第五話
「どいつもこいつも、役に立たない奴らめ!」
袁術が怒鳴りつけるが、それに奮起するような事もなく、もはや連合の士気は地に落ちたと言ってもいい状態だった。
これほどの大連合である。
参加した諸将の大半が、これだけの大兵力であればさしたる苦労もなく都を陥落させ、董卓を討ち滅ぼして漢王朝の再興は果たされると思っていた。
だが、初戦の徐栄による奇襲から躓きを生じ、汜水関攻略の失敗は歪みを修復不能なほどに大きく、深くした。
そこで生まれた相互不信の種は連携の悪さとして芽吹き、華雄の手によって連合は攻略の勢いまでも失ってしまった。
関羽が華雄を一刀のもとに切り捨てた事によって勢いはわずかに回復したが、それも呂布の手によって再度失われる事になった。
今回は華雄の時より深刻である。
華雄は一騎討ちを挑んできた武将達を難なく切り捨ててきたが、呂布はまるで遊んでいるかのように軍を退けている。
実際に呂布による直接の被害と言えるのは、王匡軍の呂布の大弓によって射抜かれた兵士が十数名、張楊軍が穆順の騎馬の突撃の被害を受けた兵士数名、孔融軍は豪傑武安国が片腕を失うと言う重傷、といったところである。
被った被害で言えば、華雄に受けた被害の方が圧倒的に大きいと言えるはずなのだが、王匡、張楊、孔融の三軍はすでに戦意を失って前線に出る事さえ出来なくなり、呂布はほとんど戦わずして数万の兵力を連合から切り離す事に成功したと言えた。
それに対する袁術の叱責だったのだが、王匡、張楊、孔融の三軍はそんな程度で戦意が回復するはずもなく、張邈、劉岱は袁術に対しての不信感からそれを鼻で笑い、孫堅と鮑信は被害甚大の為に前線に出る事も出来ない。
「ここで頓挫する訳にはいかないだろう!」
息を巻いたのは公孫瓚だった。
「え? いやいや、公孫兄さん、やめといた方がいいですって」
劉備が慌てて公孫瓚の袖を引く。
「何を言うか、玄徳!」
「いやー、だってマジモンのバケモンじゃないッスか。アレは戦うべきじゃないって、さっきどっかの誰かが言ってたっしょ? 私もそれに賛成ッスよ?」
劉備が公孫瓚に向かって言う。
「恐れをなしたか、玄徳らしくもない」
「だって怖いっしょ? って言うか、何も呂布とは戦う必要な無いでしょう? もっと極端に言えば董卓だって討つ必要も無いかもしれないのに。この連合の勝利は皇帝陛下を董卓の手から救出するのであって、その後に皇帝から董卓を罷免させれば良いだけの話じゃ無いッスかね?」
「手ぬるい! 呂布も、董卓もことごとく討ち取り、世を正すのが我らの目的! それこそが我らの勝利ではないか!」
袁術が吠えるのを、劉備は睨みつける。
「口は動いても手は伴わない。副盟主ってのは案外楽な役職なんですか?」
「なんだと、下郎!」
「いい加減にしろ」
袁紹が静かにだが、それでも重く言う。
劉備はすぐに引っ込み、袁術も不満そうではあったが言葉を飲み込んだ。
「今の劉備殿の意見には聞くべき点がある事は認める。だが、正道は呂布を、ひいては董卓を討って皇帝陛下をお救いする事が肝要である。確かに極論すると董卓を討つ必要も無いかもしれないが、それはあくまでも極論。董卓を負かさぬ限り我々は火事場泥棒の謗りを受ける事となる。故に、ここで呂布を討つ事が基本戦略である。よろしいか、劉備殿?」
「うぃっす」
袁紹の言葉に、劉備は軽く答える。
「盟主、兄者の非礼、この関羽がお詫びいたします」
劉備の頭を後ろから掴み、関羽が頭を下げると同時に劉備の頭も下げさせている。
「いやいや、それは構わない」
袁紹はよほど劉備の事が気に入っているようで、非礼に対しても特に腹を立てている様子も無い。
形式にこだわる袁紹にしては珍しい事だった。
「とはいえ、方悦、穆順、武安国は音に聞こえし豪傑。それが歯牙にもかけられぬとあっては、これ以降どのように戦えば良いと言うのか」
不安を口にしたのは陶謙だった。
