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新説 呂布奉先伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第三章 其れは連なる環の如く

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第十五話

 その報せを聞いた時、王允は思わず喜びの声を上げるところだった。

 これをこそ待っていたのだ。

 何をどうやったところで呂布を董卓から寝返らせる事は出来そうに無かったので、王允はそれを目指すのではなく、董卓の方から呂布を切り離す様に仕向けた。

 今回の事は、当事者である貂蝉や軍師である李儒が火消しに奔走したようだが、それでも董卓は収まらず、呂布もその家族も、その一派も全て皆殺しにすると言って聞かなかったくらいである。

 もちろんこれに喜んだのは王允だけではなく、董卓の後継者を狙う董卓の身内達は露骨に小躍りして喜び、一気に呂布外しの攻勢をかけてきた。

 将軍職に復帰したものの、呂布は軍の実戦部隊からは外され、さらに張遼や荊州時代からの呂布軍も丸ごと外される事になった。

 普通に考えればこれは単なる弱体化でしかないのだが、現時点での長安近辺には強大な敵対勢力は存在していないと言える。

 少し西に行けば西涼の馬騰、韓遂の軍、少し南に行けば袁術の軍があるが漢軍の規模と比べると単体勢力では太刀打ちできそうにない。

 袁術軍は一太守が抱える軍備としては大き過ぎるほどなのだが、さすがに一国の軍事力と比べるのは厳しい。

 が、それも呂布や張遼などの有能な武将がいての話であり、董卓四天王や徐栄といった武将や牛輔などの董卓の親族では、それぞれの欲による覇権争いが始まるだけである。

 董卓軍崩壊の兆し。

 その止めの一撃こそ、呂布による董卓暗殺。

 呂布こそ董卓軍の武の象徴である。その武将が董卓と決別したと言うのを一目で分かる結果が、董卓政権の完全崩壊となるのだ。

 が、この流れのまま呂布を凶行に走らせる事が出来るのかと言うと、実はまだ不安がある。

 呂布は誤解によって董卓の怒りを買い、董卓から短槍を投げつけられたと言う。

 それは殺意の表れであり、ちょっとした手違いではない。

 通常であれば、それに対して怒りを見せるところだが、呂布は誤解から董卓を怒らせてしまった事を反省し、その誤解を解く事に尽力すると言う猛将とは思えない行動を取っている。

 もうひと押し、何らかの手を打たない限り呂布は何らかの処分は受けるだろうが、董卓も馬鹿ではない。

 今は頭に血が上っていても、数日もすればあの冷徹な知性と決断力も戻り、自分の愚行に気付き軌道修正してくる。

 その前に何としても呂布をこちらに引き込まなければならない。この好機を董卓にとっての『絶纓の会』にする訳にはいかない。

 切り札は用意してあるのだが、それだけではまだ心許無いのだ。

 もう一手、呂布の心を大きく揺さぶってからでなければ切り札を出しても、呂布を動かす事に失敗するかもしれない。

 その為の一手として浮かび上がってきたのが、李粛と言う騎都尉の武将だった。

 武将としての実績で考えると、とてもそんな地位につける様な武将とは思えないほど凡庸で、凡庸と言うよりむしろ低脳と言うべきかも知れないほどである。

 呂布と同郷の出身であるらしいこの男は、ある時から突然董卓軍の騎都尉として現れた。

 王允ですら、この男の存在は調べるまで知らなかったくらいである。

 特に出自に恵まれた風でもなく、これといった武勲も無く、名家名門の後ろ盾があるわけでもない男が三十代そこそこで騎都尉と言うのは普通では考えられない。

 よほど董卓のお気に入りだったのかも、と詳しく調べたところでようやく呂布と同郷と言う事が分かった程度の男だ。

 しかも何を思ったのか、この男は現在の地位に対して強い不満を持っていると言う。

 この男の能力から考えると騎都尉でさえ大抜擢と言えるのだが、本人はそう思っていないらしい。

 先の反董卓連合との戦いにおいて、実は最初から参戦していた武将の中の一人であり、汜水関と虎牢関の二つの門の攻防戦や、その後の遷都による撤退戦などの全ての戦いに参加しながら、一切の武勲を上げる事なく生還した、ある意味では奇跡の所業の男と言えた。

