第二話
何故かは分からないのだが、呂布は簡単な戦に参加して武勲を上げてきたと思われている節がある。
特に手柄にうるさい董卓軍の時はその傾向は顕著で、呂布は自分に有利な戦場で戦う事を好み、そこでいかにも大きな手柄を立てた様に見せる、と言うものである。
また、陽人の戦いでも討ち取った武将がいない事や、戦った武将達がそもそも無名だったなどとケチをつけられる事も多かった。
が、当然の事ながら、呂布の戦場は言われるほど楽な戦場と言う事は無く、呂布の非常識な戦闘能力を持っていなければ勝利どころか生還する事すら難しいものだった。
荊州に住んでいた頃には丁原から過酷な戦場に送られる事も多く、陰謀渦巻く黄巾の乱では妖術を駆使する十倍以上の兵を相手に戦った。
洛陽では少数の丁原軍で、圧倒的多数で董卓自らが率いる勇猛果敢な董卓軍と戦い、董卓に肉薄して撤退させる事に成功している。
反董卓連合が勝利出来なかったのは、李儒の策や華雄の武勇も大きかったが、やはり呂布と言う高過ぎる壁が立ちはだかった事が問題だった。
郿塢城近辺での戦いでは、装備に優れる賊に扮した袁術軍を相手に実戦経験もほとんどない皇甫酈に手柄を立てさせると言う困難な戦場で、それを見事にやってのけた。
「それと比べれば大した事ないだろ?」
身内にもそう思っている者もいたらしく、高順は簡単そうな口調で呂布に言うが呂布は眉を寄せて高順を睨む。
郿塢城近辺での戦いに近いと言えなくもないが、あの時には率いていたのが呂布の精鋭だけではなく董卓軍であった事と、何より賈詡が勝つ為の策を用意してくれていた事が大きな勝因である。
今回は相手が賊である為、郿塢城近辺での戦いの時より相手の装備が優れていると言う事が無い事と、相手の規模がさほど大きくない事は今回の方がマシと言える。
しかし、今回は率いる兵の士気が低い事と魏続や侯成と言った実戦経験に乏しい者も多いと言う事、軍師として極めて優れる賈詡の様な存在がいない為、ほぼ無策である事などは大きすぎる懸念材料だった。
「そんな肩肘張らなくても良いでしょう」
張遼も気軽にそんな事を言う。
生真面目な張遼にしては、珍しい反応だった。
「どんな敵にも油断しない呂布将軍はさすがだと思いますよ。だから、いつも通りの戦い方で十分でしょう」
「いつも通り?」
「はい。先頭に呂布将軍、左右に魏続、侯成、中軍に俺と郝萌。高さんにはご家族と非戦闘員を守ってもらう配置で。戦法は、まずは遠距離から弓矢で攻撃。相手がそれでも突進してきて距離が詰まったら、こちらも接近戦で迎撃。時を見て両翼を動かして圧迫して、敵が戦意を失ったら降伏を勧告する、と言う感じで」
「まさにいつも通りだな」
張遼の発案に、高順が大きく頷いている。
「そんなに上手くいくものかな?」
慎重な呂布は首を傾げながら、それでも張遼の提案した通りに兵力を配置する。
今回の戦いの目的は、新兵に勝利の味を教える事であり、必ずしも実戦経験を積ませる事ではない。
物凄く極端な話をすれば、袁術軍からの新兵達は非戦闘員扱いで、以前からの呂布軍だけで賊を討伐してしまっても良いくらいなのだが、それでは一体感と言うものが生れず、それどころか疎外感が生まれかねない。
そこで最後の締めを任せる形にする。
魏続、侯成共に実戦経験が乏しく指揮能力には不安を抱えるところではあるが、戦闘のほとんどを呂布が担当する事になる上に、兵を動かす指示は中軍に控える張遼が出すのだから、それに従えばいいだけである。
敵の情報は非常に少ないが、この近辺を縄張りにしている者であるらしく、成廉と魏越と言う二人の実力者が首領であるらしい事が、袁術軍からの同行者である曹性からの情報で分かった。
どうやら袁術軍で成廉と魏越討伐は編成された事があったらしいのだが、さほど規模が大きくない事と、その割に面倒な実力を持っていた事もあって放置される事になったと曹性は呂布に話すが、郝萌は認めていない。
「敵将に問う。我は無用の戦を好まず。我の道を阻まねば、こちらも血を求める様な事はしない」
呂布は高らかに宣言する。
「懲りない連中め! その手には乗らん!」
お互いに使者を送るでもなく、よく通る声で直接言い合っていた。
「呂布将軍、向こうの弓も届きませんかね?」
