寿春へ 第一話
第一話 寿春へ
律儀な皇甫酈は有言実行と言うべきか、高順と妻の厳氏、娘の蓉の他、都に残る事をよしとしなかった家人などの十数名が外の呂布達と合流した。
皇甫酈が用意してくれたのか、高順がどこからか持ってきたのかは分からないものの、豪華とは言えないがそれでも馬車も用意されていた。
もっとも、見た目と違って厳氏や蓉は並みの男を軽く上回る体力を持っているので、馬車で運ぶのは家財の他、疲れた家人を運ぶ方が多くなりそうでもあるのだが。
「それで、これからどうするつもりだ?」
高順がさっそく呂布に尋ねる。
「うん、どうしよう」
「……はぁ?」
「いや、そこは見識の広い高順さんに意見を聞いてからと思いまして」
「……はぁ?」
「文遠も呼ぶか?」
「いや、あいつには蓉の面倒を見てもらっておこう。文遠も蓉も面倒臭い事になる」
何分急な事だったので、呂布にしても高順にしても先の展望など考えている余裕は無かったのだ。
しかし、この状況になってしまっては最優先事項でもある。
「何にしても落ち着ける地盤は必要だろ? となると、やっぱり荊州か?」
「もうけっこう前だからなぁ。しかも今の荊州太守の劉表殿は学問を大事にしているみたいだから、俺達が荊州にいた頃と比べるとかなり変わったはずだ」
「うーん、まあ、実際に人望があったかはともかく荊州は丁原の地盤だったわけだからな。死んで当然だったとは言え、一応お前は敵って事だしなぁ」
「むちゃくちゃ言うね、お前」
「じゃ、お前が責任持って行く先決めろよ。頼んますよ、呂布将軍」
ニヤリと笑って、高順は言う。
そう言われると、呂布も困ってしまう。
呂布は特に人付き合いを避けてきたと言う訳ではないのだが、それでも意外なほど人との接点が少ない。
まして呂布は董卓軍の武将として、先の陽人の戦いでは諸将の武将や軍を蹴散らしていると言う実績がある。
いたるところ敵だらけの状況の中で、困った時に助けてくれそうな人物と言うのに心当たりが無いのだ。
「いや、そこは考え方次第だぞ奉先。お前は悪逆非道の暴君、魔王董卓を打ち倒した英雄でありながら、都を追われた不遇の名将だ。お前の武勇を利用しようって輩はどこにでもいるだろう。たぶん誰であっても、両手を上げて歓迎してくれるぞ」
「そんな上手く行くかなぁ?」
さすがにそれは自分本位の身勝手過ぎる自己評価であるように思えるのだが、群雄割拠の現状を考えると呂布の武勇を利用しようと考える者はいるだろう。
そこであれば、それなりの歓迎と優遇をしてくれる事だろうと呂布も思う。
「だとすると、誰に高く売りつけるかだなぁ」
「待て、高順。その言い方はすこぶる気に入らないんだが」
「良いんだよ、言い方飾ったところで事実は変わらないんだから」
身も蓋もないとはこの事だろう。
「良いか、奉先。お前は自分が思っている以上に強い影響力がある人間なんだ。当然、お前をいい様に利用しようとする人間も少なくない」
「ああ、今目の前で一人喋ってる事だしな」
「そいつらを逆に利用するくらいの気持ちでないと、お前は良いかもしれないが厳氏と蓉を危険な目に晒す事になるぞ」
表情を一変させて言う高順に、呂布は言葉に詰まった。
「ん? 何故妻や娘に?」
「当たり前だ。呂布奉先を狙うのであれば、その最大の弱点である家族を押さえるに決まってるだろう。お前がしっかりしない限り、厳氏も蓉も狙われ続ける事になるのは自覚しろ」
いつもは悪ふざけが過ぎるところもある高順だったが、悪意と権謀渦巻く長安にあって呂布の家族を守り続けてきた男である。
さらに悪ふざけが過ぎると言っても程度を知らない訳ではないので、悪質とも取れる冗談は好まない傾向が強い。
厳氏や蓉を悪意のある冗談に使う様な高順ではないので、本心からの心配だと言う事も呂布に伝わってきた。
「つまり、一番こっちにとって都合が良いのが、十分な地力や資産があって俺達を歓迎してくれて、それでいて地盤の安定しているところと言う事になるな」
「さすがにその全てを満たしている所はないだろう」
高順の出した条件に呂布は苦笑いするが、意外な事に高順の答えは違った。
「いや、一ヶ所その条件を全て満たしている所があった。しかもここからさほど遠くないと来ているから、俺としてはそこしかないと思っている」
そこまで条件が満たされているのであれば、そこで良いのではないかと呂布も思う。
「で、それは?」
「寿春の袁術だ」
なるほど、袁術か。と思うのだが、呂布の表情は自然と険しくなった。
