第五話
出兵した呂布軍一万に残兵を加え、総数三万近くになっていた。
その内二万を先鋒の魏続とその副将の侯成に預け、残り一万の内半分を後詰の成廉、半分を総大将の呂布にと分け、魏続達はさっそく泰山へ向かった。
あまりの性急さに、侯成は不安を覚える。
「魏続さん、ちょっと良いですか?」
「将軍と呼べ。今や俺達は一万を率いる身分だそ」
魏続はそう言うが、浮かれているのは誰の目にも明らかだった。
「兵数は二万とはいえ、俺達に実戦経験が少ない事は変わりません。兵数は多くても五千程度とはいえ、敵の臧覇は充分な戦績の持ち主。先の蕭建も二万の兵を率いながら一蹴されている事を考慮すべきでは?」
「持って回った言い方をするではないか、侯成よ」
魏続は眉を寄せて言う。
「敵は賊だぞ? 蕭建はしょせん楊奉達の混乱に乗じて兵を率いる様になっただけの男。俺達とは比べるべくもない」
「……そうでしょうか。仮にもかつては袁術軍に所属した者。郝萌や曹性と同等であった事を考えると、蕭建を一蹴した臧覇は侮るべき相手ではありません。一度ゆっくり情報を集めて対策を練るべきでは?」
「手緩いな、侯成。お前は軍師の真意を分かっていない」
「軍師の真意?」
「あの女は、俺達に力無しと言いたいのだ。少しでももたつけば、兵を率いる度量無しと言って兵権を奪いに来る。良いか、侯成。俺達はすぐにでも武勲を上げなければならないのだ」
魏続は侯成の言葉を聞こうとしない。
恐ろしく冷たいところの目立つ陳宮ではあるが、そこまで理不尽ではない。
それにもし陳宮がそのつもりであるのすれば、尚の事失敗は許されないのではないか。もし討伐に失敗すれば、それこそ陳宮は容赦無いだろう。
侯成には侯成なりの考えがありはしたのだが、まともな実戦経験が無いと言う事が負い目となって魏続を強く諌める事が出来なかった。
元々は侯成も魏続と同じ様に自信に満ちていた。
さほど良い家の生まれでは無かった侯成は、袁術軍ではまったく歯牙にもかけられず、その武才を活かす機会に恵まれなかった。
それだけに思うところがあったのも、魏続と同じと言える。
自分の武才は家柄だけが取り柄の輩と比べ、遥かに勝ると信じていた。
同じ様な思いと同じ様な境遇だったせいか、侯成は魏続と出会った。
その魏続は、侯成の憧れである天下無双の猛将呂布の身内であるとの事で、いずれ呂布の元で戦いたいと思っていた侯成は魏続と行動を共にする。
数年後、流浪してきた呂布の元に参加する事になった侯成なのだが、そこで待っていたのは残酷なまでの現実だった。
これまでは家柄を誇るだけの袁術軍の同年代の少年達が相手だった侯成にとって、まったく話にならないほど相手にならなかった事もあり、自分には人並み外れた武勇が備わっていると思っていた。
が、武神と恐れられる呂布は当然としても、その副将である張遼や側近の高順にしても侯成では手も足も出ないほどの武勇を持ち、郝萌の副将である曹性ですら弓の腕前では侯成にはまるで勝目が無いほどだった。
が、侯成は魏続の様に自分の実力を盲信する事なく、また悲観もしていない。
まだまだ成長の途中であり、数年の後には呂布軍の中核の武将になれると元袁紹軍の宋憲に言われた事もあり、また張遼や高順も最年少の侯成の成長に期待していると言われていた事もあった。
実際侯成の実力はかなり伸びてきているが、呂布軍の主力である張遼や高順が相当な豪傑であるので、それを実感出来ていない。
もう一つ、侯成が自信を持てない理由があった。
呂布の娘、蓉の存在である。
呂布と言う父親を持ち、長らく張遼や高順が武芸の師であった蓉の武技の相手に侯成が選ばれたのだが、十代中頃の少女とは思えない武勇に侯成は度々打ち負かされる事もあった。
張遼から蓉の武勇は少女のそれにあらず、並みの武将では歯が立たないだろうと言われてはいたのだが、その愛らしく美しい見た目からは予想出来ないほどの武勇の持ち主だった。
