陽人の戦い ~虎牢関~
第四話 陽人の戦い ~虎牢関~
華雄軍は孫堅軍を思う存分に蹂躙した後、すでに逃げにかかっていた鮑信軍を追撃するのではなく、拠点でふんぞり返っていた袁術軍に向かって急襲した。
数の上では袁術軍は互角以上であり、鮑信軍との連携も取れたはずなのだが、油断しきっていたのか混乱は激しく、華雄軍とまともに戦うような事もせずに撤退していった。
こうして華雄は連合の物資と拠点をそのまま占領し、逆に華雄軍の拠点にしてしまった。
当然連合はその対応に追われる事になった。
連合最大の誤算は、勇将孫堅の敗退である。
孫堅が先鋒を名乗り出た時、連合の誰もが最初の関門である汜水関の突破は成されたものと思われていた。
各諸将にはそれぞれ切り札とも呼べる豪傑達がいたのだが、その豪傑達は最大の障壁であり最高の武勲となり得る呂布や董卓にぶつける為の者達である。
その為汜水関は孫堅に突破してもらわなければならなかったのだが、その孫堅が敗れ、伏兵とも呼べる猛将華雄の登場によって連合はその勢いを大きく削がれてしまった。
しかも孫堅の敗戦は単純に連合の勢いが削がれたと言うに留まらず、連合内での不協和音にまで繋がった。
敗戦の責任は袁術の補給に問題があったと主張する孫堅に対し、袁術は補給担当の者が着服して私腹を肥やしていたと言ってその者を切り捨てて孫堅に謝罪したが、そんな事をしても後の祭りである。
また、鮑信、劉岱、張邈の三将は今回の事で副盟主である袁術ではなく、孫堅の側についてしまったので連合内での影響力にまで響いている。
元々袁術は家柄だけで副盟主になったのに対し、孫堅は実績も申し分なく、同じ先鋒にありながら孫堅は確たる武勲を上げているのに対し、袁術は華雄に対して戦う事無く逃走している。
この行動は戦術的にはともかく、諸将から軽んじられても仕方が無い行動であった。
勢いが削がれた事より、連合の間に大きなヒビが入った事の方が大きな問題だった。
「よろしい、ならば華雄如き我が軍の武将、兪渉が討ち取って見せよう」
袁術が重圧に押し切られる形で、最初に切り札を切る事になった。
そんなギスギスした重くささくれだった空気の中でも、机に突っ伏してイビキをかいている人物もいた。
異常に目立つのは、その露骨な態度だけでは無い。
「……公孫瓚将軍、そこの方は?」
誰も触れないせいか、盟主である袁紹が代表して公孫瓚に尋ねる。
「はっ、我が軍の客将であります」
公孫瓚はそう言うと、熟睡している人物を肘で突く。
「んんー?」
と声を上げると、その人物は公孫瓚の手を払う。
袁術軍きっても豪傑兪渉の出陣だと言うのに、すっかりその人物に喰われてしまっている。
「盟主! よろしいな!」
「あ、ああ、もちろん。吉報を待っている」
「首と共にお届けいたします」
そう言って胸を叩き、兪渉は諸将の集まる幕舎を出て行く。
が、肝心の袁紹は公孫瓚の客将が気になって仕方が無いらしい。
確かに場違いな人物である。
と言うより、軍議を行う幕舎の中で机があるとは言え、そこに体を投げ出すようにして熟睡する武将と言うのがすでに有り得ない。
もはや、本人の容姿がどうこう言うような次元じゃない目立ち方である。
世に知られていない実力者である兪渉について質問攻めを期待していた袁術だったが、その人物のせいで誰からも興味すら持たれる事も無かった。
「公孫瓚、兪渉が華雄の首を取ったらすぐに汜水関を攻めるのだぞ。その客将は役に立つのか?」
袁術は腹いせと言わんばかりに、公孫瓚に言う。
「華雄を討てればな。もっとも、華雄を討つ必要も無かったのだが」
