第四話
翌日の朝は、意外なほど静かだった。
近くに死者の軍勢は見えないが、黄巾の軍勢がいなくなった訳ではない。
「静かですね、将軍」
荊州兵の一人が、不安からか呂布に向かって声をかけてくる。
「俺達みたいな小物じゃなくて、漢軍って大物の方が気になるんじゃないか?」
呂布が軽く言うのに兵士は少し笑うが、それが気休めである事は分かっている。
黄巾の妖術師が切り札であると思われる死者の軍勢が通用しないとわかり、何かしら別の手を打っている為の準備に時間がかかっているからの静けさだろう。
嵐の前の静けさであったが、ついに黄巾軍が動き始めた。
「おいおい、何だ、ありゃ」
呂布は呆れて、ついつい言葉が漏れてしまった。
現れた黄巾軍は、相変わらず死者の軍勢だと言えなくもないのだが、見た目の衝撃は昨日の死者の軍勢を超えていた。
死者の軍勢の中に陣生や陣平兄弟の様に妙に丸い上半身の者、李醜の様に異常に痩せ細った人物が少なからず混ざっていたのだ。
一人二人でも充分常軌を逸していると言えるのだが、死者の軍勢の中に混ざっている異形の数は百では効かないほどだ。
しかも中には腕が四本あったり、死者の軍勢の様に手足や頭が無いモノまで含まれている。
「アレはナシでしょう?」
「ナシだなぁ」
兵士の呆れ声に対し、呂布も呆れて言う。
ぞろぞろと歩く異形の軍勢は、あまりにも悪趣味で滑稽ですらある。
もしあの連中が見た目通りの実力を有しているのであれば、個々の能力でいえば荊州軍に匹敵するほどの危険度と言える。
「うーん、何も考えずに打って出るのは危険かもしれないなぁ」
死者の軍勢の中に異形が混ざっている状態であり、基本は死者の軍勢なので高度な策略などを用いる事なく前進してくるのみと思われるのだが、実際に戦った呂布はあの異形が怪力な事を知っている。
それが痛みや恐れを持たずに前進してくるのだから、苦しい戦いになった。
と考えながら、呂布は苦笑いする。
苦しい戦いになった、と言うより最初からそうなのだ。
戦う相手の見た目が変わったと言うだけで、勝機の無さや絶望的な物量差は最初から何も変わっていない。
いまさら苦しいも何も無いのだから、全て投げ出して逃げ出すべきだったかもしれない。
そうしなかったのは、この場に高順と張遼がいないからだ。
この場にいない高順と張遼も、それぞれ悪戦苦闘を続けてはいても逃げ出してはいないだろう。彼らが限界まで戦って戻って来た時、呂布が先に逃げ出していたとあっては報われないどころではない。
撤退するのであれば、高順と張遼にも伝える必要があった。
そう考えていた時、事態が大きく変わった。
「将軍! 張遼が、張遼将軍が来ます!」
「何?」
興奮する兵士が指差す方向を見ると、確かに張遼の率いる騎兵が異形の集団の中に突撃していくのが見えた。
「あのバカ、ど真ん中に突っ込みやがった! 文遠を助けに行く。二百で良い、俺について来い!」
呂布は戟と弓と手に、馬に乗って城を飛び出していく。
まずは単身で、呂布が異形の集団に切り込んで張遼と合流しようとする。
しかし、先日の死者の軍勢と比べると、異形の方が若干とはいえ動きが良い。
死者の軍勢は相変わらずなのだが、異形は独自で動いてくる。
ただ、そこに呂布は奇妙な違和感を覚えていた。
細かく調べようともしたのだが、呂布個人はともかく、後続の荊州兵は呂布ほど簡単に異形を突破出来ずにいた。
「将軍!」
呂布の後方から、荊州兵の悲鳴じみた声が聞こえ、呂布は荊州軍を助ける為に死者の軍勢を切り開きながら合流する。
「もう少しだ! もう少しで文遠と合流出来るぞ!」
呂布はそう言って兵士を励まし、危険と思われる異形を薙ぎ倒していく。
その戦いぶりはまさに武神か鬼神かと思うほどで、一度は折れかけた荊州軍の気持ちを立て直し、持ち前の攻撃力を発揮する。
死者の軍勢の中には動かなくなるモノも多くなり、中には逃げ出すモノまで現れ始めたほどだ。
死者の軍勢の中に逃げ出すモノがいる事も呂布の目には奇妙に見えたが、今はそれを考える時ではないと切り上げ、攻撃に専念する。
その結果、ついに荊州軍は異形の軍勢の一角を突き崩し、張遼の騎兵と合流する事に成功した。
「将軍、ご無事ですか!」
「ああ、文遠。そっちは苦戦しているみたいだな」
「これ以上は戦えないと思って、帰ってきました」
「それで敵中突破は無茶過ぎるだろう。とにかく戻って休め。俺が援護する」
