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新説 呂布奉先伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第六章 龍の生きた時代

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第二話

 成廉は武名こそ轟いているとは言えないものの、戦の経験数は多く、また兵数や装備の質に勝る袁術軍を相手に負けずに戦ってきたという実績もある。

 それだけに、どれだけ優れた軍師が水も漏らさぬ綿密な策を打ち立てたとしても、いざ戦が始まると想定外の何かが起きる事があるのは、嫌というほど味わってきた。

 それを修正するのが武将の役割であり、基本的にそれは個人の武勇で補う事が多い。

 と、頭で分かっていても、実際にその時が来るとやはり困惑するものである。

 曹操軍進撃の報を受けて、小沛の軍勢は迎撃の為の布陣していた。

 通常であれば曹操軍はそれに対して布陣して対応するところだが、曹操軍は数と勢いだけに任せて陣形の再編もそこそこに突撃してきたのである。

 確かに戦において勢いは大事で、数が多いという事は圧倒的有利という事も事実である。

 とは言え、それに全てを委ねてただ突撃するなど、それこそ凡将でも出来る事であり、名将と言われる者が打つ手ではない。

 小沛は守るに適した城に陳宮が手を加えただけではなく、その周辺にも落とし穴などの初歩的とは言え罠を配置している。

 その事は劉備も知っているはずだ。

 その劉備が曹操の元へ降っているという事で、小沛近辺に張り巡らされている罠の事も知られているはずなのだが、それにも関わらず夏侯惇は勢いに任せて猪突してくる。

「バカめ」

 成廉はその様子を呆れながら見る。

 実際、夏侯惇の率いている先鋒軍は次々に落とし穴などにはまって数を減らしていく。

 あまりの無策振りに成廉は呆れ、それだけにその危険性に気付く事に致命的に遅れてしまった。

 夏侯惇の軍は罠をものともせず、そのまま突撃してくる。

 それは罠の存在を知りながらも、数と勢いでそれを踏み潰していく。

 これは最初からそれを狙った突撃であり、夏侯惇は犠牲を最初から考慮せず最短距離で突撃し、戦闘そのものを最短で終わらせようとしているのだ。

「愚かなり、夏侯惇。評判ほどの者ではなかったか」

 勢いのある大軍を有している場合、こう言う戦い方も出来る。

 罠と言うものは無制限にあると言う訳ではない。

 多数の兵によって罠を踏み潰し、そこに橋頭堡を作る。

 また罠を多数配置している場所には、その罠を避ける様にしか兵を配置出来ないと言う問題もあり、大軍をそこから突破させていけば守備兵は布陣を新たに組み直さなければならない。

