第七話
双方に李粛、牛輔と言う武将を一人ずつ失ったが、それによって戦略が破綻する様な事もなく、漢軍と旧董卓軍は当初の予定だった戦場に布陣した。
漢軍は徐栄の騎馬隊を出すのに対し、旧董卓軍は樊稠軍を正面に、向かって右に郭汜、左に張済、樊稠の後方に李傕軍の旗が見える。
珍しい事に、四天王が一致団結して徐栄に向かってくるらしい。
が、徐栄はそれによって勝算が失われたとは思えなかった。
徐栄が率いる騎馬隊は三万に対し、敵軍の総数は十五万なのだから、まともに数の勝負に出れば劣勢は免れないところだが、もちろん実戦においてはそれほど単純に勝敗が決まる訳ではない。
四天王にはそれぞれ非常に分かりやすい長所と短所があり、徐栄はそれを熟知している。
樊稠は西涼の富豪であり、その軍は他の軍と比べて圧倒的に重装備である事から非常に戦闘能力が高い。しかし、その重装備のせいもあって、機動力に難がある。
張済の率いる歩兵は、西涼兵の本領とも言える乱戦で実力を発揮する。その攻撃力は他を圧倒するほどだが、歩兵同士で噛み合って乱戦にさえならなければ、ろくに統制も取れていない烏合の衆である。
郭汜は他の四天王と違って罠を好む傾向が強く、またそちらへ誘導するのも上手い。逆に言えば、郭汜は罠の近くでないと実力を発揮する事は出来ず、そこから引っ張り出せればその戦闘能力は四天王でもっとも低い。また、郭汜の逃げる先には罠がある事を警戒する事で、無理に郭汜を追う事をしなければ向こうに打つべき手は無くなる。
李傕は機動力に優れ、それぞれの補佐に適した能力を持っているのだが、主張の強い性格のためにその能力を活かしきれないでいる。
一応向こうには賈詡と言う知恵者がついているみたいだが、あの李儒に対してすら見下した態度を取っていた事を見ても、副軍師の一人でしかなかった賈詡に扱えるとは徐栄には思えなかった。
だが、徐栄に対して四天王総出で当たろうと言うのは、良い判断だと言うべきだ。
十五万の敵と戦う上では先手を取る事は、絶対の前提となる。
そこで徐栄が最初に狙ったのは、先頭に布陣する重装備の樊稠軍ではなく向かって右手側に布陣している郭汜軍だった。
罠の存在は警戒するべきところだが、単純な戦闘能力の低さと言う点から狙いを張済ではなく郭汜にした。
「行くぞ!」
徐栄は自ら先頭に立ち、郭汜軍を目指して突撃する。
まっすぐ突撃しても良かったのだが、それだと樊稠軍に引っかかる恐れもあると考え、徐栄は大回りに郭汜軍の側面を狙う。
それに対し郭汜軍は、徐栄の騎馬隊に対して地中に隠していた逆茂木を早めに出して徐栄を牽制する。
その対応に、徐栄は不信感を覚えた。
逆茂木の罠は、前もって見せる様なモノではなく十分に引きつけて串刺しにしてこそ、その労力に見合う見返りがあると言うものだ。
それを回避出来る余裕がある内に見せてきたと言う事は、あの罠は回避させるための罠の恐れがある。
徐栄はニヤリと笑う。
郭汜がどう思っているかは知らないが、徐栄は四天王の中でもっともその座を奪いやすい人物は郭汜であると狙い、その戦い方を調べてきたのがここで活かされていた。
郭汜が回避させる罠を見せてきたと言う事は、郭汜の本命の罠は郭汜軍の側面から後方にかけて展開されているのだろう。
だが、罠の位置に気付かなければ十分な効果を得られたかもしれないが、それが看破されてしまっては自らの行動範囲を狭める足枷にしかならない。
「全軍、標的を郭汜軍から張済軍へ変更するぞ!」
徐栄はそう言うと、郭汜、樊稠の軍の前を横切る様に騎馬を走らせて張済軍へ向かう。
樊稠軍は重装備の剣兵、李傕軍は騎馬、郭汜軍は槍兵、張済軍は弓兵であり、その張済軍に向かうと言う事は弓にさらされる事になるが、それは止むを得ない。
郭汜軍の罠に嵌った場合、郭汜の槍と張済の弓に晒され、こちらが行動を取れる様になる頃には前に樊稠軍が展開し、後方には李傕の騎馬隊が、左右から槍と弓と全滅の絵が徐栄には見えた。
それであれば張済の弓兵を分断し、そのまま樊稠軍を中心に大きく李傕の騎馬隊、郭汜の槍隊を貫いて本陣に帰陣する。
この場合、それぞれの隊を全滅させたりする必要は無く、騎馬の突撃能力と機動力を駆使すれば十分な戦果を上げて帰陣する事も可能だ。
勝算有り、と見た徐栄はそのまま張済軍に向かう。
そう言っても真正面の兵の配置が厚いところを狙う訳ではなく、危険ではあっても配置の薄い樊稠軍と張済軍の間、張済軍の端を削り取る様に走り抜ける事を狙う。
