第五話
翌日、温明園に文武百官が集められた。
袁紹や曹操、丁原や呂布といった治安維持に奔走していた面々の他、王允などの内政の重臣、皇甫嵩達現役の将軍や魯植のような一時将軍職を罷免されていた者も都にいると言う事で集められていた。
「……呂布殿、よく食われるな」
袁紹は出された料理を次々に平らげていく呂布を見ながら、呆れながら呟く。
「うん? 美味いよ、コレ。厳氏とか蓉とかに持って帰りたいなぁ」
「普段美味いモノを食べさせてないんですか?」
曹操が笑いながら尋ねる。
「ウチの嫁さん、カエルとか捕まえてきて食べてるからなぁ」
「食べ物に困ってるのか?」
呂布の話に袁紹が眉を寄せている。
「いやいや。何だか都の食べ物があまり口に合わないらしくて、自分で田舎の料理を作る趣味を見つけたみたいで。時々娘と一緒に芋を干してるよ」
呂布の話に曹操は面白そうに聞いていたが、袁紹はさらに表情を険しくしていた。
「呂布殿の家族の話にも興味はあるけど、今日は気を付けておいた方が良いでしょうね」
「孟徳、どう言う事だ?」
袁紹が曹操に尋ねる。
「帝を救出された英雄、董卓殿が美味い物をご馳走してくれる為だけにこんな面子を集めたわけじゃ無い。何かやらかす気だろう」
「孟徳、それは何だと考えている?」
「最低でも人員整理の話はあるんじゃないかな。袁紹や袁術、まあ私もだが、何進大将軍の近衛だったにも関わらず守る事が出来なかった。それに十常侍の専横を許したとして、大臣連中も処分されるかもしれない。そうする事で、ごく自然に董卓軍が中枢を握る事が出来るわけだし」
まさに曹操の言う通りなのだが、言っている曹操本人は口に出した事くらいで済むとは思っていないように、呂布には見えた。
呂布が一目見た時の印象としては、董卓は腕っ節でのし上がってきた人物だと思えたし、とても政治家には見えなかった。
軍師の手腕の見せ所である、と言う事だろう。
呂布は食事を続けながら董卓の巨体を探すが、未だ姿を現さない。
少し離れたところで、丁原と魯植が何か話しているのが見える。
丁原が何か語っているのだが、魯植は眉を寄せて時々首を横に振っている。
見たところ、昔からの友人と言う感じではない。
呂布がそう思っていた時、董卓が遅れて現れた。
その瞬間に宴の空気が一気に冷え込み、緊張感が増す。
董卓は帯剣したまま現れ、そのまま正に我が物顔で上座へ進み、どっかと席に着く。
「今日はよく集まってくれた。皆の者、心ゆくまで酒と料理を堪能してくれい」
誰がこの宴の主役かと言わんばかりに、董卓は上座から高々と言う。
この宴に参加しているのは官職にある者達のみではあるが、それでも大半は事勿れ主義者の集まりであり、董卓の横柄な態度を率先して咎めようとはしなかった。
今にも食いつきそうな丁原は魯植に止められ、飛びかかりそうだった袁紹も曹操に止められている。
態度は大きいが、帝を救った英雄である董卓を咎めるには、この程度ではまだ弱いと曹操は判断したのかもしれない。
「曹操殿、意外と丸く収まりそうじゃないか?」
「呂布将軍は、本気でそう思っているんですか?」
「本気でそう思ってはいるんですがね」
「それは私もそうですが」
呂布と曹操はそう言いながら、本気で丸く収まることを祈りながらも、そうならないであろう事も予測していた。
しばらくは現れた後にも宣言通り酒と料理を楽しんでいた董卓ではあったのだが、傍らに現れた李儒に何か耳打ちされると、おもむろに立ち上がる。
「さて皆の衆、儂からの提案を聞いてくれるか」
皆の視線が董卓に集中される。
「呂布将軍、何か始まる……って、まだ食べてるんですか?」
曹操は呆れるより驚いて、呂布の方を見る。
「ん? ああ、食い溜めしてた。これで一週間は食わなくても大丈夫」
「……随分と器用ですね」
「いやまあ、そんな気になったって話だけど」
まったく緊張感の無いやり取りをしている呂布と曹操を、袁紹が睨む。
「皆も知っての通り、現皇帝である少帝劉弁は歳の割りにあまりにも無知無能であり、とても帝の器にあらず。それに対し陳留王である劉協様は幼くも聡明にして叡智、気品に溢れ、正に貴人たる人物。儂はここで無能であり、国の乱の元となっておる少帝劉弁を廃し、真に帝になるべき劉協様をこそ新帝に迎えようと思う!」
董卓の宣言に全員が呆気に取られ、誰も何も言う事は出来なかった。
「これはまた、とんでもない事を」
「曹操殿でも予想出来なかったのか?」
何か起きると思っていた切れ者の曹操でさえ、その程度しか口に出来なかった。
「如何か? 反対の声が無ければ、すぐにでも」
