第二話
我ながら、おかしな事になったものだな。と、呂布は他人事のように考えていた。
つい先日まではこの温名園にて董卓と敵対していた立場だったのに、今では董卓の為に警護の責任者となっている。
本日は前回、丁原がぶち壊しにしてしまった宴会の仕切り直しと言う形で文武百官がこの温名園に集められている。
前回と違う事と言えば、丁原がいない事とそれぞれが帯剣を許されている事である。
意外な事にこれは曹操からの提案であり、軍師の李儒は難色を示したものの、もしも剣を抜くような不届き者がいれば即座に切り捨てればいい、そんな者がいなければ董卓の懐の深さと余裕を知らしめる事が出来ると曹操が説得したのである。
若手一の切れ者の曹操の事は、董卓も高く評価していた。
ただし、警護の責任者の立場からすると各人の帯剣と言うのは、あまりにも危険なので呂布としては李儒側に賛成であった。
温名園には呂布の手配で、合流を果たした元丁原軍の精鋭達が警備に当たっている。
「やあ、呂布将軍。精が出るね」
曹操が気楽に、呂布に声をかけてくる。
「……気楽に言ってくれるね。誰のお陰でこんな事になっていると思っているんだ?」
「それは董卓将軍のお陰ですよ。私は提案こそしましたけど、採用して命じたのは董卓将軍ですからね」
曹操は平然とそんな事を言う。
「いや、まあ、そうだけど。そうなんだけれども。それでも言わせてもらおう。誰のお陰だと思ってるんだ?」
「董卓将軍ですよ」
柔らかい笑顔で曹操が答える。
こういうやり取りでは、呂布は曹操には手も足も出ないと言う事は分かった。
「だがなぁ、曹操殿。いくらなんでも帯剣を許すと言うのは大胆に過ぎないか? 漢の武将と言えば、猛将豪傑揃いだ。そんな方々が一斉にかかってこられては董卓将軍を守りようが無い」
「大丈夫、大丈夫。呂布将軍を相手に戦おうとする者は圧倒的に少ないし、一斉にかかる事も無い。何しろ私はこの通り丸腰だから」
曹操が手を広げて見せると、確かに武器らしい物は持っていない。
帯剣している様子もなければ、甲冑を身につけている訳でもない。
見た感じで言えば、本格的にこの人何が目的で来たんだろうと思ってしまう。
「おや、疑ってますね。でも、ちゃんと意味はあるんですよ。例えば、今日喜んで帯剣してやって来る者は、気位が高い上に董卓将軍に対して服するつもりがない、あるいは服する事に抵抗がある人物。私の様に丸腰で来る者は董卓将軍と争う気が無い、もしくは流れを見る日和見主義と言う感じで、人材の見極めにもなるんです」
「ほう、なるほど。董卓将軍の余裕を見せるだけでは無かったのか」
「それだけだったら、あの李儒殿が良しとするはずが無いでしょう」
確かにその通りだろう。
李儒は慎重な男なので、見返りが無い限り剣を持った者達を懐に入れるような真似はしないはずだ。
この没個性的な外見の曹操が都一の切れ者と評判なのも、こういうさりげない抜け目の無さによるものだろう。
「あれ? 曹操さん、何してるんですか?」
呂布のところにやって来たのは、合流を果たした張遼だった。
「やあ、張遼。呂布将軍と今後の大計について語り合っていたところだよ」
「ん? そんな話してた?」
曹操はにこやかに答えるが、呂布は首を傾げている。
「そんな事より曹操さん、袁紹さんが探してましたよ」
「また? 何だか袁紹はいつも私を探しているみたいだなぁ」
「貴方の行動範囲が広過ぎるのが問題だと思いますよ」
「なるほど。そう言われると、確かにその通りかも知れない。それじゃ、袁紹様の機嫌を取ってきますか」
そう言うと、曹操は呂布や張遼と別れる。
「……あの人は一体何の為にここに来たんだ?」
「まあ、自由人で有名ですから」
呂布と張遼は曹操を見送って、そう呟いていた。
張遼が言っていた通り、曹操と言う人物はその出自などからは考えられないほど行動範囲が広過ぎ、袁紹が用事がある事に曹操を探すハメになっている。
曹操の出自は元を辿ると漢の高祖、劉邦の重臣である曹参と言われている。曹操の祖父曹騰が宦官であったため、養子として夏侯氏から養子を取ったとされている。
この夏侯氏も祖先は劉邦の重臣であった夏侯嬰であったと言われている。
これに関して曹操がそれを口にする事は無く、周囲から尋ねられても苦笑いで誤魔化す事が常となっていた。
それが事実であれば、当代の名門と言われる四世三公の袁家、伝説の兵法家の子孫を称する孫家と比べても何ら見劣りするモノではない。