徐州の陶謙は率いる兵数こそ少なくないものの、その戦力は強力とは言い難く、また各諸将のように秘蔵している猛将豪傑の類も無い。
そのために出た言葉ではあったが、それは全員が頭を悩ませている事であった。
「父上、ここは俺が行って……」
「ダメ」
血気に逸る孫策を、孫堅が一言で止める。
「張郃、お前ならどうだ?」
「あー、無理ッスねー。俺じゃ、先に挑んだ三人と大差無いっしょ?」
韓馥に尋ねられた時、張郃は肩をすくめて即答する。
方悦、穆順、武安国の三人は遊び半分で呂布に撃退されているのだが、その三人は武人や豪傑として格下と言う事はない。
それどころか、その三人より確実に上と言える人物の方が少数であると言えるほどの実力者でもあった。
それだけ呂布との差があると言う事なのだが、諸将の評価は呂布が化物ではなく、挑んだ三人が口ほどにもないと言うものである。
武将、豪傑としての面目を失うというのは死ぬより辛く、片腕を失った武安国は自分を納得させる材料があるだけマシと言えた。
まったく相手にならず恥を晒しただけの方悦、それどころかまともに武器を振らせる事すら出来なかった穆順など、今後二度と豪傑として名は上がらず、講談の中で、最悪では笑い話としてその名を語られる事になる。
彼らはこれまで命を懸けて歩んできた生き方を否定され、存在理由を失ったのだ。
袁術などは露骨にそう思って蔑んでいるようだが、だからと言って自軍から誰か出す訳でもない。
真っ先に華雄を討とうとして、あえなく討ち取られている事で顔を潰されたのが響いているのだ。
「まさに兄者の言う通りになりましたな」
関羽が劉備に耳打ちする。
「まぁね。でも、正直なところ、私の予想を遥かに上回ってたみたいだけど。あの子、なんて言ったっけ?」
「張郃、ですか?」
「そう。あの子は油断ならないわね。あんな格好してるけど、自分の実力を過信してないみたいだし。韓馥では扱いきれないでしょうけど」
「兄者、そろそろ俺達の出番じゃないか?」
張飛も劉備に言うが、劉備は首を振る。
「華雄の時にこっちから動いちゃったから、ちょっと注目されちゃったし。もう少しすれば向こうから声をかけてくるわよ。だから、もうちょい待ってなさい」
劉備はそう言うと張飛と関羽をグイっと押し戻す。
「あと、暑苦しい」
諸将は呂布対策で紛糾していたため、三兄弟の密談に気付いた人物は少なかった。
「何か呂布対策がありますか? 劉備殿」
「のわっ、曹操! いつの間に?」
まったく気付かない内に曹操が真横にいたので、劉備は飛び上がりそうに驚いている。
「いつの間に、ではない。先程からおられたではないか」
関羽が呆れて言う。
「うそ? 全然気付かなかった」
「いや、別に曹操殿はこっそり近付いてきたわけではないぞ?」
関羽は不思議そうに言うが、劉備は本当に曹操が近付いて来る事に気付いていなかった。
全国に名を轟かせる若手の中でも袁紹と二分するほどの曹操なのだが、評判ばかりが先走りしていて本人の存在感があまりにも薄い。
真紅の鎧と言う極端に目立つ格好であったとしても、周りが騒いでいたら曹操の存在は意識していない限り消えてしまうのだ。
では関羽がずっと曹操を意識して目で追っていたかと言うと、そう言う事でもない。
関羽が曹操に気付いていたのは、単純に曹操が関羽の前に座る時に会釈した為である。
それが無ければ関羽も気付かずにいた事だろう。
「で、何か策はありませんか?」
「ここは……」
張飛が出しゃばろうとするのを、劉備はぺちっと張飛の額を叩いて黙らせる。
「関羽の時に出しゃばって副盟主がご立腹だから、ここは大人しくしています」
「つまり、何もしないと?」
「ご指名があるまでは、黙ってないと。これ以上は本当に副盟主から怒られそうだし」
劉備はきゃんきゃん吠えている袁術を見ながら、曹操に向かって呟く。
「なるほど。私も下手に口を挟むと、副盟主から怒られますからね。実際この連合の話をまとめる時にも、色々もめましたから」
「でしょうね」
