第四話
曹操の予言めいた言葉は、驚く程短期間の内に現実のモノとなった。
何進は偽の詔勅に対し袁紹と共に麾下五千の兵を率いて出向き、十常侍を震撼させた。
十常侍の行動は素早く、今回の騒動は蹇碩一人が画策したモノであり、残る九人にはその意思は無かったと何進の妹であり、先帝である霊帝の皇后である何太后へ訴えかけた。
さらに十常侍は率先して何太后の子である弁皇子を新帝に立て、もう一人の皇子である今は亡きもう一人の皇后である王美人の子、協皇子を陳留王に封じた。
悪い噂は数あれど、それでも極めて高い政治能力を有する十常侍なので、権力の全てを掌中に収めた何一族に対しても、特に妹の何太后からの信頼を勝ち取っていたので簡単には引き下がらなかった。
十常侍ではなく宦官を皆殺しにすると息巻いていた何進だったが、十常侍は何進が行動を起こすより早く何太后に取り入る事に成功していた為に、本来新帝に据えようとしていた協皇子を陳留王に封じたのだ。
妹のお陰で大将軍にまで上り詰めた何進だったので妹の要請とあっては仕方が無く、結局のところ宦官皆殺しどころか、十常侍の中でも蹇碩を討ち取る事しか出来なかった。
意外なくらい大人しく事態は落ち着いたように見えたのだが、この騒動はこの後の大波乱の序曲である事を予測出来た者はいなかった。
新帝に近かったのは、弁皇子ではなく協皇子の方である。
霊帝は協皇子を次期皇帝として指名していたそうなのだが、功を焦った蹇碩の失態によって弁皇子が帝位についたのだが、協皇子本人はともかく彼を預かる董太后は烈火の如く怒り散らしたと言う。
生粋の貴族である董一族は、元肉屋の何一族の事が嫌いで仕方が無かったと言う側面もある。
慎ましやかだった王美人に対して嫉妬深かった何皇后は、王美人を毒殺したとも言われ、その事も董一族との溝を深める事になっているのだが、その真相は不明である。
しかし、董太后はそれを真実だと思い込んでいた。
と言うより、十常侍に誘導されていたと言った方が正しい。
それでも董太后には蹇碩が持っていた西園八校尉の様な機動戦力は無かったので、皇族と言う事を利用し、軍部の上層部に元帥と言う新たな階位を作り、そこに自らの兄である董重を据えて兵権を持たせた。
名実共に大将軍と言う軍部の最高責任者である何進に対し、張子の虎でしかない新階位についたのは、皇族と言う高貴極まりない血筋の董重と言う二つの指揮系統が出来てしまった為、都の将兵達は混乱した。
どちらの命令に従うのが正解なのか、と言う大き過ぎる問題である。
「上手い事を考えましたね。十常侍でしょうか?」
張遼が尋ねると、曹操は頷く。
「十中八九ね。あの古狸にかかれば、何太后も董太后も鏡の前で服の善し悪しで揉めてる程度だろうから。張遼、鋭いね」
「あのー、先生方。出来の悪い生徒を見捨てずに、私にも分かり易く教えていただけませんかね?」
張郃が二人の間に割って入る。
「よろしい。ではこの曹操先生が、勉強がちょっと遅れている張郃くんに教えてあげよう」
「よろしくお願いします」
すこぶる失礼な事を言われているにも関わらず、張郃は嫌な顔もせずに頭を下げる。
「急ごしらえの元帥と言う地位は、響きは良いけど実権の無い、とまでは言わないけど大将軍より下の良いトコ無しの地位なんだけど、それでも地位は地位。大将軍の下で太尉と同格かちょい下くらいかな。問題は、そこに皇族の董重様が選ばれた事が大問題なんだ。何進大将軍も董重元帥も、お互いに妹が皇后……まあ、董太后は先帝だけど……と言う事は同じなのに、大将軍は元肉屋。地位は低くても元帥は皇族。袁紹みたいな骨の髄まで何進派はともかく、元肉屋にアゴで使われるのに不満な人達はいくらでもいるさ」
曹操もそんな人物の一人と言える。
本人が不満を持っているようには見えないのだが、曹操が就いていた西園八校尉はうやむやのうちに自然消滅してしまっている。
その地位にあった袁紹や淳于瓊は何進に重用されているにも関わらず、曹操自身は袁紹からの再三の奨めを辞退して、遊び人に甘んじている。
また曹操は、祖父が大宦官であり皇族との繋がりもあった為に董重元帥からも誘いを受けているのだが、それも蹴っているので、今回は関わる気がない、と言うより関わりたくないと思っているようだ。
「つまり成り上がりでも新帝側に付くか、歴史と血統を重んじて先帝側に付くかと言うわけだ」
「なるほど、分かってきました」
張郃が大きく頷く。
「今回の騒動の凄いところは、どちらが勝ったとしても最終的な勝者は十常侍になると言う事だよ」
「すみません、曹操先生。張郃くんがまたついて行けなくなってます」
「自分で言っちゃうんだね。それじゃ、張遼くんはどうかな?」