公孫瓚ではなく、孫堅が聞こえるように言う。
「何だ、孫堅。敗者の言い訳か?」
袁術は怒りを隠そうとせずに孫堅に言うが、孫堅はそれ以上口を出そうとはしなかった。
袁術と孫堅の二人が幕舎の空気を悪くした為、盟主である袁紹がまた公孫瓚の客将について尋ねようとした時、幕舎に使者が慌てて入ってきた。
「兪渉将軍が、敵将華雄に討ち取られました!」
その報告に、幕舎内が一瞬静まり返る。
「情報は正しく伝えぬか、この愚か者め! お前は伝令というモノを軽く考えているのではないか? 兪渉が華雄を討ち取ったのであろうが!」
「い、いえ、敵将華雄に兪渉将軍が討ち取られました」
袁術は伝令を叱りつけるが、孫堅は違う反応を示した。
「兪渉はどのように討たれたのだ?」
「それが、名乗りを上げた後、三合と打ち合う事も無く華雄の大刀に切り捨てられました」
「だろうな」
伝令に対し、孫堅は静かに頷く。
「馬鹿な! 兪渉が三合と打ち合わずにだと? 何かの間違いではないのか?」
「自分の目で見たからこそ、この伝令は急いで戻って来たのではないか?」
あくまでも信じようとしない袁術に対し、孫堅は冷静に言う。
「そんな、そんなはずは……」
放心状態の袁術に対し、幕舎内は騒然となった。
副盟主袁術の切り札がまるで通用しなかったと言うのは、士気に大きく関わってくる。
「盟主、では今度は我が軍の豪将をお出ししよう」
名乗り出たのは韓馥である。
「一騎当千と言う言葉を体現する豪将、潘鳳の武芸は人並外れて優れており華雄にも引けはとりますまい」
「やめといた方が良くないッスか?」
韓馥が潘鳳を呼ぶのに対し、側近である若手武将の張郃が諌めようとするが、韓馥も潘鳳も聞き入れようとしなかった。
現時点で韓馥軍は連合に参加はしているものの、ただ参加しているだけであり目立った武勲も何も無い。
勢力も大きいとは言えない状況でありながら、副盟主袁術が取りこぼした手柄を上げればその武勲は大きなものになると計算しているのだ。
また、潘鳳にしても自分の実力には自信を持っている。
韓馥軍中において武功第一であるはずの潘鳳だが、最近では若手の張郃ばかりが重用されている事に対する焦りもあった。
奇抜な外見の割に恐ろしく堅実な戦い方をする張郃の実力は、潘鳳も疑っていないのだが、ここで実力を示して再度上下関係をはっきりさせておきたいと言う思いもあったのだ。
また、華雄が同じ大刀使いであると言う事も、潘鳳の背中を押した。
同じ武器を扱うのであれば、潘鳳は誰よりも修練を積んできたと自負している。それであれば負けるはずが無い、と。
「これより潘鳳、華雄と雌雄を決す! 証人となる者は見に来るがよい!」
潘鳳はそう宣言すると、幕舎を出る。
「父上、どうですか? あの者は華雄に勝てますか?」
孫策が小声で孫堅に尋ねる。
「無理だ。董卓軍の面々はこちらの予想以上に、こちらの情報に精通している。わざわざ一騎討ちに応じているのは、こちらの士気を徹底的に削ぐ為だ。いかに大軍であっても、士気が振るわなければ烏合の衆と言う事を、華雄はよく知っている」
「なるほど。後学のために見物してきます。行くぞ、公瑾」
孫策はそう言うと周瑜の答えを待たず、潘鳳の後を追う。
「公瑾、くれぐれも伯符が華雄に挑むような事はさせてくれるな。五年後であればともかく、今は華雄の相手はまだ荷が重いだろう」
「御意」
せっかちを絵に書いたような孫策なので、孫堅は何事にも冷静な周瑜に念を押す。
孫策や周瑜の他にも数名、潘鳳の戦いを見届ける為に幕舎を出て行くが、その面々は潘鳳以外ほどなく帰って来た。
潘鳳もまるで相手にならずに斬り殺されたと言うのだ。
