第四話
「樊稠、何の用だ」
賊討伐に出ていた張済、李傕、郭汜は樊稠からの伝令で長安近くに作られた陣所に集まっていた。
口火を切ったのは李傕だったが、李傕は四天王と並び称されている中で樊稠が筆頭として扱われている事が、常々気に入らなかった。
それは口に出さないが郭汜も同じであったが、樊稠は自分の影響力を確認する為に呼び出した訳ではない。
「長安で変事が起きました」
樊稠ではなく、従軍軍師として参加していた賈詡が代わりに答える。
「変事だと? どうしたと言うのだ。太師が暗殺されたとでも言うつもりか?」
「正しく、その通り。李傕将軍、よくご存知で」
李傕は軽口のつもりで言ったのだが、賈詡の答えに目を丸くして驚く。
「な、何? そんなバカな、そんなバカな話があるか!」
「……賈詡よ、戯れであっても言って良い事と悪い事があるぞ?」
張済がたしなめるように言うが、賈詡は首を振る。
「私もこんな戯言で場を和ませようなどとは思いません。既に長安は王允によって占拠され、郿塢城も陥落したとの事。董太師は長安にて暗殺され、そのご一族は高齢の母君から生まれたばかりの嬰児に至るまで皆殺しになれたと。郿塢城も焼き捨てられ、我らは孤立した状態です」
賈詡は淡々と説明する。
「解せぬ! 樊稠、貴様は董太師の護衛として長安へ同行したのでは無かったのか!」
郭汜が樊稠に噛み付く様に言うと、樊稠は眉を寄せてうなだれる。
「その通り。それに関してはこの樊稠、返す言葉も無い」
「それで済む問題か!」
「まあ、待て。今は身内で争っている場合では無いだろう」
李傕まで加わって来たところで、張済が間に入る。
「しかし王允が都を押さえたと言っても、太師を害する様な、まして樊稠を退ける様な武力は持っていないはず。誰かが王允に寝返ったと言う事になるが、それは分かっているのか?」
「……呂布だ」
張済の質問に、樊稠は声を絞り出す様に答える。
「呂布だと? 呂布は太師の養子だったはずではないか」
李傕の言葉に、樊稠は頷く。
「だが、間違いない。呂布だけでなく漢の武将の残党も王允と結託していた。あの場で戦っても勝ち目がないと判断したから郿塢城へ戻ろうとしたのだが、そこには既に徐栄が踏み込んでいた」
「皆さんに討伐命令が出ていたのも、徐栄の軍を郿塢城へ呼び込む為の王允の策だったのでしょう。その結果、郿塢城は空になり、その補充としてやって来たと思い込んで徐栄を招き入れてしまったわけです。徐栄は最初から郿塢城を焼き払うつもりだったようですから、中に入られた後では樊稠将軍でもどうする事も出来ず、下手に深入りした場合には郿塢城と一緒に焼き払われた恐れもあります」
樊稠の言葉に、賈詡が補足する。
董卓四天王と言われて来た四人だが、その地位を脅かす存在だったのが徐栄と華雄だった。
特にその強烈な見た目の割に武将として万能な能力を持つ華雄は脅威だったのだが、先の陽人の戦いにて消えてくれた事は董卓軍にとっては痛手だったとしても、四天王にとっては願ってもない事でもあった。
しかし徐栄はそこでも武勲を立て、その攻撃力と残虐性の高さを知らしめる事となり、軍師である李儒は扱いにくそうだったが董卓好みの人材でもある。
その徐栄が十分な兵力を率いて襲いかかってきたとすると、四天王も単独で戦えるのは樊稠くらいなものだろう。
それも互角の戦場であればの話であり、郿塢城の守護も視野に入れなければならない樊稠と、郿塢城がどうなっても構わない徐栄とでは条件があまりにも違いすぎて、まともに戦う事が出来ないという樊稠の判断は、間違っていない。
「それで、これからどうするかという事を相談する為に、皆をここに集めたのだ」
「論ずるまでもない! 今すぐ長安に攻め込み、裏切り者の王允、呂布、徐栄の首を落とすまでの事!」
李傕が吠えるのに、郭汜も同調する。
「勇ましい限りだが、長安は類稀な堅城。何しろ作った人間が言うのだから間違いない。そこを天下無双の呂布が守ると言うのだから、勢いだけでどうにかなるとは思えんな」
一方の張済は慎重だった。
本人が言う通り、何もない荒野だった長安に張済、樊稠、賈詡の三人は責任者として首都として機能する都を作り上げたのだ。
それは開かれた都洛陽と違い、敵だらけになる事を予想した董卓政権の都である事を想定した都だったので、防壁も高く力押しではまず落とすことのできない作りになったと自負している。
それだけに、まさかその城を攻める事になるとは思わなかった。
「例えば王允に降ると言うのは? 董卓軍とは言え、我らは軍の中枢。我ら無くしては漢の弱体化の激化に繋がるはず」
