第八話
李粛と徐栄の戦死の報が王允の元へ届いた時に王允としては別段驚きは無く、むしろ計画通りに事が運んでいると内心ほくそ笑んでいた。
徐栄が討ち取られた後、李傕がさっそく戦場から離脱する素振りを見せたらしいが、呂布と張遼によってそれは阻まれ、現状は膠着状態にあると言う。
それをこそ、王允は望んでいたのだ。
董卓四天王は言うまでもないにしても徐栄も十分過ぎるほどの罪人であるのだから、下手に武勲など立てずに死んでしまってくれた方が漢王朝にとっては都合が良い。
何しろ徐栄は陽人の戦いに際し、袁家に連なる者を虐殺していると言う前科がある。
そんな者が軍の中枢にいたのでは、袁紹などを復帰させる際に必ず問題になるのは目に見えている。
詳しい報告を聞いた時、王允は旧董卓軍に紛れ込んでいる間者からの情報の正確さにも満足していた。
賈詡の練った戦術は、見事としか言い様がない。
王允は詳しく知らないものの、董卓四天王と言う存在はそれぞれに強過ぎる個性の持ち主であるらしく、天才軍師と言う評価に値する能力を持っていた李儒でさえ扱いづらい存在だったのか、李儒が四天王を中心に作戦を立てる事をしなかった。
そんな癖の強い武将達の長所を見事に活かした策によって、漢の武将の中でも戦闘能力に関しては五指に入る事は疑いない徐栄を翻弄した手腕は、もしかするとあの李儒さえも上回っているかもしれないと思わせるほどである。
徐栄を失った後の呂布の動きも、王允の期待以上のものだった。
呂布は徐栄の救援に向かったものの、徐栄は救助する事が出来なかった代わりに分断されていた徐栄軍後続の韓暹軍を回収する事には成功した。
そこですかさず左翼に張遼をおいて李傕の騎馬隊を牽制し、右翼に戦場に戻ってきた楊奉を置いて郭汜に対する備えとしている。
呂布は長安から離れ過ぎない位置に陣取っている為、旧董卓軍は呂布軍を挑発してくるが呂布は動く素振りは見せるものの動こうとせず、素振りを見せる為に旧董卓軍はそれに備え李傕や郭汜を動かそうとするが、結局呂布は動かないので空振りに終わっている。
また、戦場では李傕や郭汜の他、一際目立つ重装備の樊稠らしい武将や張済軍を取り仕切っている武将も目撃されている事から、四天王は誰もそこから離れられずにいると言う事も、報告の中にあった。
こちらの想像より多くの兵を集めた旧董卓軍だったが、その分補給などには苦労しているらしく、最大の拠点であった郿塢城も失っているので長期間戦線を維持する事など出来ない。
放っておいても自滅する旧董卓軍ではあるが、ダラダラと引き伸ばす事には何も利益はないどころか、物資補給の為の略奪を誘う事になるので、王允は次の手を打つ事にした。
旧董卓軍を漢の敵と認定してしまえば、董卓に地位を追われる形となった袁紹や曹操などを呼び込む事も出来るし、漢に対して不穏な気配を漂わせている劉焉なども牽制する事が出来る。
諸将に旧董卓軍の討伐を命令する、と言うのが王允の次の一手であり詰みの一手でもあった。
元々旧董卓軍は長期間戦力を維持出来ない状況でありながら、周囲を諸将に囲まれては全滅するしかなく、諸将も手柄を立てる為には急いで長安にやって来て戦場に立たなければならない。
その為の檄文が必要なのだが、今更ながら蔡邕の協力が得られなかった事が悔やまれた。
確か弟子の王粲と言う若者が長安にいたと王允は記憶していたので、近日中にでも招集して檄文を書かせてみようと考えていた。
まさにそんな時である。
「た、大変です!」
王允の元に、急報を告げる伝令が現れた。
「何事だ?」
「と、董卓軍です! 董卓軍が城内に現れました!」
王允はその知らせを理解するのに、多少の時間がかかった。
董卓軍? 何をバカな。つい先ほどその所在の報告を受けたばかりであり、それに対する呂布の対応は見事なものだったはずだ。四天王の全てが戦場にいると言うのに、この長安へ入り込める者などいるはずもない。
あるいは、城内に潜伏していたか?
