第八話
あまりにも露骨な変化だったので、汜水関側でも最初は事態を把握する必要があった。
「まさに軍師殿が言っていた通り、と言う事か」
華雄の言葉に、呂布や高順も頷く。
連合軍の攻勢は、李儒の予測通り十日目から目に見えて衰え始めた。
攻勢の要だった劉岱と張邈が離脱した事によって攻勢に厚みを失ったのが大きいが、その理由が分からなかった。
孫堅の采配には隙は無く際立つ優秀さこそ無いものの、確実に勝てるであろう戦い方をしていた事は疑いない。
防衛軍もよく守っていたが、それも個々に優れた武将達の個人技によるところが大きかったので、見た目より追い詰められていたところだ。
「軍師の策略、か?」
呂布の言葉に、華雄も高順も自信なさげではあるものの頷く。
戦場から離れた中央で、李儒は的確極まる手を打っていたと言う事だ。
呂布達には李儒が具体的に何をしたか分からないが、李儒は徐栄が都に戻って来た時に連合との戦いの情報を得て、さっそく動き始めていた。
形だけとはいえ徐栄や李蒙は初日の軍議に参加していたので、後日李粛が助言を求めにやって来る前からこの苦境を予想して、打開策を練っていた。
呂布や華雄に話した、弱点を含む反董卓連合軍四十万の兵力。
それはずばり『連合軍』と言う事である。
これが袁紹軍四十万と言った様に単一勢力によるものだったら厳しいが、連合軍は数を集めやすくなる反面、まとまりの部分では非常に薄くなると言う弱点がある。
初日に徐栄の抜け駆けに似た突撃によって、鮑信軍に大打撃を与えた事も効果はあった。
たった一度の戦闘で兵力を大きく削られた鮑信軍を見せられては、同等勢力では同じ被害を受けかねない事を知らしめ、初日にして弱小勢力に保身を意識させる事が出来たのは大きな戦果であり、徐栄の独断専行も大目に見る事になるほどである。
そして、李儒が反董卓連合陣営を知ってから最大の弱点だと注目していたのが、副盟主の袁術公路だった。
西涼から都へ登る時も、その後実権を握った後にも李儒は董卓の天下にとって弊害になる者、また董卓亡き後に必要な人材を調べていた。
次代で考えた場合、やはり最大勢力である袁家は外せないと考えたのだが、袁紹はともかく袁術には使い道が無い事は、その時から分かっていた事である。
意識は高いが行動は伴わず、気位ばかりが高く傲慢なのに小心者。
李儒には家柄のみを自慢する者の典型に見えていた。
都から離れ南陽の地を任されて二、三年程度であり、そこから劇的に変わっていない限り、袁術が副盟主であるのは連合にとって致命的欠陥を抱える事になるのだが、袁紹を担いだ以上袁術を副盟主にする事は避けられない。
反董卓連合の絵を書いた人物、おそらく曹操だろうと李儒は思っているのだが、袁紹を担ぎ上げたのは連合で兵力を集めるためであり、圧倒的兵力差を持って短期決戦が当初の戦略だったはずだ。
が、袁紹はそれを良しとしなかった事が、大きな齟齬となった。
孫堅はそれを立て直そうとしたし、それは七割から八割方上手くいっていたと言えるだろう。
だからこそ、一篇の密書で袁術陣営を大きく揺り動かす事が出来た。
『孫堅には連合を束ねるだけの実力がある』
手法としては丁原を陥れた時と同じく、単純な事実のみを記しながら真実を捻じ曲げて伝える密書。
今回集まった十七の諸将の内、十六の将にはまったく何の効果も得られないものだが、袁術に対してのみ孫堅に対して危険を感じさせる文章である。
副盟主である自分を差し置いて、孫堅は連合内で確固たる地位を手に入れるのではないか。
そうすると袁紹は同じ袁家と言う繋がりだけの自分より、下賤な海賊狩りで血を好む猛獣である孫堅を重用するのではないか。
そもそも袁紹も袁家ではあっても、母親は下賤の身の出身である。その分、孫堅とは気が合う恐れもある。
下賤の者を重用する事がどれほど危険な事か、何進の例を見ても分かるではないか。
袁術のそう言う思考を、李儒は看破していた。
李儒はほんの僅かな情報操作だけで、十日と言う短い期間で、しかも戦場から離れたところにいながらにして連合の先鋒軍を崩壊させたのだ。
とはいえ、残念ながらそれらの事を防衛軍の呂布や華雄が正確に読み取る事は出来なかったので、すぐに動き出す事は出来なかった。
