第五話
洛陽攻略戦に出てきた反董卓連合軍の先鋒を務めたのは、江東の虎の異名を持つ孫堅だった。
その孫堅を補佐するのが副盟主である袁術、さらにほぼ壊滅したとはいえ鮑信も参加していた。
「よりにもよって、悪い予感ってのは当たるモノだなぁ」
城壁の上から華雄が眺めながら言う。
兵力を二万近く失った鮑信は戦線離脱すると予想していたのだが、僅か三日で立て直して先鋒隊に加わっている。
よほど優秀な人材がいるのだろう。
「孫堅はいきなり攻めてくると思うかい?」
相変わらず虎牢関ではなく汜水関にいる呂布が、華雄に尋ねる。
「どうですかねぇ。孫堅にはそれだけの勇猛さも武勇もありますが、さしたる情報も無い状態でいきなりゴリ押ししてくるとは思えないですよ。まずは小手調べからではないかと思いますが、正直わかりません」
「最悪、いきなり総攻撃も有り得るってわけか。守備の手配はどうなっている?」
「そこは趙岑が張り切ってますよ。初日の防衛戦の成功が自信になったみたいで」
「それは良い」
細やかな配慮が出来る趙岑がやる気になっていると言う事は、董卓軍の低い守備意識を改善させる事にもなる。
見た目の割に器用な華雄はどんな戦い方でもこなす事が出来るが、他の武将が同じように器用に立ち回る事は出来ない。
張遼を手元に呼んでおきたいところではあったが、張遼まで虎牢関を離れさせるわけにはいかないので、初日の軍議の後は虎牢関の守りについている。
「ところで胡軫将軍はどうした? 今日はまだ見かけていないんだが」
「どっかでスネて丸くなってるんじゃないッスか? 初日に活躍の場が無かった事を、物凄く気にしてたし根に持ってたし」
「スネてるくらいなら問題無いんだが」
だが呂布の不安は、先程の華雄の言葉ではないが悪い予感ほど当たると言っていた通り、的中する事になった。
呂布や華雄は外の孫堅軍の動向に注目していたし、趙岑は江東の虎が攻めてくると言う事で一分の隙も無い様に守備の手配をしていたので、気付くのが致命的に遅れてしまったのだ。
「ん? なんだ? 門が開くぞ?」
呂布が重い音を聞きつけると、汜水関の門が開くのが見えた。
「呂布将軍?」
「いや、俺は何も指示してないけど?」
呂布と華雄がお互いに首を傾げていると、胡軫が一万の兵を率いて孫堅軍を迎撃に出たのだ。
胡軫は一万の兵を率いて、汜水関を出る。
「胡軫将軍、今すぐ戻れ。全軍で守備に徹するんだ」
呂布が城門の上から呼びかけるが、胡軫はそれを無視して軍を進める。
「胡軫将軍、総大将の命令が聞けないのか」
華雄が大声で呼びかけると、胡軫は振り返る。
「黙れ、華雄! 古来より『将、軍にありては、君命をも受けざるところあり』と言う! 総大将といえど呂布将軍は虎牢関の守将であり、汜水関の主将はこの胡軫である! 今、この変化に富む戦場において、機先を制する事こそ最上なり!」
「難しい言葉覚えたかたって、偉そうな事言ってんじゃねぇ! いいから戻ってこい! ボッコボコにされるのがオチだぞ!」
華雄がそう怒鳴るのだが、その言葉はもはや説得を諦めているとしか思えない。
胡軫は華雄の大声が聞こえているはずなのだが、完全に無視を決め込んで軍を進める。
「ど、どう言う事ですか、呂布将軍! 予備兵とはいえ、一万も持って行かれては、今後の戦いに支障をきたします!」
大慌てで趙岑がやって来るのだが、胡軫のあの調子では言葉だけで納得して引き返そうとはしないだろう。
「呂布将軍、予備兵を使って胡軫を連れ戻します。孫堅とかち合うのは危険過ぎる!」
「任せます」
華雄は頷いて降りていく。
しかし、今から予備兵を集めて再編して出撃となれば、それなりに時間がかかるだろう。
好戦的で血の気の多い胡軫が開戦に踏み切るまでには、とても間に合いそうに無い。
それでも胡軫は、董卓軍では名の通った猛将でもある。
呂布は知らないのだが、華雄ほどの武将が警戒する江東の虎孫堅の実力と言うものはどれほどのモノなのだろうか、と言う興味はある。
胡軫は徐栄のように弱いところを突くと言う器用な用兵術を持っていない代わりに、正面に対する突破力であれば徐栄を上回る。
