう言うなら手伝えよ、と言いたそうな雰囲気は感じられたが、それを口にするとより大変な目にあう事を知っているのだろう。
兵士達は最低限の返事だけを返して、作業に従事していた。
「いや、まったく作業効率が悪くてお恥ずかしい限り。すでに設営を済ませていると言う呂布将軍の手際の良さと、よく訓練された兵士達が羨ましいですな」
郭図も顔良と同様、労をねぎらっている様にも賞賛している様にも聞こえず、ただただ仕方なしに社交辞令を口にしているだけにしか聞こえない。
袁紹本人にはそんなところは感じなかったが、内情としては袁術軍の無意味な自意識の高さと同じ症状が袁紹軍の中にも見受けられた。
「そんな事より、事ここにいたっての作戦変更とはどういう事か。不必要な作戦変更は兵の不安を呼び、ひいては指揮系統に支障をきたす恐れがある。顔良将軍は何かお考えあっての事でしょうな?」
審配が噛み付きそうな勢いで、顔良に詰め寄る。
「ああ、それは私ではありませんよ。軍監の郭図殿の指示で、私はそれに従っただけです」
しかし顔良は最初から審配と論戦するつもりは無かったらしく、郭図の方へ丸投げして審配をかわす。
「審配殿の言い分、まことにごもっとも。ですが、戦況とは刻一刻と変化するものであり、我々軍師はその状況を見極め、思考を流水の如く自由に変化させるべきもの。最初の作戦に固執するのは、それこそ危険なのではありませんか?」
郭図は審配に向かって言う。
「もっともらしい事を言っているつもりかもしれないが、まだ敵の姿も見せず、それどころかまともに情報すら入手していない状態で、なにが状況を見極めるだ」
「いやいや、審配殿の言い分はまことにごもっともですよ。ですが、作戦を立てる上で、呂布将軍とその軍の実力についてまったく未知である事に、私は不安を覚えるのです。そこで、多少なりとも実力を教えていただきたいと思って、当初の作戦から変更したのですが、それについて何か問題でも?」
感情的になっている審配に対し、郭図はあくまでも冷静に言葉を紡いでいる。
言い分としては、そこまでおかしな事を言っているように呂布は思えなかった。
呂布が袁紹軍の実力を詳しく知らないのと同じ様に、袁紹軍も呂布の実力を正確には知っていない事は、さほど不自然な事ではなく、またその為に作戦を立てにくいと言うのも分からない話ではない。
そう考えると、郭図の言い分は相手に対する思いやりにはかけているものの、そこまで理不尽な事でもない気がしていた。
「いや、怒っていいと思うッスよ? いくらなんでもお人好しに過ぎると言いますか、好意的解釈も度が過ぎると言いますか」
張郃は呂布に向かってそう言うが、呂布は不思議そうに首を傾げる。
「そうかなぁ。別におかしくはないと思うけど」
「無理だよ。呂布将軍はこんな人だから」
すでに説得を諦めた張遼が、首を振って言う。
「人の話はアテにならない事は知っていましたが、ここまで印象が違うとは思っていませんでした。と言うか、張郃将軍。この人は『ホンモノ』なのですか?」
「お? 何だ、子龍、その疑いの眼差しは。実力と言う意味でも、本人と言う意味でも間違い無く本物の呂布将軍だ。見てから腰抜かすなよ?」
趙雲に対してそんな軽口を叩いていた張郃だったが、それでも郭図から提案された新たな作戦を聞いた時には言葉を失っていた。
「そんなものが作戦だと? 冗談にも程があるでしょう!」
真っ先に抗議したのは張遼だった。
「冗談? この程度の事であれば、顔良、文醜であれば難なくこなせる程度の事。天下の名将である呂布将軍であれば造作もない事でしょう」
「そう考えるのであれば、客将である呂布将軍ではなく顔良将軍を使うべきところ。決して上策では無い」
張遼と同じく、審配も強く抗議している。
「まあ、どう言われても構いませんが、それは命令違反と捉えますよ? 実際に総大将は顔良将軍で軍監はこの郭図である事には変わらないのですから」
「無謀な作戦には諫言を用いるのが忠臣のなすところ。それとも郭図殿は最初から周りの者の意見に聞く耳を持たぬと言われるか」
審配は食い下がったが、郭図の方はこれ以上話す事は無いと言う態度を崩そうとしない。
「援軍とは戦う為の助力であるはず。それとも呂布将軍は我ら袁紹軍にのみ血を流させ、自らは高みの見物をした上で援軍の功を誇るおつもりかな?」
「いや、俺はやらないとは一言も言ってないですけど?」
呂布は不思議そうに首を傾げる。
「は? あ、ああ、ま、まぁそうですが」
「具体的にどの様な人員と、どの様な配置をお考えかを伺いたいのですが、それも命令違反や越権行為に当たりますか?」
「い、いえ、そのような事は……」
呂布の反応が予想外だったのか、郭図は言葉を失っている。
「では、詳しくお聞かせ下さい。その上で、こちらも意見させていただくかもしれませんが、その時には改めて一考していただければと」
呂布は丁寧に郭図に言う。
その反応がよほど想定外だったのか、郭図も顔良も審配や張遼に対しての様に言葉が出てこなくなっていた。
袁紹の二枚看板の片割れ、顔良
ぶっちゃけ、よくわからない人で孔融からは袁紹軍を代表する豪傑と評され、荀彧からは話にならない雑魚呼ばわりされると言う、極端すぎる評価でしょう。
本編では侠客出身としてますが、袁紹軍で将軍位にあるという事を考えると一軍に匹敵する勢力を持参して、袁紹軍に加わったのではないかと思われます。
曹操軍で言えば青洲兵並の実力と勢力でなければ、袁紹軍での影響力を持てなかったのではないでしょうか。
荀彧は袁紹軍の面々を低く見る傾向があり、まあその通りでもあるのですが、顔良は相当な実力者だったのかもしれません。
もしかすると、由緒正しき家柄の将軍だった可能性もあります。
が、本編の顔良の様にオネエではなかったでしょう。
ちなみに本編中に張郃が袁紹軍では低く見られているという感じの事を言っていますが、実際には名前が出てこないだけで、さほど低く見られてはいなかったみたいです。