 反董卓連合との一連の戦いは『陽人の戦い』として記される事になったが、李粛の戦績は出世どころか敗戦の責任として良くても将軍位の剥奪、通常であれば死罪は免れないところであるにも関わらず、何のお咎めなしの現状維持である事など本来考えられない恩赦を与えられている。

 しかし、本人はこれにも大いに不服らしい。

 実際に王允は李粛を呼び、本人とじっくり話し合ってみた。

 李粛が言うには、呂布を丁原陣営から董卓陣営に寝返らせたのは、同郷の出身であり呂布からの信頼も厚い自分の功績だと主張している。

 しかし、軍師の李儒がその事実を歪めて手柄を横取りして董卓からの信頼を得て、自分には騎都尉と言う地位で誤魔化した、と言うのが李粛の主張する呂布の裏切りの顛末らしい。

 王允には李粛如きの手柄を李儒ほどの男が横取りするようにも、またその必要性も感じられないのだが、李粛にとってはそう言う事のようだ。

 同じように陽人の戦いでも、初戦で孫堅に押し込まれかけた時に汜水関に守備の指示を出したのは自分だと言い張っている。

 どう考えてもこの男が呂布や張遼はもちろん、その時汜水関にいた華雄などに指示を出して動かせるとは思えないのだが、本人は汜水関が陥落しなかったのは自分の指示の的確さだったと主張していた。

 しかし胡軫や趙岑を失った事について尋ねると、それは現場の人間が悪いと言い出した。

 胡軫は最初からこちらの言う事を聞かずに出撃して討たれ、趙岑も自分の能力を過信して孫堅軍の波に飲まれたので、自分には責任がないと李粛は堂々と答えた。

 胡軫に関しては呂布から聞いた話と似ているものの、趙岑に関して呂布は守勢の指揮官であった事が孫堅から狙われる原因になったと言っていた。

 どうにもこの李粛と言う男は、自己評価が極めて過大で他者を過小評価する傾向が極めて強いらしい。

 それで言えば呂布とは真逆に感じるのだが、李粛が言うには呂布は自分の事を親友だと信じているので、自分の言葉であれば呂布を動かす事は簡単と言う事である。

 とても信じられない。

 李粛と言う男の言う事のほとんど全てが嘘では無いかと言うほど疑わしいのだが、謎の多い丁原からの離反劇について詳しいところを見る限りでは、何らかの形で李粛が関わっている事だけは間違い無さそうだった。

 そして、その件に絡んでいると言う事を考えると、呂布に対して何らかの影響力を持つ事も有り得る事だと王允は考えた。

 さほど役に立つと思われる駒では無いものの、逆に言えば処分しやすい駒でもある。

 それより問題なのは、いよいよこれ以上深く足を踏み入れると引き返せない事だった。

 今のまま現状維持していれば、少なくとも王允に被害が及ぶ事は無い。

 もしかするとこのまま董卓と呂布の仲は険悪になり、わざわざ王允が危険を冒さなくても、呂布は愛する家族を守るために行動に出るかも知れない。

 そんな甘い考えを、王允は否定する。

 正直に本当の事を言えば、董卓を洛陽の都に引き入れた時はこちらから何かしなくても、勝手に自滅するだろうと王允は予想していた。

 黄巾の乱では連戦連敗、賄賂によって生き延びて西涼の地へ飛ばされた程度の小物で、分不相応の野心に振り回されるだけの男だと侮っていた。

 その結果が、現状である。

 ここで日和見を決め込んだ場合、呂布と董卓の仲が悪化する事より改善修復の方が遥かに考えられる事であり、李儒や底抜けのお人好しである貂蝉が現状を良しとするはずがない。