しかし、十五日もするとさすがに実感として伝わってくる。
汜水関への攻撃がついに止まり、孫堅軍がまともに戦える状態ではない事が防衛側からも見て取れた。
「今こそ好機! 打って出るぞ!」
華雄の号令の元、華雄率いる汜水関防衛軍五万が野戦に踏み出した。
今後も防衛を続けていく為にどうしても時間を稼ぐ必要がある事は、呂布も華雄も分かっていた。
李儒も大急ぎで兵を送ってくれたのはわかるのだが、漢軍兵では連合軍と呼応して反逆を起こす恐れはまだ残っている。
李粛が戻って来た時に引き連れてきた増援は急遽集められた新兵であり、槍や弓を多少使える程度でしかなかった。
今後も反董卓連合から都を防衛する為には、この増援の新兵達にどうしても頼る必要がある。
そこで華雄には勇猛果敢な西涼兵を率いて野戦に出てもらい、十分な時間を稼いでもらう事にしたのだ。
連合に参加している馬騰もそうだが、元々西涼兵を活かすのであれば野戦の方が良い。
華雄は器用な万能型の武将ではあるものの、どちらかといえば攻勢の武将である事もあり、精鋭の西涼兵を率いて打って出てもらう事になった。
胡軫や徐栄と違って、華雄は下手に手柄を焦るような事も無く、いざとなれば戻って防衛に回る事も出来る事を知っている。
それに、華雄には華雄なりに思うところもあった。
どんな状況であったとしても、名将孫堅に対し勝利する事が出来ると言うのは、華雄にとっても無視できない好機だった。
補給を絶たれたらしく、炊煙も確認されない孫堅軍の状態はとても戦闘に耐えうるものではなく、それに対する華雄の軍勢は防戦一方だった事の鬱憤を孫堅軍で晴らすかのように襲いかかる。
とても戦闘と呼べるようなモノではなく、精強であるはずだった孫堅軍はなす術なく華雄の軍勢に蹂躙されていく。
数の上だけで言っても華雄の方が僅かとはいえ多い為、孫堅であってもここは逃げの一手しかない。
すぐに連携を取れそうなのは鮑信軍なのだが、その鮑信軍は初日に華雄には痛い目に合わされているので、華雄軍には近寄ろうとしないのだ。
散り散りに逃げる孫堅軍を追撃する華雄は、ついに孫堅の目立つ赤い頭巾を見つける事に成功した。
それに気付いたのか、逃げる孫堅の一団は急に方向転換して近くの林の中に逃げ込む。
華雄は一瞬だが伏兵を警戒したが、普通に考えればそれは有り得ない。
この戦は攻める連合軍、守る董卓軍と言う図式であり、こんなところに兵を伏せておく事に意味が無い。
急遽伏せて火計でも企んでいるのかもしれないが、ここまで肉薄した状態では味方ごと焼く事になる。
華雄は所詮守将の一人であり、孫堅ごと焼く事は明らかに損失の方が大きい。
つまりこれは苦し紛れの逃走経路なのだろう。
孫堅にしては上手い手ではないが、それだけ追い詰められていると言う事だ。
孫堅軍は補給も満足に受けていなかったせいか、馬も弱っているので林に入ったところで華雄は逃げる孫堅の一団に追いついた。
「孫堅! 斬られたくなければ、この華雄に降れ!」
華雄の轟雷のような声に、孫堅軍の馬は驚き数騎は馬を御す事が出来ずに落馬する。
そんな中で孫堅はさすがに上手く馬を制御して、振り返って剣を抜く。
「かかったな、董卓軍の獣め。お前の如き獣、我が殿が相手をするまでもない」
孫堅と思っていた赤い頭巾の男は、そう言うと華雄に向けて剣を向ける。
確かに孫堅に背格好は似た男であり、赤い頭巾や白銀の鎧から後ろ姿は孫堅に見えるのだが、孫堅の特徴的な虎縞の髪が違う。
よく見れば気付くようなところだったが、孫堅だと思って浮かれてしまっていた。
「影武者か。雑魚に用はない。死にたくなければ孫堅のところに逃げるがいい」
「はっはっは! 安い罠にかかった雑魚はどこのどいつだ? 貴様のような獣、この祖茂が一刀の元に斬って捨ててくれようぞ」
祖茂はそう言って華雄に斬りかかるが、逆に華雄の大刀の前に袈裟斬りに切られる事になった。
「口ほどにもないぞ、祖茂」
華雄は切り捨てた祖茂に向かって言うが、祖茂は血まみれになりながらも笑う。
「はっ、これで殿を追う事も出来なくなったな。諦めろ、殿はもうお前らの包囲網の外に去られたわ」
