第四話
「呂布将軍、娘さんがめっちゃ俺の事睨んでるんで、悪いヤツじゃない事を説明していただけないでしょうか」
「いや、それは仕方がない事ではないでしょうか」
孫策の提案に対して、呂布は苦笑いして答える。
この青年が孫策である事は、随伴した韓当、黄蓋、程普と言う三人の武将からも説明を受けた。
この三将のうち、黄蓋と程普には見覚えがあった。
高順が言うには陽人の戦いの中でも序盤の、汜水関の戦いで見たようだ。
「姫君、俺、そんな悪いヤツじゃないよ」
「悪いヤツよ」
じろりと睨みつけて、蓉は譲ろうとせずに孫策に向かっていう。
韓当からの報告を受けた孫策は、とにかく一刻も早く呂布に会いたいと言い出して周りが引き止めるのを無視して、この呂布軍の野営地に走り出したらしい。
そこでばったり蓉に出会い、孫策は呂布に会いに来たと説明した。
そこで押し問答があったらしいのだが、孫策は蓉を無視して呂布の幕舎に向かい始めたらしく、蓉は体を張って止めようとしたが、孫策はそれを意に介さず幕舎に直進してきたと言う事だった。
孫策にしても蓉にしても、無鉄砲にも程があると言うものだ。
孫策には一軍を率いる武将としての責務と言うものを、蓉にはそもそも自分が女だと言う事をよく語って聞かせる必要が急務である事も分かった。
「そんな事より、何故孫策殿が俺に? 失礼ながら俺は孫策殿にはもちろん、父君の孫堅殿との面識も無い身なのですが?」
「面識があるとか無いとか、そんな事は小さい事です!」
身を乗り出して孫策は言うが、それを両脇の黄蓋と程普に止められ、呂布の方も防衛の為に手が出そうになっている蓉を止める必要があった。
「今現在において、漢に住む武将で呂布将軍の名を知らぬ者などおりません! 誰しもが一目でもと思うのは当然の事! 俺だけではありませんよ! ねえ、姫君?」
「うん、まあ、それはそうかも」
孫策と蓉は、妙なところで意気投合している。
せっかちを絵に書いた様な孫策ではあったが、案外人心掌握術には長けているところもあるようだ。
「姫は知らないでしょう? あの陽人の戦いを! いやー、あれは本当に凄かった。並み居る武将、豪傑達が挑みかかるのに呂布将軍たるや、ものともせずにそれはもうちぎっては投げちぎっては投げで返り討ちにしていく。その姿はまさに武神」
「おお、父ちゃん、すげえ!」
蓉はすっかり孫策に乗せられている。
「いや、ちぎってはないけど」
妙に人懐っこいところのある孫策なのだが、これは計算でやっている人心掌握術と言うより、蓉と同じく実年齢より幼いところがあるのかもしれない、と呂布は思う。
武勇に優れると言う話だったが、これほどせっかちで無駄な行動力まで持っているとなると部下は大変そうでもあるが、それだけに放っておけないとも思われているのだろう。
「中でも講談師の語り草になっているのが、劉備三兄弟との鼎戦だ。先の豪勇、華雄さえも一刀で切り伏せた鬼神関羽、尋常ならざる腕力を誇る燕人張飛、妖しげな容姿と技を持つ劉備の三人を相手に、呂布将軍は切り避け防ぎ、何と三人を相手に一歩も譲らずまったく互角の戦い!」
「おお!」
まるで講談師そのものの様な語り口で孫策は言い、蓉はそれに聞き入っている。
この話と言うか展開に慣れているのか、黄蓋や程普に慌てた様子もなく、どこか呆れた様にも見える。
「……これが江東の虎の息子か?」
「らしいよ」
呆れているのは高順も同じみたいだが、その特異さには確かに江東の虎の息子を感じさせる大器の片鱗は、確実に見て取れる。
「そんな訳で将軍、俺と手合わせして下さい!」
「なんでだよ」
満面の笑顔で言う孫策に、呂布は反射的にそう答えていた。
正直なところ、話の流れからこちらには来てくれるなと祈っていたのだが、無駄になってしまった。
「いやいや、呂布将軍。腕に覚えのある者なら、今呂布将軍を前にして手合わせを望まない者などおりませんって。なあ、爺や」
「誰が爺やじゃい」
孫策の言葉に真っ先に反応したのは、黄蓋だった。
呂布は後から知った事だが、孫家の宿将たる黄蓋、程普、韓当の三武将で最年長は程普なのだが、孫堅の時代から黄蓋がもっとも老けていると言う事で黄蓋を老人扱いしていたらしい。
黄蓋はその都度訂正しているのだが、孫策もそのやり取りに味をしめて『爺や』と呼ぶ様になったとか。
