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新説 呂布奉先伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第二章 洛陽動乱

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第五話

「おや? まだ食事の準備が済んでいませんでしたか?」

 呂伯奢は一人何も無い客間で待っていた曹操に向かって尋ねる。

「呂伯奢、どう言う事ですか?」

 曹操は質問に対して答えず、逆に呂伯奢に対して責めるように尋ねる。

 没個性的であるはずの曹操なのだが、こういう時には人並み外れた目力の強さがある為、見られる側は不可視の刃を突きつけられているような錯覚を覚える。

 気の弱い者であれば、そのまま失神しかねないくらいだ。

「曹操殿? 一体何の……」

「呂伯奢。私は貴方を信じています。疑わせないで下さい」

 曹操は呂伯奢の言葉を遮り、家人の一人が持っていた手配書を呂伯奢へ投げる。

「これは?」

「分かりませんか?」

 呂伯奢が手配書を拾い上げるのを見て、曹操は呂伯奢の言葉を待つ。

「これは、曹操殿の手配書、ですか? 一体何をやったのですか?」

「分かりませんか?」

 曹操は先程と同じ言葉を呂伯奢に投げかける。

「この手配書には罪状が書かれていませんので。ですが、生け捕りを指示されている事と賞金の額から考えても、何かよほどの事を?」

 呂伯奢は首を傾げながら尋ねる。

「もう、芝居は良いではありませんか、呂伯奢殿」

 客間に戻ってきた陳宮が、呂伯奢の元へやって来る。

「これは陳宮殿。私が芝居と?」

「大したモノだと思いますが、曹操殿、これではっきりしたのではありませんか?」

 陳宮に言われ、曹操は渋々頷いているが呂伯奢は首を傾げている。

「何の事を話しているのか、この翁にも分かるように説明して頂けませんか?」

 意図的に分からない会話をされていると感じた呂伯奢は、曹操と陳宮に対して不快感を表に出して言う。

「そこまで見え透いていては、もはや見苦しさすらありますな。もう認めていただきたいものだ」

「陳宮殿、先程から何を言われているのか?」

「何故私の事を知らないフリを続ける?」

 陳宮の言葉に、まだ呂伯奢は首を傾げている。

「どこかでお会いしていますかな?」

「最初にとぼけてしまった以上そう言うしか無いのだろうが、それは事態を悪化させるだけ。家人から聞いたが、さすがは大商人。人を憶える事は得意だという事で、家人の顔と名前は完全に一致させているらしい。そんな方が、私の名も顔も知らないと?」

 近年密売人の存在は大きな問題となっている為に商売をする場合、必ず県令である陳宮の許可を得なければならない。

 陳宮にとっての呂伯奢は許可を求めてくる数多くの商人の中の一人でしかなかったが、呂伯奢からすると陳宮は自分の商売を許可してもらわなければならない人物である。

 元々決まり事にうるさい人物として知られる陳宮であり、呂伯奢はそんな人物がやって来た事を知って自身の後ろめたさから過剰な反応を示してしまった。

 とっさの判断ではあっただろうが、思わず知らないフリをしてしまったのだ。

 曹操や陳宮からすると、家の明かりから逆光となった呂伯奢の表情が見えなかった事も、気付くのが遅れた一因でもあった。

 捜査や調査で来た訳ではないと知ると、呂伯奢は態度を軟化させ、旧知の知人の息子を迎える事にしたのも、曹操や陳宮の目から見て自然な行動に見えてしまっていた。

 またこの時、呂伯奢は曹操が追われていると言う事は知らなかった事も間違いないだろう。

 だが、今は知っている。

 曹操が呂伯奢に手配書を見せたから、ではない。

「事は露見したのですが、これ以上とぼけるのは時間の無駄ではありませんか?」

 曹操は呂伯奢に向かって言う。

 それでも信じようとしていた曹操だったが、その一方で陳宮が屋敷の中で動き回っている事を止めるような事もせず、また何をしているかを確認する事もしていない。

 少なくとも騒いだり暴れたりというような騒音は無かったので、そこまで物騒な事はしていないと思われる。

「とぼけるも何も、一体何の事やら。この手配書にしても、初めて見るモノです。この翁に曹操殿を売る様な理由がございません」

「理由は無くとも利得がある。それであれば、商人なら売買に及ぶモノではないか」

 陳宮が呂伯奢に言う。

「ここで話を長引かせているのも、引き連れてきた追手が周囲を取り囲む時間を稼ぐ必要がある為。その手配さえ済めば、いかに武技に優れる曹操殿といえども生け捕りに出来ると思っているようだが、それは大きな間違いだ」

