第七話
戦術でも戦闘指揮でも天才的な才能を見せる孫堅だったが、致命的な見込み違いが二点あった。
一つは華雄の実力である。
孫堅は以前張温の元で華雄や董卓と共に戦った事があるので、華雄の事も知っていた。
人間離れした容姿とそれに劣らぬ高い攻撃力を持つ武将であり、特に攻勢に強い武将であった。
しかしその能力も防衛では主力とは成りえず、その為に趙岑と言う格下の武将が全軍の指揮を取っている。
そう思ったからこそ、八日目に趙岑を討ち取って防衛線を崩壊させようとしたのだが、華雄が指揮を取るようになってからは趙岑が守るより柔軟かつ強固な防御を見せた。
元々華雄はそれほど出世に興味が無い事は知っていたが、ここまで巧妙に実力を隠していたとは、孫堅でさえ見抜く事が出来なかった。
孫堅は結果として胡軫、趙岑を取り除く事によって華雄のために指揮系統を一本化させてやった事になってしまった。
だが、これは華雄の能力を捉え直せば再構築する事も出来る程度の問題で、勢いを止められてしまった事は痛手でも、まだ取り返す事が出来るはずだった。
問題はもう一つの点。
「孫堅殿、悪いが我々は後方に戻らせてもらう」
劉岱からの申し出に、孫堅は眉を寄せる。
「何故に? 確かに華雄の防御は硬いが、こちらの方が優勢である事は疑いない。ここで退くは敵を利する事になるのは、お二方には分かるであろう」
「あー、孫堅のダンナ。ちょいと聞いてくれるかい」
砕けた口調で張邈が言う。
「俺はダンナの意見に賛成、大賛成だよ。それは俺だけじゃなく、劉岱のダンナだってそうだ。だが、俺らが戦場に留まれない理由があるんだよ」
「理由? 勝利を目指すのではないのか?」
「兵糧だ」
劉岱が口を挟む。
「元々我らの参戦は突発的な事であり、さらに陶謙まで加わった。それだけに当初予定していた以上に兵糧などの物資が消耗しているらしく、我らが留まり続ければあと五日と持たないと袁術副盟主から叱責されて、やむを得ず本陣に戻る事になったのだ」
「五日もあれば……」
言いかけて孫堅は溜息をつくと、首を振る。
「副盟主の言葉となれば、従わざるを得ない、か」
孫堅は言葉を絞り出すと、劉岱と張邈と言う貴重な攻勢部隊を攻城戦から失う事になった。
それは攻勢を頼んだ二人の問題では無い。
副盟主たる袁術公路が問題なのだ。
孫堅は劉岱と張邈が去ったあと、孫堅軍の主将達を幕舎へ呼ぶ。
そこには胡軫を討ち取った程普を始め、黄蓋、韓当、祖茂の他、将来を嘱望される孫堅の長男、孫策なども呼ばれていた。
孫堅は劉岱と張邈が本陣へ戻った事、その原因は袁術から兵糧不足の責任を追及される事を避ける為だと説明する。
「妙ではありませんか?」
孫堅の説明に対して、そう言う声があった。
孫策と同じく、孫堅軍内において最年少の参加者でありこちらも将来を嘱望されている少年、周瑜公瑾である。
「出しゃばるな、公瑾」
「良い、言ってみろ」
たしなめる孫策に対し、孫堅は促す。
「もし兵糧や物資が不足気味だと言うのであれば、援軍である劉岱、張邈の両軍を本陣に帰すのではなく、物資の方を本陣からこちらへ送るのが本筋ではないでしょうか。この連合の攻略目標が今なお汜水関であるのならば、兵を退くより物資を運ぶべきである事は言うに及ばずです。また、攻略目標を別途に定めたとあれば、それを気付かせない為にも陽動として汜水関攻略には力を入れろと言われるはず。真っ当な理由では前線より両将軍を退かせるを良しとはしないはずでは?」
「……なるほど、公瑾の言う事、一理あるな」
程普が頷いて言う。
「では、袁術が下した決断は真っ当ではない、と?」
「あるいは、そう言う事も考えられるのではないのでしょうか」
