第四話
そこからの張邈の行動は早く、瞬く間に軍勢を整えて出撃する。
基本戦略は先に話した通り、第一目標は曹操軍の勢力の弱体化であり、必ずしも曹操勢力を一掃する事ではない。
と言う具合に念を押しているのだが、張超だけは異様なやる気を見せて曹操軍滅亡を目論んでいるようだった。
そのやる気を活かすべく、陳宮は三手に分けて進撃する事を提案する。
第一軍は張邈の本隊、第二軍は張超軍、第三軍を呂布が務める事となった。
軍師である陳宮も自ら参戦を申し出て、この近辺の地理に詳しくない呂布軍に参謀として加わる事にした。
「この鼎隊は、それぞれが鼎の足の役割を持っているので、誰が欠けても上手くいかない事は肝に銘じて下さい」
陳宮は出立前に、張邈、張超、呂布を集めて説明する。
曹操軍の強さの一因は曹操自身の知略や兵の練度の高さ、個々の能力なども挙げられるが、何よりも疾さにあると陳宮は言う。
それは騎馬術に優れるとか、歩兵の足が早いと言った分かりやすいモノではなく、より見えづらいところである為、どれほど曹操を警戒していても見落としがちになるらしい。
曹操軍の疾さの秘密、それは非常に優れた土地勘と整備能力であると陳宮は話す。
そう言われて呂布も張邈もよく分からなかったが、曹操はまず攻め込む場所を十分に吟味していると言う。
そこから主要道の他、最短の道や裏へ抜ける道、野戦となった時に陣を張りやすい場所やそこに至る道などの下調べを怠らない。
ここまででも優秀である事は分かるが、そこまで特筆するべき点と言うほどでもなく、軍師や参謀であれば基本的に行っている事でもある。
曹操の恐ろしいところは、一度進撃に使った進路を瞬く間に整備してしまう事にある。
曹操軍の動きを捉えた敵は、その先発隊の動きから到着を予測するのだが、曹操の先発隊はほとんどの場合後続の為の整備も行っているので、並の軍と比べてもさほど早いと言う事は無い事が多い。
しかし、整備された道を行く後続の到着は先発隊の動きからは想像もつかないほど早いため、結果として全軍が集結するのが非常識なほど早くなると言う。
先発隊の動きから到着日時を予想して対策を練ろうとしていると、その時にはすでに主力である本隊までも合流して、十分な対策も練る事が出来ないうちに総攻撃を受けてしまうのだ。
その特性から考えると往路より復路の方が行軍速度も早く、徐州攻めを行っている曹操の本隊ではあるが、変事を知って帰ってくるのはただでさえ早い曹操軍の動きをさらに加速させる事も考えられると、陳宮は警戒するように促してきた。
その上で曹操勢力の切り崩しを目論むのだから、こちらも速度で負けるわけにはいかないという事もあって、兵力を分散させて多面的な攻勢に出る事になった。
張邈、張超、呂布の三軍では、やはり呂布が群を抜いた戦闘能力を発揮して次々と曹操軍の城を攻め落とし、陳宮の進言で敢えて深入りしていく。
その結果、ただでさえ主力が徐州攻めに向かって手薄と言う事もあり、出遅れる形となった張邈と張超のところに援軍を送る事が出来なくなり、直接援軍を送るよりはるかに助けになった。
もっとも、それも呂布が狙った事ではなく、陳宮の目論見通りの結果である。
だが、呂布の快進撃を止められる事が起きた。
呂布の進撃してきた道の途中にあった橋が落とされ、一時的にとはいえ糧道を絶たれてしまったのである。
これについての対策と言う事で陳宮は、呂布と信用できる人物で特に能力の高い人物を二名密かに連れてきて欲しいと言ってきた。
呂布はその二名に張遼と高順を選び、陳宮の元へ集まる。
「陳宮、してやられたのではないか?」
高順はさっそく陳宮に言うが、陳宮はそれについて感情を害したようには見えず、むしろ薄く笑ってさえいた。
「おそらく程昱でしょうが、中々いい所で手を打ってきたと感心しているところです」
「……知っていたのか?」
呂布が尋ねると、陳宮は頷く。
「もちろん。出発前に曹操軍の疾さの秘密を話したでしょう? 整備を行っていると言う事は、どこにでも仕掛けを作っておく事が出来ると言う事です。橋を落として糧道を断つ仕掛けも私が作ったモノですから、よく知っています」
