第七話
「馬鹿な! 有り得ない!」
揉めるだろうとは思っていたが、呂布が予想していた以上に反感は大きかった。
真っ先に反応したのは、やはり魏続だった。
「譲れぬを譲ったとして、兵の解放はまだ良い。だが、夏侯惇を無償で解放するなど、猛獣を野に放つも同じ! 切って捨てるべきだったのだ!」
「いや、俺は将軍や軍師殿の判断は正しかったと思う」
合流した張遼は、魏続に真っ向から反対する。
「兵にとって権力者の父など赤の他人。にも関わらず曹操の兵は徐州を血の海にした。夏侯惇将軍は兵と共に汗と血を流した間柄。その者を殺したとあっては、敵兵は悪鬼羅刹となる。軍師殿のおっしゃる通りだ」
「だが、手ぬるい事は間違いない。まるでこちらから媚びる様な甘い手で、侮られるのではないか?」
成廉は魏続に賛同しているらしく、張遼にではなく陳宮に向かって言う。
「その女は曹操の配下だったはず。適度に流して曹操の元に戻るつもりではないか?」
「魏続、言葉が過ぎるぞ」
魏続に対して張遼はたしなめると、魏続は張遼を睨んで舌打ちする。
魏続は自身の方が張遼より格上だと信じて疑わないみたいだが、それでも武勇の点においては張遼に及ばない事は自覚しているらしく、そう言う態度を取るに収まる。
「それに、今は過ぎた事の善し悪しを語る時ではなく、これからどうするかを語るべき時。それに関して軍師殿には何か妙策が?」
「いささか困っています」
陳宮は眉を寄せながら、張遼の質問に答える。
張邈と張超のところへ向かっていた宋憲と郝萌の二人も戻ってきたのだが、陳宮の計算を大きく狂わせる報告も持って来た。
張邈は当初予定通り進んでいたのだが、呂布の糧道を絶ってから移動してきたと思われる程昱によって度重なる伏兵にあい、進軍が大きく遅れてしまった。
それによって怒り心頭の張邈は呂布と合流して東阿の攻略を良しとせず、程昱が立てこもる范の攻略を勝手に始めてしまったのである。
一方の張超も、後方で足を止めてしまった。
攻略箇所が二箇所になっている以上、呂布にも張邈にも援軍を出せる様にとの配慮から、後方で待機すると言って動こうとしないのである。
張邈と張超と合流した後、曹操本隊が到着する前に東阿を攻略して曹操の最終防衛線を突破するという陳宮の計画は、完全に破綻してしまった。
「まさか范の攻略など、まったく無意味な事に熱を上げるとは。私は張邈将軍を見誤ったらしい。いや、そこに誘い込んだ程昱殿が見事だったという事だろう。少々程昱殿を侮っていたな」
陳宮は腕を組んで言う。
戦上手で知られるはずの張邈を見事に翻弄し、その冷静な判断力を奪って自分の戦場に引き込むのは、実際に行うとすれば至難と言える。
程昱は見事にやってのけ、陳宮の計画を根底から覆す結果となった。
「東阿を攻略してしまえば、後は本拠地である許を狙うのみ。他の城や防衛拠点など機能しなくなる事もわからぬとは」
陳宮は眉を寄せて呟く。
「とはいえ、そこを引きずったところで事態は好転する事はありません。単純に力技で攻めるには、東阿は堅固。呂布将軍であったとしても、楽では無いでしょう」
「それを考えるのがお前の仕事だろう」
魏続がすぐに噛み付いてくる。
「智謀と言うのは、城さえ落とせるものなのか?」
これまで常に戦場に立ち続けた成廉も、そこには疑問があるらしい。
「知略と言うものは……」
「お前には聞いておらん!」
曹性が陳宮の援護をしようとしたのだが、魏続から即刻却下される。
「しかし、韓浩がここにいたとは意外でした」
郝萌がまったく違う話題を出す。
険悪になった空気を変えるためかと呂布は思ったが、そもそも空気が読めない郝萌なので、そんな事は無いだろうと思い直す。
「郝萌は韓浩を知っているのか?」
呂布の質問に、郝萌は頷く。
「袁術軍の武将であれば知っています」