それは個人の武勇によるところが大きいのだが、ある意味では董卓軍を体現する武将とも言えた。
さすがに勝利するには数量の差があるとはいえ、相手を後退させる事は出来るかもしれないし、胡軫ほどの猛将であれば徐栄のように取り囲まれたからと言って短時間で一気に切り崩される事は無いはずだし、華雄の救援まで前線を維持出来るだろう。
この時の呂布は、多少の楽観もあった。
何よりも孫堅文台と言う武将と、その旗下の者達を知らなかったと言うところが大きい。
それは自信家である胡軫も同じだった。
呂布に対してあれだけ手も足も出ない負け方をしたにも関わらず、胡軫はあの戦いは実力ではないと思っていた。
真正面から打ち合えば、例え呂布が相手でも遅れをとる事など有り得ないと。
「董相国に歯向かう不届き者ども! 国を脅かす反逆者ども! 今すぐ武器を捨て、漢の国の為に尽くせぃ! 貴様達の地位は董相国に任じられたモノであり、貴様達の実力ではない! 恩義に逆らう恥知らずどもめ!」
意外と弁が立つな、と呂布は思う。
それに声も素晴らしくデカい。
「そこまで恥知らずに自身の正義を語れるのは、それはそれで才能だな」
胡軫の前に、一騎の武将が手を叩きながらやって来る。
とにかく人目を惹く人物だった。
大柄な男であり、白銀の鎧に赤い頭巾。そこから溢れる髪は黒髪の中に茶とも金とも言える髪がまばらに混ざっている。
その風貌と、虎縞にも見える髪もあって、その男はそう呼ばれるようになったのだろう。
江東の虎、と。
「だが、その訴えはお前のようなどこの誰とも知れないような馬の骨ではなく、董卓自身が言うべきであり、その威を借りるだけの小物に応える義務も無い。お前こそ今すぐ武器を捨て連合に降伏するか、城壁に登って泣きながら震えているが良い。良く似合っているぞ?」
猛る胡軫に対し、孫堅は冷笑する様に答弁している。
外見は猛虎のそれとしか言いようのない孫堅だが、ただの猛獣ではなく深い知性を感じさせる。
胡軫と孫堅では将としての器が違うと誰の目にも明らかなのだが、胡軫は引き下がるような事はしない。
「貴様が海賊狩りか。海賊は狩れても、武将の相手は務まらないだろう。貴様こそ、連合の後ろで震えているが良い」
「お前の如き馬の骨に、俺の相手は務まらない。俺に剣を抜かせたいのなら、董卓を連れてこい。体が重いと言うのであれば、呂布でも構わないぞ? さっさと助けを求めに行け」
孫堅は手で胡軫を追い払おうとする。
「ほざけ、下郎! この胡軫を恐れているのだろう」
「あー、はいはい。程普、遊んでやれ」
胡軫との問答に飽きた、と言う態度を隠そうともせずに孫堅はそう言うと、自身は引き下がり、孫堅軍から別の武将が現れる。
見るからに獰猛な猛将の雰囲気を持つ孫堅に対し、新たに現れた武将は、武将と言うより冷徹な役人の様な男だった。
一騎討ちに応える猛将ではなく、陣立などで戦う参謀と言う雰囲気の男だったが、手にした蛇矛には一体感があり、ただの参謀ではない事も一目で分かる。
情報の有無は勝敗に直結する。
もし胡軫ではなく華雄であれば、この人物に対して油断するような事も無かったはずで、孫堅もこの人物をぶつける事はしなかっただろう。
孫堅は胡軫の事を知っていたが、胡軫はあまりにも孫堅を知らなかった。
蛇矛を持つ参謀風の男。
程普徳謀。孫堅の参謀でありながら、孫堅の誇る四将の中の一人である。
「貴様如きが出しゃばるな! 孫堅を出せ! その首落とされたくなければな!」
「お前のような馬の骨を切るのに、殿の古錠刀を汚すわけにはいかないのでな。むしろ、この程普と矛を合わせられる事を誇りに思うが良い。本来であればこの程普も、お前如きの露払いには出向かぬものなのだが」
程普の挑発に胡軫は頭に血を昇らせ、大刀を振り上げて程普に斬りかかる。
が、程普は蛇矛を突き出して胡軫を馬から突き落とすと、胡軫が体勢を立て直すより早く蛇矛を振り下ろし、胡軫の頭を叩き割る。
「敵将胡軫、討ち取ったり。殿、この首、如何しますか?」
「この戦ではさしたる武勲にもならないだろうが、一応出てきた董卓軍の数は減らしておいた方が良い。鮑信殿の憂さ晴らしの為にもその首を掲げて、董卓軍を蹴散らすとしよう」
