第六話
「おお、呂布将軍。お会いしたかったですぞ」
満面の笑みを浮かべる袁術の歓待はあまりにもわざとらしく、さすがにこれは何かあるとお人好しな呂布でも警戒するほどだった。
「この度は快く受け入れていただき、誠にありがとうございます」
「なんのなんの。天下の名将軍たる呂布将軍の窮地とあれば、この袁術でなくとも誰もが手を差し伸べるでしょう」
露骨に嘘くさい笑顔と本心からの言葉とは思えない美辞麗句には、その言葉とは真逆の結果がついてくるのを覚悟させられた。
「いや、もてなしもせずに申し訳ない。座ってくれ」
袁術はそう言うと、宴席を設ける。
その宴席はさすが名門袁家と言うべき豪勢さで、董卓の主催した宴席にも劣らないだろうが、董卓の宴席より上品だった。
が、それは手放しにと言う訳ではない。
袁術軍の主だった武将や軍師達は参加しているが、孫策軍からは孫策と黄蓋、程普くらいしか参加を許されていないらしく、地味な韓当や幼馴染だという周瑜の姿は無かった。
それは呂布陣営も同じで、この場に参加を許されたのは呂布と張遼のみであり、高順はもちろん妻や娘でさえここに入る事は許されていない。
袁術にとって媚を売るべきは呂布のみであり、その家族のような付属品には気を遣う必要無し、と言う事なのだろう。
合理的と言えなくもないが、あまり接待上手とは言えないやり方だ。
呂布自身もお世辞にも接待上手とは言えないものの、そこは多少ズレているものの世話好きな厳氏や社会の事に詳しい高順などがいるので、ここまで露骨な事はしない。
「将軍、一応ご家族は俺の方からも公瑾をつけてますから、心配いらないと思いますよ」
孫策が呂布に酒を注ぎながら言う。
「ウチからも高順がついていてくれると思うが、わざわざのお気遣いありがとう」
呂布は笑顔で頷く。
「しかし、袁術と言うのは慇懃無礼なヤツですね」
「それが透けて見えるところが、袁紹と袁術の違いなんだろうな」
張遼は不満のようだが、それに頷く様に孫策も言う。
この宴席も呂布を歓迎すると言う名目で行われているはずなのだが、むしろ袁術軍の威容を見せつけて呂布を威圧する事が目的だと言う事が分かる。
賓客として呼ばれたはずの呂布達を下座に置き、袁術はともかく自軍の武将達を上座に置いている事から、心の底から歓迎しているつもりはない事も、ここまで来ると最初から隠すつもりが無いのではと思ってしまう。
こうなると上品な礼楽も空々しく、適当に料理だけ楽しんで切り上げた方が得策なのかもしれない。
「どうですかな、呂布将軍。楽しまれていますか?」
袁術が上座からわざとらしく尋ねる。
「将軍に酌をしているその若武者は、かの江東の虎と称された猛将孫堅の忘れ形見、嫡子の孫策伯符と言いまして、ここいらの若手の中では随一の武将ですよ。なあ、伯符よ」
「恐れ入ります」
孫策は頭を下げるが、こちらも袁術に負けず劣らずの社交辞令である。
「だが、男の酌では華があるまい」
「女装でもしますか? 俺、わりと化粧したらイケると思いますけどね」
「伯符! 戯言を抜かすな!」
孫策の言葉に、うるさ型の李豊がすぐに怒鳴りつけてくる。
「冗談ですよ。いくら俺でもそんな事しませんって」
と孫策は言うが、これは李豊に言ったのではなく呂布や張遼に向かって小声で言っている。
「はっはっは。面白いヤツでしょう?」
「ええ、古今稀に見る大器。俺に息子はいませんが、もし息子に持つならこの様な英雄になって欲しいものです」
何故か袁術が自慢しているので、呂布はそれに乗る形で孫策を褒める。
「呂布将軍、無理に猿に合わせなくて良いですよ」
それは聞かれたらまずいだろうと言う事を、孫策は小声であってもわりと平気で口にする。
「時に呂布将軍。この袁術から頼みたい事があるのですが、よろしいかな?」