確かに袁術であれば先ほど高順が羅列した自分勝手な条件全てを高水準で満たしていると言えるが、心配な点も幾つかある。
まず、陽人の戦いで呂布は連合に大打撃を与えているのだが、その際に副盟主であった袁術の顔にも泥を塗る事になった。
さらに郿塢城建設の際にも、賊の振りをしていた袁術軍を呂布は撃退していると言う事もある。
袁術に対する心配は、そんな実害を与えたと言う事だけではない。
本来であれば袁家の後継と言うのは本家の嫡子である袁術であるべきところだが、その座を袁紹に奪われた形となっている。
それは単純に能力の差もあるのだが、漢王朝で比類無き名門の生まれである事からその気位の高さもあり、他者を低く見る傾向が極めて強いと聞く。
名門故の気位の高さは袁紹にも見られる傾向ではあるのだが、袁術の場合、あまりにも露骨にそれを表に出して態度に示す事が問題だった。
また袁紹は多少形式にこだわり過ぎるものの、交友関係も広く識者賢人だけでなく侠客にまでその人材を求めているのに対し、袁術は自己評価、特に好き嫌いで判断する事が多いと言われている。
天下に二人といない猛勇を持つ名将と言われ、飛将軍とまで称される呂布なので袁術も歓迎してくれるだろうが、まったく何の心配も無いとは言えない。
「良いんだよ、袁術の所に骨を埋める訳でも無いんだし」
と、高順はあっさり言う。
「どういうことだ?」
「袁術からはかっぱぐだけかっぱいで、独立の足がかりにするんだよ。もういい加減奉先も独立しなきゃならんだろう? そうでも無いと、いつまでたっても丁原と董卓の亡霊に悩まされる事になるぞ?」
別に丁原にも董卓にも化けて出られて困っていると言う事は無いのだが、事情があったにせよ呂布には二度の親殺しと言う不名誉な前科がある。
他の諸将を頼るにしても、これは確かに亡霊と言えるくらい呂布の足を引っ張る事は確かだった。
「袁術、か」
「俺も詳しくは知らないんだが、確か孫堅の部下達も袁術の元にいるとか聞いている。孫堅とは直接知り合いでは無いが、何しろあの長沙の海賊狩りとして名を馳せた猛将だ。その部下達が唯々諾々と袁術の下で甘んじているとは思えない。場合によっては俺達に協力してくれるかもしれないぞ」
「何でそうなるのか、俺の乏しい理解力では到底追いつかないからもう少し分かりやすく説明してくれるかね、高順先生」
「別に難しい話をしているつもりは無かったんだが、孫堅文台と言えばあの華雄でさえ名将と認めていたほどの男だ。それは汜水関であれだけ苦戦させられた事でも分かるだろ?」
「ああ、そこは分かる」
「あの戦いで孫堅軍は孫堅だけでなく、その部下達も勇猛果敢で極めて有能だった事はわかってるよな?」
「ああ、そこも分かる」
「つまりそう言う事だよ」
「待て、そこは分からない。と言うより最後まで説明しろよ。何でそこ端折った?」
「何だよ、一から説明しないと分からないのか?」
「いや、一からじゃなくて、六くらいまで説明して七から十を省略するなと言いたい」
呂布と高順は今後の展望を語るはずが、程度の低い言い争いを続けていた。
誇り高い孫堅文台は、その志半ばで戦場に散った。
総大将を失った孫堅軍はその求心力を失って瓦解し、長男孫策を含む大半が袁術の庇護を受ける事となった。
袁術がどう考えているかは知らないが、孫策や孫堅軍の宿将達がこのまま袁術軍の一武将として忠義をまっとうしようと考えているとは思えず、いずれ袁術からの独立を画策しているはず、と高順は考えている。
袁術からの独立の時期は十分に力をつけた時、あるいは自身が袁術の求心力を上回り、袁術勢力を飲み込みさらに大きな勢力になると確信した時が考えられる。
袁術は人格的には隙だらけの人間であるものの、それでも袁家の看板は大きい。
そこで呂布が袁術軍に加わると、その並外れた武勇から呂布につく者も現れるだろう。
袁家と言う看板を掲げる袁術ではあるが、その勢力の中に呂布、孫策と言う異なった勢力が入ってくると、必然的に一枚岩とはならずに勢力争いが発生する事になる。
その状況は、少なくとも孫堅の宿将と言う勢力を持つ孫策にとって悪い状況ではないのだから、孫策は袁術の弱体化も期待して呂布に協力してくれるだろう。
と言うのが、高順の予想である。
「さすがにそれは場当たり的と言うか、希望的観測と言うより単純に願望でしかないと言うか」
「あぁ? じゃ、奉先はどこか行くアテがあるってのか?」
「……いえ、ありません」
