第六話
「と言うより、こんな見え見えな策を弄する辺り、この劉備相当ナメられてる?」
劉備は表情を一転させて陳宮に尋ねる。
その表情は口から出た言葉と比べ、無邪気で明るいと言えた。
そう言うところも、劉備と言う人物が一筋縄ではいかない事が伺える。
「いえ、これはナメるどころか劉備殿と我ら呂布軍に強い警戒心を持っている事の現れでしょう」
一方の陳宮の表情は険しい。
大体険しい表情が多く、また険しくなくても陳宮は冷たい顔をしているので、こちらも表情から感情を読み取る事は難しい。
劉備も陳宮も表情が乏しい訳ではなく、どちらかといえば感情を表に出す事が多いのだが、その表に出した感情が本当のモノなのかが疑わしいと言う共通点がある。
「そもそも、それなりの軍事力が無ければ呂布軍と戦う事など出来ず、中途半端な力では呂布軍を打ち破るどころか返り討ちに遭い、下手をすれば徐州軍崩壊と共に我々に徐州を奪われる形にもなるでしょう。あるいは、それが目的なのかもしれません」
「んー、私は別に呂布将軍が徐州の太守の方が良いと今でも思ってるけどね」
劉備は大きく伸びをしながら気のない声を出す。
少年の様な無邪気さを見せる劉備なのだが、大きく伸びをすると衣服の上からでも分かる大きな胸の存在感が増す。
が、これは別に自分の女らしい体付きを見せつけて誘惑しようとしている訳ではなく、単純に話し合いに飽きてきたのだろう。
「兄者、無礼であるぞ」
関羽が劉備を諌める為、その小さな頭を掴む。
これの方が素晴らしく無礼だと思うのだが、劉備が特にそれに対して不満を言わないところを見ると、すっかり慣れてしまったらしい。
「でも、この策ってバレバレだから簡単に見破られてるから、大した事ないでしょ?」
「いえ、この策は見破られたとて問題なく、むしろそれによって相手を追い詰める事も出来る恐るべき策です」
劉備は簡単に考えているが、陳宮は恐ろしく警戒している。
「ん? 何で? 私が言った通り、徐州軍は呂布討伐の為に兵を出したけど逆にギャフンと言わされちゃった、テヘペロ。で済む話じゃないの?」
劉備の言葉に一瞬呆気に取られた陳宮だったが、深々と溜息をつく。
「そんな訳が無いでしょう。私をお試しか?」
「そんなつもりじゃなかったんスけど、すぁーせん」
「兄者よ」
関羽が劉備の頭を掴んだ手に力を入れる。
「いだだだだだ! すんませんッス! 頭割れる! 中身が出る! 私の頭の中のこの世のモノとは思えない封印された何かが飛び出してくるって!」
「それならば我が退治してくれよう」
「痛いって! ホントに痛いって!」
「関羽殿、これは本気で痛がっているのでは?」
さすがに見兼ねて張遼が声をかける。
「うむ」
関羽はそう言って頷くが、劉備の頭から手を放そうとはしない。
「して、陳宮殿。この策の恐ろしさを我らにも分かるよう説明していただけるか?」
「は。それでは……」
陳宮は説明する。
この策はまず先に正式な太守と言う恩を売り、それから密書による討伐を命じ断りにくい状況を作り出す。
それによって呂布と劉備を戦わせると言う策であり、ここまでは劉備も看破した。
しかし、実はこの策は単純にそれだけでは終わらない二段構えになっていると、陳宮は説明する。
まず劉備は皇族の末裔を自称している為、現皇帝である献帝からの命令には背けないと言う事が前提にあり、もしこの密命を反故にすれば皇族を自称する偽物と断じられた上で逆臣となる。
そして劉備が取ろうとした行動であった呂布軍と戦ったが逆に敗れたとした場合、それは劉備に徐州太守としての能力不足として、曹操は徐州平定の大義名分を得る。
また、劉備が呂布を打ち破ったとしても無傷では済まず、その傷が癒える前に曹操は進軍してきて徐州を支配する。
ただ劉備と呂布と言う難敵のどちらかを倒すと言うだけの策では無い。
「……おおぅ、この二通の書状だけでそんなにも?」
陳宮の説明を受けて劉備は驚いていたが、その驚きは劉備だけではなく関羽や張飛、身内の呂布や張遼も言葉を失っていた。
「かような策を?」
関羽が尋ねると、陳宮は頷く。
「これは兵を用いず戦に勝つ戦略による策であり、おそらくは双虎競食の計。これほどの策を立てられる天才は、既に亡き李儒を除いて天下ただ一人、曹操陣営にいる王佐の才、荀彧文若しかいないでしょう」
陳宮はそう言うが、その荀彧の策を見事に見抜いた陳宮も充分互角なのではないかと呂布は思う。