しかし、王允はすぐに首を振る。
それは有り得ない。董卓に連なる者は呂布を除いてほとんど処断し、その数は九百人に上った。
その仕打ちを見ていない者が長安にいるはずがなく、ここで蜂起しても外の軍と連携が取れないのであればそれは自滅でしかない事くらい分かりそうなものだ。
と言う事は、この急報は誤報、あるいは敵の軍師賈詡の虚報の恐れもある。
「董卓軍? その数は? 誰が率いていると言うのだ?」
王允は伝令に問い詰める。
賈詡の考えは手に取る様に分かる。
もし都に突如董卓軍が現れたと言う情報が入れば、取り急ぎ呂布を長安に呼び戻す必要がある。
そうすると戦場に残るのは張遼、韓暹、楊奉となり、指揮系統が機能しなくなる為、烏合の衆とは言え数の揃った旧董卓軍でも勝算が出てくるのだ。
その三将の中で能力の高さは張遼が群を抜いているのだが、韓暹や楊奉を従えると言うのは余りにも若過ぎる。しかし韓暹、楊奉などの黄巾賊上がりの武将となると、旧董卓軍と変わりがないと言える。
実に良い手と言えるのだが、見破られてしまっては意味がない。
逆にその様な小細工に頼らざるを得ないと言う、旧董卓軍の窮状を晒す様なものだ。
もし李儒であればこの様な失策は取らなかったであろうと思うと、賈詡と言う男も存外不甲斐ない。
王允はそう考えていた。
王允の判断それ自体は間違っていないし、もし賈詡の狙いが虚報による混乱であったとしたら、素晴らしい読みだと言えたかもしれない。
だが、その先入観が致命的な遅れを呼んだ。
「た、大変です! と、董卓軍が押し寄せてきます!」
二人目の伝令が来た時も、王允はそれを信じようとはしなかった。
そんな事があるはずがないと事実確認を怠った結果、と言うより王允はその現実が自分の理論にとって有り得ない事であり、有り得ない事は起こりえないと言う先入観からくるものだっただろう。
「押し寄せてくる、だと?」
「はい! その数、推定で五千は下らないと思われます!」
その具体的な報告に、宮殿内が一気に騒然となる。
五千と言う数は、もはや勘違いや見間違いの範疇を超えていた。しかも伝令が来ると言う事は、確認済みと言う事だ。
「董卓軍、と申したな」
王允は伝令に確認する。
「都の兵が反乱したのではなく、董卓軍と。何か確たる証拠があっての事なのだろうな」
「旗印から、率いているのは樊稠、張済との事。急ぎ王允殿に知らせよと、皇甫酈将軍からの指示でした」
伝令の言葉も、王允は理解するのにしばらく時間がかかった。
樊稠? 張済? そんなバカな話は無い。その二将はそもそも長安の外で呂布達と戦っているはずであり、それは向こうに潜伏している間者からも実際に戦場に出ている呂布陣営からも、そう知らせてきている。
それに、別働隊は李傕、郭汜だったはず。間者からの情報は徐栄に対する戦術からも、かなりの精度である事は間違いないはずだった。
「王允様、いかがいたしましょうか?」
伝令だけでなく、宮殿の中の者達が王允を頼ってくるが、王允にも現状が把握出来ないので指示の出しようが無かった。
「外で戦っている呂布将軍に情報を伝えよ。呂布将軍の神速であればすぐに戻れるであろう」
「はっ」
伝令の一人が出て行く。
「それと、西涼の馬騰将軍にも援軍を。長安から近く、西涼人は董卓による汚名を払拭したいはず。すぐにでも援軍を出してくれよう」
「了解いたしました」
こうして二人の伝令は走り去っていく。
虚報では無い、のか? だとすると、これだけでは弱い。
「急ぎ都に残る武将を招集せよ! 入られているとはいえ、その数は五千。その程度の数であれば、都に残る兵や武将で対処出来よう! 外の十五万を呼び込まない為にも、ここで対処する必要がある!」
王允はすぐに指示を出したが、それは既に遅かった。
樊稠と張済の率いる旧董卓軍が、皇城を取り囲んだのである。
「皇城の者に告ぐ! 我らは徒らに流血を求めるにあらず! ただ、対話と逆賊王允の断罪を求めるのみ!」
外を取り囲む旧董卓軍の武将、樊稠が周囲に聞こえる様に言う。
「我らは董太師の元、漢王朝の為に働いてきた。そこに私心無く、功あれどそれが罪になる事は無し。にも関わらず、王允は我らをただ西涼の兵と言うだけで罪人とし、我らの対話にも応じず死罪を申し付けてくる非道。漢とはただ都のみを示し、都から離れた地方の者は人ではないと申すか! 我らはただ都人ではないと言うだけで罪人なのか! それはどれだけ功を積んでも消えない罰を受けねばならない事なのか! 王允よ! 太師を逆賊と言う貴様こそ、漢王朝を疲弊させる寄生虫ではないか! 十常侍とどこが違う!」
樊稠のよく通る声は、皇城の中にまでよく聴こえてくる。
「それだけではない!」
樊稠に続き、張済も叫ぶ。
「我ら西涼兵は賊徒よ、蛮族よと蔑まれ、常に最前線にありながらその待遇たるや人ではないと言わんばかり。元黄巾党の兵よ、そなたらはどうか! 武器や防具の支給だけでなく、兵糧などの補給すらおざなりにされ前線に立たされてきたのではないか? 我らはその待遇を見直して欲しい旨を記した書状を送ったにも関わらず、その訴えを無視するだけでなく、謂れ無き罪によって断罪されようとしている! 漢の正義はどこへ行ったか! 法とは権力者が好き勝手に弄んで保たれるものなのか! 董太師を大逆の罪とするのであれば、王允も同罪でしかるべきである!」
