国を割る国 第一話
第二話 国を割る国
「奉先。お前、何したんだよ」
高順が徐州城に入城してから、すぐに呂布に尋ねる。
「何って?」
「張飛のヤツが大変だったんだぞ? それはもう、素晴らしく迷惑なくらいで、引き継ぎもまともにやってられないくらいだった」
「そいつは申し訳ない」
呂布は高順に事の経緯を説明する。
先日、劉備から呂布へ徐州の太守が変更になった。
徐州の民からの慕われ方から、呂布は急に太守が劉備から変更になった事でもめたりするだろうと心配していたのだが、そんな事は起こらず予想外なくらいすんなりと済んだ。
要因はいくつかあるのだが、一つには徐州の文武官を集めて説明したのが劉備本人であった事が大きい。
これによって呂布が徐州を奪い取ったと言うより、劉備が呂布に譲ったのだと周りが納得出来た為と思われる。
もっとも、張飛の様に強く反発する者もいない訳ではないが、異様に誇張された呂布の武勇伝が広まっている事もあり、表立って反対する度胸のある人間がその中には含まれていないらしい。
が、その度胸のある張飛はとにかく憤懣やるかたないようで、移転先となった小沛で留守組を困らせていたと言う。
「まあ、関羽がとりなしてくれたから大丈夫だったが、下手したら血を見るハメになるところだった」
「そんなにか?」
「まあ、張飛も悪いんだが、ウチの連中、特に魏続がなぁ。無駄に突っかかると言うか、手柄の無さに負い目でも感じてるのかは知らないが、あの性格は治さないと、いつか痛い目に会うと思うんだが」
高順は眉を寄せて言う。
呂布と陳宮が小沛を離れてから、後の事を託されたのが張遼と高順だった事が魏続は気に入らなかったらしい。
至って全うな人事であると思われるのだが、身内である自分が重用されないのはおかしいと言うのが魏続の理論なのだと言う。
身内と言っても呂布と魏続には直接的な血縁なども無く、丁原亡き今となってはほぼ他人と言ってもいいくらいの間柄でしかない。
それにも関わらず魏続は呂布の身内だと言って回っている。
また、年齢も近いのに武勲と言う実績を元に重用されている張遼の事が、特に気に入らないようだ。
張遼の方はまったく相手にしていないのだが、その事も魏続は気に入らないらしい。
「お前には何も期待していない。ってはっきり言ってやればどうだ?」
「それはさすがに酷だろう」
呂布は苦笑いする。
もし丁原が健在であれば魏続も一軍を率いる立場だったかもしれない。
しかしその場合、魏続はどこかの戦場で命を落としていた可能性もある。
「小沛、と言うより呂布軍だな。目立つ問題は魏続の件だが、問題はそれだけじゃない」
高順は小沛での問題点を呂布に伝える。
呂布軍は急速に大きくなっていった為、意識の統一に難があり、それによって意識のすれ違いや軋轢が発生していると言う。
例えば魏続は呂布の身内である事を鼻にかけて自分は一つ上だと思い込んでいる節があり、成廉は元々独立勢力であった事もあって自分の判断で動きたがる。
張遼や元袁紹軍で将軍位にあった宋憲などは規律を重んじるあまり、魏続や成廉のそういった行動に対して必要以上に厳しく当たっている。
その対立を郝萌は我関せずと言わんばかりに傍観し、高順と年少の侯成、正式な階位の低い曹性と言った中立勢力の面々が取りなしている状況であると言う。
出来る事なら軍師にまとめてもらいたいところなのだが、陳宮が出て行くとそれはそれで別の問題も発生する恐れがある事は、高順自身から伝えられている。
陳宮の能力の高さは高順だけでなくほぼ全員が認めているところなのだが、あの傲慢とさえ言える様な上から目線での物言いが、純粋な武闘派の多い呂布軍の武将達には反感しか沸かないらしい。
陳宮が女性で、曹操軍からの離脱者である事も陳宮に対する不信感を強めている。