「つまり事を裏でも表でも操っているのが十常侍と言う事ですよね。で、勝った側はもちろんこれまで以上に十常侍を重用する事になるでしょう。多分元帥とかも十常侍が言い出したんじゃないですかね? それで董一派が勝利すれば目障りな何一族を正面から排除出来る。もし何一族が勝利しても、何太后の信用は勝ち取っているわけですから、何とかしてもらえるって事ですよね」
「おー、そう言う事かー」
本当に分かっているのか疑わしいが、それでも張郃はうんうんと頷いている。
「そう言う感性は大事だよ。近い将来、張遼は良い将軍になるんじゃないかな。張郃も理解が早いし、自分の欠点を知ってるから副将としては申し分無いだろうね」
曹操が笑いながら二人に言う。
「ところで二人は、董一族と何一族、どっちが勝つと思う?」
「十常侍は董一族に勝って欲しいんじゃないですか?」
張遼が言うと、張郃も頷く。
「もし本気でそう思っているのなら、私も協力出来たのになぁ」
曹操の言葉に、張遼と張郃は驚く。
「でも、十常侍にとっては皆殺し宣言している何進は、これ以上無いくらいに分かりやすい敵じゃないッスか?」
張郃が曹操に質問する。
その質問から、張郃はしっかりと話は理解できている事が分かった。
「だからこそ十常侍にとっては扱いやすい駒なんだ。大体底の浅い何進が十常侍と戦う事自体が無謀なんだが、何進はそれをわかってない。十常侍は何進を使って自分達を被害者の立場に置けるんだ。そこで何太后の同情を買って、何太后を操る事によって何進を操り、邪魔者を消していく。もう必要無いと思われるまで、何進は生き延びるよ。最終的には双方の牙がへし折れるまで戦わせるんじゃないかな」
曹操は、そう予測していた。
この頃には丁原も荊州を離れ、都を目指していたのだが、丁原が都に着いて執金吾としての役職に就く前に事件は起こった。
発端は些細な事であったらしい。
と言うより、どこを発端とするべきかと言う問題もあるのだが、とにかく不満の塊と化していた董太后が何太后と顔を合わせた時、最初はささやかな口論から始まり瞬く間に激し過ぎる罵り合いに発展したと言う。
近くにいた者達が文字通り体を張って止めたため血を見る事は無かったのだが、女同士で取っ組み合いどころか斬り合いになりそうだったと言う。
その報告を来た時の曹操は、笑い話として話していたのだが、その数日後に董太后が毒殺され、董重元帥が首を吊って自殺したと聞いた時には元々白い顔色から血の気が引いていた。
「ここまでは曹操さんの予想通りなわけでしょ? 何か問題があるんですか?」
ここのところ曹操と一緒に行動している張遼だが、丁原軍が都へ到着して執金吾としての仕事を丁原が始めていた。
張遼の役目は新たな丁原軍の募兵のため、一時都を離れる事になっている。
張郃も再三の帰還命令を無視できなくなったため(と言うより無視し続けていた事自体が想定外過ぎるのだが)、近日中に韓馥の元へ戻る事になっている。
韓馥の任地は冀州であり、何か理由が無ければ都に来る事も出来なくなる。
なので、この日曹操の元に集まったのが最後となりかねない。
とは言っても、互いの送別をしている場合では無い状況である。
こうなる事を予測していた曹操なので、その意見を聞こうと張遼も張郃もやって来たのだ。
「結果だけで言えば確かに予想の範疇ではあるんだけど、悪化の速度が予想の数倍早いんだ。後先考えずに行動しているとしか思えない。いくら新帝の母親とその兄の大将軍だからといって、ここまで無茶すればとんでもない反感を買う。十常侍でも手に余る大問題だ」
先見の明と言う意味では、おそらく曹操と言う人物より優れている者など歴史上を見ても、そう簡単には見つからないだろう。
だが、曹操は事態の中心にいるのは十常侍であり、その十常侍であればここまで露骨な悪手を打ってくるはずがないと、逆に予想さえしていなかった。
これによって何一族が独裁の基盤を得た、と言うほど上手い話ではないのだ。
董太后は新帝の母である何太后に対し失礼極まる態度をとり、あまつさえ何太后に対し怪我までさせようとした。
その罪で都から遠ざけられる事になった。
ここまでは、強引であったとしても何一族の言い分もまったく分からない話ではない。
しかし朝に都を出て、その日の午後には柩に入って太后が戻ってくるなど、通常では考えられない。
さらにその日の内に董重元帥まで自殺など、何一族が殺したと宣伝しているようなものだ。
おそらく十常侍としては、大将軍と元帥の指揮系統の分裂状態に対し、董太后を離れたところにおいて董一族側の人物を炙り出す事が目的だったはずである。