「曹操殿、この毒婦めは乱を呼び込みますぞ」

「はっはっは。毒婦とは言い得て妙ですな、呂伯奢殿。陳宮殿が毒婦か、はっはっは」

 曹操は楽しそうに笑い、陳宮も苦笑いを浮かべる。

「私が乱を呼ぶとは、随分と大きく評価していただいて」

 一転して陳宮は、呂伯奢に対して恭しく頭を下げる。

 露骨な皮肉である。

「しかし、乱を起こそうにも共に立つ者がなければ、乱を起こしようも無い。酒を買い付けるだけにしては、随分と時を要しましたな」

 陳宮が微笑を浮かべて言う言葉に、呂伯奢は不快さを隠そうともしなくなっていた。

 この時代の男尊女卑は色濃い為、呂伯奢の様な大商人になると女性から見下される事は無く、ここまで露骨に女性から皮肉られる事は無かった。

「この陳宮、県令としての仕事は疎かにしておらぬ。県兵が動かなかったので、金で集まる程度の荒くれ者を集めたのであろう? 曹操殿の事を知っておられるのなら、最低でも十人。出来れば三十人は用意したかったでしょうな」

 陳宮は微笑を浮かべたまま言う。

 曹操には武の雰囲気は薄いのだが、若い頃から武芸に優れ、時の権力者であった十常侍の張譲の屋敷に押し入った事があるほどであり、その時には数十人の衛兵が触れる事すら出来なかったと言われている。

 実際のところは分からないが、曹操が今も健在である事を考えるとまったく有り得ない話ではない。

「何を訳のわからない事を。曹操殿、この女はどうしようもない妄想に囚われているのではありませんか?」

「どうでしょうかねぇ。客観的には呂伯奢殿より陳宮殿の言葉の方が、説得力がありそうに聞こえるのですが」

 曹操は腕を組んで悩んでいる。

 少なくとも、そう装っている。

「幼い頃より見知っているこの呂伯奢ではなく、この様な毒婦をお信じになられると?」

「そこなんですよね。私は呂伯奢殿を信じたいと思っているのですが、先程から呂伯奢殿は昔からの情のみを口にしているだけで、陳宮殿の様な具体的な話をされていないのですよ。なので、私としては毒婦陳宮の言葉の方が信じるに足るように聞こえるのです。困ったモノですね」

 曹操はわざとらしく唸って、首を傾げている。

「具体的も何も、この翁にはまるで心当たりも無い、寝耳に水の話。ありもせぬ疑いをかけられては、何も言い様がありません。曹操殿はお疑いになるのですか?」

「もちろん疑いますよ。現に家人の中には、家主に隠れて私を売ろうとしていた者がいた事は明白となっています。しかも現状ではそれが家人の独断による暴走だったのか、家主の指示の元に行われていたのか。今のところ家主の無実を証明する術が無いわけですから」

 陳宮と話し合ったわけではないが、曹操は出来る事なら呂伯奢の方を信じたいと思っている事は、陳宮も察している事だと思う。

 それでも陳宮が強気に呂伯奢を挑発するように責めているのは、潔白を証明することが出来ないと言う致命的な問題がある為である。

「それに呂伯奢殿、今後の商売を考えると董卓から睨まれては動きづらくなるのでは? 曹操殿を匿うと言う事は今後商売を広げられないと言う事になるのは、今更私が言うまでも無い事か」

 陳宮が言うと、いよいよ呂伯奢の表情が険しくなる。

 今後の商売を考えると、董卓の評価は絶対となる事は呂伯奢でなくても分かる事だ。

 あとは天秤にかけて、どちらに重きを置くか。

「答えは出たようですね。残念ですよ、呂伯奢。私は貴方をこそ信じたかったのですが」

 曹操は軽く首を振って言う。

「私を欺いた事は、高く付きますよ」

「欺いた? 欺いたと言うのなら、貴公が先ではないか」

 呂伯奢は曹操に対してさえ険しい表情を向ける。

「と、言うと?」

「罪人である事を隠し、騙した状態で巻き込もうとしていたではないか! それに対し、貴公は潔白であるとでも言うつもりか!」

「私の潔白と貴方の潔白では別問題ではないかと思うのですが、ここは敢えてこう言わせていただきましょう」

 曹操は苦笑いした表情を一転させ、呂伯奢を視線で射抜く。

「私が欺いたとしても、私を欺く事は許さない。呂伯奢、お前だけではなく、天下万民全てに対し、私を欺かせたりしない」

「乱世の姦雄、か」

 陳宮と呂伯奢は、互いに小声で同時に呟いていた。

「そして、私を欺いたと認めた呂伯奢には、然るべき罰を下す」

「罰? 罰とな? 罪人はそちらであるにも関わらず、この翁を裁くと申されるか。増長も大概に致せ、阿瞞!」

 逆上する呂伯奢に対し、曹操は気が抜けたように笑い、陳宮は呆れた様子で溜息をつく。

「ダメですよ、呂伯奢殿。いくら予定通りに時を稼いだと言っても、しっかり展開が済んだ事を確認してから開戦に及ばないと。見込みで行動するのは、商いでも基本的な落とし穴ではありませんか」