家臣との仲の良さや結束の強さもなければ、そう上手くいかないものである。
「だいたい、こうやって頭を掴むのも、連合の時に劉備の頭を掴んでいた関羽を見てからですからね。パクリなんですよ、パクリ。それをあたかも自分が考えましたって感じでやるのは、俺としてはどうかと思うんですがね? 呂布将軍もそう思うっしょ?」
「誰がパクリじゃい。良い物は吸収する。それが良将と言うのものだろうが」
「まーたまたぁ。らしくなく言葉飾っちゃってー」
孫策は笑いながら黄蓋を煽る。
「あ、いや、孫策殿。黄蓋殿の言われる通り、良いと思ったものは積極的に取り入れてこそ良将と言うもの。俺とて未熟者の身でありますれば、黄蓋殿のお言葉、身にしみます」
「お、おう」
呂布の言葉が相当意外だったのか、助け舟を出されたはずの黄蓋の方が戸惑っている。
「どうですかな、呂布将軍。ここは若い者を育てると言う意味でも、練習がてら手合わせをお願い出来ないものだろうか」
これまで静観していた程普が、呂布に提案する。
「殿の方もこの通り、言いだしたら周りの迷惑も考える事なく突っ走って行ってしまうので、おそらく呂布将軍に手合わせして頂くまでこの幕舎に留まるでしょう。そうなると迷惑を被るのは呂布将軍の方ですから」
「……はぁ」
淡々と程普は言うが、それは孫策の希望を叶えると言うより孫策の事をこき下ろしている様にも聞こえる。
「何も真剣同士で命をかけての一騎打ちと言うわけではありません。軽く怪我をさせてくれる程度で良いのです」
とんでもない事をさらりと言う。
自らの主君の怪我が前提と言うのは、少なくとも呂布は聞いた事が無い。
「そうすればさすがに殿も大人しくなると思われますので」
「父ちゃん、孫策やっつけるの?」
蓉も目を輝かせている。
「こいつ、悪いヤツだから懲らしめてやってよ!」
「うーん、呂布将軍とは手合わせを望んでいるけど、俺って良いヤツよ? 姫君?」
「いや、悪いヤツだ」
「ああ、悪いヤツだ」
「まあ、悪いヤツだな」
「悪いヤツだろう」
蓉に続いて、黄蓋、程普、韓当と孫家の三武将も大きく頷いている。
「父ちゃん、悪いヤツなら成敗しないと」
蓉は目を輝かせながら、呂布にそんな提案をする。
完全に孫策に乗せられてるな、先が心配だ。
父親の立場から、呂布は蓉を見ながらそんな事を考えていた。
「そうッスよ。悪いヤツは成敗しないと。いや、俺はそんな言うほど悪いヤツじゃないんで、成敗までは行かなくても良いと思うけど、どうッスかね?」
「わかりました。あくまでも手合わせと言う事で」
強引な孫策を断りきれず、呂布は折れて答える。
「っしゃー! じゃ、さっそく」
「ちょ、ちょっと待って下さい、孫策殿。いくらなんでも、ここでと言う事は無いでしょう?」
今にも剣を抜きそうな孫策を、呂布は慌てて止める。
「ん? ああ、それもそうですね。せっかく呂布将軍と手合わせ出来ると言う機会なんですから、馬上戦で行きましょう!」
呂布が言いたかった事とはズレた答えではあったが、孫策はそう言うとさっそく幕舎から出る。
呂布は困って周囲を見回すが、高順は面白がっているし、孫家の三武将は諦めてくれと言わんばかりの表情だった。
仕方なく呂布も幕舎を出て孫策との手合わせの準備にかかろうかとしたが、孫策の行動力は呂布陣営の予想を大きく上回っていた。
孫策は自分の連れていた軍を呂布軍と合流させ、盛大な祭りでも行うかの様に会場作りを行っている。
もちろん物資は少ないので特別な事は出来ないのだが、ノリの良い孫策軍の面々はさっそく自分達の主である孫策と天下無双と言われる呂布のどちらが勝つか、と言う賭けを行っていた。
普段は非常に生真面目な呂布の精鋭達なのだが、急な逃避行を余儀なくされて以来、この様な娯楽が無かった事や、少なくともこの時は安全な場所に来たと言う気の緩みもあったのか、はたまた口うるさい張遼がいないせいか、孫策軍との交流を楽しんでいる様にも見えた。
また賭けと言っても高額の金銭など持ち合わせていない事もあり、せいぜい夜食一食分と言う程度ではあったが、それぞれの軍の興味は賭けの収益ではなく呂布対孫策と言う稀代の実力者による一騎討ちが主であった。
呂布軍の者達は呂布の勝利を疑っていないが、孫策軍では自軍の若い主に期待がかかっている。
