魔王の到来 第一話
第四話 魔王の到来
「おかえりなさいませ」
「ああ、ようやく君を都に帰らせる事も出来そうだよ」
家に帰ってきた彼は、妻に向かって言う。
「あまりご無理をなさらないで下さい。父は来るべくしてこの西涼の地へ来たのですから、何もあなただけが苦労なさらなくても。それに、私は西涼の生まれですから、故郷はこの西涼の地ですよ?」
妻は彼に向かって、安心させようとしてそう言う。
そんないじらしさに、彼は笑顔を浮かべる。
「好きでやっている苦労だよ。大変だけど、辛くはないさ」
「あなたがそうおっしゃってくださるのなら良いのですが」
こうして家に帰り、妻と話していると心から安らぐ事が出来る。
そしてその度に彼の頭の中には、同じ疑問が浮かび上がってくる。
この清らかで美しい妻は、本当にあの男が産ませた子供なのだろうか、と。
まず見た目が違い過ぎる。それはもう何もかも違う。
見た目だけの話ではなく、おくゆかしく質素で献身的な性格などは違うどころか正反対と言ってもいい。
彼女を産んで間もなく息を引き取ったと言う母親が、よほど優れた人物で、彼女はその母親の生まれ変わりとして父親からは何も譲り受けなかったのかもしれない。
「まあ、これからはさらに忙しくなりそうだけど」
「くれぐれも無理はなさらないで下さいませ。李儒様の代わりなんて誰にも務まらないのですから」
心配そうな妻に対し、李儒は微笑む。
「それなら大丈夫だよ。賈詡文和って優秀なヤツを見つけたからね。一段落つくまでは私がやらないといけないけど、そこまで来たら賈詡に任せて私は休ませて貰うよ」
李儒の言葉に、妻はようやく安心したような笑顔を見せる。
つくづく美しいと思って、見蕩れてしまう。
他の兄弟達は驚きのあまり腰を抜かしそうになるほど父親に似ているのに対し、彼女は同じ血が流れているとは思えない。
父親の毒を多くの兄弟姉妹達が吸い上げてしまった結果、母親の清らかな結晶として彼女は生を受けたか、あるいは本当に血の繋がらない養女なのだろう。
実は父親のように、圧倒的な腹黒さを驚異的な演技力で隠しているのかと疑った事もあったのだが、彼女は本当に心の中まで美しい存在だった。
黄巾の乱に乗り遅れた李儒は豊かな知才に見合う野心家でもあり、隠者として一生を過ごすつもりもなく、自分の能力を高く評価して買ってくれる人物を探していた。
候補はいくらでもあったのだが、そんな時に彼女と出会ってしまう。
自分の才に自信を持つ李儒が、この女性の為に、彼女一人だけの為に生きようと思った。李儒は彼女の為に野心を捨てて、この西涼の地で静かに暮らそうと真剣に考えた。
ところが、この美しい娘の父親に大き過ぎる問題があった。
黄巾の乱では連戦連敗、本来であれば敗戦の責任を取る為に死罪を言い渡されるはずのところを賄賂で生き延び、左遷されたとは言え西涼の地を手に入れた男。
中央は何も知らなかったのだ。
その男はかつての任地である西涼での人望があり、恐るべき野心を持つと言う事を。
その男こそ、董卓仲穎である。
もし彼女、董氏が董卓の娘だと言う事を先に知っていれば、或いは李儒はここまで董氏に惹かれる事は無かったかもしれない。
なにしろ董卓と言う男は黒い噂で出来ているような男であり、とても信用出来たものではない。
もし手柄を立てても全て董卓に奪われ、失策の責任だけはきっちり取らされる恐れのある人物である。
同等の荒くれ者達からの人望は不思議なほどにあり、かつては並外れた武勇の持ち主であったらしいが、李儒はその頃の董卓はよく知らない。
だが、そんな過去の話には何の意味も無い。
彼は先に彼女に会ってしまったのだから。
父親である董卓はもちろん、外見的にも内面的にも醜い兄や姉、その親族にまで下女や端女のように扱われながら、それでも健気に家の為に、家族の為に働く彼女を見て李儒の心は決まった。
自分が彼女の境遇を変えてやるのだ、と。
西涼董卓軍には勇猛果敢な猛将は数多くいるが、そのほとんどが猪武者であり、知勇兼備の名将は現時点ではほとんどいないと言っていい。
今の董卓軍では、新入りの部類である華雄と言う武将がその器と言えるくらいなモノで、それも生粋の董卓軍の武将ではない。
そんな中であれば自分の智謀を活かして董卓の信用を勝ち取り、自分を重用させて、彼女の境遇を変える事が出来るはずだ。
李儒はそう考え、その才能を見せつける為に西涼の反乱分子であり、董卓にとって邪魔だった勢力を一つ潰してみせた。
