第五話
本人が思う以上に極限状態だった張遼は、そのまま意識を失うように倒れてしまったので、呂布はそのまま休ませる事にした。
丁原軍の将軍位の中で最年少の張遼だが、今回の戦いではわずか五百騎でありながら黄巾軍に対し数千の被害を与えている。
また、徐州軍の重過ぎる腰を上げさせたのも、張遼の巧みな誘導によるところもあった。
まだ十代も中頃の張遼もそうだが、呂布自身も丁原軍の中では若手である。
それでも荊州一の武勲を上げ、兵からの信望も厚い。
それ故に招いた悪意がある、と言う事を呂布はまだ知らなかった。
「敵は?」
「警戒してます。さっきのが効いたみたいですよ」
見張りの兵は誇らしげに言うが、それは黄巾軍に対して付け入る隙が無いと言う事でもある。
敵の警戒は、死者の軍勢を立て直す為の時間稼ぎだろう。
死体はいくらでも転がっているのだから、時間さえかければまた立て直す事が出来るはずであり、それが整えば攻めかかってくる。
これまでは充分に跳ね返してきたのだが、蓄積した疲労を考えると城に籠城しても守りきれるかは分からない。
籠城より、イチかバチかの突撃に賭けるべきか、と呂布が悩んでいた時、黄巾軍の動きが乱れた。
何者かの一軍が黄巾軍の一角を突き崩して、こちらに向かってきているのだ。
「将軍、誰かがこちらに来ます!」
「高順か?」
「いえ、援軍です!」
兵士達が歓声を上げる。
速攻を得意とする者や手柄を立てたいが為に抜け駆けするような者がいれば、そろそろ漢軍が到着しても良い頃ではあったのだが、それらの部隊が荊州軍を助ける義務は無い。
むしろ手柄を立てる上では、荊州軍は邪魔になる存在なので、助けようとする理由にはならないはずだ。
しかも強い。
布陣の薄いところを狙い、そこを突き崩す目や突破力は高順や張遼と比べてもまったく劣るところがない。
「呂布将軍、我らは援軍である! 迎え入れていただきたい」
ついには黄巾軍を突破し、小城の前までやってきて援軍を率いる、異常に目立つ人物が言う。
その声に応えるべく、呂布は自ら小城を出て出迎える。
「援軍、恐れ入ります。私が呂布奉先です」
呂布が名乗ると、異常に目立つ武将が馬から降りて呂布に礼をする。
「張郃儁艾です。袁紹殿より、急ぎ援軍に迎えとの命により助太刀に来ました」
そう名乗る人物は、異様に目立つ事ばかりに目が行くが、よく見るとかなり若い。
おそらく張遼とそれほど年齢も離れていないだろう。
奇抜と言える鎧で、配色も極めて独特。長い髪も所々染めているので離れたところからでも、彼を見つける事が出来そうだ。
呂布は張郃を城に迎え入れると、呂布は早速張郃に尋ねる。
「なあ、本当に袁紹殿から言われて来たのか?」
「何かご不満が?」
「俺は袁紹殿との面識は無い。その袁紹殿が戦力を削いでまで救援を寄越してくれたと言うのが、ちょっと意外なんだ」
「あの、言葉遣いとかにはうるさい方で?」
「いや?」
呂布の言葉を聞いて張郃は頷くと、率いた兵達に目配せする。
それに気付いた兵達は、張郃から離れる。
何か秘密の話かと気付いた荊州兵達も、空気を読んで呂布と張郃から離れていく。
「人払いが必要な話なのか?」
「いえ? 俺は何も言ってないし、何も命じてない。連中が勝手にやった事だから、気にしなくて良いっしょ。別に秘密の話ってわけでも無いし」
急に砕けた口調で、張郃は呂布に言う。
「ま、将軍が言う通り、袁紹のダンナは兵力を出す事を渋ってたよ。そういう点で言えば、将軍のところの高順さんってのは、実に有能な素晴らしい武将だな」
「高順が?」
「ああ、黄巾の連中が恐れてたぜ? 狙われた陣は落される『陥陣営』って。で、高順さんはそこで強奪した物資を、どんどん漢軍の方に流して、って言えば聞こえが悪いか。献物として献上した訳さ。どうか、援軍を出して下さいって伝言付きで。先に荊州から援軍を出せって言ったのは大将軍だし、戦線を維持していろって言ったのもこっち。その命令を律儀に守っている上に、戦利品まで献上してくる部隊を見殺しには出来ないし、伝令役に走らされた審配ってダンナも援軍出せって騒ぐしって事で、出向中の厄介者の俺が来た訳ですわ」
苦笑い込みで張郃が説明する。
「出向中の厄介者?」
「俺、一応は地元の韓馥のとっつぁんの武将って事になってるだけど、ビビリのとっつぁんの元じゃ波に乗り遅れるって事で、大将軍から目をかけられている袁紹のダンナのところに出向中なんですわ。そっちの方が稼ぎになるかな、とか期待も込みで」
「それで、厄介者ってのは?」
「いやぁ、俺って田舎モンで、礼儀作法とかそういうのに疎くて、口調もこんなモンなんで、あんまりイイ顔されないんで。でもまあ、それ以外は上手くいってるんじゃないんですかね」
充分厄介者だと言う扱いを受けている事は理解できた。