陳宮は事も無げに言うが、それを聞かされた呂布達は言葉を失った。
「そ、それはつまり、自分で仕掛けた罠を利用されたと言う事ですか?」
「そう言う事になりますね」
張遼の言葉に、やはり陳宮は動じる事無く答える。
「そう言う事じゃねえだろう! 何を考えているんだ! 自分で掘った落とし穴に自分で引っかかるようなヤツが軍師だと? 笑わせるな!」
「対策は打てなかったのか?」
掴みかかりそうな高順を抑えて、呂布は陳宮に尋ねる。
「打てなくはないのですが、考えがあっての事です」
「何だ、早くも言い訳か?」
「高順、そんなに突っかかるなよ。話しが進まない」
呂布は高順を押さえるが、陳宮の考えが分からない以上は高順と同じ様に考えているところもあった。
「まず対策ですが、言うまでもなく手を打つ事は出来ました。ですが、それをしなかった理由は三つあります。至るところにある仕掛けの全てに目を光らせておくのは兵力と時間を有する作業です。我々の目的が曹操本隊が戻ってくるまでに勢力を削ると言う事である以上、そこに無駄な時間を掛ける事は出来ません。まずこれが一つ目の理由。私がどれだけ言葉を費やしても、この大掛かりな仕掛けを説明してわかってもらう事は困難ですが、一度目にすると言葉で説明するより実感も込みで理解出来るでしょう。また、ここにこの仕掛けがあるとわかっていたからこそ、呂布将軍には急ぎ進軍していただき、ここでこの仕掛けを使ってもらう事で全軍に仕掛けを知らせ、教える事が出来るようにしたのです。こでが二つ目の理由。ですが、なにより重要なのは三つ目の理由です」
これまですこぶる態度が悪かった高順も、陳宮の言葉に耳を傾ける。
「この戦は曹操軍にとって、本隊が戻ってくるまで時間を稼ぐ事が勝利条件の一つでもあります。糧道を断つと言うのはまさにそれを期待できるのですが、本隊のいない曹操軍はどれだけ守りを固めると言っても、兵力が少ない以上手薄になるのは避けられない。そこで血気に逸る者は、ただ守りを固めるだけでは手緩く感じ、敵の数を減らす事がすなわち守りを固める事にも有利に働くと思い込む事でしょう」
「攻撃は最大の防御、と言う事か。それはそれで間違ってはいないが」
呂布の言葉に、陳宮も頷く。
「そして我々の目的は曹操軍の勢力を削ぐ事にあります。ですが、完全に守りに入られてはそれも難しくなります」
「……つまり、わざと罠に掛かって敵をおびき寄せる、と?」
「その通り」
張遼の言葉に、陳宮はそう答えた。
「だが、兵糧はどうする? 糧道を絶たれては、敵と戦う前にこちらが弱ってしまうぞ!」
「敵にそう思わせる為には、まず味方がそう思って混乱してもらわなければならないのです」
高順の反論に、陳宮は静かに答える。
曹操に留守を任された荀彧、程昱は両者共に一流の参謀である。
よし、ならば迎撃だ! と息巻いて野戦に出るような事はまずありえない。
まして呂布軍はここまで城を次々と陥落させて進んでいるので、その戦闘能力の高さからまともに直接対決をするような愚行は犯さないと陳宮は考えていた。
橋を落として進軍の足を止めたら、荀彧であれば守りを固めるだろうし、おそらく攻撃的なところのある程昱であっても同じように守りを固める事だろう。
だが、軍師や参謀はそう考えたとしても、武将達も同じように考えるとは限らない。
さきほど陳宮が話した様に、敵を打ち倒しその数を減らす事を優先するべきだと考える者は必ずいる。
と言うより、いないとおかしい。
曹操の本隊がどれほどの疾さで戻ってくるかは分からないが、このままでいけば曹操の本隊が戻ってくるより早く、張邈と張超と合流して総攻撃に入る事になる。
そうなってはどれほど守りを固めても大勢は決するのだから、どこかで敵を減らす必要があるのだ。
では、どこを攻撃するか。
敵地深くまで入り込んだところで罠に掛かって、物資が窮乏し混乱の中にある軍こそ攻撃対象としてもっとも適している事は言うまでもない。
「確か、郝萌は袁術の、宋憲は袁紹の元にいた武将でしたね?」
「はい。それが?」
陳宮の質問に答えたのは張遼である。