はずなのだが幼い頃から評判が良くなかったせいか、曹操はその家格に頼る事無く都の北門の警備責任者と言う家柄から考えると低過ぎる地位につきながら、黄巾の乱では一気に将軍位に就く。
そこで大手柄を立てた為、太守まで務めるのだが、それも病気を理由に辞任するとしばらく無位無官の日々を送る。
それからは出世間違いなしの西園八校尉に任じられるものの、そこでも地位に固執する事なく自然消滅した時にも、特にそれに対して手を打つような事もしていない。
階位で言えば、曹操は西園八校尉だった事を考えると袁紹と同格のはずなのだが、袁紹から副官扱いを受けている。
にも関わらず、本人はそれに対して特に気を悪くしていると言う事も無い。
どうにもつかみどころの無い男である。
出席者が揃ったと言う事もあるので呂布は外の警護と兵の指揮を張遼に任せ、呂布は建物内の警備に移る。
ここでの呂布の役割は董卓の護衛なのだが、肝心の董卓はまだこの場に現れていない。
先に入っていた曹操だが、早速袁紹から色々と言われているのを見つけた。
没個性的な曹操と並んでいるからという訳ではなく、袁紹は見栄えのする男であり、ここに集まっている武将達の中でも一際目立っている。
が、不思議な事に李儒や董卓は、曹操の事は極めて高く評価しているのに対して袁紹の方は評判ほど評価していない。
呂布には分からない評価基準と言うモノがあるのだろうが、底知れないと言う一点においては、袁紹より曹操の方が遥かに上だと言う事は理解出来た。
張遼の話では、袁紹は事あるごとに曹操に相談を持ちかけているらしいので、袁紹からすると曹操は軍師や参謀といったところなのだろう。
一応今回の呼び出しの名目は宴と言う事になっているので、各々に酒や料理を楽しんでもらおうとしているのだが、とてもそんな状態ではないほどの緊張感が場に漂っている。
誰もが前回の仕切り直しである事は分かっているので、酒や料理を楽しめるほど豪胆な人物は目下のところ曹操くらいしかいない。
先程の曹操の言葉から考えれば、この場に丸腰で来た人物であれば特に問題は無さそうではあるのだが、やはりそう楽観は出来ないのだろう。
まして前回董卓の暴走を止めた呂布が、今回は董卓側に立っているのだから不安も大きいと感じているのだ。
呂布が異様な緊張状態の宴の席を見ていると、董卓と李儒が遅れて会場に現れた。
「いや、諸君。遅れて申し訳ない。思う存分、酒と料理を楽しんでくれい」
董卓は高らかに宣言する。
もちろんそれで空気が和むはずもなく、むしろさらに強い緊張状態になったと言える。
董卓は宣言した後に壇上へと上がり、この場の支配者は誰だと言わんばかりに上座に着くと、自分の前に特別な酒と料理を持ってこさせる。
余りにもあからさまな挑発行為はどうかと呂布などは思うのだが、李儒が苦々しい顔をしているところを見ると、軍師も同じ考えでありながら聞き入れてもらえなかったと言う事だろう。
李儒に勧められて、呂布は李儒と共に董卓の傍の席に着く。
「呂布将軍、今日は間違いなく荒れると思いますから、よろしくお願いします」
「心得ていますが、それを予見しておいでであれば、尚更帯剣は許すべきでは無かったのではありませんか?」
「僕も閣下にそう言ったのですが、聞き入れてもらえず。ただ、今日何も出来ないと言う事を思い知らせれば、何かとやりやすくなる事も事実。ですので将軍には無理を言う事になりましたが、よろしくお願いします」
李儒は丁寧に言う。
剣を持っていながら何も出来なかった、もしくは何もしなかったと言うのは確かに精神的な打撃としてはかなり大きなものになる。
まして曹操が言うにはこの場に帯剣して現れた者は気位が高いと言う事だったので、その負い目は相当深くなる事だろう。
そうなると李儒が言う様に、今後は何かとやりやすくなるはずだ。
危険過ぎるので李儒は反対だったようだが、聞き入れられなかった以上は最大限に利用しようと言うのが李儒の考えである。
もちろん李儒自身が指摘しているように、呂布への負担は大きくなるのだが。
しかし呂布としても親殺しの汚名を董卓の機転によって肩代わりしてもらっているのだから、この場の責任は背負わなくてはならない。
「さて、諸君。この場で儂から提案がある」
空気はまったく和んでいないのだが、酒や料理をひとしきり楽しんだ董卓が切り出す。