 おそらく夏侯惇の狙いはそこだろうと成廉は読んだ。

 しかし、あまりにも甘いと言わざるを得ない。

 成廉はすぐに兵を後退させつつ正面の防御を厚くしつつ、さらに最短距離を狙って来る夏侯惇の先鋒軍に矢を射掛ける。

 罠の効果もあって夏侯惇の兵の一割は失われ、成廉の弓隊による斉射でさらに被害は大きくなる。

 が、夏侯惇の前進は止まらない。

 それどころか、勢いさえ衰える気配が無い。

「……なるほど。凡将ではない、か」

 成廉は眉をひそめる。

 相手よりも多くの兵をただ前へ進めると言うだけならば凡将でも出来るのだが、どれほどの犠牲を出しても前進し続けると言う事はそう簡単な事ではない。

 そもそも兵がついて来ない。

 通常であれば、死ねと言う命令に従おうとはしないものだ。

 罠があると知っていながら突撃する事も、その先に矢の雨が降ってくると言う事が分かっている状況で勢いを止めない事も、凡将の指示で兵が従う事は無い。

 その通常では有り得ない事を起こす事が出来る者は決して凡将ではなく、それどころか一級の武将でなければ有り得ない事だ。

 夏侯惇はそれが出来る武将らしい。

「止むを得んな。高順に合図を」

 成廉は兵に指示を出し、旗を振る。

 本来であれば夏侯惇の先鋒軍に対してではなく、本隊に向かって使うべき伏兵だったのだが、夏侯惇の先鋒軍の勢いを止めない事にはこのまま飲み込まれかねない。

 その判断に間違いは無いはず。

 一抹の不安と戦場に漂う違和感を察知しながらも、成廉は判断を下した。


 もう少し合図が遅かったら、高順は命令を待たずに突撃を仕掛けていた事だろう。

 成廉が違和感を覚えるより早く、高順は夏侯惇の行動の危険性を察知していた。

 罠の存在を知りながら、問答無用で突撃して来ると言う行動はあからさまにおかしい行動である。

 その行き着く先は、どれだけの犠牲を払ってでも大軍にて迎撃部隊を飲み込んでしまうと言う、単純だが恐ろしい戦法だと高順は気付いた。

 そこへ成廉からの合図があり、高順は夏侯惇軍の無防備にさらした横腹に向かって突撃する。

 この時、高順は夏侯惇軍に対して強い違和感を覚えていた。

 いくらなんでも強引に過ぎるのではないか。

 夏侯惇に限らず、曹操軍は呂布軍の遅滞戦をもっとも警戒しているのだから、どれほどの犠牲を出したとしても最短で決着を望んでいる事はわかる。

 その為には多少の罠でも、正面から降り注ぐ矢の雨でも、側面を突く伏兵にも目を向けずに突撃すると言う戦術は間違っていない。

 それどころか、正解と言えるだろう。

 だが、どこか引っかかるところがある。

 もしじっくり考える時間が与えられていれば、見た目の割に慎重な高順であれば何を狙っての事だったか正確に読み取ったはずだった。

 しかしこの時には、その時間的余裕が無かった。

 高順の戦闘能力の高さは、呂布軍では呂布を除くと一、二を争うほどに高く、いかに精強な曹操軍であったとしても、その横腹無防備な部分を攻撃されては大損害を被る事になる。

「夏侯惇! その首、この陥陣営の高順が貰い受ける!」

 高順は高らかに宣言して、夏侯惇軍を切り裂いていく。

 本来ならこの様な宣言事態は必要の無いもので、逆に夏侯惇を狙うと言うのであれば悪手である。

 そんな事は高順も分かっている。

 だが、それでも高順にはそうする必要があった。

 横腹から切り裂かれているにも関わらず、夏侯惇軍は止まらないのである。

 これは異常な事だ。

 いくら短期決戦を望んでいるとは言え、伏兵にあったと言うだけでなく横合いから突撃されていながら、勢いを止めずに前進し続けるのは異常としか言い様がない。

 それを止める為にも、夏侯惇を釣るしかなかった。

「夏侯惇! 逃げ回るしか出来ぬか、腰抜けめ!」

 高順はそう叫びながら、手を振って合図を送る。

 二の矢として、曹性が夏侯惇軍に突撃してくる。

 高順の戦闘能力が高いと言っても、その数は千名程度の部隊である。

 全軍五万、先鋒軍だけで一万を越える大軍で勢いを保っている夏侯惇軍であれば高順の部隊を無視する事も出来なくはない。

 それでも一隊であれば無理矢理にでも無視出来たとしても、二つめの伏兵とあれば無視を決め込む事も出来ないはず。

 まして曹性の部隊は、騎射の訓練を積んだ弓隊である。

 ただでさえ夏侯惇軍は小沛周辺の罠にかかり、正面から成廉の弓矢を浴びている中で高順から奇襲を受けて犠牲を強いられている。

 そこからさらに曹性の騎射を受けては、さすがの夏侯惇も突撃し続ける事は出来ない。

 と、高順は読んだ。

「高順。陥陣営、か。釣るには充分だ」

 夏侯惇はそう言うと、高順の前に姿を現す。

「さほど価値のある首ではないが、呂布の士気を挫く程度の役には立つだろう」

「大層な口を叩くな。一度は人質にまでなった死にぞこないめ」

 高順はようやく姿を現し、突撃の足を緩めた夏侯惇を見て思わず安堵してしまった。

「第二段階だ」

 夏侯惇はそう言うと、右手を掲げる。

 それに合わせて夏侯惇の率いていた先鋒隊の動きが止まり、深く入り込んでいた高順の部隊と、斉射を終えて突撃していた曹性の部隊を取り囲む。

 一気に窮地に陥る事になった高順だが、それでも夏侯惇の足を止める事は出来た。

 はずだった。

 だが、夏侯惇の合図から先鋒軍の動きが大きく変わる。

 夏侯惇の隊だけは足を止めたものの、後続の先鋒軍が左右に分かれて夏侯惇隊を追い抜いて突撃していく。

「何?」

「言っただろう。釣れた、と」

 夏侯惇は不敵に笑う。

「お前達は罠にかけたつもりだろうが、本当に罠にかかったのはお前達と言う訳だ。降れ、高順。勝敗は決した」

「気の早い事を言うな。まだ手はあるだろうが」

 高順はそう強がったものの、この時になってようやく曹操軍の戦術を完全に看破する事が出来た。

 先鋒軍の大将は夏侯惇である、と言う情報からすでに曹操による情報操作が始まっていたのである。

 その情報を得た小沛の守備隊は、対夏侯惇として様々な策を練ってきた。

 そこで夏侯惇は分かりやすく突撃してくる。

 小沛の罠を踏み潰し、全面からの矢の雨にも負けず突撃する事によって、対夏侯惇用に用意していた伏兵も引き出す事に成功した。

 これによって小沛の迎撃軍は全て夏侯惇に釘付けになった事になる。

 そこで夏侯惇は動きを止めて、小沛の迎撃軍にとって狙い通りの展開になったと思わせる事が出来る。

 しかし、曹操軍の策はここからだった。

 先鋒軍を率いる副将の夏侯淵こそが、最初から先鋒軍の指揮官であり、夏侯惇は迎撃軍を引きつけるだけの陽動だったのである。

 陽動に釣られて出て来た迎撃軍を陽動の夏侯惇が引きつけ、本命の夏侯淵が無人の小沛を占領するつもりなのだ。

 まんまと嵌められた。

 小沛の迎撃部隊はいつの間にか対曹操軍ではなく、夏侯惇に対しての対応策を優先的に考えてきたのだが、曹操軍は呂布軍との戦いではなく徐州を占領する事を目的として兵を動かしているのだ。

