美女連環の計 第一話
第二話 美女連環の計
反董卓連合の追撃を躱し、董卓は新都長安へ入る事に成功した。
そこには新都建設の人夫やその家族などが既に暮らし、そこに洛陽からの避難民を合わせると数百万人となる大都市なのだが、それらの人数さえも余裕を持って受け入れられる規模の都であった。
董卓はこの新都を大いに喜んだが、漢の重臣たちは目を疑った。
彼らの常識では長安は何もない荒野で、洛陽に遷都してからは捨てられた大地のはずだという認識で、李儒の遷都案も結局のところ仮の小屋での暮らしになると考えていたのだ。
それを準備不足として董卓を責める材料にしようと考えていたのだが、宮殿はもとより城下町や一般市民の居住地を見ても、洛陽と比べて何ら遜色は無く、場合によっては新しい分だけこの新都長安の方が優れているところも多く目に付くほどである。
そしてその董卓を迎えたのが、長安建設に尽力していた樊稠、張済、賈詡と言った面々である。
「董相国、お待ちしておりました」
樊稠が恭しく頭を下げる。
「樊稠、この度はご苦労であった。この都、悪くないぞ」
董卓は樊稠に労いの声を掛ける。
「お喜びいただき、誠に恐縮です。全ては軍師である李儒殿の差配であり、ここにいる賈詡の監督の元に行った事。我らより、この賈詡を労って下さい」
樊稠はそう言うと、後方に控える賈詡を前に出す。
賈詡と言う男は西涼の男にしては貧相で、極端にやせ型で健康面に問題があるのではないかと不安を覚えるほどだが、その鋭い目だけが異様な光を放っているので見る者に彼に対する不信感を与える印象が非常に強い。
だが、実際の彼は謙虚で誠実な男であり、李儒は早くから賈詡の能力を高く評価していた為この長安建設の任を賈詡に与え、賈詡はその期待に見事に応えた。
「賈詡と申すか。見事な仕事である。何か望みはあるか?」
董卓の問いに対し、賈詡は頭を下げていう。
「この度は、急ぎの長旅であったと思われます。今は私如きへの労いより、相国ご自身と皇帝陛下の休息を優先させて下さいますよう。陛下や相国の代わりになる者など、この漢の全土を見回してもおられないのですから」
「うむ、よくぞ申した」
賈詡の答えに、董卓は満足げに頷く。
賈詡がこの場でこう答えたのは、彼自身が無欲だったと言う事ではなく、彼の並外れた危険察知能力によるところが大きい。
世間一般で董卓は物欲が強くケチな印象を持たれているが、実際には身内に甘く、立てた功績に対する恩賞に対しては大盤振る舞いする人物でもある。
この時賈詡が望みを口にすれば、おそらく董卓はその要望を快く受け入れただろう。
が、董卓がそうであっても董卓軍全員がそうではない。
賈詡は李儒の事は知っているので、李儒がそれに対して反対しない事も知っているが、董卓の娘婿の牛輔や李傕、郭汜と言った四天王、そして新たに養子となった呂布などがどう考えるか分からなかった。
その為、まずは董卓や皇帝である劉協の身を案じる事で矛先を変える事を優先させたのだ。
董卓軍内のみではなく、漢全土で内政努力より武功の方がはるかに評価されるものである。
ここで不用意に自らの功を誇る事は、正に今の今まで血を流しながら敵を倒してきた者達の反感を買う事を、賈詡は知っていた。
それは前もってわかっていた事でもあったので、賈詡は樊稠や張済に対しても下手に自分の功を誇る事は自分の首を絞める事になると念を押していたほどである。
董卓は気を良くして、樊稠達を伴って長安の新宮殿に入る。
皇帝の一行を差し置いて進む姿はまるで自らが皇帝であると言わんばかりであり、漢の重臣達は苦々しく思っていたのだが、すぐ近くにまるで疲れを感じさせない呂布が立っているので口を開く事も出来ない。
董卓は皇帝である劉協さえも従えて宮殿を練り歩き、宮殿建設に当たった張済は董卓が足を止める度に事細かに説明している。
そして、新しい玉座に到着した時、董卓は初めて劉協に対して道を譲り跪く。
「陛下、ここが新たな都、新たな玉座にございます。この董卓、陛下を過去のどの皇帝より雄大に語られる名にする為、粉骨砕身の覚悟で陛下にお仕えいたします」
董卓が率先して臣下の礼を取った為、同行していた者達も同じように臣下の礼を取る。
「董卓、その言葉覚えておくぞ」
劉協は董卓を恐れることなくそう言うと、新たな玉座に座る。