 陳宮がこれまでの高圧的な話し方から、まるで幼子に言って聞かせるように呂伯奢に向かって諭す。

「黙れ、女が口を出す事ではない! 貴様とて罪人である!」

「それは否定しませんが、呂伯奢殿は今の状況を正しく理解しているのですか?」

 陳宮はそう言うと、無造作に客間の出入り口の扉を開く。

 そこには人影も無く、また誰かがやって来る気配も無い。

「呂伯奢殿、貴殿の失着はただ一つ。家人が欲に駆られて報告の義務を怠った事のみです」

 陳宮は扉を開け放ったまま、呂伯奢に向かって言う。

「貴殿の考え、手に取るように分かりました。私も同じ手段で挑んだ事でしょう」

「何をほざく……」

「曹操殿が罪人として手配されていると知ったのは、酒を買いに出た先の事でございましょう」

 呂伯奢の言葉を遮り、陳宮は言う。

「そこで勝算有りと思われたのでしょう。私でもそう思います。客人として迎えた曹操殿は、今は極上のもてなしで気をよくしているはず。後はそこに薬を仕込んだ酒を飲ませれば、大した労もなく捕らえる事が出来ますから。残るは女一人ですので如何様にでも。ただ、念には念を入れて幾人かの手勢がいれば十分」

 陳宮はそう言うと、一息ついて首を振る。

「ここで問題になるのが女の素性。何しろ県令であるのだから、県の守備隊では機能しない恐れがある。なので荒くれ者を十人から二十人程度集めれば良し、と言ったところですか」

 陳宮の言葉に、呂伯奢は睨みつけているものの口は挟まない。

「では、その集団は何故この場にいないのか。答えは簡単ですよ。私の方から家人に伝えておきました。家主の呂伯奢様が酒を購入してきますが、少し遅れて団体のお客様がまいられます。私達よりその方々に粗相の無きよう、先に酒を振舞って下さい、と」

「お見事。そんな事をやっていたんですね」

 曹操が手を叩いて笑う。

「これは勝負アリですよ、呂伯奢殿。何か言い分は?」

 呂伯奢は口を開こうとしたが、やがて大きく息をつくと首を振ってその場に座り込む。

「いかな翁でも詰み筋が見えました。これ以上言い訳を重ねても見苦しい限り。どのようにでも処断して下さい」

「良いのですか? まだ確たる証拠は無いのですが」

 曹操が尋ねた事に対し、呂伯奢は首を振る。

「陳宮殿のおっしゃった通り、曹公を捕らえんがため荒くれ者を雇いました。それがこの場に現れないと言う事は、見事対処されたと言う事。この翁が証拠が無いと喚いたところで、雇った荒くれ者達が屋敷にいるのでは簡単に証言を取れますからな。今から散れと言っても間に合いません」

 呂伯奢が完全に観念した事を確認した曹操は頷いて剣を抜くと、その剣で呂伯奢の肩を叩く。

「私は信じたいと言ったのですが、その上で私を欺いた罪は重い。その細首を落としたところで何の償いになると思うのですか。それに父との親交もありますので、命だけは助けてやります」

 そう言う曹操の目は、異常なまでに冷たかった。

「呂伯奢、貴方にはこれより曹操軍に対し出資して頂く。兵、馬、装備、兵糧に至るまで全てだ。その数、最低でも二千。どれか一つでも満たなければ、その咎で首を刎ねる」

「ご随意に。この呂伯奢、今日この場にて死したからには、以後力の限り尽力いたします」

 呂伯奢の言葉に曹操は頷くと、陳宮を見る。

「貴女にも我が軍師として加わっていただく事になりますが、よろしいですか?」

「条件があります」

 陳宮は曹操に向かって言う。

「一つには、私は軍師として加わるのであり、側室などになるつもりはないと言う事。その様な扱いであれば、私は付き従うつもりはありません」

「惜しいですが、貴女の能力を考えると奥に隠れるのは損失ですから」

「もう一つ、時が貴殿に求めているのは治世の能臣ではなく、乱世の姦雄であると言う事。それを自覚して覇道を歩む事。その覚悟はおありか?」

「やむを得ないでしょう」

 曹操が頷くと、陳宮は膝をついて臣下の礼を取る。

「なれば、この陳宮、殿の為に知略の限りを尽くしましょう」

陳宮の動向


演義ではこの呂伯奢事件をきっかけに陳宮は曹操の元を離れていきますが、本編では曹操の元に残っています。

ちなみに正史では、このタイミングでは陳宮は曹操の元にはいなかったと思われます。

また、呂伯奢は演義でも正史でもこのタイミングで曹操に殺されていますが、本編では生きてます。

陳宮はともかく、呂伯奢は今後出てくるかどうか分からないのですが、彼は曹操のスポンサーとして暗躍していると思って下さい。

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