第六話
呂布としてはじっくり時間をかけて戦うつもりだったのだが、その時間にまさか三連戦を強いられるとは思っていなかった。
特に大きく動いた訳ではないが、さすがに一度拠点へ戻って休息を取っていたが、それも束の間、すぐに伝令が連合の動きを知らせてきた。
次に動いたのは、公孫瓚だと言う事だった。
公孫瓚と言えば北方騎馬隊を率いる勇将であり、野戦に限って言えば圧倒的攻撃力を持つ西涼兵を率いる董卓軍や、勇猛果敢な江南兵を持つ孫堅にも引けを取らず、北方の異民族特有と言える自在な馬術を活かした機動力は連合でも随一と言える。
その異民族による騎馬隊ゆえに『白馬義従』と称されるほどの、異民族さえも従える武将である。
「呂布奉先! 漢を乱す逆賊の剣! この公孫瓚が誅し、正してやる!」
公孫瓚が拠点の外から怒鳴るのが聞こえ、呂布は赤兎馬に乗って迎え撃つ。
諸将に名を連ねる公孫瓚が、騎馬兵による野戦ではなく一騎討ちを挑んできたのは意外だった。
「将軍、待って下さい」
「どうした、文遠」
張遼に呼び止められ、呂布は振り返る。
「華雄将軍を討ち取った男がいます」
「何?」
呂布は公孫瓚ではなく、その奥に控える公孫瓚軍に目を向ける。
素晴らしく目立つ大男が二人。
一人は見事な美髯の男で、手には大振りの偃月青竜刀が握られている。
もう一人は虎髭の男で、身長は美髯の男より少し低い様に見えるが、体付きはこちらの方が大きく、手には恐ろしく凶悪に見える大蛇矛を持っている。
「あの青竜刀の男が、黄巾の乱で名を挙げた劉備三兄弟の一人で華雄将軍を討ち取った、関羽雲長です」
張遼に言われ、呂布は頷く。
華雄と言う武将は、まだ世に知られていなかったとはいえ傑物であった事は疑いない。
また、見た目と違って慎重な華雄が油断から隙を突かれると言うのも考えにくかった事を考えると、相手も同等、あるいはそれ以上の傑物だったと考えるべきだと呂布は思っていた。
そして、今公孫瓚軍に控える二人の大男は傑物と言うより、異形とさえ言えそうな人物に感じられる。
それは黄巾軍の形のみが異なると言う異形ではなく、人の姿をした別の何かとしか思えない。
「……劉備三兄弟って事は、もう一人いるのか?」
「多分、そうなります」
張遼も眉を寄せている。
張遼は曹操から話を聞いているので、その人物たちの名前は知っているが、圧倒的武勇伝を聞かされただけで、その特徴を聞きそびれていた。
三兄弟の長兄が劉備玄徳、次兄が関羽雲長、末弟が張飛翼徳。
「呂布、怖気づいたか!」
「はいはい、今行きますから」
呂布は戟を担いで、公孫瓚の前に立つ。
白い鎧と純白の名馬に乗った武将、公孫瓚が剣を抜く。
「初めまして。ご指名の呂布奉先です。今後ともよろしくお願いします」
呂布は丁寧に挨拶して、頭を下げる。
やる気に満ちていた公孫瓚だったが、呂布の態度に肩透かしを喰らったらしく表情が険しくなっている。
「北方の雄である公孫瓚将軍、任地へ戻って異民族への対処をお願い出来ませんか?」
「ははははは! それ、イイわね!」
「やかましい!」
後方の公孫瓚軍から女の笑い声がすると、公孫瓚はその声の主に向かって怒鳴る。
女連れである事もどうかと思うが、それを最前線に連れてくるのはさすがにやり過ぎではないかと思う。
しかし、戦場の最前線で高笑いとは、公孫瓚の連れてきた女も中々に豪胆なようだ。
ひょっとすると、公孫瓚が隠している女豪傑なのかもしれない。
「国の乱す逆賊を置いては戦いに集中出来ない! 逆賊に加担する者も同罪だ!」
「それを言うなら、皇帝陛下に弓引く行為こそ逆賊じゃないのかな? と、学のない俺なんかは思うわけですが」