「潘鳳が?」
韓馥も信じられないと言う表情で呟く。
潘鳳は黄巾の乱の折にも武勲を重ね、韓馥の剣として大暴れしていた豪傑である。
にもかかわらず、華雄にはまったく歯が立たなかったと言うのだ。
「父上、俺が出ましょうか」
「ダメ」
孫策が名乗り出ようとするのを、孫堅は一言で応える。
「ここで華雄を討ち取れば、我らの失態も取り返せましょう」
「ダメ」
孫堅の答えは変わらない。
隠し玉だった袁術の兪渉はともかく、韓馥軍の潘鳳と言えばそれなりに名の通った武将である。
その人物が連合の他の武将達が見守る中で、まったく相手にならずに切り捨てられたという事実は、連合に重くのしかかる。
「こんな事なら、顔良か文醜かを連れてくるべきだったか。そうすれば華雄如き一蹴してやったものを」
これまで余裕を崩さなかった袁紹も、華雄の勇戦奮闘はまったく計算外だった。
そもそも華雄と言う武将が無名で、その実力を知っていたのは連合の中でも孫堅くらいだったが、その孫堅も情報を連合に伝えていなかった事も事態を悪化させていた。
「ええい! 誰かあやつを討ち取る者はいないのか!」
袁術が机を殴りつけて怒鳴る。
「うぉう!」
すぐ近くで机を殴られた為、これまで熟睡していた公孫瓚の客将が驚いて目を覚ます。
「……ん? 何?」
目をぱちくりさせながら、その人物は周囲を見回す。
「……何?」
客将は公孫瓚に尋ねるが、公孫瓚は苦い顔で首を振る。
「お前の態度の悪さに呆れているのだ」
「え? 寝言とか言ってた?」
慌てて口元を拭いながらの質問に対し、公孫瓚は溜息をつくだけで答えようとしない。
「そなたは?」
袁紹がようやく目を覚ました客将に尋ねると、客将は頭を掻いて応える。
「私? 公孫兄さんのとこに厄介になってる、劉備玄徳って者ッス」
「劉備?」
袁紹は驚きの声を上げるが、それは他の諸将も同じだった。
劉備玄徳と言えば、黄巾の乱における英雄の一人であり、漢軍ごと敵大軍を焼き払ったと言われる曹操、少数で十倍以上を誇った黄巾妖術軍の大軍を足止めし続けた呂布にも劣らぬとされる人物である。
が、目の前の人物と一致させられないのだ。
女性、それも少女の様なあどけなさである。
大きく先の尖った耳など、まっとうな人間と言うより仙女かと思わせる妖しさもあった。
黄巾の乱の折には義勇軍を率いて地公将軍張宝を討ち、その後安喜県の警察署長として不正を正し県民から歓迎されながら、賄賂を要求する役人を叩きのめして木に吊るしたと言う、清廉潔白にして気骨ある男として知られている。
はずが、実物の劉備は耳の大きな妖しい女であり、その服装も異様に袖の長い服を着ている為にさらに妖しさが増している。
「黄巾の英雄と言うのであれば、華雄如き討ち取って見せよ!」
袁術に怒鳴られ、劉備は袁術を睨む。
これまで可憐な少女の様なあどけなさを見せていた劉備だったが、その鋭い目は一瞬にして殺気を宿して袁術を射すくめる。
「別に私がそんな風に言ってたわけじゃないしぃ、命令される謂れはないって言うかぁ。大体私には関係無いって感じぃ」
劉備が心底面倒そうに言っていると、劉備の頭を後ろからガシッと掴む手があった。
「兄者、目上に対する礼を失しておりますぞ」
「……はい、すみません」
劉備の小さな頭を片手で掴めるほどの大男で、堂々たる体躯と、惚れ惚れする様な美髯の偉丈夫である。
見た目の愛らしさとは裏腹にふてぶてしい態度の劉備だったが、急激にしおらしくなった。
「予想外に苦戦しているようですね」
真紅の甲冑を身につけながら、曹操が幕舎へやって来る。
「げっ、曹操? うげぇ」