祖茂に言われ、華雄は眉を寄せる。
祖茂が孫堅の頭巾を被っていたと言う事は最初から影武者の役であったのだから、孫堅は祖茂が逃げた方の反対に逃げているのだろう。
いかに孫堅軍の馬が弱っているとはいえ、いまさら全力で逃げる孫堅に追いつけるはずもない。
またそれも大まかな方向に当たりを付ける程度であり、今から反転して孫堅を探し出して討ち取る事は現実的ではないのは華雄にも分かる。
あえて祖茂を生かしておけば、孫堅と合流するか救援が来る事も考えられはしたのだが、そこは祖茂も考えていた危険性だった。
だからこそ、祖茂は華雄を挑発し隙だらけに見える攻撃を仕掛ける事で、確実に殺される事によって情報を遮断すると言う手に出たのだ。
華雄に勝てればそれに越した事はないのだが、その望みが薄い場合には生け捕りにされるより斬り殺される事で、仲間への負担を減らしたのだ。
恐ろしい覚悟である。
「さすが、孫堅の重臣だな」
「お褒めに預かり、光栄だ。最期の置き土産も受け取ってくれ」
祖茂は最期まで笑顔を浮かべたまま、そんな事を言う。
共に林に入った一団が華雄に襲いかかってくるが、追いついてきた華雄軍の一団数十騎がそれを防ぎ、一瞬にして孫堅軍の一団を皆殺しにする。
これが置き土産か?
その疑問、微妙な違和感が華雄の命を救った。
華雄が何かあるのかと不安を感じて振り返った時、恐ろしく鋭い矢が放たれ、華雄の兜の角をへし折った。
もし振り返るのが遅れていたら、その飛矢は兜ごと華雄の頭を貫いていたかもしれない。
しかも、襲いかかってきたのは飛矢だけではなかった。
百にも満たない数ではあるが、華雄軍の背後から急襲してくる部隊があったのだ。
孫堅軍ではない。
見た目には孫堅軍に見えるのだが、先ほどの祖茂の部隊ほど弱った様子が無い。
これは、初日の鮑信軍に紛れていた部隊ではないのか?
華雄はそんな疑念を抱きながら、先頭で切り込んでくる一騎の一撃を大刀で受ける。
鋭く、早く、重い一撃。来る事が分かっていなければ甚大な被害を受けそうな一撃だったが、華雄はそれを受けきる。
すぐさま反撃しようとしたのだが、その時襲いかかってきた騎兵はさらに剣を振って華雄の大刀を凌ぐと反転して逃げ去っていく。
今の男には見覚えが有る。
先の弓を射掛けてきた男も、何処かで会っている。
「……夏侯惇か!」
華雄の言葉に切り込んできた騎兵は一瞬振り返ったが、騎兵はそのまま走り去り、返答代わりと言わんばかりにもう一度矢を射掛けられる。
今度は見えていたので、華雄は大刀でその矢を受ける。
もし今のが夏侯惇であったとしたら、この弓矢の男は。
「夏侯淵!」
今度は華雄の声に応える事無く、孫堅軍を装う部隊はそのまま離脱していく。
夏侯惇、夏侯淵と言えば曹操の従兄弟であり重臣でもある。
演習で数回顔を合わせた事があるが、その実力は董卓軍のような特化型ではなくどちらも万能型の武将であり、特に夏侯淵の馬術や速攻の用兵術は呂布を除くと董卓軍の武将ではまるで歯が立たないほどであった。
しかも本人は弓術に長けているので、用兵指揮に専念する事が出来ると言う効率の良さも、董卓軍には無い特徴である。
これほどの連携を取れる武将が他にいるとは思えず、しかも華雄が見覚えの有る人物である事を考えても、今のは夏侯一族の二人である事は間違いない。
「おい、急いで呂布将軍と軍師殿に伝えろ」
華雄は率いていた兵の一人を伝令に走らせる。
「連合の中に曹操がいる事を確認した、と」
そも?
今回の華雄に対して祖茂が孫堅の身代わりになると言うのは祖茂の唯一無二の見せ場なのですが、これも演義での場面であり正史には無いシーンです。
正史では孫堅軍の将軍なのにいつの間にかいなくなっている祖茂なので、こんな事になったのでしょう。
どう考えても祖茂が孫堅に似ていたとは思えないのですが、よほど孫堅の赤頭巾は目立つ目印だったのではないでしょうか。
この時孫堅軍の中に出向として夏侯惇ですが、資料によってはこの戦いで華雄を討ち取ったのが夏侯惇だとか。
華雄と言う武将が正史ではモブですので孫堅が討ち取った説もありますが、この物語の中ではソレらは不採用としました。