「詭弁だ!」
そう言うと公孫瓚は剣を手に、呂布に斬りかかってくる。
馬上での戦闘は地上での戦闘と比べ、当然の事ながら騎馬の分だけ懐が深くなる。
剣の間合いでは有効打を取れるほど近付く為には馬同士がぶつかるほど近付く必要がある為、間合いの取り方が難しくなるので槍や矛などの長柄の武器を好む者も多い。
だが、その場合は武器を両手で持つ必要があり、手綱を取りながら戦う事が出来ないと言う問題もあった。
呂布は戟を構えるが、その時公孫瓚が剣と言う武器を選んだ理由が分かった。
早い。
一気に間合いを詰めて公孫瓚は、呂布の首を刎ねようとする。
狙いは悪くないと思うのだが、呂布を相手にそれで勝てると思うのは安直に過ぎた。
呂布は戟の柄で公孫瓚の剣を受けると、戟を回転させて公孫瓚の兜を割る。
「これで真っ二つになったって事で、退いてもらえませんか?」
「ふざけたマネを!」
逆上する公孫瓚だったが、次に斬りかかるより早く、呂布の戟の柄で突かれて落馬する。
呂布は公孫瓚の白馬を叩いて後方へ走らせると、落馬した公孫瓚に戟を向ける。
そこで勝利宣言するつもりだったのだが、一騎走り込んで来て呂布の戟を弾く。
「匹夫、呂布! この張飛が相手だ!」
公孫瓚を庇うようにして現れたのは、虎髭で蛇矛を持つ大男だった。
張飛と言えば、劉備三兄弟の末弟だとつい先ほど張遼から聞かされた。
美髯で青竜刀の男が関羽と言う事だったので、劉備と言う人物だけがこの場にいない、もしくは兵の中に隠れていると言う事になる。
「武神と崇められているらしいが、全て相手に恵まれての事。この張飛が化けの皮をはがしてやる」
「いや、別に俺がそう名乗ったわけでもないんだけど」
呂布はそう言うと、慎重に戟を構える。
が、張飛は巨馬である赤兎馬ごと真っ二つにしそうな勢いで蛇矛を振る。
この時、呂布は判断を誤った。
張飛の攻撃を受けようとしてしまったのだ。
大振りの攻撃だったので、それを流す事が出来れば大きな隙が出来るという、これまでの戦いと同じ判断をしてしまった。
相手が規格外の化物だと言う事を、考慮していなかったのだ。
無理もない。
呂布自身が規格外と言う事もあるのだが、そんな彼と互角に戦える人物などそう多くない為、これまでこれほどの人物と戦う機会が無かったのだ。
が、張飛は違う。
身内に関羽と言うもう一人の武神がいるので、呂布を相手にも呑まれるような事が無かった。
呂布とは違い、張飛にとって相手が受けるであろうことはいつも通りの戦い方であり、今回も相手が受け流そうとするだろうと読んでいた。
ゆえに最初の一撃に、渾身の一撃を放ってきた。
丁原軍にいた時の呂布であれば、この張飛の一撃で両断されていたかも知れないが、今の呂布はあの時と違う。
赤兎馬はその場にしゃがむ様に、身を低くする。
狙いが大きく下がった事により、張飛の一撃の力が大きく流れる。
その為呂布も、戟で蛇矛を外に逃がす事が出来た。
が、呂布が予想した隙は出来ず、張飛は同じ力量の返しを振り抜く。
それに合わせて赤兎馬は僅かに後ろへ飛ぶ。
いくら足が地面から離れていたとはいえ、長身の呂布と巨馬の赤兎馬である。
そのはずだったが、張飛の一撃は騎乗したままの状態で呂布を吹き飛ばした。
赤兎馬はその威力を予測していたようだったので、ふわりと着地する事が出来たが、呂布は目を丸くして驚いている。
どう考えても人間の膂力ではない。
「ほう、切れないとは思わなかった」
大きく息を吐きながら、張飛は獰猛な笑顔を浮かべる。
実力者と言うのであれば、呂布の周りにもいた。
