第二話
拠点を占領した華雄が、連合の武将の一騎討ちに応じているのはもちろん理由があった。
単純に自分の武勲を誇る為、と言う事ではない。
連合内で華雄は呂布の露払いと思われている事を、華雄は知っている。
各陣営で呂布や董卓と言う豪傑を討ち取れるであろう武将を用意しているだろう事も予想していたからこそ、華雄はあえて一騎討ちに応えているのだ。
袁術が蒔いた不審相互の種は根深く、当初は行動に理念があったはずの反董卓連合も今では手柄を競うだけの烏合の衆と化している。
早くも空中分解の兆しを見せている連合は、ある意味では盟主袁紹の限界を示していると言えるのだが、曹操と言う懐刀を隠しているのだから時間を掛けるとその齟齬を修繕してしまう恐れがある。
今なら呂布や董卓には劣るものの、華雄と言う武勲を上げる好機であると連合に知らしめ、諸将に手柄を競わせなければならない。
それを返り討ちにして行動を消極的にさせ、修繕の時間を与えるのではなく、保身に走らせる為の時間を作る。
そうする事で四十万と言う圧倒的物量を無力化させる事が、董卓軍の勝利に繋がるのだ。
最初に出てきた人物の事はよく知らないが、潘鳳の事は華雄も知っていた。
それなりに名の通った武将であり、そんな人物が二人目に出てきたと言う事は、連合もかなり勝負を焦っていると感じられる。
あと一人か二人ほど斬れば、連合にとって致命傷になるだろう。
そうすると一騎討ちではなく総力戦を仕掛けてくるだろうが、士気が下がったところで総力戦を仕掛けたところで保身に走る諸将は当然出てくる。
額面は四十万と言っても、積極的に城攻めに加わるのは半数の二十万にも満たないだろうし、第一波さえ凌げば連合に攻撃力を維持するだけの余力は残されていないはずだ。
詰み筋は見えた。
その分失敗は許されないので、油断などもってのほかだ。
「華雄将軍、どうかしましたか?」
難しい顔をしていた華雄に対し、張遼が声をかけてくる。
呂布軍の若き才能、張遼文遠の事は華雄も認めていた。
歳は二十歳そこそこでありながら、人並み外れた武芸を身に付け、西涼の騎兵にも劣らない馬術の他、柔軟かつ強硬な用兵術を巧みに操る武将である。
現時点で張遼と戦ったとしても、華雄は十戦して十勝する事も出来るかもしれないが、五年もすればおそらく華雄を上回る武将となり、十年もすると天下に名を轟かせる名将となれる器だと見ていた。
その頃には董卓軍も世代交代が進んでいる事だろうが、張遼はその中でも中心となれる人物である。
そんな張遼は本来なら呂布と共に虎牢関を守るべきなのだが、呂布の方針で汜水関まで出張ってきて、さらに練兵に加わるべきところを後学のためだと華雄にくっついてこの前線の拠点に来てしまっていた。
「しかし、華雄将軍は凄いですね。一騎討ちで戦って良し、兵を率いて良し、防衛に務めて良しと、戦う事で出来ない事は無いのではありませんか?」
「呂布将軍がいる以上、俺はどんなに頑張っても二番手だよ」
確かに呂布がいる以上、華雄はどんなに頑張っても二番手かもしれないが、華雄であれば天下第二位の武将に成り得ると言う事でもあると張遼は思う。
並外れた膂力は言うに及ばず、それのみに頼らない技量を持ち、冷静沈着にして広い視野と的確な戦術眼、卓越した騎馬術と指揮能力を有し、さらに呂布と違って見た目で威圧する事も出来る武将である。
何故これほどの武将が無名なのかを疑いたくなるほどの武将が、華雄だった。
張遼がそれを尋ねると、華雄は照れた様に鼻の頭を掻く。
「そう評価してくれるのは有難いが、だが、俺と同じ評価の武将が天下にいない訳ではないかもしれない。例えば曹操の元にいる夏侯兄弟なども、その恐ろしく高い能力を知られていない武将と言えるだろう」
おだてに乗らず、現状を正しく判断している。
それに、華雄が言っている通り、曹操の親族である夏侯惇、夏侯淵に関しては張遼も知っている。
特に夏侯淵の戦闘能力は極めて高く、まだ知られていない傑物である事は間違い無い。
軍事訓練の時、董卓軍の武将達では歯が立たず、徐栄がかろうじてついて行けるくらいで、まともに戦えたのは華雄くらいであった。