主君の娘と言う事もあって怪我をさせない様に手加減しているとは言え、それでも度々打ち負かされては自信も失うと言うものである。
それだけに今回の出兵は侯成も望むところだったのだが、魏続ほど浮かれていられないと言う心境だった。
侯成は泰山に向かう途中、元蕭建の兵を呼んで臧覇の事を尋ねた。
少しでも情報を得て魏続の役に立てようとしたのだが、蕭建は臧覇の挑発に乗って一騎討ちを挑んだところ切り捨てられたと言う。
「挑発、か。少数の部隊から挑発されては、大軍の将としては動きたくなるな」
「臧覇は蕭建将軍に、兵の後ろに隠れる臆病者と。蕭建将軍は武勇に優れたお方でしたので、その挑発に耐えられなかったのでしょう」
「……気になるな」
侯成は兵士の話に引っかかるところがあった。
挑発と言うのは誰にでも出来る事ではあるのだが、誰にでも結果を出せると言うものではなく、効果的に使う為にはそれなりに時と相手を選ぶ。
今回の事も臧覇の挑発行為だ、と陳宮は言っていた。
陳宮が言うには、臧覇には勝つ自信があるからこそ将だけを討ち取り、兵を逃がしたらしいので、軽率な行動は取らない様にと念を押された。
その事は魏続も聞いていたはずなのだが、魏続は最初から陳宮の話を聞くつもりが無かった様な態度だった。
先に一万の兵を与えると言われていたので、魏続はすでに浮ついていた事も問題だったと、今なら思う。
だが、魏続は進軍中に侯成の話をまともに聴こうとせず、意気揚々と泰山に向かって兵を進めていく。
「魏続将軍、このまま進むのでは賊軍の思うツボなのでは?」
聞き入れられない事はわかっていたが、それでも侯成は魏続に申し入れる。
「何を恐る事がある。奴らは多くても五千、俺達は二万。兵数で四倍だ。奴らにどのような策があろうと踏み潰すのみよ」
やはり魏続は、侯成の話に耳を貸そうとしなかった。
特に妨害などもなく泰山に到着したが、そこで一人の武将が待っていた。
「何だ、あの呂布奉先を見れると思ったのだが、ただの雑兵ではないか」
「何ぃ? 貴様、何者だ」
その男はあからさまに落胆する様を見せ、それだけで魏続の頭に血が上る。
「この山に誰がいるかくらいは知っているだろう。お前こそ誰だ? 旗印を見る限りでは、武功どころかまともな実戦経験も無いくせに、呂布将軍の身内を自称するだけで兵を率いる身分になった、どこかの恥知らずの様だが、そんな匹夫の名など知りようが無いからな」
そう言うと、その男は高笑いする。
「おのれ、賊め! この魏続を嬲るか!」
「事実だろ? ああ、人は本当の事を言われるほど頭に来ると聞いたことがあったが、どうやらそれも事実らしい」
そう言って、また男は高笑いする。
「黙れ! その首落として、喋れなくしてくれる!」
「でかい事言う割には一人では来れないんだろう? いいぜ、大軍を向けてこいよ。もっとも、お前に万の兵を率いる器は無い。せいぜい十人程度をまとめられるかどうかだろう。一騎討ちにも応えられない腰抜けは素直に兵の後ろに隠れていろ」
「言わせておけば! そこを動くな! 叩き切ってやる!」
「待って下さい、魏続将軍! こんな安い挑発に乗ってはいけません!」
今にも馬を走らせようとする魏続の前に侯成が遮る様に馬を進め、一騎討ちに挑もうとする魏続を止める。
「どけ、侯成! 賊を切り捨てる!」
「いけません、将軍! 賊将は兵力差で押される事を恐れているが故に、一騎討ちで打開しようとしているのです! たとえ罵倒されたとしても、侮辱されたとしても、大勝すれば全てを見返す事が出来ます!」
「そうだ、その通り! そこの若いの、見込みがあるぞ! そのゴミ将では能力を活かせないだろう? この臧覇に仕えてはどうだ?」
その男、臧覇は笑いながら侯成に向かって言う。
「もう許せぬ! 全軍、突撃だ!」