「何を申すか! このたわけが!」
真っ向から董卓に対し反対し、言葉で噛み付いたのは丁原だった。
「え? 義父上? ちょ、せめて俺の近くでやってくれよ」
「急いで助けに入った方が良いでしょう。董卓将軍はこの場で唯一帯剣しておいでですから」
曹操に言われ、呂布は急いで丁原のところへ向かう。
「今の帝に何の落ち度があると言うのか! 貴様の如き下郎より遥かに有能であり、将来性もある! 何を企んでそのような不遜な事をぬかすか!」
「ああ? 誰に向かって口きいてるつもりだ、コラァ!」
これまでの余裕をかなぐり捨てて、董卓は剣を抜いて丁原に斬りかかる。
が、その剣が振り下ろされる前に呂布が間に割って入り、董卓の手首を掴む。
「英雄である董卓将軍が、こんなところで剣を振り回し、丸腰の相手を切り捨てたとあっては評判が下がりますよ」
「手を離せ、若造が!」
「ええ、離しますとも」
呂布はすんなりと、董卓から手を離す。
「董卓殿、剣を収めて下さい」
怒り心頭で、今にも改めて斬りかかってきそうな董卓だったが、その後ろから李儒が冷ややかに言う。
「その男は、呂布奉先です。並外れた武勇を誇る荊州の若き武神とまで言われる者ですので、迂闊な手を出されますな」
「不愉快だ! 丁原、退席せよ!」
「貴様と同じ席で酒など飲むつもりもないわ! 貴様如きに言われるまでもなく退席してやる! 帰るぞ、奉先!」
丁原は肩を怒らせ、足音を派手に立てながら去っていく。
一方の呂布は申し訳なさそうに頭を下げ、こそこそと丁原の後について行く。
しかし、丁原達が退出した後も董卓の怒りは収まらず、この場の宴席は急遽解散となり、董卓は兵を上げて丁原の屋敷を急襲しようとした。
兵を率いるのは胡軫と言う猛将で、副将に華雄を引き連れている。
「あー、胡軫将軍。李儒軍師から伝言なんですがねー」
「黙れ華雄。貴様に手柄は譲らんぞ」
「いや、そりゃ構わないんですがね。李儒軍師は、呂布には手を出すなって言ってましたよ? 俺はあの人の言葉には従った方が良いんじゃないかなーと思ってるんスけどねー」
華雄は笑いながら言う。
副将ではあるが、胡軫は華雄のこう言う余裕が気に入らなかった。
そもそも胡軫は董卓軍の中では、武勇は誰にも劣らないと言う自負があり、その武勲や能力に対して評価が低過ぎる事が不満で仕方が無かった。
董卓軍には数多くの武将が所属するが、その中でも特に董卓から好まれている四天王と言われる武将がいる。
李傕、郭氾、樊稠、張済の四人がその四天王であり、その次には軍師である李儒がお気に入りの華雄、何故か兵を率いる機会の多い徐栄、董卓の娘婿の牛輔などの方が胡軫より高い評価を得ている。
胡軫自身は、その事が不満で仕方が無かった。
四天王と言われる四人は董卓に気に入られるように取り入るのが上手いだけであり、華雄など軍師の小細工が上手くいっただけである。徐栄も大軍で少数を蹴散らしただけの結果であり、牛輔など董卓の娘婿と言うだけの凡人であり、真の猛将と言うのは自分の事だと言う事を証明したかった。
今回の出兵はまたとない絶好の好機だった。
荊州の若き武神呂布奉先の名は、胡軫も知っているのだが、それがまさかあんな女の様な優男だとは思わなかった。
考えてみれば、黄巾賊と言うのは農民の集まりであり、金や食料があれば戦意を逸らす事も出来そうなものだ。
呂布と言う男はそれで上手い事やった小細工師なのだろう。李儒と同じ、口八丁の輩であれば、その化けの皮を剥がすだけで胡軫の名も上がると言うものである。
軍師はお気に入りの華雄を使って伝言を持ってきたようだが、真の実力者である胡軫に手柄を立てさせたくない為に、そんな事を言って来たのだと考えていた。
胡軫率いる董卓軍は一万の兵を率いて、郊外にある丁原軍駐屯地に向かうと、そこにはすでに呂布が千の兵を率いて待ち構えていた。
「どうも、夜分、こんばんは。こんな所にそんな大軍を率いてこられて恐縮ですが、何か御用ですかね? 何か賊が出たなら、ウチらで解決しますんで、今日のところはお引取り願えませんか?」
「ハッ! 董卓軍に喧嘩売っておいて、その言い分は通るわけないだろう! それがどれだけ愚かな事か、思い知らせてやる!」
胡軫は得意げに喚きたて、呂布は溜息をつく。
「喧嘩売るも何も、今回の事に関しては義父上の言い分の方が筋じゃないか? それで喧嘩売ってるとか言われてもねぇ」
「ガタガタ言ってるんじゃねえ! その首、この胡軫が貰い受ける!」
「無理じゃないかなぁ」
やる気に満ち満ちている胡軫に対し、呂布は手に持つ戟を反転させ、胡軫に対して戟の柄を向ける。