張遼の疲労の度合いは呂布より濃く、五百騎いたはずの騎兵も半数以下に減っている。
「ところで将軍、この敵なんですけど……」
「俺に聞かれても分からないよ」
「……ですよね」
「ただ、見た目ほど怖くない事も分かってる」
呂布は小城に戻る道を切り開くと部隊を逃がし、自身は殿として最後まで残ってから城へ戻る。
「俺も将軍みたいに長柄の武器の方が良いですかね?」
城に戻ると、張遼は自分の剣を見ながら呂布に尋ねる。
「お前ならすぐ身につくだろうから、練習してみたらどうだ? ま、無事に帰れたらの話だが」
「もう少しですよ」
張遼は座り込みながら、呂布に言う。
「ようやく徐州軍が、重過ぎる腰を上げました。連中も黄巾軍と漢軍からの叱責は怖いみたいですよ」
「叱責は怖いだろうな。数はどれくらいだ?」
「聞こえてきた限りでは、漢軍が二万、徐州軍は一万を動員出来るみたいです」
「数の上ではまだ劣っているとはいえ、ようやくまともに戦える数になったな」
呂布がそう言うと、張遼に率いられていた騎兵の大半は倒れこみ、荊州兵の中でも守備兵が彼らを休めるところに運んで行く。
「よく生きていたな、文遠」
呂布も自力で立ち上がる事の出来ない張遼に肩を貸し、部屋に行くと張遼に言う。
「むしろ将軍の方が、ですよ。たった千人でどうやってあの集団から守りきったんですか? とても信じられません」
「質の違いだよ。俺達の荊州兵は一人で黄巾十人分だ。勝つ事は難しくても、負けない事であればなんとかなるものだ」
「将軍だからですよ。俺や高さんじゃとてもそうはいきません」
張遼はそう言った後、呂布を改めて見る。
「将軍、漢軍は二万、徐州軍が一万。そこに俺達が加わってもまだ黄巾軍の方が多いですし、あの薄気味悪い死者の軍勢もいます。しかも漢軍はまだしも、徐州軍は正直数が揃っても戦力としては見込めるとは思えません。俺達だって、戦う余力は残っていないでしょう」
「さすが文遠。疲れていても、良い判断だ」
呂布は大きく頷く。
「それで、将軍のお考えは?」
「後はここに引きこもって、漢軍と徐州軍に戦ってもらうさ。で、高順が帰ってきたら、俺達も帰る。それくらいしか出来ないだろう?」
「はあ?」
張遼は目を見開いて驚く。
「え? ここまできて手柄を譲るんですか?」
「譲るも何も、俺達には戦う兵力も余力も無い。生きてさえいれば、手柄なんていくらでも立てられるんだから、今は生きて帰る事を考えよう」
武神と恐れられる猛将とは思えない言葉である。
張遼は説得しようと口を開きかけたが、結局そのまま口を閉ざした。
武人として強過ぎる上に立てる武勲が大き過ぎる為、噂が制御不能なほどに走り回っているが、呂布奉先と言う武将はこう言う人物なのだ。
張遼や高順はその事をよく知っているが、それは不安の種でもある。
責任感が強く、生真面目なのは彼の美点と言える。
責任を回避しようとせず、不器用な口下手の為に誤魔化す事も下手な人物で、利用しようと考える者にとって、これほど都合の良い人物はそう多くない。
今回の戦いでも十倍以上の敵と戦い続けながら、最後の最後まで何もしようとしなかった徐州軍や漢軍に手柄を譲ろうとしているのだから、お人好しにも程がある。
「ま、いいです。ところで高さんはまだ戻ってないんですか?」
「ああ、まったく連絡も無い。もし敵の手にかかったのなら、敵がそれを騒いでいるはずだがそれも無いと言う事は、無事な証拠だと思ってるんだが」
「まあ、それもそうですね」
高順は普段の言動からは想像もつかないほどに、自分の能力を冷静かつ正確に把握している。自分に出来そうにないと判断した場合、下手に手柄を立てようと釣られる事も無い。
「でも、将軍。守ると言っても簡単じゃ無いですよ?」
「矢なら山ほどあるから、撃ちまくればどうにかなるさ」
呂布はそう言うと、座ったままの張遼の肩を叩く。
「文遠、お前は休んでいろ。俺は山ほど矢を撃って来るから」
ゾンビについて
三国志とは関係ありませんが、ゾンビは元々ブードゥー教の呪術であると言われています。
ブードゥー教のゾンビと言うのは、死者を生き返らせて畑仕事をさせるなど、労働力として利用する術だったらしいのですが、安らかな眠りを覚まして強制労働させていると言う事で、邪法として伝わったのが始まりだとか。
もちろんこの時のゾンビは伝染したりしなかったみたいですし、そもそも人を襲ったりもしなかったみたいです。
ゾンビも時代によって(良いか悪いかはともかく)進化しているようです。