ここまでよく耐えたのだが、もはや侯成に魏続は止める事は出来ず、魏続は侯成を押しのけると兵を率いて泰山へ向かっていく。
単騎の臧覇がそれを迎え撃つ事は無く、そのまま山へと姿を消した。
この時、侯成は先の戦いの話を聞いた時の引っかかりの正体が分かった。
賊と言う者はおおよそ自身の武勇のみを頼り、その腕力と暴力に物を言わせて戦う事が常である。
が、臧覇は違う。
臧覇自身が言った通り魏続には目立った武勲や武功と言ったものは無く、逆に言えばそれだけ武将としての知名度が低いと言う事になる。
それにも関わらず、臧覇は魏続にとってもっとも触れられたくないところを的確に突いてきた。
挑発と言うのは誰にでも出来ると言っても、誰でも効果を挙げられる訳ではない事はそこにある。
相手の感情を揺さぶる事ができなければ、逆に挑発され感情を揺さぶられる事になる。
それを的確に使えると言うのは、向こうはこちらの事をよく知っていると言う事だ。
これは賊の戦い方ではなく、将の戦い方である。
であれば、一騎討ちで打開しようとしていながらあっさりと引いた以上、臧覇の本命は一騎討ちではなくこれからと言う事だろう。
泰山の賊と言えば、徐州軍が手出し出来なかった勢力でもある。
あの戦巧者で無双の豪傑を従えている劉備でさえ、臧覇を積極的に討伐しようとはしていない事からも、魏続の手には余るのではないかと侯成は不安になってきた。
「これからの事、逐一呂布将軍と軍師殿に報告する。細かく状況を記載せよ」
侯成は近くにいた兵に指示する。
出来る事なら侯成は山の麓で魏続の様子を見たかったのだが、副将と言う立場である以上は高みの見物と言う訳にもいかない。
だが、勢いに任せて山の中腹まで行ってしまうと思ったのだが、魏続の部隊は山に入った直後の辺りで足を止めていた。
そこはちょっとした広間の様になっていた為、魏続の部隊と侯成の部隊の内二千ほどがなだれ込んできた。
「将軍、どうしました」
侯成は不自然に足を止めた魏続の方にばかり気になっていたので、周囲を観察していなかった。
「……こ、これは……」
魏続は山の中に広がる景色に絶句し、これまでの勢いを完全に失っている。
「将軍?」
侯成もその時にようやく山の中に広がる、異様な景色が目に入ってきた。
遠くからでも分かる、異様な景色。
泰山は拓けた山ではなく、まるで森の様に木々が生い茂っているのだが、その木に無数の兵の死体が吊るされていたのだ。
ひょっとすると、当初はただ死体を吊るしていただけなのかもしれないが、山の野生動物や虫などから食い荒らされているせいで損傷がひどく、とても直視出来るものではない。
臧覇の兵が待ち構えていると思っていた魏続と侯成は、完全に虚を突かれた。
敵の目前で動きを止めるなど、致命的な失策である。
魏続達が我に返るより早く、山の中に消えた臧覇とその部下達が木々の影や上から姿を現し、一斉に矢を放ってきた。
「皆、退け! 撤退だ!」
いち早く我に返った侯成が叫ぶ。
臧覇討伐の初戦は、魏続達は千人以上の死傷者を出しながら臧覇の兵一人にさえ傷も負わせる事が出来ないと言う、まさに惨敗であった。
戦場における挑発の効果
日本の戦国時代でも、城攻めや合戦前には『言葉合戦』と言うやり取りがあったみたいです。
極端に要約すると悪口の言い合いと言うか、
「やんのかコラ、あぁ?」
「んだと、ゴルァ!」
とか言う感じですね。
三国志の時代にも元手を必要としないのに相手の士気を下げる方法として、重宝されています。
でも、意外と効果が無い事が多く、効果的に使えたのはやはりゲームでも知力の高い者で、相手は知力の低い者が多かったみたいでした。
特に得意としていたのが孔明先生だったみたいで、演義ではその舌先の攻撃力は羽扇ビームを遥かに上回る切れ味だったと言えるでしょう。
中でも挑発カウンターのキレは抜群で、演義での話ですが周瑜やら司馬懿やらが良い様に踊らされたり吐血したりしています。