そう答えた郝萌だったが、全員の視線は答えた郝萌ではなく袁術軍所属の曹性の方に向けられる。
「曹性は何も知らなかったのか?」
侯成が尋ねると、曹性はぶんぶんと首を振る。
今は郝萌の副将として兵を率いる立場である曹性だが、実際のところ袁術軍では将軍位と言う訳ではなく、袁術軍の軍議に参加出来る立場では無かった。
袁術軍内における韓浩の逸話として、反董卓連合の時に韓浩は董卓に引き抜かれそうになった事があり、その時に舅を人質に取られて脅迫されていたのだが、韓浩はその人質を見捨てて袁術軍に残り董卓軍と戦い続けたと言う実績があるらしい。
その時は袁術から賞賛された韓浩だったが、その後韓浩は袁術との関係が悪化して袁術軍を離れたと言う。
「その情報があれば、何か変わりましたか?」
「いや、特に何も変わってはいないだろう」
宋憲が尋ねると、陳宮は首を振る。
「何故だ? その情報があれば、夏侯惇を人質に交渉出来ないと言うのは分かるだろう」
「むしろ逆だな」
魏続の言葉に、陳宮は答える。
自分では忠義を示す為に舅を人質に取られても見捨てた韓浩だったが、それでも主君に認められる事は無かった。
それであれば、今回の様なまさに自分の立場も命も危うくなるような場面では人質の命を優先して、交渉に応じる事も十分に考えられる。
陳宮が前もって韓浩の情報を持っていたとしても、この状況で夏侯惇の事を見捨ててでも城を守ると言う判断が出来る人物であるとは思えず、同じ様に人質交換を望んだと認めている。
呂布にしても、韓浩の判断は異質にして苛烈であると思う。
徐州の虐殺は、曹操の父親の死が引き金となっている。
陳宮が言った通り兵卒達にとっては縁もゆかりもない曹操の父親ではなく、人望もある夏侯惇を見捨てるとなっては暴動が起きてもおかしくないのだが、東阿には微塵の揺らぎも無い。
まして、韓浩は夏侯惇の足元に向かって矢を放ったのだが、それについて兵士や部隊長達でさえ黙して見守っていたところを見る限りでは、韓浩と言う武将はあの場において兵士の行動を完全に支配下においていた事になる。
「そんな人物が曹操陣営にいたのか。それを見落としていたのは、確かに私の落ち度だな。だが、面白い話でもあった」
「軍師殿、何か策が?」
「いや、まだ策と呼べるものではありませんが、取っ掛りとして考えれば悪く無い情報でした」
張遼は期待も込めて尋ねたのだが、陳宮の答えは著しく低下中である自分の評価を高めるようなものでは無かった。
「悠長な事を言っている場合では無いのではないか? それでも軍師か」
魏続は徹底的に陳宮に噛み付いているが、陳宮の方は陳宮で魏続に対してはとことん冷たい態度である。
「明日、東阿の様子を見て策がハマるかを見る」
陳宮はそう言うと話はここまでだと言わんばかりに、腕を組んで目を閉じる。
黙って座っていると絵になる美女である事は呂布の妻である厳氏と同じだが、話す事によっておおらかさが伝わる厳氏と違い、恐ろしく鋭いトゲを出して刺しまくる陳宮は外見以上に近寄りがたいものになっていた。
この陳宮の態度には常に反抗的な魏続だけではなく、成廉や侯成も表情を曇らせてさらなる反感を買う事になったが、陳宮自身はまったく意に介していない事も問題だった。
翌日の朝、呂布が起きて幕舎から出るとすでに陳宮は起床していた。
「呂布将軍、早いですね」
「軍師殿こそ」
「昼前には済ませておきたいと思いまして。呂布将軍にはまた護衛していただけると有難いです」
「それは構いませんが、俺だけで良いんですか?」
「……そうですね、では張遼にも来ていただきますか」
陳宮は頬に手を当てて言う。
本当に黙っていれば、上品で美しい女性である。
呂布も頻繁に言われる事だが、もう少し周りからどう言う見られ方をしているかを意識した方が良いのではないか、と思う。
日が昇り呂布軍の兵も整ったところで、呂布と張遼は陳宮からの指名を受けて改めて東阿の城壁に近付いて行く。