「おそらく、それは無理でしょう」
張済の提案を、賈詡は否定する。
「何故だ? ここにいる我らの兵数は十万近く。それを全て失うのは、王允としては避けたいのではないか?」
「いえ、確かに我らの兵数は数万に及びますが、一兵残らず殲滅させられると言う事は無く、また我らの兵とはいえ半数以上は漢の兵。王允にしてみれば、兵を補充出来れば将は必ずしも必要では無いのです」
「どう言う事だ? 千軍得やすくとも一将求めがたしと言うではないか」
李傕は腑に落ちないと言う様に、賈詡に尋ねる。
通常であればその通りと言えたが、今回の場合は状況が違う。
皇帝を擁する漢軍にとって、と言うより王允にとって当面の敵は董卓軍の残党である。
董卓軍の残党さえ打倒してしまえば、各地の太守達は都を攻める大義を失う。それ以前に、皇帝に反逆する行為として他の者から滅ぼされる大義を与えてしまうのだ。
そこで必要になってくるのは、董卓軍の勇猛果敢な猛将ではなく、外交に秀でた曹操のような弁舌の士であるのだから、むしろ董卓軍の武将はいない方が良い。
「なれば、一戦して雌雄を決すべし! 賈詡よ、貴様軍師を気取るのであれば良計があるのだろうな」
郭汜が賈詡を脅す様に言う。
「もっとも良い策は、戦わない事です」
「はぁ?」
気の抜けた声を上げる郭汜だったが、郭汜だけでなく賈詡以外の全員が同じ思いだっただろう。
「まず何より、あの呂布将軍と戦って万に一つも勝機はありません。黄巾の乱、丁原軍として董卓軍と戦った時、陽人の戦い、そして先の郿塢城近辺の賊軍との戦い、その全てで寡兵を率いながらほとんど犠牲も出さずに勝利された武将。下手な小細工が通用する相手ではありますまい」
「ではどうすると言うのだ! 戦っても勝てず、降るも許さず。我らに落ち延びろと言うつもりか!」
「いえ、李傕将軍。我々の敵は呂布将軍では無いのです」
「要領を得ないな。回りくどい物言いではなく、率直に申せ」
李傕は賈詡に言う。
「呂布将軍は戦えば万夫不当、古今無双の英雄ではあるものの、珍しく武勲に興味の無い温和なお人柄のお方。例え命令があったとしても、我らを積極的に討伐しようとはしないでしょう。それに対し王允は何があっても我らを討伐したいと考えるはず。また、徐栄も我らを邪魔に思っているでしょう。そこが狙い目です」
賈詡はそう言うと、近辺の地図を広げる。
現在の仮設拠点と長安の間には、多少入り組んだ道と戦場向けの開けた広野があった。
まずはその広野にほぼ全軍を布陣させる。
だが、普通であればそんな挑発に王允が乗るはずもない。
長安と言う守りに優れた城にあり、それを守るのは天下の名将呂布奉先。兵糧も董卓がかき集めた事もあって、物資は十分にある。漢の正規軍も弱体化しているとはいえ健在である事から、徹底的に籠城すれば郿塢城と言う拠点を失った旧董卓派の残党は長期間その勢力を維持する事は出来ない。
また、董卓軍の中心である西涼兵は騎馬術に優れ、歩兵も極めて攻撃力が高い事もあって、野戦を挑むのは明らかに下策。
まして急遽城攻めとなった旧董卓軍には攻城兵器の備えも無いので、どれほど精強な兵、勇猛な武将を揃えていても、長安を力で落す事はまず出来ない。
「つまり勝目は無いと言いたいのか? 何のための軍師だ!」
「策はこれからです」
李傕が怒鳴るのを、賈詡は冷静にいなす。
だが、今回に限ってのみ王允は野戦に乗ってこないといけない理由がある。
それは敵が旧董卓軍の中でも樊稠、張済、賈詡であると言う事だ。
この三人は長安建設の責任者であった三人であり、後から占領した王允の知らない秘密の抜け道の様なモノがあるかもしれない。
つまりどれほど優秀な将が守っても、攻城兵器などが無いにしても、長安を陥落させる兵を誰も知らないところから送り込んでくる事が考えられる。
誰も知らない内に城内に兵を送り込まれては、高い城壁も堅い門も、外敵に対する備えそのものが無力化されてしまう。
何があっても、樊稠達を長安に近付ける事は許されないのだ。
相手は不利を承知でも、野戦にて旧董卓軍を撃退しなければならない。
一方の旧董卓軍にも、無視出来ない問題があった。
漢の正規軍と旧董卓軍の兵の質で考えれば、開けた野戦において考えた場合圧倒的に旧董卓軍の兵の方が優っている。
問題は将である。
董卓四天王はそれぞれに優れた武将であるのだが、より野戦にて実力を発揮する武将である徐栄、呂布が相手なのだ。