陳宮ほどの弁舌能力があれば高順をはじめとする武将達の説得など造作もなさそうに呂布は思うのだが、陳宮には陳宮の考えがあるのか誤解を恐れていないせいか、それをしようとはしない。
実は小沛に限らず、この徐州でもさっそく陳宮は煙たがられている。
やはり能力の高さは認められているところなのだが、何をやるにも急進的過ぎる為、周りが不信感を抱いている。
そこでも陳宮は細かく説明しようとせず、いいから私の命令に従えと言わんばかりの態度を取るので、余計に苛立たせているようだった。
小沛では宋憲が、この徐州城では陳登が周りをなだめるのに苦労させられている。
「で、奉先は今何やっているんだ?」
「ようやくそこか。最初に聞きそうな事でもあるんだが」
呂布は笑いながら言う。
いかに猛将勇将であるといっても、太守になったからにはただ兵馬の訓練だけをやっている訳にはいかず、呂布のところにも陳宮から山の様な決済の書簡が届いている。
基本的に呂布はそれに許可をだすだけなのだが、今行っている事は違った。
「先日の件で、袁術からお礼の金銀が届いていないと陳宮殿から言われてな。袁術殿に催促の書状を出せと言われているんだ」
「……催促って、お前」
「いや、俺が欲しい訳じゃなくて。詳しい事は任せっきりで分からないんだが、先の曹操軍の襲撃や蝗害、さらに劉備殿の急速な軍備強化によって徐州の財政は相当厳しいらしい。だから袁術からの報酬もその財源に充てるんだそうだ」
細かい数字を羅列されても呂布には分からない事の方が多いのだが、陳宮と陳登、さらにその父親である陳珪にまで言われているので、相当な事なのだろうとは感じている。
そこで呂布が直筆の書状をしたためているわけだが、その下書きはすでに陳宮が作っているので、呂布はそれを書き写すだけでいい。
とはいえ慣れない仕事なので、呂布は気晴らしも兼ねて報告に来た高順と話していたのである。
「その事に関しては、高順もよくやってくれた。あの指示書で、よく劉備を逃がしてくれたと感心していたよ」
「あんな訳の分からない指令、受け取る側にもなれよ。それに俺は自分の能力に関しては多少の自覚がある。あの関羽の率いる兵とまともに戦える訳がないだろう」
「そうか? 高順なら良い勝負出来ると思うんだが」
「無理無理。あの華雄が一刀で切られたんだぞ? 俺も訓練とかで華雄とやり合った事はあるが、華雄は俺より上だった。それより上の関羽とやれるのは奉先くらいだぞ」
高順は指令書を受けたから兵を出すには出したものの、最初から劉備軍と正面から戦うつもりは無かった。
指令書では袁術軍との挟撃と言う事だったので、最初から袁術軍に丸投げするつもりだったのである。
ちなみに袁術軍も同じ事を考えていたらしく、呂布軍を劉備軍と戦わせようとして様子を見ていた節があり、結果として劉備は余裕をもって陣を払って姿を消す事が出来た。
「その時の袁術軍の武将が紀霊とか言うヤツだったが、そいつは関羽と互角に戦ったと自慢していたなぁ」
「へぇ、関羽と一騎打ちで戦えるとは大したヤツだ。さすが最強の袁術軍。孫策もいるし、そんな猛将までいたとは」
「いや、孫策はもういないらしいぞ」
高順は結局劉備を取り逃がした後、一応袁術軍と合流したらしくその時に情報を得ていた。
孫策は呂布達が袁紹への援軍に向かったすぐ後に袁術軍から離れ、曲阿の劉繇、さらには東呉の厳白虎と王朗までも打ち破って独自の地盤を得たと言う。
孫策を息子の様に自慢していた袁術だったが、孫策がそのまま帰ってこない事は袁術の望んだ結果とは程遠かったらしく、先の劉備討伐に失敗した事も重なって呂布が送った書状への返事もそれなりに厳しいものだった。
袁術から届いた書状には、『約束した報酬は劉備を討ってこそ果たされたモノとして送るつもりだったが、劉備が健在であるのであれば約束は果たされていないので、報酬を払うつもりはない』と言う様な事が書かれていた。