「御意に」
程普は半分になった胡軫の首を蛇矛で貫くと、それを高々と掲げる。
「行くぞ、江東の猛者よ。董卓軍を丸呑みにして、鮑信殿の弟達を弔う事にしよう」
程普の冷淡な言葉に対し、孫堅の兵達は燃え盛る炎の様に胡軫を失った董卓軍に襲いかかった。
勇猛果敢であるはずの西涼兵だったが、一騎討ちの強さでは董卓軍内でも一目置かれていたはずの胡軫がいとも簡単に討ち取られ、指揮をとる者がいなくなってしまってはその高い戦闘能力も活かせない。
それは先の徐栄軍でも同じだったが、今回は鮑信軍より狂暴凶悪な戦闘能力を持つ孫堅軍である。
主を失った胡軫の軍は、孫堅軍と戦おうとせずに一斉に逃亡を始めた。
それが幸いしたというべきかもしれない。
孫堅が完全な包囲網を敷く前に、無秩序に逃げ出す胡軫の軍は包囲網より広がってしまっていた。
とはいえ無秩序な集団である以上、孫堅は包囲殲滅にこだわる必要も無く、手近な部隊から食いつぶしていく事に切り替える。
大急ぎで編成を終えた華雄だったが、救出する事が出来たのは元の三割ほどであり、それ以上は華雄も深入りする事が出来なかった。
「おおう、華雄か」
「孫堅、久しいな」
華雄は汜水関へ退こうとしていたところを、孫堅に呼び止められる。
「余所者のお前が出てくるとは思わなかったぞ。董卓は身内贔屓が過ぎるからな。ところであの肥満体は元気か?」
「ああ、元気も元気。今が絶頂期じゃないか」
「それは面倒な事だ。さっさと病気にでもなって早死すれば良いのに。それが世の中の為だろう」
孫堅は溜息をつきながら言う。
そうこうしている内に孫堅軍が集まってくるが、華雄軍も主の元に集まる。
「そういえば、鮑信軍が化物を見たと言っていたが、お前の事だったのか」
「さあ、どうだろうな。董卓軍は化物揃いだ。鮑信軍程度であれば、誰を見ても化物に見えたと思うが?」
「ははは、まったくだ。だが、見た目にお前以上の化物はいないだろう?」
「そうとは限らんぞ?」
いきり立つ孫堅軍と華雄軍に対し、その主将である孫堅も華雄も特に気負う事も無く会話している。
「殿、ここはこの韓当にお任せを。見事討ち取ってみせましょう」
「いや、ここは黄蓋が」
孫堅の傍にいた二人の武将が名乗りを上げるが、孫堅はそれを良しとしなかった。
「あの華雄と言う化物は、見た目通り化物じみた武力を持っている上に、見た目より賢い。何の準備も無しに乱戦に入っては、こちらの被害が拡大する」
孫堅はそう言って周りの武将を引き止めると、華雄の方を見る。
「共に張温将軍の元で戦った事もある仲だ。ここで降伏するのなら、俺から盟主である袁紹に取りなしてやるぞ、華雄。外様のお前が董卓軍で栄達する事など無いのだから、乗り換えるべきではないか?」
「いや、それがそうでもない。お前こそ董相国の元に降れ、孫堅。お前であれば軍の要職に就ける事は、俺が保証する」
華雄の言葉に、孫堅は大きく頷く。
「悪くない話だ」
と言った後、孫堅は華雄を見る。
「お互い、殺し合う他無い、と言う事か。見逃してやるから、汜水関に帰れ」
「残念だよ、孫堅」
華雄はそう言うと、自身が率いてきた軍の他、元胡軫軍の敗残兵を引き連れて汜水関に戻って行く。
「殿、良かったのですか?」
韓当が孫堅に尋ねると、孫堅は笑って頷く。
「我々だけが無理をして血を流す必要は無い。わざわざ鮑信がやった愚行を我らが真似るも無い。今日のところは胡軫を討った事で良しとするべきだ」
孫堅の外見
演義準拠ですが、髪の色に関しては勝手に足させてもらってます。
純粋な中華のヒトですので、金髪が混じる事は無いはずなのですが、演義準拠で言えば次男の目が青いとか不思議な容貌ですので、髪に金髪が混ざっててもいいかな、とか考えたりしました。
何も良いところが無いまま退場した胡軫将軍ですが、これも演義準拠です。
正史ではここで討たれるのは華雄で、胡軫はこのあとも活躍したみたいです。
いくら創作物の演義でも、参謀に一騎討ちで討たれると言うのはこの後にも中々いない、レア物な討ち取られ方をした武将となった胡軫でした。