呂布のお陰で董卓軍最強の武将と言う肩書きは譲る事になりはしたが、それでも徐栄が董卓軍だけでなく天下において有数の猛将である事実は揺るぎない。
だが、この時徐栄にはわずかな違和感があった。
もし徐栄に軍師の資質があれば、この時の違和感の正体を探ろうとしただろうし、優秀な副将がいればその事を耳に入れたかもしれない。
実際これまでの徐栄は本人の武勇もさる事ながら、華雄や李蒙といった董卓軍には珍しく万能型の副将を傍らにおいていた。
今回はそう言った優秀な副将がいなかったのが、徐栄の命運を分けた一因でもある。
徐栄は得意の長刀を掲げ、後続の騎兵達を鼓舞して張済軍に突撃しようとした。
大きく息を吸い込んだ時、徐栄は何が起きたか理解出来ないまま空中に投げ出された。
それは徐栄だけでなく、後続の騎馬隊も次々と同じように馬から投げ出されていく。
徐栄は地面に投げ出されながら、長刀を杖がわりにして立ち上がる。
そこには落とし穴、と言うほど大それたモノではなく膝丈程度の凹みが点在していた。
それとわかっていれば対応出来なくもないのだが、巧妙に隠された凹みは簡易の落とし穴となり、勢いに乗った騎馬の足を取って転倒させられたのだ。
徐栄は何とかして立て直そうとしたのだが、そこへ張済軍から弓矢が雨の様に降り注がれる事になった。
徐栄の騎馬隊は続々と集まってくるものの、凹みに足を取られる者が続出し、そこで転倒した者にさらに足を取られ、何とかして勢いを抑えようとする後続達は弓によって本隊と分断されていく。
それでも勇猛果敢な徐栄軍本隊は張済軍の前で立て直し、三割ほどの被害を出したが改めて突撃準備に入ろうとした。
が、その時には前に展開している部隊は張済軍ではなく、重装歩兵の樊稠軍が立ちはだかり、さらに李傕、郭汜が左右を抑え、張済軍はさらに後方へ下がって援護射撃を行ってくる。
な、何だ、コレは?
徐栄は、あまりの事態に困惑していた。
余りにも四天王らしくない、見事な連携である。
特に奇妙なのが、個人の武勇を誇示しようとするはずの四天王がその姿を見せず、己が蛮勇によってではなく卓越した用兵によって戦いを挑むなど、これまで一度たりともあり得なかった。
これは、本当に四天王なのか? いや、四天王である事は間違いないだろうが、裏で糸を引いている者がいる。それは分かるが、一体誰だ? まるで董太師が生き返ったみたいじゃないか。
徐栄は何とか無事だった騎馬に騎乗するが、騎馬の突撃準備を整える事が出来る空間も無くなっているので、徐栄は次の手に悩んでいた。
これまでの徐栄軍であれば、左右の李傕か郭汜の軍に向かって副将が突撃して隙を作り、そこに出来た隙に向かって徐栄本隊も突撃する事によって脱出も可能だっただろう。
しかし、今回は上手くいかなかった。
華雄や李蒙といった優秀だった副将と比べ韓暹では能力的に見劣りした言う事もあるが、点在する凹みとまったくらしくない巧妙かつ的確な張済軍の弓攻撃によって、後続が包囲されている徐栄本隊に近づけないでいるのだ。
しかも包囲している樊稠、李傕、郭汜のそれぞれもこれまでの彼らの軍らしからぬ完璧な役割分担をこなしているので、攻撃力に定評がある徐栄をして隙を見いだせなかった事もある。
包囲している三将の中でもっとも強力な戦闘能力を持つはずの樊稠は、あくまでも防御に徹している。
もし樊稠が積極的に前に出てくればそれだけ李傕、郭汜の行動を制限される上に機動力に欠ける樊稠軍が邪魔になって李傕と郭汜は攻撃しづらくなるところだったが、異様な自制心を持って樊稠は無理な攻撃を仕掛けてこようとしない。
一方、自身を守る罠の存在がないはずの郭汜軍は積極的に攻撃を仕掛けてくるが、これもまた巧妙な戦いぶりで、徐栄を討ち取ると言う事に固執していない代わりに徐栄軍の行動範囲を狭め、それによって被害を大きくする事に徹しているので攻める隙を見い出せなかった。
これほどのお膳立てがあれば李傕などは調子に乗るか手柄を焦って単騎突撃でもしてきそうなものだが、李傕も個人の手柄より勝利を優先しているらしく、徐栄軍の退路を狭める様に動いている。
李傕、郭汜に追い立てられ、徐栄本隊は敵の作った退路を頼りに後続と合流しようとするが、そこは張済軍の弓と郭汜軍の槍をかいくぐる必要があった。
「皆、慌てるな! もう少し踏み止まれば、呂布将軍の本隊が救援に来てくれるはずだ!」
徐栄は声を荒らげて、周囲の兵を叱咤する。
一見すると退路に見えるが、それは死への道である。