「皆も思っている事だろう。現帝劉弁はその年齢から考えると暗愚に過ぎ、道理に暗く心も弱い。漢を支える主と言うには余りにも不向き。そこで儂は無能の帝を廃し弘農王に封じ、本来の帝として然るべき陳留王を新帝とする事とした。反対する者など、あるまいな」
董卓は剣の柄に手をかけて、同意を求めると言うより恫喝している。
「従わぬ者は、この場で叩き切る」
そこまで宣言されては、百官にも言葉が無い。
そもそも今日が先日の仕切り直しである事は、参加者であれば全員が予想出来ていたはずで、反論があるとすれば前もって準備しておくべきである。
「では、全員満場一致と言う事で」
「黙れ、逆賊!」
董卓が強引に決定しようとした時、すっくと立ち上がって董卓に真っ向から反対する者がいた。
袁紹である。
「少帝陛下は即位から日が浅く、責められるべき落ち度などあるはずもない! その陛下を廃するなど、貴様の翻意の現れ以外の何物でもないではないか! この場で廃すべきは少帝陛下ではなく、貴様だ董卓!」
袁紹は、董卓はもちろん呂布や警備兵を恐れる事なく、怒気を剥き出しにして董卓に言葉を叩きつける。
短気な董卓は、若い袁紹に真っ向から反対されて顔色を変えて剣を抜き放つ。
「若造にはこの剣に刃が付いていないように見えるらしいな。切れ味を見せてやろうか」
その恫喝にも負けず、袁紹は剣を抜く。
「この袁家の名剣、西涼の田舎武将の剣などに負ける事があるか!」
一触即発の空気ではあるが、董卓の前には呂布が立ちはだかり、さらに周囲には警備兵が囲んでいる事を考えると、袁紹には万に一つも勝目が無い。
呂布も一応手にした戟を袁紹に向ける。
基本的に戟は馬上で振るうモノであり、今の状況で言えば剣の方が扱いやすいのだが、それより不可解な事もあった。
友人であるはずの曹操が、袁紹の行動を止めようとしないのだ。
煽っているわけでも無いのだが、完全に我関せずを決め込んでいる。
「お待ち下さい。何もこんな席で刃傷沙汰に及ばなくても良いではありませんか」
誰も止める様子が無い事を確認したのか、李儒が見かねて董卓と袁紹の間に割って入る。
「無益な争いはお辞め下さい。双方とも、剣を収めて下さい」
李儒は二人を説得しようとするが、双方共収まるはずもない。
「不愉快だ! 立ち去れぃ!」
「ふん! 言われるまでもない、こちらから出て行ってやるわ!」
董卓は言葉と共に剣を収めたが、袁紹は怒気も冷めやらず剣を抜いたまま温名園から出て行く。
ひとまずは事無きを得たが、董卓は完全に怒りを収めた訳ではなかった。
「袁隗!」
「はっ、何用でしょうか、董卓閣下」
宴会場の隅の方に隠れていた袁紹の叔父に当たる袁隗を、董卓は呼ぶ。
袁紹の叔父である袁隗は、四世三公と言われる袁家の中でも特に出世した人物であり、三公どころかそれを統括する太傅となった人物である。
英雄然としている袁紹だが、その袁紹が頭の上がらない人物の一人でもあった。
「お前はどう思っているのだ? 儂の新帝の案、お前の考えを聞きたい。まさか甥と同じ考えではあるまいな」
剣に手をかけて、董卓は袁隗に尋ねる。
確認どころか、あからさまな脅迫である。
「私は董卓閣下の考えに賛成です」
袁隗はそう答える。
と言うより、そうとしか答えようがない。
「本当か、袁隗よ」
本来であれば董卓より袁隗の方が階位は上なのだが、それは今だけの話であり、董卓が提案している新帝を立てると言う案が通れば董卓の方が上になるのも間違い無い。
それは袁隗だけでなく、この場にいる者であれば全員が分かっている事だった。
何進の軽挙によって董卓が帝を伴って都へ来た時から、こうなる事は予想出来ていたのだ。
それを打破出来る唯一の機会だったのが丁原の反対だったのだが、剛勇無双の呂布が董卓についた以上どうする事も出来ない。
「閣下の提案は、皆が思っていながら口に出来なかった事。元々霊帝陛下は現少帝劉弁陛下でなく陳留王劉協様を後継と指名しようとしていたのです。漢の流れを正道に戻す為にも、董卓閣下の案にこの袁隗は賛成です」
袁隗の答えに満足した董卓は、大きく頷く。
「同じ袁家故にどうしてくれようかと思っていたが、貴公に甥の罪を問う事はすまい。他の者達はどう思っておるのだ」
董卓が周囲に向かって言うと、宴に参加していた者達は口々に賛成を唱える。
こうして現帝の廃立と、新帝の擁立が決定して宴は解散になった。
「曹操、お前は残れ」
皆と一緒に退出しようとしていた曹操は董卓に呼び止められる。