一見すると一理ありそうな事が書かれていたが、あの時に約束したのは兵を動かせばと言う事だった。
「袁術には払うつもりは無いらしい」
陳宮は使者としてやって来た韓胤に向かって言う。
「それがどう言う事か、分かっていての事であろうな」
どう言う基準で見込まれたかは知らないが、韓胤には孫乾ほどの度胸は無いらしく、完全に恐れて震えている。
女性であるとは言え陳宮は目力が強く、なまじ美しいだけ余計に迫力が増している。
「我々を敵にしても、袁術殿には何も得は無いでしょう?」
「い、いや、あの、ひ、兵糧に関してはお約束していた五万石の倍、十万石をお持ちいたしました。これにてどうかお怒りをお沈め下さい」
韓胤は泣きそうになりながら、膝をついて言う。
「倍? 何故倍なのだ? その理由を話せ」
陳宮の追求には温かみも容赦も無い。
「わ、我が殿袁術様は、あの不忠者の劉備を許しておく事は出来ないと仰せ。ですが、呂布将軍と事を構えるつもりはありませんので、我らが劉備と壊滅させるまで兵力を出さないで頂きたいのです。兵糧はその為の手付として……」
「勝手な事を抜かすな。そんなものはそちらの一方的な都合ではないか。そこまでそちらに合わせてはいられないぞ。それとも袁術は我々を家臣とみているのか? 」
「ひぃ! そ、その様なつもりはございません! 我々袁術軍は皇族の名を騙る不届き者の劉備を討つのみで、呂布将軍と敵対するつもりはありません! まして家臣だなどと思っているはずもなく。呂布将軍にはただ黙って見ていてもらえば、それで十万石の兵糧を得られるのです」
韓胤は訴えかける様に呂布に向かって言う。
「袁術殿は劉備殿とじっくり話された事はあるのかな?」
呂布は韓胤に尋ねる。
「それはどう言う事で?」
「言葉通りの意味だが、何かの誤解があって劉備殿ともめていると言うのであれば俺が間に入っても良いので、一度話し合ってみると良い」
「わ、分かりました。その旨、殿に伝えさせていただきます。して、兵の件は?」
韓胤は今にも泣きそうな顔で呂布に尋ねるが、呂布も即答せずに一度陳宮の方を見る。
陳宮は思案した後に、呂布に小さく頷く。
「兵を動かすな、と言う事だったな。ならば了承しよう」
「さすがは天下の名将、呂布将軍です! 袁術様も呂布将軍の事は常々……」
「兵糧十万石は置いていくのであろうな」
陳宮が言葉を遮って尋ねる。
「は、はい! それはもちろん!」
「では帰って袁術に伝えるが良い」
袁術と敵対するのは良くないと言っていた陳宮だが、今日は随分と威圧的な事に呂布は少なからず疑問を持った。
「袁術は本格的に徐州へ乗り出してくるつもりですね」
韓胤を追い払った後、陳宮は呂布に向かって言う。
「今日は随分と高圧的だったが、袁術と戦って勝てるのか?」
「正直に言うと、勝算はあまり高くはありません」
意外な答えに呂布は驚く。
「ですので、袁術には無駄な出兵を繰り返してもらい消耗させなければなりません。今日の事のその布石です」
陳宮には何か策があるようだったが、それが上手くいくかはまだ分からないと言う状態だった。
小覇王 孫策
本編でチラッと書きましたが、呂布が色んなところを転々としている間に孫策は小覇王と呼ばれるくらいの大暴れをしています。
袁術のところから離れる時には百人前後だった兵力が、一気に江南制圧に成功するくらいの兵力に膨れ上がっている手腕は尋常ではありません。
孫策の戦闘能力とカリスマ性のなせるワザなのですが、この時の孫策を支えていたスポンサーが魯粛です。
本当はこの件を詳しく書きたかったのですが、そうすると本格的に呂布とは関係ない話になってしまいますので割愛しました。