 例え口先だけで役に立たなさそうな男の助っ人であったとしても、呂布を揺さぶれるのであれば、ここが勝負どころである。

 王允は覚悟を決めて、呂布を呼び出した。

 基本的にお人好しの呂布は、そこに策があるなどと考えもせずに王允の呼び出しに応じる。

 その為の信頼関係は、築いてきたつもりだった。

 これが牛輔や李傕などだったらさすがの呂布も警戒したはずだが、呂布は特に供回りの者や家族も連れる事なくやって来た。

「こんばんは、王允殿。何やら火急の報せと聞いてやって来たのですが」

 呂布は出迎えた王允に挨拶しながら尋ねる。

「ええ、今夜のウチに将軍にはお伝えした方が良いと思いまして、失礼ながら呼び出させていただきました」

 王允は敢えて周囲を気にする素振りを見せる。

「何か気がかりでも?」

「今夜の報せは、内密なもので」

 王允がそう言うと、呂布の表情も険しくなる。

 普通だったらここまで芝居がかった事をすると返って不信感を招くのだが、呂布や貂蝉の様なお人好しにはこれくらい分かりやすくした方が伝わりやすい。

 王允と呂布は人目を忍ぶ様に屋敷に入り、いつも招かれていた客間ではなく、別の個室に案内される。

 その部屋は灯りをわざと弱めて薄暗く演出し、ただ事ではない雰囲気を作っていた。

 そこにはすでに一人、李粛が待っていた。

「李粛?」

「やあ、奉先。陽人の戦い以来だね」

 李粛はそう言うと、呂布に席を勧める。

 呂布は険しい表情のまま席に着くと、李粛も座り、王允も一度外の様子を見た後に戸を閉めて席に着く。

「実は将軍に良くない報せがございます」

 王允が切り出す。

「先日将軍と太師の間で何やら大きな諍いがあったと聞きましたが、太師のご立腹、日増しに激しくなっていく次第。ついには呂布将軍とその家族に捕縛命令が出されました」

「なっ! い、いや、李儒軍師からは確かに太師はへそを曲げられているものの、特に厳しい罪には問わないと聞きました。しばらく謹慎の後に新たに任を与えると言われています」

 呂布は驚いて言う。

 その言葉に驚かされたのは王允の方だった。

 今ならばこちらが先手を打てると思って行動したのだが、さすがに李儒は打つ手が早い。

「はたしてそうでしょうか。李儒軍師がこの真実を知っていた場合、呂布将軍に正しく伝えると思いますか? それに呂布将軍も太師の気性はご存知のはず。太師の勘気に触れた張温殿の妻がどのようになったか。太師を一度怒らせると、それは当事者だけでは済まない事は、今更私如きが言うまでも無い事でしょう」

 王允が呂布に言う。

 李儒から聞いた事と張温の事は何の関係もなく、単なる論点ずらしでしかないのだが、呂布はその事に気付いていない。

 それだけ張温とその妻の末路は、印象に強く残っている事なのだ。

「しかしそれとこれは……」

「奉先、僕が君の家族を逃がさない様に抑えろ、と命令されたんだ」

 李粛の言葉に、呂布は言葉を失っていた。

「正直に言うと、どうしていいかわからなくなってね。それで王允殿に相談したところ、例え主君の命令に背く事になっても人の道を外れる訳にはいかないと思って、奉先に知らせる事にしたんだ。王允殿には、その背中を押してもらったわけさ」

 李粛は呂布に向かって、神妙な面持ちで言う。

 物凄く嘘臭く聞こえるかもしれない李粛の言葉だが、これがほとんど事実であるので呂布が疑ったところで、李粛も詳しく説明する準備は出来ていた。

 ただし、真実は違う。

 この時の李粛の主君は、董卓では無い。

 李粛は董卓の親族の命令で動いている。実際に命令を下したのは董白なのだが、さすがに子供の、しかも女の子に命令されたと言う事実は自意識の高い李粛には認められない事でもあった。

「い、いや、太師であれば、きっと話せば分かってくれるはず……」

「奉先、知っているか? 『狡兎こうと死して走狗そうくられ、高鳥こうちょう尽きて良弓りょうきゅうかくる』と言う。春秋時代、越王に仕えた范蠡はんれいの言葉で、漢創始の名将韓信も用いた言葉だよ」