孫堅の質問に、周瑜は控えめに応える。
「父上! ここはふんぞり返っているだけで役に立たないボンクラに問いただしましょう!」
「待て。伯符は大人しくしていろ」
立ち上がって今にも飛び出して行きそうな孫策に、孫堅は苦笑いしながら引き止める。
「お前は血気にはやり過ぎる。少しは公瑾を見習え。なぁ、公覆?」
孫堅は黄蓋の方を向いて尋ねる。
「……殿、それはこの黄蓋が血気にはやると言いたいのですか?」
「言いたいのではない。言っているのだ」
孫堅が笑いながら言うと、黄蓋はカッと目を見開く。
「んだと、文台、コラ。こっちが下手に出れば調子に乗り腐りやがって、おう? 歳下の分際で、態度デカいんじゃないか?」
「冗談だよ。これだから年寄りは」
「ああん? 誰が年寄りだぁ? 文台、ちょっと表に出ろや、コラ」
「おお? 主君相手にその態度は何だ? そっちこそ調子乗んなよ、コラ」
孫堅と黄蓋を見ながら、程普は孫策と周瑜に向かって言う。
「二人とも良く見ておくことだ。短慮はあの様な事になるのだぞ?」
程普の言葉が聞こえたのか、孫堅と黄蓋はガッシと肩を組む。
「いやいや、わざとだよ。場を和ませるため、笑いを取ろうとしたのだ。なあ、公覆?」
「おうともさ!」
「場を和ませる必要などありません」
孫堅と黄蓋に対し、程普はバッサリと言葉で切り捨てる。
「仲が良いのは分かったから、これからどうするのですか?」
韓当が孫堅に尋ねる。
「何だ、義公。地味なくせに」
「まったくだ。地味の中の地味のくせに」
「少しでも印象に残そうと努力しているのですよ、国士無双の地味ゆえに」
孫堅、黄蓋、程普に言われ、韓当は怒りに身を震わせる。
「てめぇら、殺されてぇか!」
「まあまあ、地味で良いじゃないですか。事実ですし」
祖茂が切りかかろうとする韓当を羽交い締めにして引き止めているが、言っている言葉は火に油を注ぐようなモノである。
「殿、場は和みましたが、今後はいかがなさいますか?」
年長者に任せていては話が進まないと思ったのか、周瑜が遠慮がちに尋ねる。
「今は弱みを見せる訳にはいかず、劉岱、張邈の両軍無くとも戦う事は出来る。あくまでもこちらの印象を薄くする為の援軍であったのだが、こうなってはそうも言っていられまい。この俺が指揮をとり、華雄と雌雄を決する事にする」
この時、孫堅にはまだ戦える戦力と士気の高さ、さらに勝ち筋も見えていた。
ただ一つ、袁術と言う男を見誤ってさえいなければ。
袁術公路と言う男は、袁家宗家の後継であるのだが、その事を鼻にかけ気位ばかりが高く、見るからに英雄然としている袁紹本初と並ぶと完全に格下に見られていた。
もちろん気位の高い本人はその事を良しとしているつもりはないのだが、黄巾の乱のおりから袁紹は何進から軍師に抜擢されたにも関わらず、袁術はその袁紹の補佐に任じられた。
後に西園八校尉に任じられた時にも、さらに今回も袁紹の後塵を拝す事になった。
それだけでも耐えられないと言うのに、今は孫堅がこの戦場を支配しようとしている。
正直に言うと、孫堅は口ほどにもないと思っていた。
この先鋒に孫堅が名乗り出た時には、これで汜水関陥落は決まったようなものだと連合に参加した諸将は口々に称えていた。
が、蓋を開けてみると孫堅は初日にこそ将を討ち取ったものの、その後は凡戦続きの上に際限なく援軍を要請してきている。
先日さらに一人武将を討ち取ったようだが、今のままではとても汜水関を陥落させられるとは思えない。
この時の袁術は孫堅を侮っていたが、それを擬態だと疑った者もいた。
袁術の信任厚い人物の、橋蕤と張勲である。
「何ぃ? 孫堅はわざと苦戦していると言うのか?」