その行動に胡軫は馬鹿にされたと感じたらしく、剣を抜いて呂布に斬りかかってくる。
勢いに乗った胡軫の斬撃だったが、呂布はそれを戟の柄で受け流す。
力任せの一撃を、衝突音も無しに外へ導く様に流すと、胡軫は大きく体勢を崩す。
呂布はその隙を見逃さず胡軫の横に並ぶと、戟の柄を胡軫に当てる。
「どぉうりゃああああああ!」
整った外見に似合わない掛け声を共に、呂布は戟を振り抜き、胡軫を投げ飛ばす。
驚異的な力で押し飛ばされた胡軫は、後方で見ていた華雄のところまで投げられる。
「うおう」
華雄もまさか胡軫がこんな形で帰ってくるとは思っていなかったので、思わず避けてしまった。
その結果、胡軫は地面に落下する事になったが、ゴロゴロと転がりはしたものの命に別状は無さそうだった。
だが、さすがに華雄も自分の目を疑っていた。
如何に董卓から軽んじられていると言っても、胡軫は董卓軍の中では相当な実力者である事は間違いない。
それが全く相手になっていないどころか、子供扱いかそれ以下だった。
正直に言えば、華雄は胡軫と十回戦って十回勝つ自信はある。
だが、それは今呂布が行ったほど一方的にはならない。切って捨てていいならともかく、最初から遊ぶ様な戦い方で勝つ事は困難と言わざるを得ない。
「まだやるか? 一騎討ちで終わるか、一兵残らず皆殺しにするか?」
呂布はそう言うと戟を反転させ、董卓軍に戟の穂先を向ける。
本来なら一万対千であるのだから、董卓軍の圧倒的優位は変わらないはずなのだが、董卓軍に広まる動揺は極めて大きい。
こうなってしまっては、華雄がどれほど優れた武将であったとしても兵をまとめる事は困難となり、大軍として機能させられないどころかまともに戦う事も出来ないほど脆いと言う事も知っている。
一騎討ちで敵将を討ち取り、動揺したところに突撃して敵軍を機能停止に陥らせる。
勇猛果敢な董卓軍の利点をよく理解している李儒が得意な戦法であり、華雄が武勲を立ててきた戦い方であるのだが、まさかそれをそっくりそのまま返される事になるとは思ってもいなかった。
が、呂布は脅しをかけてくるものの、攻め込んでくる素振りを見せない。
また、呂布に率いられる精鋭達も手柄を立てる為に抜け駆けしようともしない。
千載一遇の好機、とまでは言わないまでも好機である事に変わりはないのだが、この精鋭達は手柄を立てる事を焦っていないのだ。
それは指揮官である呂布奉先に対する、絶対の信頼の現れでもある。
彼らは、この武将についていけばいつでも手柄を立てられる事を知っているのだ。
この強さは本物だ、と華雄は眉を寄せる。
この男であれば、三千で黄巾軍の五万とも戦えるだろう。ここで無理押しすれば、十倍の兵力をもってしても全滅させられる。
華雄はそう判断すると、すぐに行動に移った。
転がっていった胡軫を救出すると、華雄は一戦を交える事なく撤退していったのだ。
都にやって来てからは野蛮極まる鬼畜とまで言われた西涼軍が、戦わずして退く事に呂布が率いる兵達も驚いていた。
呂布軍の兵の半数以上が戦わずして退いた西涼軍を、口先ばかりの腰抜けだと蔑んだが、呂布は相手の優秀さを見ていた。
どう考えても一騎討ちに出てきた胡軫と言う武将の手際ではない。有能な副将がいると言う事だ。
その武将は数だけを頼りに無理に行う賭けの様な戦闘を行う事を避け、確実に勝つ為の準備が出来ていない事に気付いて、犠牲を出す前に撤退したのだ。
敗走したのではなく、一度距離をとって兵と士気を立て直す。
もし呂布が千の兵を率いて調子に乗った追撃に出た場合、相手を蹴散らすどころか大軍に囲まれて全滅させられる恐れすらある。
黄巾の乱では、連戦連敗だったと言う董卓軍のはずだが、今目の前で悠然と兵を退いていく一軍は、紛れもなく勇将の差配であった。
「ウチの義父上は、とんでもない相手に喧嘩を売ったのかも知れないな」
董卓の武勇
三国志には諸説ありまくりですので、もうどれが本当なのかも分からないのですが、董卓と言う人は若い頃は凄まじい武勇の持ち主だったそうです。
両手にそれぞれ弓を持ち同時に射る事が出来ると言う、物理的にどうやったの? と言いたくなるような特技も持っていたみたいです。
今回の温明園のやり取りの中で、歴戦の武将達が揃っているにも関わらず董卓を止められなかったのは、この場に参加した武将が若い頃の董卓の猛勇振りを知っていた為、と言われています。
しかも、董卓のみが帯剣、他は丸腰なので当然とも言えるでしょう。
ちなみに三国志演義では、このシーンが呂布初登場になる事が多いです。