「私ですか?」
「うむ。それから王允、袁隗お前達もだ」
董卓が名指しで呼び止めた曹操、王允、袁隗の他、軍師の李儒と護衛の呂布が皆が解散した宴会場に残った。
「先程の若造、袁紹の処遇をどうすべきかを問う。皆、意見を述べよ」
「閣下、私はその若造より年下なのですが」
曹操が董卓に向かって言う。
「曹操、お前は袁紹と親しかったな。その上で意見を申してみよ」
董卓は曹操を睨みつけながら言う。
小心者であれば、震え上がって声も出せないような迫力の董卓であるが、没個性的な顔立ちで分かりにくいのだが曹操に恐れている様子は無い。
「袁家は名門の中の名門であり、袁紹を処断してしまうと大乱を招く恐れがあります。また、お尋ね者としても袁紹を匿う者も多く、効果は見込めません。それよりは袁紹を見逃す事が得策なのですが、ただ見逃すだけでなく、いっそ一群の長官に取り立てて恩を売る事が良いかと思います」
曹操は平然と答える。
「ほう、袁紹を庇い立てするか、曹操よ」
「私の考えを述べさせていただいただけです。ですが、軍師殿もそのように考えられていたのではありませんか?」
曹操は李儒に向かって尋ねる。
「僕が?」
「だからこそ、董卓閣下と袁紹の揉め事を仲裁されたのでしょう?」
曹操の言葉の為、全員が李儒の方を見る。
「どうなのだ、李儒よ」
董卓にも言われ、李儒は頷く。
「曹操殿の言われる通りです。袁紹に対しては曹操殿が言われる通り、下手に罪に問うような事はせずに恩を売る事こそが上策と思います。ですが、言われるまでもなく閣下はそのようにするつもりだったのではありませんか?」
李儒が董卓に向かって尋ねる。
「何故そう思ったのだ?」
「閣下が残された面子からでも、予想が出来ます」
李儒はそう言うが、呂布にはさっぱり分からない。
「閣下が高く評価されている曹操殿であれば、閣下の考えと同じ考えであったでしょうから、閣下はあえて曹操殿に代弁させた。その人事を伝える手間を省かせる為に司徒である王允殿を残し、罪状を問う事はしないと明確にする為に袁隗殿を残した。違いますか?」
李儒の言葉に、董卓は手を叩いて大笑する。
「さすが、我が軍師、見事なり! 王允よ、そのように手配せよ」
「御意に」
王允はそう答えると、そそくさと退出する。
「袁隗よ、そういう事だ。今後も政務に励むが良い」
「は。閣下に尽くさせていただきます」
ようやく安全である事を実感出来た袁隗は、そう言うと頭を下げて退出する。
これで問題は無くなったと言う事で、曹操と呂布も退出し、董卓と李儒は今後の事を協議する為に場所を移した。
「いや、李儒殿は見事としか言い様が無いな」
曹操は大きく息を吐くと、そう呟く。
「李儒殿がどうかしたか?」
「さっきのやり取りですよ。董卓将軍はおそらく袁紹に対して追手を差し向け、袁隗殿にも罪を問おうとしたでしょう。ですがそれは国家に対して損失になります。私もそう思ったのであんな事を提案しましたが、軍師殿は董卓将軍を持ち上げて気をよくさせた上に、自分の提案を通した。その上で袁隗殿にも恩を売る事もやっています。見事としか言い様がありませんね」
曹操は笑いながら言う。
李儒はああ言ったものの、董卓はあの場であんな風には考えていなかったと言うのが呂布には意外だった。
「さて、漢王朝はどうなる事やら」
曹操はむしろどこか楽しそうに呟いていた。
そして一八九年、九月一日。
四百年続いた漢王朝を土台から揺るがす、大事件が起きる事になる。
ちょっと分かりにくい曹操の家系
本編でも説明しましたが、曹操の家系は漢王朝の始祖、建国の時代までさかのぼります。
ですが、曹操の祖父の曹騰が宦官であり子供がいなかった為にここで曹参の直系の血筋は絶たれたことになります。
そこで、養子であり曹操の父親でもある曹嵩の登場なのですが、一般的に夏侯氏の一族からの養子と思われていますが、三国志正史の著者である陳寿は『不明』であると記しています。
とはいえ、曹嵩の出自が不明であっても、曹操と夏侯惇、夏侯淵、曹仁、曹洪は従兄弟同士であった事は間違い無いみたいです。
ちなみによく兄弟として扱われる夏侯惇と夏侯淵ですが、実は兄弟ではなく従兄弟です。
さらに言えば、本編では登場する事のない諸葛亮と諸葛瑾も兄弟として扱われる事が多いですが、こちらは一族の上下関係とか宗家と分家的関係で諸葛亮が諸葛瑾を兄として慕っていたようで、実際の兄弟では無いそうです。




