第四話
「本格的に始まっちゃったかぁ」
呂布は連合軍から奪った拠点から様子を見ていたが、そう呟いた。
華雄の予測した連合の対呂布戦略は、張遼から呂布へと伝えられている。
その華雄の予測が正しかった事を、呂布は拠点から確認する事が出来た。
予定外の障害だった華雄が消えたため、各勢力、特に規模の小さい勢力はここで手柄を立てる必要があり、戦力を出し惜しみする必要が無くなったと言う事も大きい。
全力で呂布を討ちに来たのだ。
「……まずは王匡か」
旗印を確認して、呂布は王匡軍を迎え撃つ。
王匡軍は連合の中では格下とされているが、しかしそれは勢力での話であり、個別の戦力と言うモノを考えると豪傑として名高い方悦を有している。
呂布がそう考えていると、その方悦が単騎で前に出てくる。
「敵将、呂布! この方悦を恐れないのならば出てくるがいい! 我が鉄刀のサビにしてくれる!」
「なんなら弓で射抜きますか?」
張遼が尋ねるが、呂布はさすがに苦笑いして首を振る。
「戦意を挫くのが目的だからなぁ。それだとやる気になりそうだ」
呂布はそう言うと、方天戟を手に赤兎馬に乗って拠点を出て方悦の前に立つ。
「どうも、ご指名の呂布です」
「わざわざ首を落とされに来るとは、殊勝な心がけだ。苦しまないよう、この方悦が討ち取ってくれよう」
「止めときませんか?」
肩をすくめて呂布が言う。
「わざわざ血を流す事もないと思うんですよね、俺は。お互い漢の民であるのだから皇帝陛下を支えるのが筋ってモンでしょう?」
「皇帝を蔑ろしている董卓軍が何を言うか! 余計な問答は無用! その首、この方悦が貰い受ける!」
「いやいや、余計な問答って」
呂布は敵前で肩をすくめるが、それは露骨な隙を見せる事にほかならない。
名の通った豪傑である方悦が、その隙を逃すはずもない。
大振りの鉄刀を振りかざして呂布に斬りかかるが、呂布は悠々と戟を向け力任せの一撃を横に流す。
「うむ、外したか!」
方悦は鉄刀を構え直す。
呂布は戟の先端のみを鉄刀に添わせて流したのだが、その時の接触音すら立てなかったために方悦は自分が力んで外したと思い込んでいた。
恐ろしく高度な技術を事も無げに行う呂布だったが、それに気付いたのは張遼のみだった。
圧倒的技術差に気付いていない方悦は、当然次の一撃を見舞う為に鉄刀を構える。
その行動がどれだけ無謀な事かも分かっていない。
方悦は鉄刀を振り上げたが、方悦の鉄刀より呂布の戟の方が長いと言う、当然の事さえ見落としていたのだ。
呂布は方悦に向かって戟を突き出す。
ゆっくりとした動きだったが予備動作が無い分、方悦からすると突然戟の先端が目の前に迫ってきたように見えたのだから、慌てて鉄刀で戟を払おうとする。
呂布の戟に方悦の鉄刀が触れた時、呂布は戟を捻り、方悦の鉄刀を絡め取るような動きを見せると方悦の鉄刀は彼の手から離れて高々と剣は宙を舞った。
方悦は何が起きたかわからず呆然としていたが、呂布の戟の柄に突かれて落馬する。
いつもの呂布であれば落馬した武将に追撃を加えるような事は好まないのだが、今回は呂布にもそこまでの余裕が無い。
華雄は敵将の首を刎ね、それを晒す事で連合の士気をくじいたのだが、呂布は別の、しかしより強烈な手を打った。
呂布は落馬した方悦の背中を、方天戟の先端に引っ掛けてヒョイと持ち上げる。
「な、何をする!」
方悦は慌てたが、呂布は特に気にする事もなく方悦を戟の先端に引っ掛けたまま王匡軍に向かっていく。
刎ねた首を晒す事で敵の士気を挫くは多く、それが効果的である事はもはや常識と言えるのだが、刎ねた首と生きた人間では重量に差が有り過ぎる。
それを呂布はまるで重さを感じていないように、軽々と持ち上げている。
それを見せられた王匡軍は激しく動揺したが、王匡自身が出て来た甲斐もあり、王匡が声を枯らすほどの叱責と檄を飛ばして崩壊寸前だった王匡軍をかろうじて留まらせた。
大盾を前に呂布の進行を阻む陣形を保っていた王匡軍だったが、呂布はその前に方悦を掲げてやって来たのだ。