張遼や高順ですら夏侯惇に勝利する事は出来ても、夏侯淵に勝利する事は困難だった。
また、黄巾の乱の時に共に戦った張郃などもいる。
華雄が言う様に、驚異的な能力を持ちながら知られていない人物と言うのは、確実に存在すると言う事は認識していなければならない。
華雄にしても張遼にしても、本心からそう思って調子付いて楽観的になる事を抑えていたが、それでも、特に若い張遼などは心の片隅では華雄ほどの猛将名将で名の通っていない武将と言うのはそう簡単にはいないのでは、と思うところもあった。
特に大刀使いとして名を馳せた潘鳳をまるで有象無象と言わんばかりに切り捨てた実力を見せられては、呂布を除いて華雄を討てる人物などいないのではないかと思いたくなっても仕方が無い。
あの勇猛果敢で知られる『江東の虎』孫権でさえも、華雄との直接対決は避けたほどだ。
だからこそ、張遼の心に深く刻み込まれる事になったのかもしれない。
連合からやって来た次の武将を見た時、華雄は表情を変えた。
「……呂布将軍に当てる為の秘密兵器を出してきたと見える」
華雄がそう言うのを聴いて、張遼もそちらを見る。
華雄や呂布にも劣らぬ長身の男であるが、その体躯より赤銅の如き顔色と印象的な美髯の貴相、携えた圧倒的武威を漂わせる偃月青竜刀など、どれをとっても一廉の武将というべき人物だった。
奇妙なのは本人の武威に対して不釣り合いなほど貧相な甲冑、供回りの者も無く、軍旗も持っていない。
誰の目にも大将級である武将なのだが、まるで素浪人のような格好の人物でもあった。
誰だ? これほどの武将であれば、一目見れば忘れそうにも無いのに。
華雄と張遼は、奇しくも同じ事を考えていた。
少なくとも都では見た事が無く、全国の戦地を駆け巡った華雄も、呂布と共に荊州や黄巾の乱を戦った張遼も、まるで見覚えの無い人物である。
「これほどの男がまったく無名と言う事は無いはず。名を名乗られるが良い」
華雄は無造作に近付いて来る美髯の男に対し、大刀を向けていう。
「大将華雄、自らを討った者の名は刻みたかろう。我が姓は関、名は羽、字は雲長。漢王室の末裔、天下の英雄劉備玄徳の愚弟である。今、我に頭を垂れるのであれば共に漢王朝再興の為に尽力させよう」
「大層な物言いだが、関羽とやら。そなたの名など聞き覚えも無く、漢王室の末裔に劉備などと聞いた事も無い。そもそも王族の者が何故野に伏すと言うのだ。後ろめたい事の証ではないか」
華雄は関羽を名乗る男の言葉を、一笑に付す。
華雄の言う事に張遼も全面的に賛成なのだが、劉備と言う名に聞き覚えがあった。
それが何時、何処でなのかを思い出す事が出来ないが、その名は聞き逃していい名では無かった気がする。
張遼の心配をよそに、華雄は大刀を構える。
「華雄、今を逃せば二度と機会は訪れる事は無い。並み居る連合の将を返り討ちにした手腕、猛者達を切り捨てる技量、殺すには惜しい。我が兄の元に降れ、華雄」
「知っているか、関羽。すでにお前は死地に入っていると言う事を」
華雄はそう言うと大刀を一閃させる。
兪渉、潘鳳を切り捨てた時より鋭い振りの大刀だったが、それが関羽を捉える事は無かった。
閃いたのは、華雄の大刀だけでは無かったのだ。
正に一閃。
その一撃は、張遼の目に捉える事が出来なかった。
張遼の目に映ったのは、首の無い華雄が大刀の一閃の勢いのままに落馬するところだった。
「死地に入っているのは、お互い様だ」
関羽は首の無い華雄の体が落馬したのを確認した後、そう呟いて華雄の首を青竜刀の先端で貫く。
「敵将華雄、討ち取ったり。これより連合による総攻撃を行う。拠点を捨て、汜水関に逃げ帰るが良い」
関羽は特に声を荒げる事なく言って聞かせるのだが、それは怒号を浴びせられるより深く董卓軍に響いた。
怒号であれば恐慌状態に陥る恐れは十分にあったが、一時的な混乱こそ避けられないものの立て直すのに必要な時間はそこまで長くならない。
だが、関羽に与えられた決定的な敗北感は、張遼のような武将がどれほど叱咤激励したとしても、立ち直らせる事は出来ない。