曹操は物腰柔らかく口調も丁寧なのだが、相手を誘導するのが上手く行動力があり、基本的には自分の思い通りに事を運ぼうとする。
それを相手に悟られせないようにするのも上手いのだが、袁術の様に自意識過剰で自分こそが全ての決定権を握っていると思い込むような人物は、操りやすい代わりに揉め事にもなりやすい。
それでも連合をまとめ、袁術を副盟主として担いだと言う事は上手く妥協点を見つけたと言う事だろう。
「大体、一騎討ちでどうにかしようと言うのが間違ってると思うけど? 本気で呂布を討ち取りたいと思うのなら、誰が討ったか分からないくらい一斉にぐちゃってやって、その勢いで都になだれ込むのが良いんじゃない? って言うか、孫堅将軍は最初からそれを狙っていたと思うけど?」
「その通りです。よく気付きましたね」
「私ならそうしたから」
劉備は微笑みながら言う。
「盟主は勝ち方にこだわっているみたいですからね。それが悪いとは言いませんが、今の状況は非常にまずいです。せっかくの大軍も士気が下がっては機能しませんし、相手は武神とまで言われる武将と、その背後には魔王と呼ばれる暴虐の王が控えています。これ以上の後手は敗北につながりますから」
「で、知将の曹操様はこの状況を打破する作戦がおありですか?」
「無いから良い考えが無いかを聞きに来たんですが」
「だから俺が……」
張飛が主張しようとするのを、劉備がまたしてもぺちっと額を叩いて撃退する。
「そちらの豪傑は?」
「俺は天下に……」
「ウチの近所のお肉屋さん。料理番をするって言うから、連れてきてやったのよ」
劉備はそう言うが、さすがにもう隠し様が無い。
「長兄、さすがに無理じゃないか?」
「無理じゃないって。諦めんなよ、まだまだやれるって! お前の限界はそんなもんじゃないから、頑張れよ!」
「兄者、真面目に話しているのだが?」
関羽は劉備の頭をガシッと掴む。
「私も真面目に言ってたんだけど、調子に乗ってました。ごめんなさい」
「仲が良いのですね」
曹操が笑いながら言う。
「コレを見てそう思えるんだから、私は貴方が嫌いなの」
劉備も笑いながら曹操に言う。
劉備達が対策会議にも参加せずに遊んでいた間に、連合の間で次の手が決まっていた。
「玄徳、準備しろ」
公孫瓚が立ち上がって言う。
「準備? 何? いちゃいちゃする?」
「兄者よ」
ぎりぎりぎりと関羽が劉備の頭を握りつぶそうとしているかのように、力を入れる。
「冗談です。今のはホントに冗談ですから、勘弁して下さい。で、兄さん、準備って何?」
「決まっているだろう! 出陣だ!」
「えー? それって呂布と戦うって事?」
「それ以外何がある! 劉備三兄弟の実力を見せる機会もあるかもしれんぞ」
「……ん? 私達が戦うんじゃなくて?」
「この公孫瓚自らが、呂布の細首叩き落としてやる」
やる気になっている公孫瓚に対し、劉備は深々と溜息をついた。
「やったな、兄者! いよいよ俺らの出番じゃないか!」
「お肉屋さんの出番は無いわよ」
劉備はそう言うと、関羽を見上げる。
「出来れば貴方の出番も無い事を祈ってるけどね」
劉備と袁紹の不思議な関係
演義でも正史でも、袁紹と劉備の間の接点は非常に薄く、お互いにほとんど名前しか知らない状態だったと思われますが、袁紹はこの後の官渡の戦いにおいて不自然なくらいに劉備を優遇しています。
例えるなら全国に名を轟かせる大企業の社長が、大した実績もないベンチャー企業の人物を会社の相談役にするくらいの、有り得ない大抜擢です。
そりゃ会社の幹部連中も怒るだろう、という優遇っぷり。
この辺りの不自然さもあって、この連合の中で袁紹が妙に劉備を気にかけているところを入れてみました。
ちなみに連合で劉備と袁紹の接点というのは、演義の中でも極薄、正史にいたっては接点があったかどうかも不明で、私の勝手な設定です。
演義では、どちらかといえば袁紹より袁術の方が、劉備と絡んでたりします。