「方悦将軍のお帰りだ! しっかり出迎えてやれ!」
呂布はそう言うと、力任せに方悦を王匡軍の陣に向かって投げ込んだ。
比較的細めの体型で誰の目にも怪力には見えない呂布なのだが、力任せに投げられた方悦はちょっとした砲弾並であり、王匡軍の陣形の一角を大きく崩す。
呂布はさらに鞍にくくりつけていた大弓を手にすると、崩れた一角ではなく、秩序を保って大盾で陣を形成している一角に撃ち込む。
通常の矢であれば大盾で簡単に止められていたはずだが、呂布の放った矢はまるで巨大な床弩かと思うほどの破壊力を持ち、とても人が防げるような破壊力では無かった。
呂布の矢は大盾を貫いただけでなく、さらに数人の兵士を鎧ごと貫いていた。
王匡軍が目を疑っているところへ、呂布は二射目を放つ
それも同じように大盾を貫き、陣形を造る兵士達を貫いた為、もはや王匡がどれほど怒鳴り散らしても動揺し、逃げ惑う兵士達を抑える事は出来なくなった。
「死にたくなければ、この場から逃げるがいい! 逃げる者への攻撃はしない! だが、刃を向ける者へは容赦しないぞ!」
呂布がそう言って、弓の弦を鳴らすと王匡軍は大混乱に陥り兵士達は我先にと逃げ出す。
呂布は戟を振り、大弓の弦を鳴らすものの王匡軍に攻撃しようとはしない。
むしろ攻撃する素振りを見せる事で兵の不安を煽り、混乱を大きくする事に徹した。
その結果、王匡軍は崩壊して半数は逃げ散り、残った半数の内三割ほどは混乱と同士打ちによって死傷する事になり、王匡軍は撤退を余儀なくされた。
呂布は文字通り一騎のみで一軍を撤退させると言う事をやってのけたのだが、王匡軍と入れ替わるように張楊軍が現れる。
張楊の軍も、連合の中ではかなり小さな勢力であると言えるのだが、呂布や董卓を討つ事によって大手柄をあげる為の準備は怠っていなかったようだ。
「そこに見えるは、呂布奉先だな! 我が名は穆順! 上党一の、いや、天下無双の槍使い穆順とは、この俺の事よ!」
「いや、聞いた事無いんだけど」
呂布は素直に言う。
地元では有名なのかも知れなかったが、少なくとも荊州や都である洛陽にまで鳴り響くような人物ではない。
もちろん実力者の全てが都に名が通っていると言う訳ではないものの、穆順には警戒するべき何かを感じなかった。
例えば華雄や曹操、張郃などは会った時に特殊な何かを感じていたのだが、今にして思えばそれはその人物の特異性だったのかもしれない。
油断は禁物だが、穆順には警戒するべき何かを感じられなかったのだ。
「行くぞ! 覚悟しろ!」
穆順は槍で突きかかってくるが、呂布は難なく戟で弾く。
「まだまだぁ!」
穆順はさらに速度を上げて連続で突きを繰り出してくるが、呂布はそれらを軽々と捌いていく。
これなら高順の方が上だな、と呂布は感じていた。
妙なこだわりから役職に就こうとしない高順だが、その実力は知る人であれば高く評価している。
呂布だけでなく張遼や華雄、軍師である李儒も高順の事は買っていた。
たしかに穆順の槍は鋭さを感じさせるが、怖さが無い。
おそらく技術だけなら高順や華雄より、穆順の方が上かもしれない。
それでも呂布は脅威を感じていなかった。
穆順の突きをいなしながら、呂布は穆順と高順の違いに気付いた。
小手先の攻撃なのだ。
穆順の槍の腕前は天下無双かどうかはともかく、本人が自慢したくなるくらいの腕前ではあるようだ。
だが、彼は馬上の戦いに慣れていないのか騎馬術が苦手なのか、疾さはあっても重さに欠ける。
だとすると、話は簡単だ。
呂布の目的は穆順など連合の武将達を殺す事ではなく、あくまでも戦意を挫いて時間を稼ぐ事である。
手っ取り早い方法が武将を討ち取る事で、華雄はその方法を取っていたが、呂布に合う方法では無いので、別の手段を取っていた。
呂布は穆順の突き出した槍を掴むと、穆順が槍を引くのに合わせて馬上から飛び上がって宙を舞い、華麗に穆順の背後に降りて馬の手綱を穆順の背後から握る。
「何をするつもりだ!」