「どうぞ、なんなりと」
この状況ではよほど理不尽な事でもない限り断ることなど出来ないのだから、呂布は素直にそう答えた。
「呂布将軍はこの寿春滞在をお望みのようだが、実は困った事があってな」
袁術はわざとらしくため息を付く。
「我が従兄弟に当たる袁紹が、領地に現れた賊に苦戦しているらしくこの私にも援軍を求めてきているのだ。確かに寿春にはそれ相応の軍備はあるものの、近くには将軍を追い出した旧董卓軍が収める長安がある以上、防備を弱める訳にはいかないのだ。どうだろう、呂布将軍。この袁術を助けると思って、袁紹への援軍を引き受けてもらえないだろうか」
袁術が下した判断は、呂布を寿春には留めないと言うものだったらしい。
「お待ち下さい!」
すぐに張遼が立ち上がって抗議する。
「我々呂布軍の総数は三千を下回り、奥方や家人といった非戦闘員も含まれます。また物資も乏しく、とても河北まで行く事など出来ません!」
「ふむ。呂布将軍は良い家臣をお持ちだが、ちと性急だ。伯符、お前と同じだな」
袁術の言葉に、孫策は張遼に向かって肩をすくめてみせる。
「この袁術が天下の名将であり助けを求めている者を、追い払う様な真似をすると思うのか?」
袁術はそう言うと、傍らに控える重臣張勲の方を見る。
「呂布将軍には河北への物資はもちらん、現存の兵力に加えてこの袁術軍からも二千を加え、五千の兵を率いて袁紹殿の収める河北を目指していただきたい」
「何か不服かね?」
袁術は勝ち誇った表情を浮かべて、張遼に言う。
不満点はいくらでもあるのだが、ここでそれを述べてもただ空気が悪くなり、それを過ぎると立場が悪くなるだけと言う事は張遼も分かっている。
「兵はすでに手配してあるので、明日将軍に引き渡す。それらの再編を済ませたら、すぐにでも袁紹殿への援軍へ向かっていただきたい。よろしいか?」
張勲は有無を言わさぬ口調で、呂布に確認を取る。
今すぐにでも出て行けと言わんばかりではあるが、これを断った場合にはそれこそ今すぐ出て行けと言われる事になる。
「一つ確認させていただきたいのですが」
呂布は袁術に言う。
「何かね?」
「先ほど張遼が言った通り、妻や娘はともかく善意だけでついて来てくれた家人達もいます。もし本人達が望んだ場合、その者達は寿春に残る事はお許し頂けるでしょうか」
「それはいかん」
反射的に答えたのは、張勲だった。
「あ、いや、その家人は呂布将軍と共にいた者達。きっと将軍に守っていただきたいと思っている事だろう。この寿春に留まるより、呂布将軍やその家族と共にいた方が良いでしょう」
張勲は慌てて言い訳している。
「間者を恐れてるのでしょうか」
張遼は小声で孫策に言う。
「警戒と言うより、何か変な恐怖症でも発症してるんじゃないの?」
孫策も張遼も相手に聞こえていないからと、言いたい放題である。
「了解しました。共に河北を目指す事にします」
それ以外の答えは、呂布には用意されていなかった。
その頃、外では蓉が何とかして宮殿に忍び込めないかと企んでいたところを周瑜に見つかっていた。
「姫様、それはシャレになりませんよ」
「うわ、見つかった」
蓉は慌てて振り返る。
「えっと……」
「周瑜公瑾と言います。呂布将軍のお嬢さんですよね?」
「蓉って言うの」
「よろしくお願いします」
周瑜は丁寧に頭を下げる。
「でも、宮殿に忍び込むのは重罪ですよ。呂布将軍の立場も悪くなりますので、そんな事は興味本位でやってはいけませんからね」
「はーい」
蓉は素直に従う。
本気で忍び込もうとまでは思っていなかったが、ついつい興味が沸いてしまったのだ。
自分でも自覚しているが、蓉は呂布の娘として生まれたのだから家柄は名門とは言えないまでも悪くはないはずだ。