それだけ関羽の宣告した敗北宣言は重い。
ふと張遼は、関羽や劉備と言う名を思い出した。
黄巾の乱で名を馳せた、義勇軍の英雄の名である。
もし華雄が討たれる前に思い出していたとしても、おそらくこの結果は変えられなかっただろう。
黄巾の乱の英雄とはいえ、義勇軍の武将が知られざる名将華雄を討ち取れるとは、数瞬前までの張遼では考えなかったはずだ。
だが、黄巾の乱の英雄と言えば、呂布や曹操に匹敵すると言う事を張遼は忘れていた。
華雄も関羽を知らなかったとはいえ、連合が用意した呂布対策の猛将だと思い、油断は無かった。
にもかかわらず、瞬きの瞬間に切られてしまった。
この連合から奪った拠点にはまだ数万の兵が配置されており、対する関羽はただ一騎のみ。
おそらく総攻撃をかければ討ち取る事も出来る。
華雄の仇を討つ事が出来るのだ。
が、張遼は声を発する事が出来なかった。
これまで張遼は呂布と共に戦場に出ていたので気付かなかったが、呂布を敵に回した時にはこれほどの絶望感を覚えるものなのかと考えていた。
数万の兵を率いているにもかかわらず、ただ一騎に対してさえ勝利する事を想像する事さえ許さない圧倒的な武威。
呂布奉先こそが天下に最強の武将であると言う考えは今でも揺るがないが、しかし互角に匹敵する武神の存在が目の前に現れたのだ。
「……関羽、か」
華雄の首を持って悠然と引き返していく関羽の背を見送りながら、張遼は拠点を放棄して撤退する。
拠点から汜水関までの短い距離の間に離脱者が続出し、兵は戦っていないにも関わらず目に見えて減っていた。
このままでは戦わずして汜水関を抜かれるのではないかと不安になっていたが、張遼の不安を吹き飛ばすように汜水関の門が開き、そこから黄金の鎧と炎の様な赤い巨馬に乗った武将が現れた時、正に光が差したように見えた。
「皆、顔を上げよ」
優しく暖かな声が、うなだれた董卓軍の兵達を救うように届く。
「今、この時よりこの関を虎牢関として、この呂布が全軍の指揮を取る。一度関に戻り、十分な休養を取るが良い。我ら虎牢関の兵が十分な休養の時間を稼いでくる」
呂布はそう言うと二万ほどの兵を率いて、連合軍の拠点へ向かう。
「お待ちを、将軍。華雄将軍を討ち取った武将は、連合の総攻撃があると言っていました。その数四十万に対し、将軍の二万では少な過ぎます! 危険です!」
張遼が慌てて止めるが、呂布は笑って首を振る。
「その時は全速力で逃げ帰って来るさ。心配するな」
門の内側では変わらず練兵が行われているらしく、呂布のそばには高順の姿も無い。
「だったら将軍の指揮で守りに徹した方が……」
引き止める張遼に対し、呂布は張遼の肩を叩く。
「そこまで心配であれば、文遠もついて来ればいい」
そう言って呂布は華雄が率いていた兵を戻し、自身の率いる二万の兵と張遼を連れて、一時的に空白地となっていた連合の拠点に改めて布陣する。
「実はちょっとした仕掛けをしているところなんだ」
呂布が張遼にそっと打ち明ける。
「仕掛け?」
「そう。その為には、どうしても外で時間を稼ぐ必要があるんだ」
関羽雲長と言う武将
三国志で最強の『武将』は誰か、と問われると、私は関羽を推します。
武将の強さは一騎討ちと言う事だけではなく、戦闘では兵を率いる集団戦や戦場以外のところでも仕事が多い役職で、それらを総合的に考えた時、もっとも優れているのはやはり関羽が一歩抜きん出ていると思います。
面白エピソードの多さやインパクト、ネタにされやすい言う点でも、かなりの傑物です。
そんな関羽ですが、そもそも『関羽』と言うのは偽名で、本名は諸説ありますが不明なようです。
色々あって役人殺しをして逃げているところ、関所で身元確認された時にとっさに応えた名前が『関羽』だったとか。
後に『商売の神様』として祀られるのですが、それは元々彼が塩商人だったからとか、そろばんを発明したからと言われています。
トレードマークとも言える青竜刀ですが、三国志の時代には存在しない武器系統で、演義による創作との事ですが、目立つヒゲは正史にも記された特徴だったみたいです。