「赤兎、ついて来い」
呂布は赤兎馬にそう声をかけると、穆順の馬を走らせる。
「な、何をするか、呂布!」
「おお、良い駿馬だ。走れ走れ」
笑いながら言うと、呂布は馬を自由に走らせる。
さすがに赤兎馬ほどではないにしても、十分に優良な馬だと言う事は走らせれば分かる。
馬の方も、こんな風に走る事が少ないのか、伸び伸びと走っている。
背後に回られて穆順は呂布に対して手出しが出来ないだけでなく、勝手に馬を走らされているので、落馬しないように必死になっている。
「どうした? 元気が無いぞ?」
呂布は穆順に話しかけるが、穆順にはそれに答える余裕が無い。
呂布は穆順の馬に乗ったまま、張楊軍の方へ走る。
「お、おい! どういうつもりだ!」
「はっはっは! 気持ちがいいな。やっぱり馬は走らせてやらないと。だよな、赤兎」
涼しげに並走する赤兎に向かって、呂布は楽しげに言う。
そして呂布は、止まる素振りも見せずに張楊軍のど真ん中に馬を走らせた。
「な、何をする! 何をするつもりだ!」
「ん? お帰りの送迎だよ。機会があれば、また遊ぼうか」
呂布は穆順にそう言うと、全力で走る穆順の駿馬から併走する赤兎の方にひょいと飛び移る。
暴走する馬を穆順は御す事が出来ず、穆順は張楊軍に単騎で突撃する形になり、張楊軍は大混乱に陥った。
呂布は赤兎を反転させて拠点に戻ろうとした時、大混乱の張楊軍を強引に押しのけるように孔融軍が乗り出してきた。
かの偉人、孔子の名は呂布でも知っているが、孔融はその正当な子孫である事でも知られている。
が、有能ではあっても自身の能力をひけらかす傾向が強い男で、董卓から中央から北海へ遠ざけられた人物でもある。
旗印は孔融軍だが、文官である孔融自身が兵を率いていると言うわけではなく、誰か代理の者がいるのだろう。
「呂布奉先、孔融軍一の豪傑、この武安国の前に姿を現す度胸はあるか!」
高らかに名乗る猛将に対し、呂布は大きくため息をつく。
姿を現すも何も、武安国を名乗る豪傑と呂布の間には障害はなく、武安国からも呂布を視認する事が出来るのだ。
赤兎馬の瞬足であれば拠点に戻る事は造作も無いことだが、それだと孔融軍も引き連れて戻る事になるので、呂布は赤兎馬を反転させる。
「度胸はともかく、俺が呂布奉先だ。初めまして、だよな?」
呂布の言葉に、武安国は鼻で笑う。
「挨拶はちゃんと出来ないと立派な大人になれないって、俺の母は言っていたぞ?」
呂布が険しい表情で言うと、武安国は高らかに豪快に笑う。
「母が言っていたか! 親孝行でなによりだ! それで父親を殺したと言うのだから、救いようがないな!」
武安国は罵倒するように言うと、鎖のついた鉄球のような錘を構える。
あの武器には見覚えが有る。
黄巾の乱の時に戦った異形の将が持っていた武器、流星錘だ。
実質的に飛び道具である流星錘は、武器の間合いで言えば呂布の持つ戟より遥かに広いのだが、その分扱いは非常に難しい武器である。
黄巾の武将は残念ながらこの武器を扱いきれているとは言えなかったが、この武安国はどうだろうと呂布は警戒する。
雰囲気はある。
鉄球のような錘を振り回しているが、これは今すぐの攻撃と言うより威嚇行為である。
ただ、尋常ではない風切り音を聞かされては、嫌な予感が膨らむ事を抑えられない。
もしあれが直撃すれば、当然ただでは済まない。
頭に当たれば、原型を止めないほどに破壊されるだろうし、いかに巨馬とはいえ赤兎馬でもあれを喰らえば命に関わるだろう。
呂布が悩んでいるのを見透かしてか、武安国の流星錘が突如襲いかかってくる。
大きく弧を描いて飛来してくる錘を、呂布は潜るようにして躱す。
その動きであれば、錘が戻ってくるまで次の行動に移れないはずなので呂布は赤兎馬を走らせようとしたが、すぐに思い止まる。
あまりにも露骨ではないか。
その判断が、武安国の奇襲から呂布を救った。
巨大な鉄球を思わせる錘に目と意識を向けさせ、武安国の本命は左手に隠し持っていた分銅の方だった。
