第六話
あまりにも凄惨な血の宴は董卓軍内ならともかく、漢の重臣達には凍りつくほどに心胆を寒からせる衝撃だった。
すぐに王允の元へ漢の重臣達が集まってきた。
その人物達は鄭泰、何顒、种輯と言った侍中や、遷都に反対して降格したものの短期間の内に大臣に返り咲いた荀爽の他、荀爽の一族に連なる若き異才、荀攸公達もいた。
「あの人無きが如し所業、断じて許すまじ!」
鄭泰は憤りを隠さず、怒鳴り散らす。
「聞けば、張温将軍に内通の事実は無く、濡れ衣であったとか。かつての上司に対する不満を晴らしただの、張温殿が娶られた新妻を手に入れるためだったのと言われております」
种輯は鄭泰とは違い、冷静に言う。
「その後朱儁将軍も罷免されたとか。これにて漢の正規軍は事実上消滅した事になります」
「それは早急であるぞ、种輯よ。まだ皇甫嵩将軍の一族がおり、その者達の影響力は充分に軍部に鳴り響いておるではないか?」
荀爽はそう言うが、冷静な种輯は首を振る。
「先の血の宴の際、皇甫嵩の甥である皇甫酈を見ましたか? 董卓に媚びへつらうあの浅ましい姿。とても誇り高き漢軍の姿ではありません」
「そうでしょうかね?」
退屈そうに見える荀攸が、やはり気だるげに言う。
「何が言いたい、荀攸よ」
种輯に睨まれ、荀攸は慌てて手を振る。
「ああ、いやいや、お気になさらずに」
「良い、公達。申してみよ」
荀爽に促され、荀攸は困ったように頭を掻いている。
「あの場での皇甫酈殿の行動は確かに董太師に対して媚びへつらった行動に見えたかもしれませんが、そのお陰で皇甫の一族に兵権を持たせる事に成功していますし、その後の皇甫嵩将軍の行動の非礼でさえ不問にさせました。それは見事としか言い様がないと思うんですが、どうですかねぇ?」
「それこそ董卓に媚びている証拠」
「ですよねぇ。そうじゃないかなぁ、とは思ってたんですよ」
种輯に言われ、荀攸は頭を掻きながら言う。
「いずれにしても、漢の正規軍が事実上解体された以上、董卓を廃する武力は無くなったと言える。もはや董卓を廃するには暗殺しか無い」
何顒がそう言って周囲を見る。
皆が乗り気の表情を見せる中、荀攸と王允は険しい表情を見せる。
「公達は反対か?」
荀爽が尋ねると、荀攸は困った様な苦笑いを浮かべる。
「いや、反対って言うか、今さら暗殺が成功すると本気で考えているので?」
荀攸の言葉に、全員が荀攸の方を見る。
「うわーお、そんなに注目されても困っちゃうんですけど」
「どう言う事だ、公達」
「どういう事だと言われても、暗殺ってのは回を重ねるごとに成功の見込みは薄くなるわけで、これまでに何回失敗してますか? ちょっと無謀過ぎると思いまして」
荀攸の言葉に反論出来る者はいなかった。
こんな事を言うべきでは無いだろうが、最初に丁管が感情に任せて笏を投げつけた事がもっとも大きな問題となった。
さらに同じように感情に任せた伍孚の行動が、さらに致命的だった。
これによって暗殺は、まず成功しないと思わせられるほどに董卓の警戒心が強くなってしまったのだ。
それでも曹操は成功の一歩手前まで行ったと言えそうではあるが、結局のところ誰一人として董卓に傷一つ付ける事さえ出来なかった。
最大の障害となるのが、やはり呂布の存在である。
丁管の時はともかく、伍孚は感情任せの行動ではあったもののそれだけに完全な不意討ちだったはずにも関わらず、呂布はその行動に気付いていち早く動いて董卓を守ってみせた。
また、反董卓連合で見せた人間離れした武勇や先の賊軍との戦いでも、古今無双の猛将と言う名声を欲しいままにしている。
「ならば呂布をこちらに引き入れれば良い。呂布は以前養父の丁原を切っている。金銀財宝を積めば、こちらに寝返るだろう」
鄭泰はそう言うが、それには王允が首を振った。
「都を離れる前に曹操が言っていたが、呂布は欲得で動く男では無いらしい。皆も今の呂布を見ていればそれは分かるであろう?」
王允が尋ねると、荀爽と荀攸などは大きく頷いている。
他の董卓軍の武将と比べ、呂布は立てた武功の巨大さに対して充分な恩賞を得ているとは必ずしも言えないところがある。
多くの金銀財宝が贈られているものの、呂布は将軍としての位はさほど高くなく、またその財宝類もほとんど金に替えて家人や近隣の住人などに配ってしまっていると言う。