ここに、遷都が完了したのである。
もちろん、それで全てが終了した訳ではない。
「軍師殿、少しよろしいですか?」
解散となった後、賈詡が李儒を呼び止める。
李儒は呂布と共に、今後の事を話し合うつもりで呂布を呼び止めたところだった。
「ん? 俺は外した方が良いですか?」
「いや、呂布将軍も同席していただけるのであれば、その方が有難いです」
賈詡は呂布に対して言う。
呼び止めた理由もさほど重要案件と言うわけでもなく、この長安建設組となった者達はすでに長安にまで武名を轟かせる呂布奉先と言う武将の事を何も知らないので、是非とも呂布を紹介して欲しいと言う事だった。
「なるほど、確かにそうですね。皆さん、初対面だったわけですから」
李儒は笑いながら言う。
呂布は董卓軍の中枢として既になくてはならない存在であり、漢軍内全ての武将の中でも最強の呼び声高い人物だが、董卓軍内においてはまだ新参者でしかない。
特に洛陽に来る事なく長安建設に携わっていた樊稠達の方が、董卓軍としては長く在籍している。
本来であれば、呂布の方から挨拶に出向く事が筋と言えた。
「これは失礼致しました。呂布奉先です」
呂布が先に頭を下げた事に、長安建設組の武将達は目を丸くして驚いている。
「……あれ? 俺、何かおかしい事言いました?」
あまりに予想外の反応だったので呂布も驚いている中、李儒だけが苦笑いしていた。
呂布本人はまったく知らない事なのだが、脅威的な戦闘能力と非常識な武勲、そして養父丁原を切って董卓に寝返ったと言う事実のみが伝わっているが、人柄までは伝えられていない。
そこで誰しもが、典型的な董卓軍の武将だと勝手に思い込む事になる。
おそらく呂布とは圧倒的武力を振りかざす欲の塊で、誰よりも自分こそが優秀であると言う様な人物だと思っていたのだが、目の前に現れた男はおおよそ豪傑には見えない優男であり、物腰も柔らかく微塵も武の雰囲気を持たない男だった。
「こ、これは失礼致しました。樊稠と申します」
樊稠は慌てて頭を下げる。
続いて張済、賈詡がそれぞれ名乗る。
「立ち話もなんですから、場所を変えませんか? 賈詡、そう言うところはあるのかい?」
「もちろん。酒も用意させましょう」
李儒の申し出に、賈詡はすぐに返答する。
と言っても、賈詡が案内したところは別段秘密の部屋などではなく、ごく一般的な人が集まれる食堂の様な場所だった。
誰にも話を聞かれない様な空間では無いものの、自由な空間であるためよほど聞き耳を立てていなければ会話の内容までは聞き取る事が出来ないと言う一面もある。
その中でも隅の方の席に着けば、一応人には聞かれたくない秘密の会話もできなくはない事もあり、特別やましい事は話していないと主張する事も出来る。
意外な死角とも言える空間である辺り、賈詡と言う人物の周到さを感じさせた。
今日は政治的な事を考える必要のない、単純な顔見せと挨拶と言う事もあり、呂布も気楽と言う事もあったのだが、樊稠と張済と言う人物は董卓軍の四天王と言われているにしては一風変わった人物だった。
樊稠は董卓軍の中でも最古参の一人であり、個人の武勇であれば一騎討ち自慢の胡軫にも劣らない武勇の持ち主であったのだが、それより彼は西涼でも比較的名家の生まれであり、その財を董卓に提供して今の地位に付き、結果としてその時の財以上の財を築き上げた実績もある。
その出自のせいか、どこか育ちの良さを感じさせるところがあり、人望の厚い人物でもあるらしい。
また軍才も李儒や華雄、呂布が参入してからは目立たなくなっていたが、それまでは戦闘能力の高さで言えば董卓の次と言えるほどであり、胡軫や徐栄のように一騎討ちならと言うような条件もなく優秀な武将でもある。
同じ四天王と数えられてはいるものの、実際にはこの樊稠が一つ上と言うのが董卓軍内では共通の認識だったらしく、李傕や郭汜、四天王ではないものの徐栄などが反董卓連合との戦いの際に手柄を焦って固執していたのも、彼の存在の大きさからだと言う。
張済と言う人物は、その武勇などより愛妻家として知られている。
董卓軍内ではさほど評価されていない張済の妻なのだが、実は一般的に張済の妻として知られているのは妻の影武者であり、張済の本当の妻は絶世の美女なのだと言う。