まるで射抜くように分銅を投げた武安国だったが、その分銅は呂布の頭を貫く事は無く、呂布はそれを見事に躱していた。
「ほう、これを避けたのはお前が初めてだ。さすが呂布奉先だと、褒めておこうか」
「そいつはどうも」
呂布は改めて戟を構える。
一本でも扱いの難しい流星錘を、武安国はそれを二刀流で扱っている。
と言っても、自由自在と言う訳にはいかないらしい。
武安国の攻撃は大きな流星錘に目と意識を向けさせ、本命は小さい方の分銅であり、その小さい方の攻撃で相手の体勢を崩して大きい方の錘で止めを見舞うと言う戦法である。
攻撃のネタが分かってしまうと、流星錘の脅威も抑えられる。
武器の特性上、同時に攻撃する事は極めて困難であり、下手をすると鎖同士が絡まって使い物にならなくなる恐れもある。
故に分銅は狙いすました、射抜くような投げ方による攻撃が主であり、それを誘う事で武安国へ致命的な隙を作り出す事が出来る。
そこで呂布は、他の武将には無い自身の強みを活かす事にした。
呂布の持つ武器は、何も方天戟や大弓だけではない。
「はっ!」
呂布の掛け声に合わせて赤兎馬が駆ける。
が、前に直進したわけではなく、赤兎馬は軽快に、しかも不規則な動きで走る。
それが恐ろしく早い。
並の人物であれば確実に振り落とされている動きだが、呂布は危なげなく乗りこなしている。
もし一方向に規則的に動いていたとしても、赤兎馬の速度を飛び道具で捉えるのは極めて困難なのだが、それが不規則な動きで近付いて来るのだから、その難易度はさらに高まる。
だが、武安国は冷静だった。
驚異的な疾さと非常識な動きをする赤兎馬だが、それが近付いて来るのであれば狙う好機は存在する。
的は近ければ近いほど当てやすいものだ。
また、この動きの中では呂布といえど戟を振るう事は難しいだろうと、武安国は判断したからでもある。
たしかに間違っていない。
人並み外れた騎馬術を持っている呂布とはいえ、そう見えないようにしているだけで、今の赤兎馬の動きの中で振り落とされないようにするのが精一杯であり、両手を使う必要がある戟をこの状態で扱う事は難しい。
呂布が攻撃をする際には、必ず赤兎馬の動きを止める必要がある。
武安国の狙い通り、戟の間合いで赤兎馬は動きを止めた。
そこを狙って分銅を投げたのだが、それこそが呂布の狙いだった。
武安国が分銅を投げた瞬間に、赤兎馬がわずかにずれる。
ほんのちょっと歩幅を横に広く取っただけの事なのだが、赤兎馬の巨体であれば分銅を躱す事が出来る。
呂布の狙いは戟より間合いの広い流星錘に、狙う機会を与えてやる事でこちらが避けやすくする事だった。
最初から武安国の空振りを誘う事が目的だったのだから、呂布から攻撃するつもりはなかったのだが、それを武安国が察知する事は出来なかった。
分銅を避けると同時に呂布は間合いを詰める。
慌てて武安国は錘を振り下ろそうとしたのだが、その時には呂布の戟に腕を切り飛ばされ、錘は武安国の腕と共に明後日の方向へと飛び去っていった。
今回限りの登場人物
方悦は前話から引き続きなのですが、方悦、穆順、武安国のお三方は演義のみに登場する架空の武将で、呂布の為の噛ませな方々です。
正史には存在しません。
ですので、穆順は天下無双の槍使いでもなんでもありません。
三国志演義の中では方悦、穆順とはサクッと討ち取られていますので、演義の中でさえ刀や槍を使っていたかは分かりませんが、武安国は流星錘を使い、片腕を切り落とされるところは一緒です。
作中で呂布が方悦に対してのみ敬語で話しかけていたのは、方悦が見るからに年上そうだった事と、穆順、武安国がわりと勢いだけの小物に見えたからです。
呂布最強説に疑問を持つ人達は、呂布が三国志演義の中で討ち取った武将が今回の様な架空の人物ばかりと言う事を上げているようですが、これは羅貫中氏が呂布はこんなに強かったと言う事を分かりやすく伝える為の演出だったと思いますので、戦場では恐ろしく強かった事は疑いないと思います。




