第三話
それで安定していれば、董卓の名は漢の歴史にも高祖劉邦を支えた人物である蕭何、曹参にも劣らぬ人物として刻まれていた事だろう。
だが、その日どころかその時々で言い分の変わる董卓である。
論功行賞の際に著しく評価を上げた董卓だったが、その評価を圧倒的に下げる事件は数日後に起きた。
長安に近い地である郿と言う地に、董卓の為の相国府を築くと言い始め、そこに住む者達の土地を取り上げ、さらに人夫としてそこに郿塢城を建設する事を独断で決定した。
これは董卓が完全に独断で決めた事である為、軍師である李儒も董卓政権において極めて重要な地位にある王允も知らず、目を白黒させていた。
この長安建設にも多額の費用が掛かっているのを、歴代の皇帝の陵墓を暴き埋蔵品を掘り返して費用に充てると言う暴挙に出て、かろうじてその費用を捻出した経緯がある。
相国府を建設すると言うだけであれば、それ自体は悪い提案ではない。
しかしその規模が皇城に匹敵する大きさと豪華さであり、その資金の目処も立たないまま建設を決定したのである。
その郿塢城建設には張済が名乗りを上げ、長安建設を高く評価された事もあり、今回は張済が責任者となったものの他に樊稠と賈詡も郿塢城建設の任に当たる事になった。
そこでもすぐに問題が起きる。
郿塢城周辺に妨害勢力が現れ始めたのだ。
張済、樊稠は共に百戦錬磨の猛将ではあるものの数十万人に及ぶ郿塢城建設の人員のほとんどが人夫であり、董卓から完成を急かされている中で兵力に割く事も難しい状態だった。
さらに、その妨害勢力は単純に先住民が武器を手に立ち上がったと言う訳ではなく、明らかに戦う事に慣れた、訓練された兵士である事も間違いなかった。
さっそく賈詡は董卓に援軍として呂布を派遣して欲しいと打診し、董卓はそれを快諾したのだが、横槍を入れる者がいた。
董卓政権では武の比重が極めて重く、そこでの影響力を持つ為には何よりも武勲を要求されると言う事もあり、李傕や郭汜、徐栄と言った董卓軍の主力武将が援軍として名乗りを挙げた。
呂布は董卓の警護と言う重要な役割もあると言う事を繰り返し、まずは郭汜が援軍として一万の兵を率いて向かう。
だが、その正体不明の妨害勢力に返り討ちにあってしまった。
その後、李傕や牛輔が二万、三万と言う兵を率いて援軍に向かったが、それでもその正体不明の妨害勢力を相手に惨敗してしまった。
次の敗戦の将は確実に死罪になると言う状況になり、本来であれば候補の武将であった徐栄ではなく、呂布に白羽の矢が立てられた。
通例通り張遼が呂布の副将に付いたが、もう一人皇甫酈が付いた。
しかし、率いる兵は騎馬のみの五千。牛輔の三万と比べるのはもちろん最初の郭汜の時の一万の半分の兵数である。
「なあ、文遠。いくらなんでも少ないんじゃないか? 僕があと二万くらい借りてきてやっても良いんだが?」
皇甫酈が張遼に向かって言う。
実戦経験では比べ物にならない差があるにせよ、皇甫酈の方が年齢でも階級でも張遼より上である。
その馴れ馴れしい態度に眉を寄せてながら、張遼は不満を飲み込む。
「必ずしも数が多ければ良いと言うモノではありません。呂布将軍の騎馬術についていけないのであれば、そこに連携の隙が生まれます。その隙を突かれては、せっかくの騎馬の優位性を失う事になりかねません」
「どういう事だ? わざと分かりにくく言っているだろう?」
至って基本的な事を簡潔に伝えたつもりだったのだが、張遼の説明は皇甫酈が理解出来るものではなかったらしい。
「つまるところ、全力で攻撃に出る騎馬の疾さに歩兵はついていけないだろ? 今回は賊を蹴散らす事が目的だから、敵の大将を早く倒せばそれだけ早く終わるんだ。ついていけない歩兵を狙われたら、その疾さを失う事になるって事だよ」
「はー、さすが呂布将軍ですね!」
呂布の説明に対し、皇甫酈は大袈裟に頷いてみせるものの、理解しているのかは分からない。
ひとまず郿塢城建設予定地に顔を出すと、多忙な張済や樊稠ではなく賈詡が呂布達を出迎える。