「曹兵につぐ! 夏侯惇の救出でさえ行う事を拒否した事でも命の軽さが分かるだろう。我ら呂布軍は、敵将であっても道理と情義を尽くし、その身を傷付ける事無く解放した。もし降ると言うのであれば我らは快く迎える事を約束する! 曹兵達よ! 当代の武神呂布と死ぬまで戦う事を強制されるか、自らの意志で我らと共に戦うかを決めよ!」
陳宮のよく通る声は、東阿の兵だけではなく呂布軍の兵士にも聞こえている。
夏侯惇とその側近の兵を無事に返したのはこういう事が狙いだったか、と呂布は感心していた。
東阿を守ると言う一点は曹操軍の死活問題であり、もし夏侯惇の命惜しさに城を明け渡した場合、いかに曹操といえども無防備となる本拠地の許昌を守る事は極めて困難となった。
そう言う意味では、韓浩の英断は賞賛されて然るべき決断である。
しかし、一兵士までがその英断の価値を理解しているだろうか。
主君曹操の従兄弟にして、守将の中でも最高位に位置し、その武勲人望共に並ぶ者無き名将夏侯惇の命でさえ必要とあらば見捨てると言う事を見せたのだ。
陳宮が言う様に、死ぬまで戦えと言う命令を下された場合にはその命令に従わなければならない。
その相手は、当代最強の武将として名を馳せる呂布である。
その恐怖を避ける為には、その陣営に降るのが一番だと陳宮は伝えた。
捕らえた捕虜に対しても寛容であった事は、それこそ夏侯惇が証明している事でもある。
見事なものだ、と呂布は感心していたが、東阿の反応は呂布の予想とは大きく違っていた。
陳宮の言葉に答えるかのように、東阿の城壁にずらりと曹操の旗が翻る。
「さすがは陳宮。兵ではなく心を攻める。見事としか言い様がない」
そう答えた声は、韓浩でも夏侯惇でも無かった。
ずらりと並んだ旗の元には弓を構えた兵が並び、城壁の上に姿を現したのは巨漢を左右に従えた、真紅の鎧を身にまとう小柄で目立たない男だった。
「……曹操?」
呂布はその姿に驚いて陳宮を見ると、陳宮も険しい表情を浮かべて頷く。
「これほど早く徐州から戻って来れるとは。曹操軍の行動速度を知っている私の予想さえ大幅に上回ります」
「とすると、あの兵達も?」
張遼は城壁に並ぶ兵士達を見て、陳宮に尋ねる。
「守備兵だけではなく、本隊の兵も含まれているでしょう」
「陳宮よ、私は今でも貴女の智謀を買っています。それに呂布将軍。私は貴方とこれまで敵対していないと言うのに、何故私の領土を荒らすのですか? 名将呂布ともあろう方が、無意味な領土争いに民を巻き込むのですか?」
曹操は城壁の上から、陳宮と呂布に問う。
「この地は漢の領土であり、貴殿の私有地ではない! それに、個人的な理由で無意味な虐殺を行ってきた者が何を言う!」
呂布ではなく陳宮が答える。
「その返礼は見事! ならば徐州百万の民を切り殺した我が精鋭二十万の悪鬼羅刹がお相手する! 武神のお手並み拝見といこう」
曹操は高らかに言うと、城兵に合図を送る。
それに合わせ、兵士達は呂布や陳宮の前に矢を一斉に放つ。
その矢は一本たりとも呂布達に届かなかったが、城壁前には矢の海が広がった。
明らかに守備兵だけではなく、増員されているのが分かる数である。
「撤退するしか無い、か」
呂布は陳宮に言い、張遼もそれに頷く。
「撤退? 正に勝機到来ではありませんか」
陳宮はそう答えると、呂布達と共に陣営に戻り武将達を集める。
と言っても、城壁でのやり取りは武将達も見聞きしているので、説明の必要も無く全員が短時間で集まってきた。
「二十万の兵が戻ってきたのでは、そもそも戦にならないではないか! お前がもたついている間にこんな事になったのだぞ!」
口火を切ったのはやはり魏続である。
「皆も同意見で?」