その実力は折り紙つきであり、この時すでに猛将と知られた孫堅文台さえも上回る武勇を孫策は身に付けていると言われるほどであった。
呂布は直接孫堅の武勇を知らないのだが、この行動力に関して言うなら孫堅どころか曹操や董卓さえも上回るのではないか、と思う。
「呂布将軍、お願いがあります」
両軍が見守る特設会場となった広場で、孫策は馬に跨って呂布に向かって言う。
「是非とも将軍には赤兎馬に騎乗し、方天戟を携えていただきたい。やっぱり呂布奉先と言えば、千年の名馬赤兎馬に跨り、絶技の域に達した矛術を見てみたいですから!」
孫策の主張に、孫策軍は大いに湧き上がる。
「……いや、そんな大した事は無いと思うんだよ、俺は。あまり期待されると肩透かしになりそうで、そこが心配なんだけど」
「いやいや、呂布将軍がそれはありえませんって。そんな人が方悦、穆順をあしらい、あの劉備三兄弟と鼎戦なんて出来ないでしょう」
孫策は二十代のはずだが、まるで少年の様に目を輝かせている。
一応助けを求める様に孫家の三将の方を見るが、三人共苦笑いしているだけだった。
「呂布将軍、申し訳ありませんが、あの小僧の鼻っ柱をへし折ってやって下さい。なんだったら腕の一本も折って構いませんから」
程普はそんな事を言っているが、さすがにそう言う訳にもいかないだろう。
「父ちゃん、赤兎連れて来たよ」
と言って、蓉が赤兎馬を引いてくる。
もし赤兎馬が本気で抵抗したら少女である蓉はもちろん、腕力自慢の大男が三人がかりでも引きずる事も出来ないはずだが、素直に蓉に引かれてきたと言う事は赤兎も仕方がないと思っているのだろう。
さほど猛っていない様子からも、戦いを望んでいる訳では無いみたいだったが。
「将軍、戟をお持ちしました」
呂布が赤兎馬に騎乗すると、その下から厳氏が呂布の方天戟を手渡す。
「重いだろう? そんな無理せずとも、高順に持ってこさせれば良かったのに」
「いえ、これくらいでしたら私でも運べますから。ただ、あまり無理はなさらないで下さいね。あと、出来れば孫策様にも怪我など無いように」
「お母様、あいつは悪いヤツだから、ちょっとくらい問題ないよ」
蓉が独自の理論で母親に主張している。
「よし、決めた!」
孫策が叫ぶ。
「俺も嫁を娶るぞ! 出来れば呂布夫人の様に美しく気立ての良い妻が良い! あと、子を持つなら断然息子だと思っていたけど、娘も可愛い事に気付いた!」
恐ろしくどうでもいい事を高らかと宣言する孫策だったが、何故かその宣言で孫策軍の兵士は大いに盛り上がって歓声を上げている。
「と、言うわけで呂布将軍。娘さんを俺に下さい」
「……は?」
「いや、将軍の娘さん、すっげー美人になると思うんですよ。しかも呂布将軍が義理の父になってくれるのであれば天下に怖いもの無し。どうですか、お義父さん」
「……うちの娘、気立てが良いとは思えませんが。あの通りの腕白ですから」
「そこはそれ、大きくなったら女らしくなったりしないですかね? 奥方様みたいに」
「いやぁ、ならないのでは無いですか?」
呂布の言葉に孫策は笑顔で頷くと、右手を挙げる。
「振られたぞ!」
その言葉に、先ほど以上の歓声が上がる。
何なんだ?
呂布は自由過ぎる孫策の行動を掴みきれず、ただただ戸惑っていた。
孫策と呂布
少なくとも三国志演義の中で、この二人の接点はまったく触れられる事なく、語られてもいません。また、正史の中でも明言はされていないようです。
が、この二人には接点があったと思われる節があります。
本編で語る事は無いと思いますが、この何年か後に孫策は袁術から独立して『小覇王』とまで呼ばれる事になります。
小さい覇王、と言う意味ではなく、項羽の若いバージョン的な意味らしいです。
そして土地を得たから官位をくれと朝廷に申し出るのですが、その時に呂布も口添えしているみたいです。
また、その頃の孫策は向かうところ敵なし、なんぼでもかかってこんかい! と言うスタンスだったのですが、呂布が徐州に滞在している頃には徐州攻めを見送り、呂布が徐州からいなくなった直後に北上して徐州攻めを行っています。
それは陳登によって阻まれる事になりますが、呂布と孫策はまったく知らない者同士では無かったのではないか、と思わせるところです。
もちろん本編の様にフレンドリーな関係では無かったでしょうし、孫策も呂布の娘をもらおうとはしなかったでしょうけど。