が、洛陽や長安で周りにいたような令嬢達とは合わず、どうしてもガキ大将達や下人達の方が共にいて楽しかった事の方が多かったので、並外れて活動的になってしまった。
両親共に性格は穏やかで控えめであったものの身体能力の高さは筋金入りなので、蓉の無駄な行動力にも拍車がかかっている。
長安では今は亡き董卓の祖母である悦が特に気に入って、一緒に畑仕事もしていた。
いつもは高順が目付け役として一緒にいる事が多いのだが、今の高順は呂布不在の呂布軍の責任者であり、母である厳氏の護衛も兼ねている。
自由に行動する事が出来ない高順が、今は特にする事が無いと言っていた周瑜に蓉の目付け役を頼んだのである。
「姫様は長安でもこんな事を?」
「いつもじゃないよ? 時々だけ」
「……時々って、どこかに忍び込んでいたんですか?」
「忍び込んだりはしてないよ? 普通に遊びに行ってただけ。ただ、窓からとか入っていたけど」
「それはダメでしょう」
「でも、李儒軍師の家で怒られた事無いよ? 喜んでくれたけど」
不思議そうにしている蓉に、周瑜は苦笑いしている。
「ん? どうしたの?」
「いや、主君の妹にそっくりだと思いまして」
「主君って孫策? 孫策にも妹いるの?」
「いますよ。姫様とは気が合うかも」
「えー、孫策の妹でしょ? 悪いヤツじゃないの?」
「伯符も悪いヤツじゃ無いですよ。と言うより、あいつ何かしましたか?」
「話を聞かずに突進してきた」
「……悪いヤツですね」
これ以上は聞きたくない、と言う様に周瑜は話を区切った。
宮殿に忍び込むのを邪魔された蓉は、そのまま周瑜が呂布陣営に戻ろうと言うのも聞かずに、彼を連れて寿春の散策に出る。
寿春自体は非常に大きな城であり、その城下町も大規模で繁盛しているのだが、蓉は物心ついた時には洛陽に、つい最近までは長安にと天下の都に住んでいた。
それと比べると寿春は清潔ではあるものの、活気と言う点では長安ほどでは無かった。
また、住人達の目付きも蓉は気に入らなかった。
新都であった長安では顧客確保の為と言う側面はあったものの、皇帝の住む帝都であった割に城下町で貧富の差はあっても、出自による差別は少なかった。
この寿春は違う。
周瑜や蓉はその外見から飛び抜けて目に付く容姿なのだが、寿春の住人の目に浮かぶのはその恵まれた容姿に対する羨望ではなく、寿春の者ではない事による蔑みの目だった。
その為、蓉にとって寿春散策はさほど面白いと感じる間も無く飽きてきた。
下手にうろつかれるよりその方が良いと判断した周瑜は、特に寿春を案内するしようとせずに帰路につこうとする。
が、後の天才軍師周瑜公瑾であっても、この時には役職にも無く袁術軍の者達の動向を全て把握出来るような立場ではなかった。
蓉と周瑜の進行方向から、奇妙な一団がやって来るのが見えた。
「姫様、ここはこの道ではなくこちらに行きましょう」
「ん? あいつらを避けるって事?」
周瑜が慌てて道を変えようとしたのに、蓉は首を傾げる。
「アレ、何?」
「面倒臭い連中ですよ」
「え? 面倒なの? じゃ、避けよう」
「そこの女、待て」
蓉と周瑜が脇道に入ろうとした時、その一団の先頭を歩く男から呼び止められる。
「ちょっと遅かった?」
「ですね」
今から逃げるとさらに面倒になりそうだったので、蓉と周瑜はその場に留まる。
やって来たのは、身なりのいい少年だった。
蓉より少し年上で、周瑜より年下くらいの年頃。他の取り巻き達も良い服を着ているが、声をかけてきた先頭の男はさらに身分が高いと分かる衣服や装飾品で着飾っている。
しかし、本人の容姿は周瑜や孫策ほど人目を惹き付けるものではなく、妙に狭い額や濃過ぎる眉、分厚く半開きになっている下唇などは身なりの良さからすると、とても残念な容姿と言っても良いかもしれない。
「これは袁燿様。何かお買い物ですか?」