徐栄に限らず兵士達も少なからずそれは分かっているだろうが、それでも樊稠軍や李傕軍の圧力はより直接的な死を連想させてくるので、イチかバチかでその退路に逃げ込もうとする兵が続出した。
ここまでか。
先ほど兵士に言った様に、呂布であれば徐栄の苦境に気付き援軍を出してくれるだろう。
だが呂布個人であればともかく、部隊や軍で動くとなるとそれにはそれ相応の時間がかかるものであり、とても間に合いそうに無い。
それであれば、後は自らの武勇で切り開くしかない。
「退くな! 呂布将軍の援軍は必ず来る! それまで生き延びるぞ!」
徐栄はそう言って長刀を振るい、敵軍の隙を探る。
李傕や郭汜も相当にらしくないのだが、もっとも不自然さを感じさせるのは樊稠軍である。
樊稠軍の重装備は相手の猛攻を抑えるためではなく、敵を圧殺する事を目的としているかのような、暴虐の限りを尽くす戦いを好む。
それだけに董卓軍内最強と言われたものだが、その機動力の低さから軍師の李儒の戦術と噛み合わず、最近では防衛や止めの一撃が主目的とされていた。
その戦い方が身に付いたとでも言うのかもしれないが、ここまで見事な集団戦など、自己主張の塊の様な四天王が出来るはずがない。
賈詡によるところも大きいのだろうが、あの李儒でさえ下に見ていた四天王が副軍師でしかなかった賈詡の指揮下に入ると言うのも考えられない。
では、この状況は何か。
徐栄は周りのごく少数の健在な兵を連れて、最期の賭けに出る。
攻撃の積極性や兵の配置などから見て、わずかな隙を見せているのは樊稠軍だった。
西涼にいた頃の樊稠と違って、今日の樊稠軍は攻撃に対する積極性が乏しく、あくまでも徐栄の攻撃や行動を抑える事を主目的としている。
さらに重装歩兵の樊稠軍ではあるが、その展開は薄く広いのでもし突破出来ればその向こうには張済の弓兵が待っているものの、すぐに矢を射掛けるには樊稠軍が邪魔になるだろうし、同じく李傕、郭汜の両軍にとっても機動力に難がある樊稠軍は邪魔で小回りが利かなくなる。
それにもし樊稠を見つけたら、一騎打ちで状況を打開出来るかもしれない。
徐栄はそれに賭けて、樊稠軍に突撃する。
むしろそれは賭けと言うより玉砕、自身の死を彩る滅びの美学でしかなかったのだが、徐栄はその時ようやく自身が感じていた違和感の正体に気付いた。
巧妙な用兵を見せる四天王の軍には、それぞれの旗が翻っている。
しかし、あの自身の手柄を譲らず、その為であれば仲間でさえ蹴落とし自らの功を誇る為に目立とうと陣頭に立ちたがる四天王を、誰一人として徐栄は見ていなかった。
おかしい。そんな事が有り得るはずがない。
「樊稠! どこだ! 隠れてないで、この徐栄と戦え! この臆病者め!」
徐栄は切り込んだ樊稠軍の中で叫ぶ。
だが、樊稠は姿を見せず、その代わり徐栄の元には重装歩兵達が続々と集まってくる。
徐栄は切り刻まれるその瞬間まで、樊稠の名を叫びながら戦い続けたが、ついに樊稠は徐栄の前に現れる事はなかった。
もしかして樊稠はこの軍の中にいないのではないか? いや、それどころか四天王が賈詡の指揮下に入ったのではなく、賈詡が四天王の軍を指揮しているのであって四天王自体がこの戦場にいないのではないか?
死の間際に徐栄はそこに疑問を持ったが、その時には既に遅すぎ、その疑問を誰かに伝えると言う事は出来なかった。
実はすこぶる優秀だった徐栄
演義ではほぼ名前が出てくるだけの徐栄ですが、正史ではおそらく董卓軍内における最強武将の一人であり、陽人の戦いまでで言えば演義で無双する華雄や三国志最強武将である呂布さえも上回る実力を持った数少ない武将の一人だったみたいです。
と言うのも、陽人の戦いと時の董卓軍の中で徐栄は相当高い地位にあり、華雄は徐栄の数人いる副将の一人でしかなく、その時の呂布は董卓軍では新参だったので実権が無い状態だったと言う事もありますが、曹操、張邈の軍を打ち破り、孫堅軍にさえ勝利した実績はただ事ではありません。
が、対人関係の折り合いが悪く、呂布はもちろん色んな人から嫌われた結果、正史でも演義でも今回の長安防衛戦にて戦死と言う、中途半端なところでの退場となっています。
ちなみにこの時の副将、正史では胡軫なのですが、本作は演義準拠で胡軫は陽人の戦いで帰らぬ人になっていますので、韓暹が代役しています。
本作の韓暹は本編で語られるほど無能では無いのですが、さすがに華雄と比べるのは可哀想でしょう。
あと、董卓四天王の設定は本作独自のモノで、そんな記述は正史にも演義にも一切ありません。
なんとなくそれっぽい感じにしてみました。