「その二名に、急ぎ張邈と張超の元へ兵糧の援助を要請に行かせてください。その二将の進んだ所には許汜と王楷と言う人物が守っていた城があったはず。その二人はこちらの内通者であり、十分な物資を蓄えていた城ですので、おそらくこちらへ送ってくれる事でしょう」
「間に合うのか?」
「間に合いません」
高順の質問に、陳宮は即答する。
「……貴様、馬鹿にしているのか?」
「重要なのは、こちらの兵糧が少なく、他のところから送られてくると言う事を曹操軍に知らせる事なのです。せっかく大掛かりな仕掛けを使って兵糧不足に追いやった敵を、他のところから賄わせるまで黙って見ていると言う事は無いでしょう。こちらが使者を送った事を知れば、すぐにでも兵を出すはずです」
「何故郝萌と宋憲に? 二人呼べと言うくらいだったから張遼と高順の事かと」
呂布は不思議に思ったが、その二人には別の役割があると陳宮は言う。
使者として名前を挙げた郝萌と宋憲は、それぞれ別の勢力にいた武将であるが、袁術と袁紹と言う、漢の二大巨頭のところにいたと言う看板が重要なのだと陳宮は説明する。
使者を送ったと言う事だけが重要であれば、まだ無名の魏続や侯成でも構わないのだが、あえて袁家の威光をかざそうとするのは内通者である許汜と王楷に対しての主張が目的だった。
曹操の元にいても出世は無いと思っている二人に、現在の漢で頭一つ抜け出た最強勢力である袁術や、それに続く袁紹との繋がりを見せる事によって媚びを売らせる事が出来ると陳宮は説明する。
宋憲は袁紹と決別しているので効果は薄いかもしれないが、郝萌は今尚袁術との繋がりがあるので、その効果は十分に見込めるだろう。
「本来であれば敵の策に掛かって兵糧を失ったなどと知らせる事は不利益しか無いのですが、今回はあえて皆の前で言って、宋憲と郝萌の二名に急ぎ張邈と張超の両将の元へ行ってもらいたいと伝えて下さい。混乱している様に見せる芝居の指導をするより、実際の反応を見せた方が、曹操軍も好機と見る事でしょう」
「で、俺達はどうすれば良いのですか?」
高順は不満そうだったので、張遼が陳宮に質問する。
「お二方こそが、この作戦の要。非常に重要な役割ですので、心してかかって下さい」
陳宮はそう前置きして、呂布と高順、張遼に作戦を説明する。
「向こうはこちらを罠にはめたと思っています。実際に罠にはかかっていますが、それに対する対策をしていると気づかれれば、この策は上手くいきません。肝心なのは張遼、高順の両名が曹操軍に気づかれない事。呂布将軍がいる限り、こちらの本隊が崩壊する事は無いでしょうが、呂布将軍にも踏ん張ってもらわないといけません」
「……策とは、恐ろしいものだな……」
分かってはいたつもりだったが、呂布は改めてそう思う。
董卓の元にいた時に、李儒や賈詡と言った並外れた軍師を見てきた呂布だったが、この陳宮と言う女性はその二人と比べても何ら劣るところは無い。
だが、作戦には納得しているものの、高順は不満そうな表情のままだった。
この物語はフィクションです。
三国志演義の中で、この張邈軍反乱と言う事件の扱いはさほど大きくありません。
と言うより演義ではこの時、これまで完全ニートで公孫瓚に寄生していた主人公の劉備がワンチャンスをモノにして徐州の太守になると言う大事件が起こっていますので、この反乱事件はスピンオフ扱いです。
そんな事もあって、この戦いの情報や資料はさほど多くありません。
と言う事で、けっこう好き勝手に創作しています。
本編の中で実際に正史にも記されている事は、
陳宮と張超にそそのかされて張邈と呂布が曹操に反乱した事。
許汜と王楷以外にも内通者が続出した事。
攻め上がっていた呂布軍が、橋を落とされて糧道を絶たれて足を止めた事。
くらいです。
あれ? 今回の話を要約するとそれくらいしか展開していないような……。
具体的には陳宮が暗躍する辺りから創作色が強くなっていきます。
自分で言うのもアレですが、この時大躍進の劉備にまったく触れていない三国志と言うのもどうかと思いますが、主人公が呂布ですので仕方が無い事なのです。
 