例えば張遼は個人の武力もさる事ながら、騎兵の指揮能力とその突破力は若さに似合わず天下に通用する実力がある事は疑いない。また、まったく無名である事を望んでいる高順も一級の武将である。
董卓軍でも華雄などは知勇に優れた名将でありながら、一騎討ちでも無類の強さを見せていた。
が、張飛はまるで次元が違う。
将軍として優れているのが張飛か華雄かは比べられないが、そう言う次元の話ではない。
一撃の破壊力であれば確実に張飛の方が上だろうが、それだけではない。
圧倒的な暴力の化身。
呂布や関羽を武神と例えるのなら、張飛は鬼神と言える。
「どうした? もうビビったか?」
張飛はゆっくりと呂布に近付いて来る。
「さて、弱ったな」
呂布は戟を構え直して、苦笑い気味に呟く。
今であれば弓で一矢射る事は出来そうだが、それを外した場合に弓から戟に持ち変える隙に張飛の蛇矛が届く恐れがある。
だが、まともにぶつかった場合には致命的な打撃を受けかねない。
戦法としては、先の武安国戦のように相手の空振りを誘ってその隙を突くと言うのが理想なのだが、蛇矛と流星錘では空振りの後の返しの速度が違う。
まして非常識な膂力を見せる張飛なので、空振りさせるにしてもこちらが攻撃出来る隙でも力で立て直せる事も考えられる。
これまでの戦い方では通用しない、呂布の戦闘経験が役に立たない相手である。
その時、呂布の体を駆け巡ったのは絶望感ではなかった。
これまでに感じた事の無い、不思議な感覚だった。
一瞬の隙が命を奪う程の相手である。
死の恐怖は、当然だった。
だが、その恐怖を感じながらも、それとは別の高揚感も感じていた。
眠っていた何かが目覚める感覚。
「何だぁ、貴様ぁ……!」
張飛は怒りに顔を歪める。
突然起こり始めたので、呂布は困惑していた。
「貴様、この張飛を舐めてるのか?」
張飛は呂布に向かって怒鳴るが、もちろんそんなつもりは無い。
舐めるも何も、これほどの使い手と対峙した事はないのだから、呂布にはそんな油断は無い。
呂布は答えずに戟を構える。
「何を笑っている!」
そう言われ、初めて気が付いた。
自分の顔を見る事は出来ないので分からなかったが、どうやら自分は笑顔を浮かべているようだ、と呂布は考えていた。
その為張飛は馬鹿にされたと考え、それで激怒したみたいだ。
「そのうすら笑いのまま、首を落としてやろうか」
「それは困る」
呂布はそう言うと、張飛に突き掛かる。
単純な膂力で言えば、張飛は呂布を上回っている。
だが、それが戦闘の全てではない。
単純な膂力の話であれば、黄巾の異形達も呂布を上回る膂力の持ち主達だったが、まるで勝負にならなかった。
張飛の場合、それらの異形と比べ力技を好む点では同じであったとしても、それだけに頼ると言うより、それだけを極限まで高めていると言える。
技を磨くのではなく、力技だけで勝負をつけるように高めると言う、通常であれば鼻で笑われる様な戦い方を選んだ結果、誰も手がつけられなくなったのが張飛と言う武将である。
ここまで高めれば単純な力技と言う域を遥かに超えた、洗練された技と言っても過言ではない。
が、弱点とは言えないまでも、付け入る隙はある。
力任せの攻撃を磨いてきた張飛は、全ての攻撃が一級品であるのだが、それでも突きになるとわずかに見劣りするのだ。
力を込めて振ると言うのはごく自然な事なので、縦でも横でも振る分には張飛以上の破壊力を生む武将は天下に五人といないだろう。
だが、力を込めて突くと言うのは、考えているより遥かに難しい行為である。
呂布は突きを主軸として、張飛の攻撃間合いのわずかに外から攻撃する。
一撃で決める事は出来なくとも、削っていく事は出来る。