「ふん。下々の生活を見ていたところだ。して、公瑾。その娘は?」
袁燿と言う少年は尊大な態度で、視線を周瑜から蓉の方に移す。
下卑た目が気に入らない。今すぐにでもぶん殴ってやりたくなるのを、蓉は必死に押さえる。
「こちらは呂布将軍のご息女であらせられます。お父君への来客ですので、ご無礼無きよう、私がお供をさせていただいております」
「ほう、公瑾がな。それは丁重な事だ」
そう言うものの、袁燿は鼻息も荒く蓉に好奇の目を向けている。
「どうだ? この袁燿が娶ってやろうか?」
「……あ?」
あからさまに面倒そうに、蓉が袁燿に向かっていう。
「ふっふっふ、緊張する事は無い。この袁燿、女の扱いには慣れているぞ?」
「……あぁ?」
袁燿は気付いていないらしいが、蓉の雰囲気が変わった事に周瑜は気付いた。
「緊張するな。可愛がってやるぞ?」
袁燿が不用意に蓉に手を伸ばした時、蓉は素早く動く。
袁燿の伸ばしてきた手首を右手で掴むと、飛び上がってその腕を自分に抱き寄せる様にして、両足を袁燿の首に絡める。
そのままキマリそうだったが、蓉が体を伸ばそうとする背中に周瑜の手が当たる。
「姫様、いくらなんでも飛び関節からの三角締めはやりすぎです。って言うか、なんでそんなとんでもない事出来るんですか、そんな服装で」
「じゃ、片腕折るだけで絞め落としたりしないから。それなら良い?」
「ダメですよ、袁術様の嫡男なんですから」
「ちぇっ、つまんないの」
蓉は舌打ちすると、呆然として反応出来ない袁燿から離れる。
まるで重力を感じさせないふわりとした動きは、周瑜でさえ見惚れるほど美しかった。
「あなた、相当強そうね」
「伯符の方が十倍は強いですよ」
あまりの事に袁燿だけでなく取り巻き達も何の反応も出来ない中、周瑜と蓉はその場を離れようとする。
「袁燿様も、他の皆様も、まさか年端もいかない少女に遅れを取った、などと言われる事などありませんよね?」
周瑜が尋ねると、袁燿の取り巻き達は大きく頷いている。
「それはけっこう。では姫君、参りましょうか」
周瑜に促され、蓉は笑顔で会釈すると二人でその場を離れる。
「やるわね」
「これも私の仕事ですから。それより姫様、今後はこんな無茶をしたらダメですよ? ご両親に迷惑がかかりますから」
「うん。これからは相手を見てからやる」
「……まぁ、それで良しとしておきましょうか」
これは手に負えないと判断したらしく、周瑜は苦笑いしてそう答えた。
美周郎こと周瑜公瑾
「イケてる周家の坊ちゃん」と言う意味らしいです。
正史ではその正確は控えてで慎ましく、年上を立てて自分は一歩引く性格だったらしく、軍師の前任者であった程普から『極上の美酒』と評される人物です。
演義ではその才能をひけらかし、短気で傲慢と、いったい何があったのかと思うくらいに敵役になっています。
孔明と同年代に生まれたくなかった的な、正史では言っていない遺言まで残してますが、そんな演義での性格でも嫌われるどころか人気の高い周瑜です。
どうもこの時期は孫策の幼馴染と言うだけで軍属では無かったらしく、厳密に言えば孫策の友人と言う協力者であって配下では無い為、袁術軍に所属しているという訳でもなかったみたいです。
まあ、袁術軍所属であったとしても二十代半ば程度の若者ですので、軍師としての発言権は皆無だったでしょう。
ある意味では、この時こそが袁術飛躍の時だったのかもしれませんが、この時にはまだ袁術はそこまで大それた事は考えていなかったみたいです。
大それた事を考えて行動するのは、あとちょっと先の話です。
ちなみに言うまでもないとは思いますが、おそらくこの時代に飛び関節はあったとしても、三角締めはまだ無かったのではないかと思われます。
袁燿と呂姫との実力差を出したかったので、こんな事になりました。