「まだ届かないだろうな。仮に届いても盾で防ぐ事も出来る距離だし、矢を射掛けて来ないところを見ると、向こうもその距離を保っていると言う事だろう」
張遼の質問に、呂布は答える。
正確な距離を測れると言う事は、それだけで実力の高さを示す。
同数程度の戦闘ともなれば、ついつい気持ちが焦って先手を取ろうと矢を射掛けたくなるところであるのだが、あえてそれを誘い空射ちさせる事で矢を無駄にさせて士気を落とす事も出来る。
呂布はそこに期待してもいたのだが、向こうも同じ事を狙っていたのだろう。
だが、本来であれば正しい選択であったはずが、今回は失策である。
お互いの軍の矢が届かないからと言って、この場にいる全員の矢が射程外であるとは限らないと言う事を、相手は知らなかった。
「もう一度、問う。行く手を阻まなければ、無用無益な戦はしない」
「甘言になど惑わされぬ! 我ら、袁家と言うだけで無条件に頭を垂れるような事は無いぞ!」
呂布の言葉に、相手の返答は怒りに満ちていた。
「……袁家、案外評判悪いのかな?」
「っぽいですね。まぁ、まったく分からない話でも無いでしょうけど」
袁術や郝萌の態度や言動を見聞きしていると、確かに分からない話ではなかった。
「俺達、袁術とは関係無いぞ、と言っても通じないかな?」
「言葉だけでは通じないでしょうね。我々が呂布軍である事を実力を持って知らしめれば、あるいは効果があるかもしれませんけど」
「やっぱり、そこなのか」
呂布はそう呟くが、そこは張遼の言う事の方が正しいと言うのも分かる。
これまでの経緯を呂布は知らないが、少なくとも成廉や魏越にとって袁術軍は信用出来ないと言う何かがあったのだろう。
ここで俺達は呂布軍だ、と言ったところでそれを鵜呑みにする事は有り得ない。
「我々は袁術軍にあらず! 呂布軍である!」
それでも呂布は自ら名乗り、呂布軍の旗を掲げさせる。
「語るに落ちたりとは、まさにこの事! 言うに事欠いて呂布の名を語るとは! 家柄だけではなく虚名まで語って自らを大きく見せたいか、袁術め!」
残念ながら、しごくもっともな答えが返って来た。
「確かに嘘臭くはあるんですよね。事実なんですけど」
これには張遼も苦笑いしている。
政変の事を知らなければ、呂布は都にいるはずの人物であり、こんなところにいるはずもない。
それでもさほど高位についているわけでもない呂布の名が全土に轟いているのは、やはり陽人の戦いの影響が大きかった。
中でも劉備三兄弟との戦いは広く語られ、講談師達の飯の種になっている事は呂布も知っている。
それであれば尚の事、ここで呂布の名を出すのは嘘臭く、成廉や魏越が袁術軍が語った虚名であると判断するのもやむを得ない。
「さて、仕方が無いからここは俺が呂布である事を示すとするか」
呂布はそう言うと、弓矢を構える。
「将軍、一般的に『呂布奉先』は赤兎馬と方天戟の英雄と思われていて、弓の印象はさほど無いかと思いますけど」
「え? 長安では飛将軍李広に例えられていたって聞いたけど。李広と言えば弓じゃないのか?」
「いや、弓の名手であった事は疑いないんですけど、それはあくまでも李広将軍の話であって、呂布将軍の話ではないのでは?」
「それじゃ、知ってもらうとしよう。それと、ついでにでも構わないから、俺は周りで言われたり思われたりしているほど戦好きじゃない事も知ってもらおう」
「それも無理じゃないですかね?」
張遼は他人事の様に言う。
人並み外れた武勲を上げてきた呂布は、実際以上に好戦的な人間に思われがちである。
本人にはまったくその気はないのだが、孫策からも自分の同類だと思っていたと言われるほどだった。
お互いにまだ射程外だと思っている成廉と魏越の軍ではあるが、それでも警戒は怠っていない。
「相手の将を射抜くんですか?」
「いや、それだと余計な血が流れる事になりそうだから、旗を撃つ」
呂布はそう答えるが、双方が射程外と思っている距離である上に、旗が最前列に並べられているわけでもない。
そこを撃つと言うのは、簡単な事ではないどころか至難の業である。
はずなのだが、呂布は一矢で『成』と書かれた旗指物を射抜き、へし折って見せた。
まず、そこまで矢を届かせる事がそもそも困難であるのだが、呂布の放った矢はまるで吸い込まれる様に旗に向かって飛び、その威力も衰える事を知らない。