「げっ、ってなんですか。さらにうげぇって」
劉備の言葉に、曹操は苦笑いして言う。
「私は劉備殿の事は買ってるのですよ?」
「私は売った覚えは無いんだけど」
曹操は笑顔なのだが、劉備は露骨に曹操を避けている。
「孟徳、表に出て良いのか?」
「ええ、どうやら私が隠れている事に気づかれたらしく、これ以上隠れていても意味が無さそうだったので出てきました」
盟主袁紹の質問に対し、曹操は答える。
土地を任されている訳ではない曹操は、私兵を率いて連合に参加しているのだが、その私兵を戦線に参加していた武将達のところに五百前後を紛れ込ませて情報を収集していた。
また、序盤戦での鮑信軍の壊滅を防ぐなどで暗躍していたのだ。
曹操の見立てでも孫堅であれば汜水関を抜けると思っていたのだが、旧友の張邈から袁術から追い払われたと聞いて嫌な予感を覚えたので信頼出来る夏侯兄弟を出したのだが、孫堅を失わずに済んだものの華雄に知られる事になってしまった。
元々外様の華雄だったので軍師である李儒の元、曹操とは共に練兵していた事もある。
その為に面が割れていたのだ。
「で、華雄対策はどうしますか?」
曹操は周囲を見回すが、誰も名乗りを上げようとしない。
潘鳳が相手にならずに討ち取られたと言う事実が、諸将の腰を重くしているのだ。
「では、私が討ち取って見せましょう」
劉備の頭を掴んだまま、美髯の偉丈夫が名乗りを上げる。
「その方は?」
「劉備玄徳の義弟、関羽雲長と申します」
袁紹の質問に、美髯の偉丈夫関羽は堂々と答える。
劉備の頭を掴んだまま、である。
「官位は?」
「馬弓手に」
袁術の質問にも関羽は堂々と答えたが、袁術は烈火の如く怒り机を殴りつける。
「たかだか一兵卒が出しゃばるな! ここには勇将がおらぬと言うか!」
「まあまあ、華雄を討てればよし、討てなければ斬り捨てられましょう。もし逃げ帰ってくるようだったら、その時に大言の責任を取らせれば良いだけです」
曹操は切れ散らかす袁術をたしなめるように言う。
「大丈夫。自分から言わなければ関羽が足軽には見えないし。って言うか他の連中より偉そうだし」
「兄者は喋らない方が良い」
関羽はそう言うと袁紹と曹操の方を見る。
「先程の曹操殿の言の通り、もし華雄を討てなければこの首をもって責任を取りましょう」
「よくぞ申した。その気概や良し」
袁紹がそう言ったので、関羽は出撃を許された。
「関羽、私も武勲を期待しています。ついでに言えば、そろそろ私の頭を離してくれる事も期待します」
あの人と今回の登場人物
劉備は男性です。言うまでもなく、間違いなく男性です。
持っている武器が『雌雄一対の剣』と言う事なので……、この作品の劉備はそう言う事です。
外見は耳が大きいと言っても、基本的には耳たぶが大きかったみたいでいわゆる『福耳』であって、この話で出てくるようなエルフ耳ではありません。
この作品では袖が長いとしていますが、劉備は腕が長く、膝まで届くほどだったとか。
ぶっちゃけ人間の体型とは言えない気持ち悪い造形です。
また、今回説明の中に出て来た劉備の評判が演義で一般的に知られている劉備なのですが、正史での劉備は相当問題児だったみたいで、魯植先生の塾からたたき出されたり、地元のDQNを率いてやんちゃする人物だったとか。
兪渉、潘鳳は演義に登場する架空の人物ですので、兪渉が無名の実力者だとか潘鳳が名の通た猛将とかの話はこの話だけの設定です。
ただでさえ架空の人物なので、信じないで下さい。
ちなみに劉備と関羽にふりがなが付いていないのは、今更いいかな、と言う手抜きです。
今後登場予定の末弟も同様です。