その時、李儒に協力したのが新参者の華雄である。
まだその時には李儒は華雄の事は名前しか知らなかったのだが、だからこそ李儒は華雄を選んだ。
生粋の董卓軍の武将では、話にならなかったのだ。
董卓軍では強さとは腕力であり、知略や用兵と言うモノが恐ろしく軽視されていた為、李儒がどんな作戦を立てたとしても自分達のやり方の方が正しいと言い張り、李儒の言う通りに動かないのだ。
その点、華雄と言う武将は李儒が思っていた以上の武将だった。
人間離れした大柄な体格と、複数の獣を掛け合わせたかのような獰猛な容姿の割に、知的好奇心が強く、奇妙に純粋なところがある人物である。
そんな華雄は軍師と言う存在に興味があったらしく、最初から李儒を戦う事も出来ない文官だと馬鹿にしたところが無かった事も大きい。
その結果、華雄は董卓軍では古参武将達から侮られているものの、能力は董卓軍随一の武将となっている。
元々体格に恵まれただけでなく、武芸も人並み外れていた華雄は李儒の智謀に心酔して、今では柔軟な用兵術も身についていた。
勝利だけでなく人材育成でも結果を出した李儒は、目論見通りに董卓から軍師として重用されるようになり、彼女の境遇を変える事が出来た。
はずだった。
ところが董氏の表情はいつも心配そうで、常に李儒の体調を気にかけている。
笑顔はよく見せてくれるようになったが、彼女の気は休まらなさそうだった。
「子供を作れよ。そうすりゃ嫁さんにも、子育てって楽しみが出来るってもんだ」
気楽な華雄は、李儒に対して気楽にそんな事を言っていた。
だが、一通の書状が全てを変える事になる。
何進からの書状を読んだ董卓は、すぐにでも兵を上げて出発しようとするのだが、李儒はそれを止める。
「兵力の少ない我々が今のまま都へ行っても、おそらくは何も出来ず、ご苦労様と言う言葉すらもらえない状態で西涼に帰ってくる事になるでしょう。私に一つ策があります」
李儒の策と聞いて、董卓軍はにわかに盛り上がる。
今では軍師李儒の策謀は、董卓軍内において知らぬ者無しであり、戦場にさえ出なければ誰もが認めるところである。
戦場に出ると、華雄以外は腕力が全てだと思っているので、相変わらず李儒の言う事など聞こうとしないのだが。
「この際ですから、十常侍も何進も、その他の全てを利用してやりましょう。都にいる知己、司徒の王允様の力を借ります」
今、時は大きく動こうとしていた。
張遼のもたらした報告に、丁原軍は騒然となった。
都での政権闘争の話は、警護職である執金吾なので当然丁原や呂布も情報としては知っていた。
が、そこまで詳細な情報はまだ持っていなかったし、何より中央に近ければ近いほど混乱の度合いは大きく、指揮系統が機能していない状態だったので、丁原としても事態の収集を行っていたところでの、張遼からの報告だった。
意外な事に、丁原は烈火の如く怒り散らし、すぐにでも兵を出動させようとしたのだが、さすがにそれは呂布と張遼が引き止めた。
荊州丁原軍を丸ごと都に持ってこれるはずもなく、また丁原軍と言っていてもそれはあくまでも州軍であり、丁原の私兵ではない。
なので、現在の丁原軍は荊州を捨ててついてきた少数の有志で、動員するには少ない。
しかもこの混乱期に警護職が総動員と言う事も出来ず、新任の執金吾が命令して全ての兵が一つとなって戦えるはずもない。
なにしろ今の状況は、命令を出す側が一つになっていない。
とにかく怒りに任せて行動しようとする丁原を呂布が抑え、張遼は動員できる兵を増やす為の募兵に出ると言う、最初の任務に戻る事になった。
高順は相変わらず丁原軍の将軍位には無いので、呂布の家族の警護に回っていた。
李儒について
董卓の軍師として名を馳せ、三国志演義においてある意味最初の軍師として登場する人物なのですが、実は名前以外はほぼ創作の人物です。
とにかくど派手な董卓なので、こんなとんでもない事を一人で全て考えて行ったはずがない、と言う理由で知恵袋として選ばれて作られた人物なのだとか。
三国志正史の李儒は刑吏の一人で、一シーンで名前しか出てこないような脇役です。
そんな訳で、この物語で出てくる李儒は三国志演義の設定である董卓の娘婿で軍師と言う設定となってます。
ついでに言えば、李儒の設定が創作ですので董卓の娘も創作です。
三国志演義にすら出てこない人物ですので、好き勝手に作ったオリジナルキャラです。