そこで炙り出された人物達は目先の欲得ではなく、大義の為に動く人物達である可能性が高く、同様に十常侍にとっても都合の悪い人物であると思われる。
それを何進に処断させ、後に何進を罪に問うと言うのが十常侍の基本戦略だと、曹操は見ていた。
なので曹操は、十常侍が何進を処断した時にその罪で十常侍を処断して、袁紹などの忠義に厚い者が新帝を盛り立てていく一発逆転を狙っていた。
が、こうなっては何進側についた者からも造反者が出かねないし、何より何一族の罪はどうなると言う話になってしまう。
さらに十常侍達も、追い詰められた何進から全ての罪は十常侍にある、と責任転嫁される可能性も無視できないほどに高い。
実際そうなのだから、言い訳も出来ないだろう。
今となっては、董太后だけでは無く王美人も、それどころか先帝さえも何太后によって毒殺されたのではないかと噂されるほどになっている。
今の都でこれ以上無い何進派の筆頭である袁紹は、何進に対して十常侍の責任を追求して皆殺しにするべきだと息巻いている。
何進もそれに乗り気なのだが、それを止めているのが妹の何太后だった。
何太后にとっては最大の敵であった董一族を取り除くのに協力してくれた、最大の功労者が十常侍である、
美貌と野心は人並み外れた彼女は、その美貌を武器に霊帝の目に止まってからは皇后まで駆け上がってきた。
十常侍はその時からの協力者である。
彼女は大将軍と言う武力と、十常侍と言う知力を手に入れた無敵の存在となったと過信した結果が、この短慮だと言う事だ。
「どう対処するんです? さすがに無関係じゃいられないでしょう?」
張遼も張郃も、この事態を曹操ならどうにかするだろう、と思っていた。
「と言われても、これは下手な事をするととんでもない事になりそうだし。余計な手出しをしたら、何進にも十常侍にも酷い目に合わされそうだし、もしかしたらそれ以上酷い事になりそうだ。とにかく事態の収集の為には、外部からの横槍を避けて、内々で処理しないといけないだろう」
と言う曹操の目は鋭かった。
彼としては予想外な事ではあったとしても、打つべき手は何かしら考えているみたいだ。
「孟徳、ここに居たか!」
酒場で雑談状態だった曹操達だが、袁紹が怒鳴り込んでくる。
「探したぞ、孟徳!」
「前もここで見つかった気がするから、ここを探せば早かったんじゃないの?」
曹操は面倒そうに手で袁紹を追い払おうとしている。
「余計な事はいい。今すぐお前も準備しろ」
「準備? 何の? 宴会か?」
曹操は眉を寄せる。
「十常侍を討つ準備だ! 何進大将軍も決断された。それも、一大決心だ!」
「あ、そう。頑張って」
「だから、お前もその中の一人なんだよ!」
袁紹の言葉を無視していた曹操だが、動きが止まる。
「袁紹、私もその一人ってどう言う事だ? 十常侍を討つと言う話だろう? なんで私がそこに関わるんだ?」
「お前だけではない。各地に散っている諸侯を都に集め、その大勢力で十常侍を討ち取るのだ! すでに諸侯への伝達も済んでいる。乗り遅れるぞ」
袁紹は朗々と宣言するが、曹操は開いた口がふさがらないと言う感じだった。
「嘘だろ? 嘘だよな。嘘だと言って下さい、袁紹さん」
「どうした、孟徳。何を驚いているんだ?」
唖然としている曹操の反応が気に入らなかったのか、袁紹は不満そうだった。
「袁紹、お前本気であの元肉屋が諸侯諸将をまとめあげて、一丸となって十常侍を討てるとでも思ってるのか? 確実に暴発するぞ!」
曹操の言葉に、袁紹は息を呑む。
「そうなる前に、俺とお前でケリを付けるんだ! 俺は何進大将軍から兵を動かす許可を取り付ける。そうすれば、十常侍がどう動こうと、俺達で処断出来る。その為の我々なのだからな」
「それなら一人の獄吏で済むだろう。董一族殺害の罪だけで裁く事が出来る。なんなら新任の執金吾である丁原将軍に手柄を立てさせればいい。新任なんだから手柄を立てる為に躍起になってくれるだろ? それで済む話なのに、兵を率いて都に将を呼ぶなんて、どうかしてるぞ!」
曹操は袁紹を怒鳴りつけた後、張遼と張郃を見る。
「聞いての通りだ。今からじゃ間に合わないかもしれないが、韓馥将軍と丁原将軍に伝えてもらえないか? 出来る事なら、俺と袁紹でケリを付けるつもりだ」
曹操は二人にそう言ったのだが、まさにこの機会を待っていた人物がいた。
今回の話
董一族の権力闘争、特に董重元帥の話は基本的に故 陳舜臣氏監訳の『中国劇画三国志』の中くらいにしか出てきません。
今回その政争をモチーフをして作中に出させていただいてます。
実際のところは分かりようもない事ですが、こんなドロドロな権力闘争が行われただろうな、と言う事は容易に想像できそうでしたので今回それを書かせていただきました。