短気そうな張飛は蛇矛を振り回すので呂布も必殺の一撃を放つ事は出来ないが、呂布の狙いはそこだった。
張飛と言う武将は、これまで戦ってきた者達と違って、簡単にケリをつけられる相手ではない。
相手の感情を逆なでして攻撃を誘い、空振りによって体力を奪っていく事が目的である。
しかもそれは張飛の体力ではない。
張飛の渾身の一撃は、人の範疇を遥かに超えた一撃であり、その負担は馬にも掛かる。
そして張飛の乗る馬は、本人の武将の格から考えるとあまりにも粗末だった。
よく見ると甲冑も粗末で付き人も無ければ旗印も無いのだが、それは今気にするところではない。
この馬ではそう長く張飛を支える事は出来ないと、呂布は見抜いた。
その上で攻勢を仕掛け、張飛を誘ったのだ。
張飛自身はまったく考えていなかったみたいだが、馬の限界は呂布の見越した通り短時間で訪れた。
突如張飛の馬が膝を折り、張飛は大きく体勢を崩す。
その瞬間を呂布は狙っていた。
張飛ほどの豪将を討つ機会はそう多くないが、これは正に千載一遇の好機だった。
が、呂布はその好機を活かす事が出来なかった。
体勢を崩した張飛の頭上から、死の閃きが呂布に向かって放たれていたのだ。
呂布はかろうじてその一撃を戟で受ける。
「ほう、天運に頼る事なく我が一撃を受ける者が翼徳以外にいるとはな」
張飛の背後から疾走して来た猛将、関羽が言う。
「兄者! ここは俺が!」
「ここで呂布を討つ。お前の手柄の為の戦いではない」
関羽はそう言うと、青竜刀を構え直す。
「魔王の剣をへし折るぞ、翼徳」
張飛と一騎討ち
あくまでも個人的見解なのですが、私個人としましては張飛の将軍としての能力を考えた時、関羽や張遼などと比べるとワンランク、もしくはツーランクほど下ではないかと思っています。
特に、上司に甘く部下に厳しい性格などは、個人的にもだいぶヨロシクない減点対象ではないでしょうか。
ですが、一騎討ちで考えた場合、張飛は若干の条件付きではありますが呂布に匹敵する、あるいは上回る数少ない武将の一人だったと思われます。
例えばリングのような限定された場所で、武器も馬も無しの総合格闘技ルールとかで戦った場合には、ひょっとすると呂布より強かったのでは無いかとかも思ったりします。
本文中にも挙げた通り、この時の張飛と呂布の間には致命的なほど馬に差がありますので、戦場で一騎討ちの場合呂布の方が上と言う事になっています。
では、後に張飛と一騎討ちでまさにそのルールに近い状態で地に足を付けて戦い、しかも互角だった馬超が呂布より強かったかと言うと、そんな事は無いでしょう。
本文中の呂布と一騎討ちをした時の張飛は三十前後だったのに対し、後に馬超と一騎討ちを行ったのは五十歳を超えています。
年齢差だけで考えた場合、サッカーの本田圭佑選手の方が今のキング・カズより優れているのだから、サッカー選手として本田選手の方が上と言っているようなモノでしょう。
例えがわかりにくいかもしれませんが、いくら張飛が人間離れしていたとはいえ、いくらなんでも、ねえ……。
余談になりますが、蜀末期の名将姜維は趙雲と互角の一騎討ちを繰り広げた事によって武勇を轟かせましたが、その時姜維は二十代、趙雲は六十代かあるいは七十代の老人です。
その趙雲と互角の姜維すげー、と言うよりどう考えても趙雲が異常だったと思います。
例えるなら、プロレスのオカダカズチカ選手がアントニオ猪木とガチで試合して互角、と言うくらい異常な感じです。
……あれ?
猪木ならやってくれそうな気がしないでも無いけど、まあ、こっちは余談なんで、そんな感じです。