「じゃ、寿春を目指すべきだろ? つうか、気に入らなかったらそこで物資を補給してから別のところを目指しても良いわけだし」
急遽追放となった呂布や、急ぎ長安から脱出してきた呂布の家族達なので長旅に耐えられるほどの備えが無いのは動かしがたい事実でもある。
そう考えると、寿春辺りが現実的な行動限界点でもあるのだ。
「袁術は迎え入れてくれるかなぁ」
「袁術軍には、音に聞こえる様な猛将の類が少ないからな。一軍を率いる事の出来る大将で、しかも荊州攻略を任せられそうな奉先であれば、まず受け入れられるはずだ」
高順はそれなりに説得力のありそうな言葉で、太鼓判を押す。
まず、と言う言葉を使っている辺りに高順の懸念も見え隠れするが、それでも方針は定まったので呂布と高順は他の者達に説明しようとした。
しかし、それより早く張遼が呂布達の元へやって来た。
「お、文遠。ちょうど良かった。今呼びに行こうかと思っていたところだった」
「高さん、悪いですけど後で良いですか。ちょっと厄介な事になったみたいで」
張遼は高順の言葉を遮る。
人の好き嫌いがはっきりしているとは言え、付き合いはさほど悪くない張遼なのだが、その言葉の遮り方には冗談の雰囲気は無かった。
「どうした?」
「説明するより、見てもらった方が早いかもしれません」
張遼はそれだけ言うと、呂布と高順を連れて移動する。
呂布達は逃亡者の立場なので、皇甫酈がどれほど頑張ったとしても追跡者を派遣されないとは限らない。
さらに志願者の三千人程度の兵しか持っていないので、大規模な賊の集団などに遭遇した場合にも楽に撃退出来ると言う数ではない。
そう言う事情もあって、張遼は物見の役割を買って出ていた。
それと、もう一人。
「あ、父ちゃん」
「……お母さんのところにいろ、とお父さんは言ったはずだけどな」
「私、すっごく目が良いから役に立つよ? ねえ、文遠?」
蓉は悪びれる事無く言う。
張遼がわざわざ呂布を呼びに来たのだから、それが物見に参加して困ると言う程度のモノでは無い事は予想がついた。
「呂布将軍、向こうを見て下さい」
張遼は長安の方向を指差す。
現在呂布達がいるところは長安から多少離れた所にある小高い山なのだが、長安から一軍が出てきているのが見えた。
「おそらくですが、俺達を狙っての討伐隊だと思われます」
「私が最初に見つけたんだよ」
そう言いながら、蓉は張遼によじ登っている。
同年代の少女と比べると別段小柄と言う訳ではないのだが、蓉は高いところが好きらしく、特に肩車を好む。
無駄に高い身体能力もあって、こうやって勝手によじ登ってくる事も珍しくない。
「どうしますか? 隠れてやり過ごせるかは、五分と言った感じですが」
「誰の軍だろうな」
「えっとね、『張』の文字が見えるよ」
張遼の上に上った蓉が、離れた一軍を見ながら言う。
「……見えるのか?」
高順は目を凝らしながら疑っている。
確かに旗は見えなくもないが、その文字が読めるのは大したものだ。
「と言う事は張済、ですか?」
「おそらく。出来れば見つかりたくはないが、隠れているところを発見されるのは好ましくないな。移動しよう」
張遼の質問に、呂布はそう答える。
「どこを目指すのですか?」
「ひとまずは寿春。袁術を頼ってみる」
この時の呂布の評価
作中でも軽く触れていますし、今後改めて出てくる事になると思いますが、この時の呂布の評価は良し悪し両論の真っ二つに割れています。
良い評判としては、まず何より優れた武将であると言う事。
これは陽人の戦いだけに留まらず、長安でも治安の維持の為などで賊を退治した実績を知られていたみたいです。
そして、大逆の徒董卓を討ち取ったと言う事。
むしろこの事が呂布の声望を高めていると言えるでしょう。
この一点のみで、呂布は英雄視されていたと言っても過言では無いほどだったようです。
一方悪い方は、二度の親殺し。
悪評に関してはこの一点みたいですが、根深く儒教が広まっているこの時代、どんな理由があったにしても親殺しの大罪は正当化する事は出来ず、それが例え董卓であったとしても呂布の信用を著しく下げる事になっていたのは間違いありません。
また、正史でも演義でも作中でも触れている通り、呂布は急遽長安を追われる身となったので亡命先は比較的近くの袁術以外の候補は無かったのではと思います。
この時代、評判の良し悪しは今の時代以上に人生を左右する事になるほどでしたので、ここまで両論はっきりしている呂布は、袁術に限らず誰であっても受け入れるかどうするか、扱いに困ったのではないでしょうか。