袁術は幕舎を訪ねてきた二人に対し、尋ねる。
「御意に。かの男は江東の虎と呼ばれる、油断ならぬ猛獣の様な男。一見苦戦続きで良いところの無い戦を続けている様にも見えますが、その実、ヤツの部隊には大きな被害は出ておりません」
そう報告する張勲だったが、張勲自身が細かく調べた結果と言う訳ではない。
むしろ張勲はただの疑念からの讒言だったのだが、単純に偏見だったはずが見事に核心を突いていた。
先鋒軍の中で最初から最前線にいる孫堅軍だが、孫堅の巧みな用兵術と最序盤から援軍を要請し続け、その援軍の中に紛れて自身の消耗を避けていたのだ。
実際には途中参加であった劉岱、張邈軍の方が被害は大きいのである。
「孫堅は名うての戦上手。この汜水関攻略で敢えて苦戦を演出し、諸将に援軍を求めながら周りを消耗させていく策です」
張勲に続いて、橋蕤も袁術に対して言う。
見方によっては、それも間違いではない。
孫堅が求めたのはあくまでも諸将に兵を出させて、その数量差で汜水関の陥落を目指すと言うところだったのだが、橋蕤のような見方をすればそれもその通りと言えてしまうのだ。
「では、うだつの上がらぬ孫堅を下げて、この俺が汜水関を陥落させようか」
袁術がそう言って重過ぎる腰を上げようとしたが、橋蕤は首を振る。
「それはまだ危険です。現在汜水関を守る華雄と言う武将は、おおよそ人間とは思えぬ容姿をした化物であり、現在も孫堅に対し一歩も引かぬ勇戦するほどの猛者。殿がお立ちになれば勝てる事は疑いありませんが、せっかく猛獣同士が食い合っているところ。双方の牙が折れるまでやり合わせる事が得策です」
「だが、それでは孫堅が戦場を支配するのではないか?」
その事を忠告に来たはずで、袁術は二人に尋ねる。
「自ら先鋒を名乗り出た以上、孫堅は簡単には退却出来ません。また、敵将華雄が勇将であれば、やはり孫堅を逃がそうとはしないはず。孫堅を必ず負ける戦に追い込めば、孫堅は敗れ、また窮鼠と化した孫堅軍との戦いで華雄軍にも大きな被害が出る事は必定」
張勲がそう言うのを、袁術は興味深そうに頷く。
「どのような妙案だ?」
「さすれば、既に孫堅に加担していた劉岱と張邈は引き剥がし、本陣へと帰らせています。先鋒隊は無傷の我々の他は手負いの孫堅軍と初戦で惨敗して崩壊寸前の鮑信軍のみ。殿は副盟主にして後方支援の責任者。孫堅の勝手な援軍要請で物資不足となったと言って、孫堅への物資供給を止めてしまうのです。孫堅が泣いて物乞いに来るのを待って、我らが出ていけば、それで勝敗は決しましょう」
張勲の提案に、袁術はほくそ笑んで頷く。
「面白い策だ。たかだか海賊狩り程度で武将を気取る猛獣には一度痛い目に合わせ、身分の違いと言うモノを叩き込むのもまた一興か。さっそく手配せよ」
袁術は信頼する二人の将の策を受け入れ、孫堅の勢力の弱体化を計った。
孫堅がもっとも恐れた事態が、本人の予想を遥かに超えた速さで襲いかかってきたのだ。
実はこの時
周瑜は反董卓連合軍には参戦していなかったみたいで、この時は実家で留守番していたみたいです。
孫策は同行していたみたいですが。
次男の孫権は、さすがにこの時は幼かったので参戦していなかったみたいです。
キング・オブ・地味みたいに言われている韓当義公ですが、正史によると下働きだったところを孫堅に見出されて将軍に上り詰めた人なので、実際にはまったく地味では無い武将です。
演義での扱いがあまりにも地味だったので、こんな言われ方をするような脇役になってしまいました。
ちなみに公覆は黄蓋の、義公は韓当のあざなです。
孫策伯符やら周瑜公瑾やらのように有名なあざなではありませんので、一応。