「何が言いたいんだ?」

「陽人の戦いによって、董太師に逆らえる勢力は無くなった。今となっては奉先ほど突出した武力を持つ武将は、太師にとってもはや必要無くなったんだよ」

 李粛の言葉に、呂布は表情を険しくして無言を貫いている。

「だけど、奉先が死んだらどうなる? 董太師を諫められる者はいなくなり、これまで以上の蛮行が行われる。何一族がどうなったか、奉先は知らないのかい? 劉弁陛下は親の罪を被せられて殺され、何進大将軍の弟の何苗殿もその母君さえも死後に墓からその遺体を暴かれ、切り刻まれた上にその屍は洛陽の門に貼り付けにされていた。太師は罪人にも、その家族にも容赦しないぞ」

 洛陽から遷都の際、そう言う事が行われた事を王允は知っているが、その時にはまだ反董卓連合との戦いのために兵を率いていたはずの李粛が何故その事を知っているのかは不思議な事である。

 あの時はまだ李粛は呂布の指揮下にあって、都での仕事は無かったはずなのだが。

「……俺にまた親を殺せ、と?」

「将軍、それは違います」

 李粛に王允が助け舟を出す。

「道を正す事は、子として、忠臣として、人としての正道。この国、漢でも高祖劉邦の妻であり高祖死後に実権を握り悪逆の限りを尽くした呂一族を排した者達こそ、漢の忠臣であり、その権力に縋って野放しにする者こそ大逆の罪。聡明な将軍であればご存知のはず」

「ですが」

「まだあります」

 呂布が反論しようとするのを、王允が遮る。

「将軍。将軍は太師のための剣ですか? それとも、国家を守る為の将ですか?」

 王允の質問に、呂布も李粛も首を傾げる。

「将軍、董卓討伐は天子様の意志でもあるのです」

 王允は『勅』の印のある巻物を取り出す。

「将軍に決めて頂きたい。董卓の養子として罪人であるとしても父親を庇って皇帝陛下の勅令を反故にするか、例え父殺しと言われても国と家族を守る衛士となるか」

 王允はそう言うと、詔勅を呂布に渡す。

「董卓陣営は賈詡や李儒など切れ者も多く、この事もいずれ発覚する恐れがあります。この件を太師に伝えれば、将軍の信頼は回復する事でしょう。どうされるかは、将軍次第です。私は将軍の意志に従います」

 王允はそう言うと、呂布に頭を下げる。

「奉先、僕も君に委ねるよ。ただ、これは他の誰かに話せる内容じゃ無い事は奉先もわかってるだろう? 今、この場で決めてくれ」

 呂布を動かすのは欲得では無く、情義に厚く、その性格は善良にしてお人好し。

 だからこそ、大義を与える事と自身ではなく家族の危険から守ると言う目的を明確にする事。

 呂布は険しい表情で目を閉じ、唇を噛み締めて深く悩んでいたが、王允には呂布が出すであろう答えはわかっていた。

故事あれこれ


絶纓の会は三国志よりずーっと前の話です。

おおまかに言うと、王様の宴の席で明かりが消えた隙に妃にボディタッチした男がいて、妃がその男の冠の紐をむしり取ったと王に告げます。

すると王は明かりを点ける前に参加者全員の冠の紐をむしり取る様に命じ、セクハラした臣下を庇いました。

王に庇ってもらった臣下は、その恩に報いようと物凄い武勲を上げた、ってな感じの話です。


狡兎死して走狗烹られ~の方は、本編でも触れた通り、韓信が引用した言葉として有名です。

ようは兎狩りに使う犬も、兎がいなかったら必要なくなると言う事です。


この二点の故事、実は三国志演義の中でも登場します。

狡兎~の方は本編と同じく李粛が呂布を説得する時。

絶纓の会はぶち切れた董卓を李儒が説得する際に用いてます。

本編の王允はその時の会話を聞いていたので、そうはさせるかと思ったのでしょう。

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