が、それは噂の域を出ていないらしく、樊稠は会った事が無いと言っていた。
周囲からは残念な奥さんに耐えられず、脳内側室を妄想するあまり現実と区別がつかなくなったのではないか、と気の毒な目を向けられる事もある張済である。
二人共董卓軍の武将らしく武勇に優れ、戦いになると勇猛果敢な武将である事は間違いないのだが、一歩戦場から離れると董卓軍の中でも一風変わったところのある人物であると言う事も分かった。
李儒が好んで用いる人材らしい、懐の広さと言うか引き出しの多さを持つ人物だった。
会話が盛り上がる中で、ひっそりと存在感を消そうとしていたのが賈詡である。
李儒との会話は面白く、要点をまとめるのも上手いので相当な切れ者である事は分かるし、その実力は李儒自身も自身より上だと認めているほどだ。
賈詡も話してみるとそれほど取っ付きにくい訳ではないのだが、とにかく外見が胡散臭いと言う事を本人も気にしていた。
これまでどんな経験をしてきたのか呂布には知りようが無いのだが、口を開くと何か企んでいると言われる事が多かった為、自然と口数も少なく、存在感を消す努力をするようになったと本人は言う。
本人も気にしているように、確かに外見では損をしていると思われるが、ある意味では高順も似たような環境だったので呂布はちょっと納得出来た。
だが、賈詡のこう言う態度もそれはそれで疑われる事にもなる、と李儒は危惧していた。
優秀な人物と言うのはとかく妬まれるものであり、賈詡の能力は天下に軍師を称する人物は数多くいる中でも十指に入ると言うのが李儒の賈詡評である。
賈詡はそれを否定していたが、洛陽にも勝る大都市を建造しながらもその情報を一切洛陽にまで届かせなかった手腕は、目立たないが神業と言える所業だった。
賈詡一人の手柄では無いだろうが、李儒と賈詡がいればおそらく天下平定も夢じゃないと思ってしまう。
「ですが、呂布将軍も相当変わってますよ?」
酒が進んでほろ酔いになっている張済が、呂布に向かって言う。
「よく言われるんですが、俺ってそんなに変わってますかね?」
「変わってますね。多分、天下で五指に入る変わり者です」
李儒が笑顔で答える。
ある意味、賈詡より上ですか。
口には出さなかったが、呂布はその事に驚いていた。
「まあ、私は呂布将軍の事は名前を聞き及んでいる程度なのですが、それでも相当だと思いますよ? 悪い意味での変人ではなく、風変わりと言いますか、常人の価値観や考え方では無いと思います」
賈詡が淡々と言う。
李儒のように笑顔で言われるとこちらも笑って返せるが、賈詡のように冷静沈着にそんな事を言われると、どうしようもなく不安になってくる。
「変わっていると言うか、呂布将軍の武勲から考えると現在の地位はあまりにも低過ぎるからな。それで良いのか?」
樊稠は呂布に尋ねる。
最初は呂布に対する遠慮が強かった樊稠だが、年齢も階級も上の樊稠は呂布に対する遠慮も薄れていた。
妙にかしこまられるより、そちらの方が呂布も有難い。
「いや、どうにも過剰評価と言いますか、実際にはそこまで大した事はやっていないのに、噂ばかりが一人歩きしているんですよ。だから、この地位は妥当だと思ってるんですけど。おかしいですかね?」
と答える呂布に、李儒は楽しげに笑い、樊稠と張済は首を傾げている。
「……今の世の中に、ここまで武功に対して無頓着な武将がいるといは思いませんでした」
賈詡は本気で感心したように、そう呟く。
この後は張済の嫁自慢が始まったのでお開きとなったのだが、この時にはまだ彼らが剣を向け合う事になろうとは李儒にしても賈詡にしても、予想していなかった。
長安建設組
言うまでも無い事ですが、そんな役割分担は三国志正史でも三国志演義でもありません。
樊稠や張済もバリバリの武闘派で、樊稠は特別名門とか言う事は無いと思います。
が、武将として四天王と称される李傕、郭汜、張済の三名と比べると一ランク上だったと思ってます。
張済が愛妻家だったかはわかりませんが、多分張済自身より奥さんの方が三国志においては有名でしょう。
残念な張済が脳内側室を妄想していた訳ではありません。
もちろんそんな設定は三国志の中にもありませんが、あの董卓から奥さんを隠し通した(と思われる)手腕は中々なモノではないでしょうか。