と言っても、賈詡は張済達にも劣らないどころか張済と樊稠を足した分より多忙なはずなのだが、そんな雰囲気を感じさせない。
「これは賈詡殿、お忙しいところわざわざ申し訳ございません」
「いえ、呂布将軍に御足労いただき、感謝しております」
賈詡は呂布に向かって頭を下げる。
「おい、文遠。なんかあの文官、偉そうで呂布将軍に対して馴れ馴れしくないか?」
「あんたよりマシだろ?」
「……あ?」
「すいません。ちょっと思ってる事が正直に口から出ただけですから、気にしないで下さい。あの人は賈詡文和といって、ただの文官ではなく正軍師李儒殿も認める能力ももった、いわば董卓軍の副軍師ですから」
「え? そうなの?」
「先の論功行賞の際にも、長安建設の功で賞与を受けていたでしょう?」
張遼は呆れながら言うが、皇甫酈は首を傾げている。
この調子だと、張遼が将軍位に付いた事も知らない恐れがある。
呂布は率いてきた兵士に休養を与え、張遼と皇甫酈を従えて賈詡と一緒に別の仮官舎へ行く。
「ところで賈詡先生、今回の正体不明の賊軍について、先生のお考えは?」
「先生は辞めて下さい。天下の名将、呂布将軍からそんな事を言われては誤解を招きます」
「それを言ったら、俺も天下の名将どころじゃない凡将ですよ」
お互いに謙遜し合っているが、張遼の知る限りではこの二人を武において呂布を上回る者は無く、智において賈詡を上回る者など天下広しと言えどほとんどいないと言えるだろう。
「ただ、気になる事はあります」
賈詡はそう切り出すと、自分が調べた事を呂布に伝える。
先の李傕や牛輔にも伝えるつもりだったのだが、その二人は最初から賈詡の言葉に耳を貸そうとしなかったと言う。
そう言う事前情報の大切さは、呂布より張遼の方が大事さを知っているので、是非にと言って賈詡から情報をもらう。
賈詡は郿塢城建設において事務方の仕事を一手に抱えているので敵を分析する時間も余裕も無いのだが、それでも多少話を聞いただけでおかしいと思ったところがあった。
第一に、勇猛果敢な西涼兵を中心とした攻撃能力が極めて高い董卓軍の武将達と戦える事がすでに異常であり、最低でも黄巾党の様に十分な訓練と士気の高さが無ければ賊が董卓軍と戦う事は出来ない。
つまり、突然現れた賊と考えるより、これは先の反董卓連合からの流れで諸侯の誰かの兵である可能性が高い事。
もう一つは、その賊軍の装備が非常に優れている事。
立ち位置の違いもあって、漢の正規軍と西涼兵を中心とする董卓軍と分けていると言ってもその装備は漢の正規軍と同じであったが、正体不明の敵軍は漢の正規軍と同等、あるいはそれ以上に優れた装備であると言う。
そこまで情報をもらうと、さすがに呂布でもわかってくる。
それなりの兵数をしっかり訓練して装備も同じように整える為には、当然ながら相応の財力が必要になるのだが、その財を捻出する事が困難であり賊が揃えられるものではない。
つまり各地の諸侯の誰かの兵と考えるのが自然なのだが、それらの諸侯は先の反董卓連合の戦いによってそれぞれに多大な被害を出している。
それでも装備を整えて兵を出せる勢力と言えば、袁紹と袁術、そして連合に参加していなかった丁原の後任で荊州の太守になった劉表、益州の劉焉くらいしかいない。
劉焉には会った事は無いが、李儒が言うには非常に胡散臭く、董卓と同様かあるいはそれ以上に天下への欲が強い人物であると言う。
しかし、益州からは遠過ぎる。
それは袁紹にも言える事なので、疑わしきは袁術か劉表のどちらかである可能性が極めて高い。
「おそらくですが、手引きしている者がいるはずです。呂布将軍に都合がつけば、敵の捕虜を捕らえて欲しいのですが」
「文官は戦を簡単に考えて困る」
難色を示したのは皇甫酈だった。
「戦場ってのは、文官が考えているように簡単にはいかないのだ。ねえ、将軍?」
「あ、まあ、うん。そうだね」
呂布は無理矢理に言葉をひねり出したが、皇甫酈は勝ち誇ったような表情で賈詡を見下す。
「賈詡先生、なんかすみません」