「ですが、その策を見抜いた陳宮軍師も負けていないでしょう」
呂布と同じ事を考えたらしく、張遼がそう言うものの陳宮は首を振る。
「私にしても、太守殿がこの密書の事をこちらに話して下さるとは思っていませんでした。それゆえに見破る事も出来ましたが、その事自体が想定外の事。私一人ではなす術なく術中に落ちていたでしょう」
陳宮は謙遜する様に、張遼の言葉に応える。
「して、どの様な手を打つので? このまま手をこまねいて見ていては、軍師の名折れではないか?」
「そうとも、兄者の言う通り!」
関羽の言葉に張飛がすぐさま賛同している。
口調は違うものの、関羽や張飛も魏続同様に軍師を軽視しているようだ。
「押しても引いてもダメとなっちゃ、手の打ち様も無いでしょう? こりゃ曹操とやり合うしか無いかぁ」
「いえ、この密書を反故にした場合は説明した通り、太守殿は皇族の末裔を名乗っている上はただ密書の反故に留まらず、献帝に対しての反逆として各諸将による連合軍による討伐となり、いかに万夫不当の関羽、張飛、さらには我が殿呂布の力をもってしても防ぎきる事は出来ません」
「じゃ、どうするの?」
劉備の質問に、陳宮は目を閉じ即答を避けた。
いつも通り冷たい表情ではあるが、今はそれより険しさの方が目立つ。
先程の説明であれば、この策には有効な手立てが無い様に思えたし、何より陳宮がそう思っているのではないかと呂布は思う。
「一つ、有効な手立てがあります」
しばらく考えた後、陳宮が目を開いて言う。
「劉備殿は正式に徐州太守となられたので、徐州における全権をその掌中に収めた事になります。それであれば、徐州軍によって呂布軍を制圧した事にすれば良いのです。『今後もし呂布軍が何かしでかしたら、徐州軍が責任を持って処断します』と一文を添えれば当面曹操や荀彧をもってしてもこれ以上の手出しは出来なくなりましょう」
「ほーう、そうすると私も徐州太守としてハクがつくし、今後も呂布将軍とは揉めなくて済むって事かぁ。なるほどなるほど」
劉備はうんうんと頷いている。
「徐州軍が密書とはいえ書状にある通り軍を動かした事実もある事ですので、これによって曹操は大義をかざして徐州侵攻は出来ないでしょう」
「それでも曹操が攻めてきたら?」
関羽が挑む様に陳宮に尋ねるが、陳宮は関羽の威圧を受けてもまるで怯む素振りも見せない。
「その時には我ら呂布軍と徐州軍によって、曹操陣営にその実力を思い知らせるだけの事。ですが、この様な策を弄すると言う事は曹操も迂闊に武力に頼る様な真似はしないでしょう。少なくとも連合を起こすほどの大義は無いのですから、もし攻めてくるとしたら曹操ではなく袁術、あるいは袁紹ではないかと考えています」
先に小沛で大敗を喫した曹操である。
策が上手くいかなかったからというだけで、いきなり兵を出すとは呂布も考えられないと思う。
何より曹操は董卓や李儒でさえ警戒した切れ者なのだから、それほど短絡的な行動は取らないという事くらい、簡単に予想がついた。
「じゃ、一先ず安泰ね。私も小沛復興手伝ってこよう」
やはり話し合いに飽きていたと言わんばかりに劉備は立ち上がると、素早く関羽の腕を払って部屋を飛び出していく。
「待て、兄者!」
張飛がすぐに劉備を追って飛び出していくが、関羽だけは呆れた様に溜息をついていた。
「軍師殿。そちらの言い分、一理ある事は認めよう。だが、呂布軍とは本当に信用出来るものなのか? こちらに密書が届いた様に、そちらにも何らかの密書が届き、その事で口裏を合わせようとしているだけという事はあるまいな? それであればこの関羽、実力を持って排除する事も厭わんぞ?」
「なるほど、ごもっとも。まだまだ天下には関羽殿の様な名将はいるのですね」
陳宮は大きく頷く。
「ですが、我が殿におかれましてはその様な腹芸が出来るお人ではありません。その点は関羽殿にもご承知願えるでしょう」
と、陳宮は説明しているが、これは褒められているのではなく馬鹿にされているのではないか、と呂布は少し疑問に思った。
「……何故呂布将軍が二人の義父をその手にかけたのか、疑問ですな」
関羽は遠慮もなく、思った事を口にしている。
「それには理由があります」
その反論を張遼が試みようとしたが、関羽はそれを制する。
「どの様な理由があったとしても、義理の父親を二度その手にかけている事は事実。その事実は揺らぐ事は無いのだ」
「確かに、その通り。それから逃れるつもりはありませんよ」