旗を折られた成廉の軍は一気に騒然となり、一斉に呂布軍に向かって矢を放ってくるが、それは呂布軍にまで届かず地面に刺さっていく。
さらに呂布は二矢目を放ち、二本目の旗を折る。
圧倒的な飛距離と、驚異的な貫通力。そして神懸りな命中率の強弓は、敵軍から士気と冷静な判断力を奪い去っていく。
それこそが、呂布の強弓の最大の脅威と言えた。
どれほど非常識な飛距離と威力を持つと言っても、それを放てるのは呂布一人であり、この強弓を部隊で打ち込んでくると言う事はない。
また、いかに神業と言える技量を持つ呂布と言っても、この距離からであれば動かない旗指物を射る事は出来ても動く兵や武将を射抜く事など出来るはずもない。
つまるところ虚仮威しでしかないのだが、だからと言って実際に打ち込まれる矢に恐怖と重圧を感じるなと言うのも無理な話である。
もし相手に賈詡や李儒のような優れた軍師がいれば、あるいは曹操の様な戦巧者であれば対策も打てるだろう。
しかし、そうでもない限りはその飛び道具の脅威から逃れる為だけに、呂布に対して突撃して接近戦を挑むと言う、無謀極まりない選択をしてしまうのだ。
分かっていても回避する事が困難な戦法なのだが、呂布自身がその効果を正しく認識していないので、この戦法でも呂布は慎重さを失う事はない。
張遼と高順は、相手の事を見くびってこの戦法を取ったのではなく、これこそが呂布奉先の戦い方なのだ。
そして、この一切特殊さの無い基本的な戦い方は、新兵を鼓舞するのであればこの上ない効果を発揮する。
何しろ訓練の時と実戦の時で求められる事が変わらない、と言う安心感があるのだ。
苦し紛れに突撃してきた成廉と魏越の軍だったが、呂布だけでなく呂布軍から矢を雨の様に射られ、多大な犠牲者を出しながら呂布に接近戦を挑んできたが、その時にようやく自分達が致命的な失敗を犯した事を思い知らされた。
待ち構えるのは真紅の巨馬に跨る、黄金の鎧と方天戟を手にする勇士。
実際に面識は無くとも、その人物が誰か分かるほど特徴的な武将が、そこにいた。
それでもまだ、ただ有名であるが故に扮装してそれらしく見せているだけで、本人では無いかもしれないと、もしそうであるのならまだ戦いようはあると、あまりにも儚い希望に縋っているのが分かる。
だが、その夢想は一合で霧散する事になった。
呂布の戟は、逃げ出す直前と言う極限状態の兵士達の心の拠り所となっている剣や盾に向かって繰り出される。
並の者では見る事も出来ない閃光の如き突きは、兵士達の手から盾を弾き飛ばし、剣をへし折っていく。
「まだ挑んでくるか!」
呂布が一喝すると、それだけで手近な兵士達は我先にと逃亡していく。
それに合わせて張遼が合図を送ると、両翼の魏続と侯成の軍が十歩ほど前進して包囲を思わせる動きを見せる。
これにて勝負あり、だった。
成廉と魏越の率いる軍は、これ以上戦闘する事が出来る様な状態では無くなった上に、相手が袁術軍ではなく本当に呂布だったと分かったので、戦う理由も無くなった。
何より、勝てる見込みが無いのだから、戦闘を続けたところで殺されるだけである事は誰よりも成廉と魏越がよく分かっている。
この圧倒的な勝利によって、新兵達は自分達の大将が尋常ならざる実力者である事を知り、それによって逃亡者も出なくなった。
また、成廉と魏越も呂布軍に加わる事を望み、呂布軍は袁紹のいる河北へ援軍として到着する頃には、一万を超える軍勢となっていた。
成廉と魏越
呂布軍の武将の大半がそうだと言っても良いのですが、この二人も正史、演義の両方でいつの間にか呂布軍に参加していて、いつの間にか名前が出てこなくなっている武将達の中に含まれます。
そんな訳で、本編では賊軍の大将と言う事になっていますが、おそらくはちゃんとした武家の生まれの武将だったのではないかと思います。
それでも一応成廉の方は演義で言うところの八健将に含まれていますので、実力の方も悪くなかったはず。
まぁ、この時の呂布軍は人材不足も甚だしいので能力云々は問題にされていなかった恐れもありますが。
魏越に関してはそんな人もいた程度の情報しかありませんので、こちらで好き勝手にやらせてもらおうと思います。