「しっかし、あんたらすげーよな。たった三千で戦ってるんだろ? いや、高順さんのところに兵を裂いてるはずだから、それ以下か? と言うか、ここの城の守備兵とか見てると千ちょっとくらい? いやー、マジですげー」
と、張郃は笑った後、呂布を見る。
「で、明日か明後日かに本隊の二万がここに殺到してくるわけだけど、俺が先に五千を率いて来た。援軍を出しましたって数な訳だけど、これだけあれば、あんた達なら充分だろ? 敵を討ち取りに行こうぜ」
「それだけの兵力があれば、君一人でも充分じゃないか?」
呂布が尋ねると、張郃は不思議そうな顔をする。
「あんた、それ、マジで言ってんの?」
「ああ、何故だ?」
「何故って……。ここで俺が敵将を討ち取ったりしたら、これまで戦ってきたあんたらじゃなく、俺の手柄になっちまうんだぜ?」
「ああ、それで構わないよ? 俺達は無事に帰れるのだから」
呂布の言葉に張郃はまだ何か言おうとしたが、言葉が出てこず頭を掻く。
「いやまあ、あんたがそれで良いなら、俺も構いはしないんだ。それじゃ俺は……」
「その人は、将軍の戦いが見たいんですよ」
意識が戻ったのか、張遼が二人の方へやって来る。
「廊下じゃなくて部屋で話せばいいのに。初めまして、張遼文遠です」
「張郃儁艾だ。援軍でお邪魔している」
「張郃将軍、うちの将軍を動かしたいと思っているのなら、遠まわしに言っても通じませんよ」
「そうらしい」
張遼の言葉に、張郃は肩をすくめる。
「それじゃ隠さずに正直に言わせてもらうか。あんたらは知らないだろうが、今じゃ丁原軍の呂布奉先って名前は売れすぎるくらいに売れてるんだ。で、本人は本当に噂通りなのかって、見た事無い連中は気にしているってわけだ。もちろん、袁紹のダンナも例外じゃ無い。で、援軍ついでに誰か見てこいって話になった訳さ」
張郃は笑いながら言う。
彼の笑いは、見た事も無い呂布に恐れをなしている面々に向けられているようだった。
「俺自身、噂の呂布奉先って人に興味もあったんだが、興味ついでに手柄を立てたならともかく、手柄を山ほど譲られて周りから横取り呼ばわりされたくない。もっとも、呂布って人がどうしようもなくダメ人間だったら、俺も躊躇わなかったと思うけど」
奇抜な外見と無作法な言葉遣いのため扱いにくそうな印象の強い張郃ではあるが、内面は外見ほど奇抜ではなく実直なようだ。
「噂がどう言う形で広まっているかは知らないが、そう言う事なら呂布奉先を見ていってもらうとするか。幻滅するかもしれないけど」
「そうこなくっちゃ。もっとも、あんたのキレイな顔だけでも話のネタには困らないけどな」
張郃はそう言うと、喜んで出撃の準備を始める。
まだ若い少年である張郃だが、その大器の片鱗は既に見る事が出来た。
まだまだ荒削りではあるものの、生き延びて経験を積み、然るべき主君に仕える事が出来れば名将として名を残すだろう。
もっとも、形式を重んじるようでは、彼を扱う事は出来ないだろう。非礼無礼に目を向けず、実力のみを評価するような者でもなければ張郃の実力は発揮されないと思われるので、そこが大きな問題でもあるのだが。
「ところで呂布将軍。ここの荊州兵からはどれくらい出せるんだ?」
「五百が精一杯だな。ウチの連中は連戦続きで疲れきっているから、全軍は出せない」
「それじゃこの城も守れるかどうかだな。じゃ、俺が連れてきた内、千五百をここに残す。それで合わせて四千で出撃って事になるが、それで敵将を討つ自信はあるかい?」
これが張遼と高順が率いる荊州兵の四千の騎兵であれば、その自信はある。
それが初対面の張郃と、実際にどれくらい戦えるか分からない漢軍と言われると、自信があるとは答えづらい。
「自信が無いか?」
「指揮はどちらが取るんだ?」
「そりゃあんたさ。これはあんたの戦だ。俺はあんたの指揮下に入るから、何でも命令してくれ。もしウチの連中がナメた態度を取るようだったら、ぶっ殺してくれて構わないよ。漢軍なんて、それくらいしないと戦おうともしない連中だ」
張郃はとんでもない事を言う。
これは確かに厄介払いされても仕方が無い発言である。
「分かった、信じるよ。防御が手薄になりつつある手応えは感じているから、勝負を決めようじゃないか」
「そうこなくっちゃ」
呂布は張遼の方を見る。
「文遠、留守は頼むぞ」
「大丈夫ですよ。ここまできてそんなヘマはしません」
「よし、それじゃ行こうか」
呂布と張郃は荊州兵五百、漢軍三千五百の連合軍を率いて黄巾軍に向かって打って出た。
陥陣営について
三国志は登場人物が異常に多いのですが、二つ名持ちは意外と少なかったりします。
まあ大体役職を名前の前に付けて二つ名替わりに名乗ってるから、とも思えるのですが、高順の二つ名が陥陣営です。
物凄く極端な話をすると、高順自体がいつの間にか呂布軍にいたと言う武将で、その二つ名もいつ付いたモノかわかりませんので、ここで広まった事にしましたが、厳密にはもっと後の話だと思います。




