悪夢の呪縛
気が付くと、俺は一面に金色の稲穂が揺れる畑の中を駆けていた。
遠くに父と母の姿が見えるのだが、どれだけ走っても一向に近付けない。
「父さん!母さん!」
叫んでも届かず、さらに距離が離される。
掻き分けても、掻き分けても、金色の稲穂はどこまでも続き、俺の行く手を阻む。
伸ばした手は空を切り、父と母が手を振っているのが見えているのに、届かない。
「そっちに行っちゃ駄目だ!」
何度も見た光景。
また俺は何もできないのか。
突如、父と母の足下の地面が裂け、そこから伸びた巨大な手甲に二人が握り潰されそうなところで、俺は悪夢から脱した。
「はぁ…はぁ…またか…」
目に映るは灰色の無機質な天井のみ。
諦めようとしたのに、まだ決別できないか。日中に両親の話を聞いたのも悪夢の引き金になったのだろう。
寝返りをうつと、大量の汗をかいていることに気付いた。ぐっしょりして気持ち悪い。
シャワー室があるか地図のページを捲り調べると、風呂場が各階層に二つずつ(男女別)あることが分かった。
起き上がり腕時計を見ると、午前二時。まだ真夜中だ。
しかしこのままでは眠れないので、やはりシャワーを浴びることにした。着替えは無いが、しばらく脱いだままで乾かせばなんとかなるだろう。
部屋を出てしばらく歩くと、あった、男用の風呂場だ。ちなみに女用の風呂場は、今歩いて来た方向の突き当たりにあるらしい。
無駄に広い脱衣所で服を脱いで、乾かすために広げておき、棚に並んでいた共用の清潔そうなタオル片手に風呂場の磨りガラスの引き戸を引いた。
「ふぅー…っとぉあ!?」
驚きのあまり声が裏返ってしまった。
何に驚いたかって、風呂場の広さと設備の充実度もすごいが、今問題なのはそこではない。
「……何?」
何故か、男用の風呂場に見知らぬ女が一糸纏わぬ姿で立っていたのだ。
「ごっ、ごめん!」
咄嗟にタオルで下半身を隠し目を閉じて謝った。
ちらっと見えてしまったのは、銀色の流れるような長髪と、微かな白い双丘。
今日ほど湯気に感謝したことはない。危うかった。
(あれ!?俺間違った!?間違って女用の方に入っちゃったのか!?)
汗の下から冷や汗が噴き出してきた。
俺はこのまま本部長に突き出されてしまうのだろうか。ここを追い出されてしまっては、もう行き場が無い。
「いいえ、間違っていない。これは私の過失。ごめんなさい、すぐに出るわ」
しかし一人パニックに陥る俺に対し、少女(たぶん歳は同じくらいだった)は冷静に謝ってきた。
すぐ隣を通るひたひたという足音と、ふわりと流れたシャンプーの香り。
綺麗な子だったが、歓迎会にはいなかったはずだ。
とりあえず今は何故男用の風呂場にいたのかその理由を聞かねば。
「えっと、なんでここに?」
「私の部屋から女性用のお風呂まで遠かったのと、今日までこの階層にいたのは私だけだったから」
「……すまん、今日からここで世話になるアレムだ…挨拶が遅れて悪かった」
まさかあのメンバー以外に本部に残っている人がいるとは思っていなかった。
「あなたが新入りね。私はシェイラ。明日改めて挨拶させてもらうわ。それよりもあなた、早くお湯に浸かった方がいいわ」
「お言葉に甘えさせてもらうよ」
名残惜しかったが振り返って別れを言いたい気持ちを抑え、引き戸を閉めてシャワーを浴び始めた。