「いえいえ、張遼将軍が謝る事ではありませんよ。皇甫酈将軍はかの皇甫嵩将軍の甥。おそらくは何もかも思い通りになってきたのでしょう。また、武家の名門の生まれとあっては文官を下に見るのも当然と言う環境だったと思われますから」
「ですが、戦場において軍師の指示を文官の戯言などと言っていては、それこそ話にならないですよ」
張遼は皇甫酈に対して強い反感があるらしく、表情も言動も厳しくなっている。
その張遼の言葉は呂布にも聞こえているので、呂布は苦笑いしていた。
しかし張遼の言う通り、軍師の事を文官と侮ってその指示に従わないと言うのであれば、それは非常に大きな問題になる。
実はこの傾向は董卓軍に限らず、武官の半数以上に見られる問題でもあり、漢の武将でも朱儁や張温などにもそう言うところは見られるほどだ。
武官達には自ら血を流して勝利していると言う自負があり、ただ指示を出している人間に何がわかる、と言うのが武官の言い分である。
皇甫嵩にはそう言うところは見られないのだが、残念ながら皇甫酈は叔父である皇甫嵩ではなく朱儁などを手本に育ったらしい。
もっとも、呂布も少なからず同じような考え方は持っていた。
その考え方が変わったのは、反董卓連合の戦いの際に、戦場を実際に見る事なく戦場を支配したような指示を出してきた李儒の手腕を知ってからである。
一歩引いたところから全体を見ている軍師は、実際に戦っている武将達のように異常な興奮状態に無いのだから、より的確な指示を出せるのだ。
とは言え、実感による経験が無ければ言われただけで納得する事は難しい。
皇甫酈にもそういう経験を積んでもらうのが一番、と言う事だ。
「賈詡先生が軍師として参加出来ないものでしょうか?」
張遼が賈詡に尋ねると、呂布が首を振る。
「それでなくても多忙なんだ。賊の排除は俺達の仕事でもある。先生にはここまで情報をもらったのだから、後は俺達で何とかしよう」
「申し訳ございません」
賈詡は本当に申し訳なさそうに言う。
「いえいえ、敵排除が最優先で、余裕があれば情報を引き出す為に捕虜を捕らえる、と言う事で良いですね?」
「もちろん、それでよろしくお願いします。無理な注文を付けてしまったのですから、私からも一つ、有効と思われる策を将軍に用意しています。やる事は単純なのですが、一連の流れや要求される能力の高さを考えても、おそらく呂布将軍にしか実行出来ないと思われますので、採用するかどうかの判断は将軍の方でお願いします」
賈詡はそう前置きすると、呂布に正体不明の敵と戦う方法を伝授した。
「……なるほど、難しそうですが上手くいけば面白そうな手ですね」
張遼が何度も頷きながら言う。
確かに中々困難な行動を要求される策ではあるが、短期決戦を目論む呂布としては上手くハマった時にはこちらの狙い通り、一撃で敵を粉砕出来そうな策だった。
蕭何と曹参は三国志の武将じゃないよ
と言うより、そもそも武将ではありません。
漢の始祖、高祖劉邦の重臣の政治家です。
主な活躍は「項羽と劉邦」になりますが、ぶっちゃけると活躍と言うほど目覚しい活躍をする人たちではなく、ひたすら地味で堅実な脇役です。
とはいえ漢の建国に際し、諸葛孔明にも劣らぬ天才軍師『王佐の才』張良や、中国史上最強将軍にも挙げられる『国士無双』の韓信を抑え、武功第一に選ばれたのが漢の初代相国の蕭何で、二代目が曹参です。
ちなみに曹参は「そうしん」だけではなく、「そうさん」とも読みます。
曹参は曹操の祖父の血筋らしいのですが、祖父は宦官であったためその血は途絶えていますので、曹操は曹参の血筋とは言えません。
でも、高祖劉邦や項羽、張良、韓信の名前は三国志の中でも時々出てくるのですが、蕭何は出て来ません。
この人がいないと劉邦は高祖どころか、ただのダメ人間だった恐れがあるくらい出来た人で、劉邦の死後に漢と言う国をひっくり返す様な大事件が起きるのですが、それでもひっくり返る事なく、それ以降四百年続く漢の礎を作ったと言うのは途轍もない偉業でしょう。