旧董卓軍の二将の演説に、周囲から歓声が上がる。
十中八九、その歓声は二人が率いてきた旧董卓軍の兵士だけだとは思われるのだが、二人の語った内容が内容なだけに、警護の兵達も同調しているのではないかと言う不安が皇城の中に走った。
それとは別に、王允には気にかかる事があった。
董卓軍の武将と言えば呂布を除くと、流した血の量こそ武勲の証と言わんばかりの蛮勇を振るう猛将揃いであり、その中でも四天王と言えばその最たる例と言ってもいい。
その武将にしては妙に知的な語り口であっただけでなく、不自然なほど漢の内情の禁忌に触れる内容だった。
例えば蔡邕が存命であれば行動を共にして、今の演説の原稿を書いて二人に読ませていると言う事も考えられるが、蔡邕は既にこの世におらず、王允に書状を送ったなどの内容からも蔡邕が前もって書いていたとは考えにくい。
樊稠と張済に予想外なほど学があると言う事も考えられなくはないのだが、それならばまだ良い。
実際に董卓は十分過ぎるほどの教養を持っていた事から、絶対に無いとは断言出来ない。
また、軍師である賈詡が同行している事も十二分に考えられる。
その場合も、まだ対処法はある。
だが、内情に詳しい者が二人に内応しての事だとしたら、事態は深刻だった。
張済が言った兵士に対する待遇の違いと言うのは確かに存在すると言う事は、王允も認めざるを得ない。
だが、深刻なのはそこではない。
待遇の違いと言うのであれば、西涼兵や黄巾党と言う事を置くにしても一兵卒より兵長の方が、兵長より部隊長の方が、部隊長より将軍の方が待遇も良くなるものであり、逆に言うとそれだけ自分達の待遇に対する不満は出てくるものなのだ。
「自分達は不当に遇されている」
と相手から言われた場合、
「いや、自分は十分に優遇されている」
と答えられる者など圧倒的少数派であり、それを改善する為にはまず何より権力者を、この場合には王允を排除するしかないと言われると、驚く程簡単に説得されてしまうものである。
もし二将に学があると言うわけでも賈詡が同行しているわけでもなく、内部に呼応した者がいたとすれば、二将が目立つ行動を取っている間に呼応した者が別の者の説得に向かい、反乱の兵は内側から溢れ出てくる事になるのだ。
「事実、自らの行いを悔い改め、自らを恥じたが為に漢が逆賊をした董太師の義理の息子である牛輔を討ち、帰順を申し出た攴胡赤児はどうなった! 誰か攴胡赤児を知らないか」
樊稠の言葉は、致命的な亀裂を生んだ。
牛輔の首を持って帰順を申し出てきた攴胡赤児は、主を裏切って寝返った不忠者であると王允は死罪を申し付けた。
その事を間違っているとは思わない。
だが、そんな言われ方をしては身内からも不安に思う者は出てくる。
また攴胡赤児の存在自体があくまでも内々で処理した案件である事から、嫌でも内部に裏切り者がいると言う事を考えなければならなくなる。
それは皇城の中かもしれないし、あるいは外で戦っている者達かもしれない。
もしかすると、董卓の養子であった呂布が裏切ったのではないかと言う不安すら出てくる。
外の騒ぎは既に手をつけられないところまで来ており、彼らは
「王允を出せ!」
と連呼し始めている。
出て行っては生きて帰る事は不可能だが、出ていかなければ確実に身内から売られてつまみ出される事になるのは、王允でなくても分かる事だった。
よもや、この様な終わり方をする事になるとは。
王允は天を仰ぐ。
王允もようやく、自分が賈詡の策によって踊らされていた事に気付き、それを認めざるを得なかった。
賈詡は王允の間者に気付き、王允にわざと情報を流す事によって王允を動かしていたのだ。
徐栄を排除したがっている事を知った賈詡は、自分が効果的な排除法を知っていると王允にわざと知らせて、それを利用する事によって情報の正確さを確信する。
その間者に李傕、郭汜を別働隊にすると情報を流させて二将を注目させておいて、本命の樊稠、張済から目を離させる事で行動の自由を得る事に成功した。
彼は稀代の策士、賈詡文和を甘く見すぎていたのだ。
長安の中と外の戦
この物語では呂布が旧董卓軍を牽制して動きを封じていますが、三国志正史、演義共に呂布は賈詡の策で李傕や郭汜に翻弄されて右往左往して、その間に樊稠と張済によって長安を占領されてしまってます。
多くの物語の中で呂布が脳筋キャラになっているのも、こういうところに起因しているのでしょう。
ここで敗れた呂布が王允にも脱出を勧めますが、王允は死を覚悟して都に残り、そのまま帰らぬ人になってしまいました。
王允も非常に優れた能力の持ち主であり、王佐の才との評価を受けたほどの人物だったのですが、年老いて考え方に柔軟性を欠いたとしか言い様がない結末です。
ただ、王允の基本戦略の中で董卓とその軍勢はあくまでも利用するだけの関係であり、王允には完璧を期待してそこに妥協を許そうとしない雰囲気もありますので、おそらくこの結末は変えられなかったのではないでしょうか。