それでも徐栄はまだどうにかなるとして、赤兎馬に乗る呂布を開けた戦場で相手をしなければならないのは、先ほどの賈詡の言った最良の策は戦わない事だと思えてしまう。
何かと大言して自己主張する李傕や郭汜も、大きな障害物の無い開けた戦場で常軌を逸した速度の赤兎馬に跨った、非常識な威力を誇る弓と尋常ならざる武勇を持つ武神呂布と戦わなければならないと考えると、言葉も無いようだった。
「まず、初戦から呂布将軍が出てくる事はありますまい。十中八九、呂布の前に徐栄が出てくるでしょう。呂布将軍は先陣の武勲にこだわる性格では無い一方、徐栄はここで呂布将軍より武勲を上げて自分の方が上だと証明したいはず。ゆえにまずは徐栄対策です」
賈詡は李傕や郭汜が口を挟む前に、根拠を説明する。
徐栄の騎兵隊であれば呂布よりはマシと言う気になるが、だからと言ってそれならば楽勝だと言う事にはならない。
単純な武勇や指揮能力で言えば、徐栄は李傕や郭汜、張済より上と言う評価である。
だが、呂布では手の打ち様もないところでも、徐栄であれば策を用いて撃破する事は出来る。
「こちらが徐栄を知る様に、徐栄もこちらの手の内を知っています。そこを逆手に取ります」
対徐栄戦は、こちらは全軍で当たると賈詡は言う。
正面に樊稠を置き、左翼に郭汜、右翼に張済、後方に李傕を配置する。
重装備の樊稠軍に徐栄が真正面からぶつかるはずもなく、必ず両翼どちらかに回り込もうとする。
徐栄の騎馬隊にはそれだけの機動力がある。
そこで罠の使い方の上手い郭汜の軍の前に逆茂木を配置し、少し早めにそれを見せる事によって、徐栄を張済の方へ誘導する事が出来る。
張済の軍の前には、前もって落とし穴を準備しておく。これは先頭をゆく騎馬の足を取るだけで十分なので、さほど深く掘る必要も無いのでバレない様に仕掛ける事は難しくない。
徐栄が張済の方に向かう動きを見せたら樊稠、郭汜は前進、後方の李傕も張済の軍の後ろから回り込んで徐栄を包囲殲滅する。
と、言うのが賈詡の策だった。
「……見事! これならば勝利間違いなし!」
張済は手を叩くが、賈詡は首を振る。
「策はこれで終わりではありません。ここからが本番です。徐栄を討ち果たした後はいよいよ呂布将軍との戦いですが、先ほども申した通り呂布将軍と戦って万に一つも勝目はありません。多少の策でどうにか出来る様なお方では無いのです。ここからは時間との戦い。誰か一人でも失敗したら、我らは皆一網打尽にされるでしょう」
賈詡はそう言うと、四天王を見る。
「王允は何があっても、樊稠、張済の両将軍を長安に近付けたくはないはず。もし両将軍のどちらかが戦場で姿が見えない様であれば、まず間違いなく呂布将軍を呼び戻し守備につかせる事でしょう。そうなっては都を落す事は不可能となります。故に、都攻めは李傕、郭汜の両将軍にお任せする事となります」
賈詡はそう言うと、李傕、郭汜の両将に策を授ける。
「先ほども申した通り、これは時間との戦い。都には財宝などの誘惑もありましょうが、野戦を行っている樊稠、張済将軍はいざとなれば逃げ出す事も出来ますが、少数の兵で都に潜入する李傕、郭汜将軍には逃げ場が無い事をお忘れ無く」
「ふん、言われるまでもないわ」
さすがにそれは言われなくても分かっている、と言う態度の李傕と郭汜だったが、それでも賈詡は二人に対して念を押していた。
もちろん、この時からすでに賈詡の策は動き始めていた事に気づいている者など、いるはずもなかった。
本編で語っていない比較的重要な出来事
前回孫堅の事がちらっと出てきましたが、この時すでに孫堅文台は劉表との諍いによって命を落としています。
これによって孫堅の勢力は崩壊、長男の孫策と孫堅の主力は袁術に吸収される事になりました。
袁紹は韓馥と劉虞を皇帝にしようと動きましたが失敗。元々公孫瓚と上手くいってなかった韓馥は袁紹に助けを求め、領地を騙し取られてしまいます。
実はこれは袁紹と公孫瓚の策で領地折半との話だったのですが、袁紹が拒否したので公孫瓚との関係が激しく悪化してしまいました。
ちなみにこの時の袁紹軍には荀彧や趙雲が、公孫瓚の元には劉備三兄弟がいます。
無職でぶらぶらしていた曹操は袁紹から仕事しろと言われて、もっぱら賊退治に勤しんでします。
近くの土地で太守をやっていた劉岱が黄巾賊残党に殺されてしまったので、その後任となって黄巾賊残党をまとめて制圧する事に成功しました。いわゆる『青州兵』です。
ちなみにこの時、陳宮は曹操陣営で絶賛軍師中です。
多少前後してはいますが陽人の戦いから董卓暗殺後くらいまでの、比較的本編にも関わってきそうな出来事でした。