 猛獣に腕を噛まれた後なら、誰であってもその獣が危険だと分かる。

 が、その時分かっても払った代償は余りにも大きい。

 高順は、まさにその心境だった。

 今、曹操軍の手が全て晒された後で、その策の全てを理解しても手遅れなのである。

 それでも強がる必要があったし、何よりただの強がりではなく、ここからの逆転の可能性がある一手は存在した。

 それは夏侯惇を討ち取る事。

 先鋒隊の夏侯惇軍はここで高順達の足を止め、夏侯淵軍は前進して小沛を狙っている。

 つまり、高順達は夏侯惇軍に囲まれている状況とは言え、夏侯淵軍の背後にいるとも言える。

 ここで夏侯惇を討ち、夏侯惇軍を突破すれば夏侯淵軍の背後を襲う事が出来る。

 机上の空論だが、それしか手は無い。

「ほう、ここで打てる手があるというのか、陥陣営」

「お前の首を落とせば、一気に逆転だ」

「お前に出来るのか、陥陣営!」

 夏侯惇は高順の挑発に乗る形で槍を振るう。

 勝負は一瞬。 

 高順が剣を向けた時、夏侯惇は高順に向かって突きかかってきていた。

 夏侯惇にしても、この戦いは我慢の多い戦いだった。

 罠の存在を知りつつ、兵に犠牲を強いる事を理解しながらも夏侯惇は前進してきた。

 兵を無駄死にさせる事は、夏侯惇にとって想像以上の苦痛だった。

 その怒りのはけ口として、高順にぶつけようとしたのである。

 それこそが相手に付け入られる隙になる事に、夏侯惇自身は気付かなかった。

 高順には、最初から一騎打ちのつもりは無かった。

 高順に気を取られた夏侯惇は、曹性に無防備極まる姿を晒している事に気付いていない。

 曹性の弓による一矢は、夏侯惇の右目を射抜いた。

「よっしゃ! よくやった、曹性! 夏侯惇の首を晒せ!」

 曹性はその実力に対して控えめ過ぎる性格のため、これまで武勲に恵まれる事が少なかった。

 高順もその事を知っているため、夏侯惇を討ったと言う武勲を曹性に譲ろうと考えて曹性にそう言うと、夏侯惇を討たれた事による兵たちの暴走に備えた。

 勝ちを確信したからこその油断だった。

「……良い腕だ」

 その声と姿を見た時、曹性は目の前の事が信じられず、恐怖で体が硬直した。

 それが曹性の見た、最後の光景となった。

 右目に矢を突き立てたままの夏侯惇は、槍の一突きで曹性の胸を刺し貫く。

「そ、曹性!」

「皆の者、聞けぃ!」

 夏侯惇は兵に檄を飛ばす。

「我らの勝利は目前だ!」

 そう叫ぶと、夏侯惇は自らの右目に刺さった矢を引き抜く。

 曹性の放った矢は夏侯惇の右目に深く突き刺さっていたらしく、矢と同じく眼球ごと引き抜かれた。

「この眼は両親からもらったモノ、捨てる訳にはいかん」

 そう言うと夏侯惇は矢に刺さった眼球を口に含むとその矢を引き抜き、眼球を飲み込む。

「行くぞ!」

 夏侯惇はそう叫ぶと、取り囲む高順と曹性隊に襲いかかる。

 これまで散々にやられながら突撃してきた夏侯惇軍だったので、その士気は低下の兆しを見せていたが、この夏侯惇の狂気に当てられてか熱狂的な雄叫びを上げる。

「くそっ、本気かよ」

 この戦いによって曹性は討ち取られた上に、曹性隊は全滅。高順はかろうじて生き延びたものの高順隊は壊滅的な打撃を受けた。

 さらに成廉は高順達が夏侯惇を止めた事によって部隊を配置し直していたところ、追い抜いてきた夏侯淵の軍に急襲され、戦う事もままならず撤退を余儀なくされ小沛軍はなす術なく退却させられる事になった。

夏侯惇の目の話


今回作中にも出てきましたが、夏侯惇と言えば自らの目を食べると言うのがもっとも印象深いエピソードとして知られていると思いますが、おおよそ言うまでもなく創作です。

あまりにもキャラが薄い夏侯惇なので羅貫中氏から敵役に相応しい演出を付け足されたのでしょうが、このエピソードだけが一人歩きする事になった様に思えます。

そんなワケで演義では凄まじい猛将のイメージの強い夏侯惇ですが、片目になった事を気にして鏡を見るたびに凹んで鏡を投げ捨てていたと言うナイーブなところは意外と広まっていません。


さらに言えば、目を射抜いた曹性の事はもっと広まっていません。

モノによっては夏侯惇の右目を奪った人は別人になっていたり、そもそも曹性が出てこない作品もたくさんあります。


まぁ、しょうがないよ。

曹性、ただでさえ知られていない八健将の中でも存在感無いし。

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