第五話(前半)
袁術の独立国家宣言は、漢を大きく揺れ動かした。
漢の名門の中の名門、四世三公の袁家の威光はそう簡単に無視出来るものではない。
しかし未だ漢の皇帝である献帝は健在で、まして名門であるとはいえ皇族ではない袁術に正当性は無く、また黄巾党の様に民衆の代表として立ったと言う訳でもない。
そう言う背景もあり、ほとんどの諸将が積極的に袁術に対して協力姿勢を取ると言う事はせず、日和見を決め込んでいた。
その日和見の諸将が多くなった理由の一つには、従兄弟であり袁家で最も影響力を持つ袁紹が動かなかった事も大きい。
もし袁紹が積極的に袁術に協力する姿勢を見せていたら、諸将も一気に袁家が樹立させた新王朝になびいた可能性が高いと言うのは、呂布軍の軍師陳宮と徐州の重鎮陳珪、孫策軍の軍師である周瑜と言う共通点の薄い三者の共通の認識だった。
それでも袁術の起こした新王朝に賛同した者達は二百万人に上り、袁術の本拠地である寿春は現在の帝都である許昌さえ上回る活気と熱気に溢れていると言う。
当然徐州でもどうするべきかの話し合いがなされたが、陳珪と周瑜は情勢を見極める為に様子を見るべきだと主張したが、陳宮だけはすぐに袁術に対抗するべく軍備を整えるべきだと主張した。
「呂布将軍の武勇は広く知られています。袁術は出来る事なら呂布将軍を傘下に加えたいと思っているでしょうが、その反面自分で御し得ない武勇を持つ呂布将軍を恐れています。おそらくは袁術の最初の標的は帝のおられる許昌と、この徐州でしょう」
「それを避けようとされていたのではありませんでしたかな?」
若干嫌味な口調ではあったものの陳珪の言う通り、陳宮は袁術と正面からのぶつかり合いは避けていたはずだったが、ここ最近は妙に好戦的なところが見て取れる。
「情勢は刻一刻と変化しているのです。昨日の戦略に固執して今日を疎かにし、明日の最適策を見失うべきではありません。あの時は袁術と和する事が最善でしたが、今は敵とみなし備えるべき。時が来ればまた和する事もあるかもしれません」
「強引な印象は拭えませんが、おっしゃる通りだと思われます」
客人でありながら会議に参加するだけでなく、発言する事も許されている周瑜が控えめに言う。
「しかし、備えると言っても袁術軍は強大。いかに天下無双の呂布将軍といえども手に余るのでは?」
「確かに袁術軍とまともにぶつかれば呂布将軍といえども楽に撃退する事は出来ないでしょう。ですが、それは向こうも同じ事。どれほどの大軍であったとしても、進んで呂布将軍と戦いたいと思う様な豪傑はおそらく張飛くらいしかおらず、袁術軍の武将達はあわよくば呂布将軍を避けたいと思っているはず。戦いようはあります」
陳珪の言う事はもっともなのだが、陳宮にとってその程度の事は織り込み済みらしい。
「周瑜殿にも孫策殿の元へ戻っていただく事になります。野戦であれば呂布軍の強さは抜きん出ていますが、水路を使って包囲されてはこちらも打つ手に困ります」
「分かりました。張紘先生が戻り次第、ここを離れさせていただきます」
周瑜はそう答えたのだが、都から急ぎ戻ってきたのは陳登のみで張紘の姿は無かった。
「張紘先生から伝言を預かってきました。張紘先生は思うところがあって都に残るとの事で、周瑜殿には急ぎ主の元へ戻って万事に備えよ、と」
「分かりました。張紘先生の事ですので、都の住み心地が良いから居座りたいとか言う訳ではないでしょうから、何か言葉に出来ない事情があるんでしょうね」
周瑜は陳登を問い詰める様な事はせず、すぐに頷く。
「公瑾、帰ってしまうのか。残念だなぁ」
周瑜が徐州を去るのを最も惜しんだのが、宋憲だった。
客人である周瑜なので陳宮も遠慮しているところがあった、と言うより内政の深いところまで見せようとしなかったと言う事もあるにしても、人使いの荒さは健在で諸事雑務を色々と任されていたのだが、周瑜は驚くべき速さと効率性を持ってそれらの事をこなしていった。
それによって最も助けられたのが宋憲である。
また、周瑜は宋憲の手伝い以外にも陳珪の囲碁の相手をしたり、城内にいる事を知った蓉からも小沛へ行った関平の代わりと言わんばかりに槍の相手をさせられたりしていたが、それらも全てそつなくこなしていた。
見た目には教養溢れる色男にしか見えない周瑜なのだが、見た目の良さだけでなく恐ろしく多才な男でもあった。
何でも器用にこなす周瑜ではあったが、意外な事に天然発言を繰り返す厳氏が苦手だと本人は言っている。
主である孫策とは橋玄の娘姉妹を娶って義兄弟となった周瑜なのだが、孫策の妻で義姉が厳氏の様な人らしい。
知恵者である周瑜にとって天然素材な人物は話が噛み合わない事が多く、摘みどころが無い様に感じられると言う事で、周瑜は苦手だと語っていた。
が、それが対外的に演じているのか、本当に苦手なのかは正直なところ本人にしか分からない。
陳登が都から戻り周瑜が戻ったところで、呂布軍による袁術対策が急速に進められた。
まずは小沛の劉備への伝令だが、戻って来たばかりの陳登がその任に自ら名乗りを上げる。
「さすがに疲れていないか?」
「いえいえ、徐州存亡の危機にあって疲れたなどと言っていられません」
と陳登は答えたが、呂布と劉備の個人的な感情はともかく、呂布軍と劉備軍では異様な敵対意識がある。
原因の大部分が張飛なのだが、魏続など気位の高い者も呂布軍の中には含まれる事もあって余計に話がこじれているのだ。
その点、陳登であれば特に大きな問題も無い。
適任であるはずなのだが、陳宮は神妙な表情を浮かべている。
「……良いだろう。では陳登、すぐに向かってくれ」
「御意」
最終的に陳宮も他に候補者無しと判断して、陳登を劉備の元へ向かわせる。
呂布軍の中にあって劉備軍と穏便に話が出来そうなのは張遼くらいなものなのだが、張遼は貴重な戦力なので伝令として戦場から離れさせる訳にはいかなかったと言う事もある。
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