陳宮が尋ねると、批判的な態度の侯成や成廉だけでなく、これまで擁護派の発言が多かった曹性や、知略の重要性を十分に理解している宋憲や張遼ですら事態の悪化が陳宮のせいだとは思っていないにしても、撤退は止むを得ないと思っていた。
もちろん呂布も陳宮の知略は評価しているが、守る側が有利な攻城戦において攻め手が五千、守備が二十万ではそもそも戦にならないと考えている。
「それこそ、曹操の神算鬼謀です」
陳宮は薄く笑う。
「徐州から私の想像を遥かに超える疾さで戻ってきた事は、さすが曹操と言うべき神速。おそらく他の誰にも真似る事は出来ないでしょう」
「だったら……」
「つまり、二十万もの兵全軍は戻っていないと言う事です」
魏続の言葉を遮り、陳宮は続ける。
「この疾さについて来るほどの疾さは、おそらく夏侯淵の一軍のみ。それも相当な強行軍を強いたのは間違いない。曹操自身が戦う余力無しと思っているからこそ、あの虚仮威しと言うわけです。もし私であれば、精鋭が戻っている事を隠して城壁に呂布軍を引きつけで撃退し、こちらが兵を引いて整えようとしているところに城門を開いて精鋭を投入し、その一戦にてこの呂布軍を殲滅する事でしょう。わざわざ備えありと知らせる真似はしません。今宵、我が軍の勝利にて、東阿攻略は完了致します」
「何を馬鹿な!」
「これより説明しますが、時間に余裕がありません。宋憲、郝萌、曹性は兵を千残して急ぎ全軍濮陽へ撤退を。兵が退いても曹操軍の兵は警戒を続けますが、それも夜まで。夜も深くなった頃にこちらが全軍撤退した事を確認すれば、見張りの気も緩みます。つまり城にいるのは、守備の人数も増え敵もいなくなったと油断する者と武器も持てぬほど疲れ切った兵のみ。千の内百を張遼が率いて城門を開き、呂布将軍は八百を率いてそこから飛び込んで下さい。残る百で東阿の兵糧を焼き払い、敵軍を混乱に陥れます。そうなってはどれほどの名将であっても兵を御す事は出来ず、名将凡将と言えども兵に下せる命令はただ一つ、撤退のみ。千の兵で二十万の兵が守る城を落としてみせましょう」
「……見事」
呂布は溜息混じりに言う。
まるで空の上から見下ろしているかのように、鮮やかな策略である。
陽人の戦いで戦場を見る事なく戦況を動かした李儒、外敵に対して作られた鉄壁の城だったはずの長安を呂布と戦いながら落とした賈詡と同様の、恐るべき知略と言えた。
「絵空事ではないか? 大体兵糧を焼くと言っても、それは誰が行うのだ? お前は命令するだけではないか」
「ああ、言っていませんでしたな。兵糧を焼く兵百を率いるのは私が。供に魏続、侯成、成廉の三将に同行してもらいます」
陳宮の言葉に、名前を挙げられた武将達は驚く。
「軍師殿が?」
侯成の質問に、陳宮が頷く。
「この中で東阿の内部を知るのは私のみ。少数での奇襲である以上、最速かつ最短距離で移動出来るのは、千里を駆ける名馬赤兎ではなくその地理を知る私。魏続よ、そなたの望む武勲も挙げられよう。今夜が楽しみだ」
陳宮はそう言ったが、その陳宮の策は実行する機会を与えられなかった。
その日のうちに、歴史上でも稀なほど大規模な蝗が発生し、それによって曹操も呂布も張邈も戦を継続する事が出来なくなったのである。
本当は呂布のセリフだったんですが……。
今回の話の中で曹操が呂布に対して
「呂布とは敵対してないじゃん。何で攻めてくるかな!?」
と言う様なセリフがありました。
今回の話でそれに
「ここは漢の領土で、お前の土地ちゃうやんけ!」
と返答したのは陳宮でしたが、実はそれに対する返答したのは呂布であり、あの知恵者曹操から一本取ってしてやったり、と本来であれば呂布の見せ場でした。
一般的にはTHE・脳筋と思われがちな呂布ですが、張飛と同様に時々
「あれ? こいつ、頭良いんじゃない?」
と思わせるところがあります。
が、この物語の中では発揮される事は少ないと思います。
頭は悪く無いんですけどね。