呂布とその妻の厳氏は素晴らしく見栄えがするのでそこばかり目が行くが、二人の身なりは普段は質素そのものであり、呂布の家に出入りする家人の話では食事も質素でありながら、不平を言うでも無いらしい。
呂布夫妻は、貧しい生活をしていると言う訳ではなく、好きでそう言う質素な生活を送っているそうだった。
二人とも田舎の出身である為、都の生活習慣に馴染めないのかもしれない。
見た目が充分過ぎるほど派手である為、そう言うところも調べてみなければ分からないところでもあった。
今にして思うと、曹操の凄まじさを王允は感心していた。
曹操は暗殺を決めてからもごく普通に生活していた上に、自ら暗殺の刺客として董卓の元まで近付いた事や、あの超人的な勘の鋭さを持つ呂布や慎重で用心深い李儒にさえ刺客である事を悟らせなかった。
また、曹操は事細かに董卓軍の陣営の事も調べていた。
失敗する事は考えていなかったであろう曹操だが、暗殺に失敗しながら董卓と呂布と言う二人の豪傑の目の前から逃げおおせる事も、誰にでも出来る事ではない。
つまりこれから暗殺を成功させようとするのであれば、曹操以上に董卓の事を調べ上げ、さらにあの軍師李儒に気付かれる事なく周到な準備が必要になってくる。
この様なところで談合していて、それが成功出来るはずもない。
若いとはいえ、荀攸はその事を分かっているのだ。
「呂布、李儒がいる限り、董卓の暗殺はまず成功しない。それは私も同じ考えである。その上で董太師暗殺と言うのであれば、どのような策を考えているかを聞いておきたい」
王允はそう言って、何顒の方を見る。
「確かに呂布は噂と違って欲得で動く人物では無いかも知れず、また李儒もこれまで名を聞かなかったとは言え並外れた切れ者ではありましょう。しかしながら、呂布や李儒が常に董卓と共にいる訳ではなく、その隙を突くは容易。あとは毒を塗った短剣の一突きにて」
何顒の自信満々の言葉に鄭泰と种輯は大きく頷くが、王允としては不満だった。
暗殺の手順としてはまっとうであり、下手に手を掛けない方が成功の見込みがある事も理解出来るが、何顒が口にしたのは策と言うより単純な手順の説明でしかない。
それで成功しているのであれば、曹操が失敗する事も無かっただろう。
何顒の武勇がどれほどのものだったとしても、呂布はもちろん、董卓に対してさえ及ぶべくもない。
おそらく毒の短剣の一突きどころか、かすり傷一つ付ける事は出来ないだろう。
荀爽も同じように考えているのか、表情は冴えない。
一人、荀攸だけは話に参加するつもりも無いと言うように、振舞われている酒や料理に舌鼓を打っている。
「うまっ! これ、すっげー旨い! 何コレ、ヤダコレ。うまうま」
大喜びで料理を食べている荀攸に、何顒は眉を寄せる。
「荀攸殿はお気に召されぬか?」
「ん? いやいや、完璧です。もう、文句のつけようもありません。きっと上手くいく事でしょう。実に素晴らしい!」
荀攸は食べながら答える。
「話は聞いていたのか?」
鄭泰が疑わしそうに、荀攸に尋ねる。
「そりゃ、アレでしょ? あの、イロイロある障害を上手くアレして、董太師をアレするって言う、そんな感じのアレでしょ?」
「分かってないではないか!」
「いやいや、分かってますって。完璧ですって。上手くいく事を祈ってますって」
鄭泰に責められ、荀攸は慌てて言う。
「それに私に何か言われたと言うだけで、自分の策に自信が無くなるのでしょうか?」
荀攸はそう言って首を傾げると、鄭泰も言葉に詰まる。
「後は日時や隙の付き方とかを突き詰めていけば、より良くなるでしょうから、頑張って下さい。応援してますから」
荀攸はそう言うと食事を再開する。
その口振りから、荀攸は董卓暗殺そのものに反対している訳ではなく、その手法で上手くいくとは思っていないようだった。
荀攸の態度や言動から、若手の中では相当な切れ者と言う評価の能力を期待していた鄭泰達は期待外れだったと思っているようだが、王允としては無視できなかった。
この男は、あえてこう言う愚か者を演じているのではないか。そうする事によって、自らの身を守っているのではないだろうか、と王允は考えた。
荀爽にも少なからずそう言うところも見られるが、荀一族は並外れた切れ者でありながら、その実力を隠す傾向にあるのかもしれない。