まだ反論しようとしていた張遼に代わり、呂布が素直にその事を認める。
呂布にしても言いたい事はあったし、自分の正当性を主張する事も出来た。
しかし、関羽がいう通り自分の正当性を主張したところで丁原と董卓を自らの手にかけたという事実は、今後どの様な言葉を連ねたとしても変わりようがないのである。
それは他者から言われるまでもなく、呂布が一番分かっている事だった。
「ですが、ただの口約束であるとはいえ我らに劉備殿を害するつもりはない事は、分かっていただきたい」
「その言葉、信じたいものですな。では、兄者が余計な事をしないか見張らねばならないので」
「あ、関羽殿、ちょっとお待ち下さい」
関羽が部屋を出て行くのを、張遼が追っていく。
案外劉備だけでなく全員がこの場から離れたかったのかもしれない。
「呂布将軍、お待ち下さい」
呂布も自然な流れで外に出ようとしたのだが、陳宮に呼び止められた。
「あの劉備なのですが」
「劉備殿がどうした?」
「金輪際、劉備の事は信用しないで下さい。出来る事なら、関わり合いにならないよう」
陳宮の言葉に、呂布は眉を寄せる。
「ん? 劉備殿は我々を徐州に迎え入れてくれた、いわば恩人だぞ? それに曹操の策謀まで教えてくれた、噂通りの仁君じゃないか」
呂布としては陳宮が何故そんな事を言うのか、まったく理解出来なかった。
確かに劉備には含むところもあるかもしれないが、それにしては陳宮の言葉にはトゲがあった。
「劉備は我々の為に曹操の策をこちらに教えてきた訳ではなく、そもそも何故あの者が仁君などと言われているかが分かりません。将軍は龍に例えられる事が多いですが、あの劉備は例えるなら狐。殷の紂王をたぶらかした妲己と同じ類の妖狐でしょう」
「滅茶苦茶言うなぁ」
呂布は苦笑いするが陳宮の表情は険しく、冗談や単純な好き嫌いで話しているとは思えない。
「私が劉備を警戒するのは理由があるのです。例えば我々軍師は、自分たちの望む結果に導く為に他者の思考を誘導し、それによって自分たちの利を得るのですが劉備は違います。アレは、異常なくらい流れを読むのが上手い。自らの望む結果を得られる流れに乗る事が出来るのです」
「……よく分からないが、それは劉備殿が我々を騙していると言う訳ではないのではないか?」
「だから恐ろしいのです。騙すつもりであれば私も見抜けるのですが、ただ自らの利になる流れに乗るだけで、我々の不利益を招いたとしてもそれは劉備の企みでは無いので予測が立てられない。また、劉備は自らの利と見れば我々の事も簡単に見捨てるでしょう。もっとも有効な手立ては、関わり合いにならない事です」
陳宮にしては珍しく熱を込めた言葉で、呂布も圧倒されるくらいの迫力である。
「あ、ああ。分かった。出来る限りそうしよう」
陳宮の熱にあてられ、呂布はそう応えた。
数日後、劉備は徐州軍を率いて徐州城へ戻っていく。
「そう言えば、関羽。あの若いの、ずっとくっついてたけど何だったの?」
「張遼の事か? この関羽に稽古をつけて欲しいと言う事だったので、みっちり鍛えてやった。あれは悪くない」
「へぇ。関羽がそんな褒めてるの、すっごい珍しいね」
「それより兄者、何故あんな呂布如きの下働きみたいな事を」
張飛は小沛復興に協力した事さえ気に入らないらしい。
「んー、呂布をよく見ておきたくてねー」
「それで、兄者の目には呂布はどう見えたのだ?」
関羽も劉備による呂布評が気になるらしい。
「そうねー」
劉備は小首を傾げた後、表情を一変させて冷徹な一面が表に出る。
「アレは生まれてくる時代を間違えた、生きていてはいけない生き物よ。私達にとって、そして恐らくは漢王朝再興の為には死んでもらう必要があるわね」
双虎競食の計とちょっとした補足
二虎競食の計とも言い、荀彧の策略で呂布と劉備を戦わせる計略です。
その後の陳宮の長々とした説明は、私が勝手に付け足したモノです。
一般的に荀彧には策謀家の印象はありませんが、けっこう黒い事もやってます。
今回本編の中で劉備を例える為に出てきた殷の紂王と妲己は、三国志よりさらに数百年前の物語である『封神演義』の登場人物です。
色々な説がありますが、蘇妲己と言う純朴な美少女に妖狐が取り付き、その色香と凶行で紂王を堕落させて商王朝を傾け、周の武王や太公望によって退治されると言う存在です。
これはあくまでも陳宮の例えであって、別に劉備と妲己が同一である訳ではありません。