「ふー。後はその策の精度を高めて実行して頂く事にして、今日はお開きですかね? 王允殿、ごちそうさまでした」
満腹になった事で満足したらしく、荀攸はそう切り出してくる。
確かに話は一区切りついたところであり、お開きにするとしたらここだと言うところでもあったので、ごく自然に解散となった。
王允邸を出た荀爽達だったが、門の外には李儒と警備兵が五十人ほど槍を持って待ち構えていた。
「こんばんは。皆さんお揃いで、王允殿とどの様な会話を?」
李儒は脅す様な口調ではなく、本当にただの確認と言う口調だったのだが、王允邸から出て来た者達は蛇に睨まれた蛙の心境だっただろう。
「まー、国の行く末の話ですよ、軍師殿」
そんな緊張感とは無縁だと言わんばかりに、荀攸が答える。
「なるほど、国の行く末ですか。確かに太師暗殺の企ては、国の行く末に直結する話ではありますね」
李儒は苦笑い気味の表情を浮かべて、頷く。
「な、何を根拠にそのような事を……」
何顒が白を切ろうとするが、李儒は首を振る。
「王允邸ほどの豪邸になれば、何人の使用人がいるかご存知ですか? その使用人の中に金で情報を売る者が皆無だと思っていましたか?」
李儒はそう言うと、後方に向かって軽く手を振る。
それを見て、王允邸の裏口へ走り去る人影が見えた。
「皆さん、ある程度の証拠は揃っているのですが、さらに詳しく話を聞かせていただけますか?」
「……李儒軍師、誰からの密告だ?」
鄭泰はそういうものの、その目は荀攸を睨んで疑っている。
「密告などありませんよ。太師に仇なそうとする場合、誰を頼るかと考えた時、最初に警戒すべきはやはり王允殿でしょう。なので、この王允邸に複数人集まる様な場合にはこの様に警戒するわけです。何も無いのであれば、僕もそのまま帰れたのですが」
李儒はそう言うと、あくまでも任意と言う形で荀爽達を連行する。
「いやー、お勤め、ご苦労様です」
他の者達は血の気も失せて生きた心地もしていないようだが、荀攸だけは気軽に李儒に向かって話しかけている。
「これはこれは、荀公達殿ですね。お噂はかねがね。李儒と申します。他の方と違って、貴方は落ち着かれているのですね」
「いやー、こうなったら慌ててもどうにもならないでしょー。それに、反逆罪で裁くってなったら、わざわざ詳しい話の必要もないでしょー。その槍でグサーッとやれば済むわけですからねー」
「では、どの様にお考えで?」
「わざわざ李儒軍師が出張ってきたって事は、人材探しでしょ? とにかく人手が欲しいって訳で、反逆罪って弱みを握ってしまうのが手っ取り早いとか考えての事じゃないんですか?」
「……評判以上の方の様ですね。荀攸殿、折り入って頼みたい事があるのですが」
「折り入って? どんな事です?」
荀攸は興味深そうに尋ねる。
「蜀の地で不穏の種が育っています。ですが信頼出来る者も少なく、止める手立てを練るにも情報が少なすぎます」
「美味しいモノはありますかね?」
李儒の言葉を遮る様に、荀攸が尋ねる。
「……は?」
「食べ物です。美味しいモノが無いと仕事に張り合いが持てないものでして」
荀攸が深刻そうに言うので、李儒は苦笑いする。
「漢から離れ南蛮に近い事もあって、漢とは違う食べ物は多いのでは無いかと思いますが」
「じゃ、引き受けましょう。面白そうですし」
自分の置かれている状況が分かっているのか心配になるほど、荀攸は驚く程簡単に答えていた。
長安での董卓暗殺未遂事件
本編では巻き込まれた参謀の立場で話を進めている荀攸公達ですが、実際には主犯です。
この計画は未遂に終わり、荀攸は蜀の地に飛ばされる事になりました。
諸事情があって実際に蜀に行く事は無かったワケですが、演義では語られない荀攸のデビュー戦と言えるのが、この董卓暗殺未遂事件です。
ちなみに荀攸は、数百人の登場人物を誇る三国志の中にあって、おそらく唯一『暗愚』と言う単語が褒め言葉として使われている奇妙なお人です。
あの曹操が荀攸の事を、
「荀攸の聡明さを真似る事は出来ても、暗愚さを真似る事は出来ない」
と評するほど、巧妙に暗愚の衣をまとっていた人物です。
が、本編の様に語尾を伸ばしまくるアレな話し方では無かったでしょう。




