こちら真っ暗森の不思議堂
「この国の何処かに、森があるんだってさ」
「森? そんなの何処にでもあるじゃない」
「違う違う、そういう森じゃないよ」
「じゃあ、どんな森なのよ?」
「あのね、そこは『真っ暗であったかくてさわがしくてきれいでびっくりするくらい普通で不思議な森』なんだって」
「何それ~? 変なの!」
「みんな言ってたよ、彼処には素敵な人達がいるんだって」
「素敵な人達って?」
「耳が尖がってて真っ黒な毛で、もふもふしてて動きがすっごく素早いんだって!」
「ふふふ、面白いのね。いいなぁ、私会ってみたいかも」
「それなら一緒会いたいなぁ、僕たち」
「あら、そんなの当たり前じゃない?」
――ここはとある山中のコンビニ。一言で言えばこんなど田舎のコンビニなんて誰も来ねぇよ!! って言いたくなるような位置にある。つーか周りぐるっと森だし山だし人里離れてるしボロいしそもそもこれコンビニなのか……? 看板には『不思議堂』とか書いてあるし。まぁどんなに貶してもここが今日一日俺の働くことになった場所だという事実は変わらないんだが……。
何故俺がこんなコンビニ(だかなんだかわからん店)で一日働かなくてはならないのか。昨日の夜遠縁の爺から届いた手紙曰く、「腰をやっちゃったから動けない、助けてくれ」だそうだ。年取ると大変だよなぁ……まぁ俺も今日からちょうど五月の長期休暇(つまり、ゴールデンウイークである)で大学の方が暇だったから爺の頼みを受けたんだけどさ。店の鍵は爺から預かってるし、さっさと仕事に入ってさくっと終わらせよう。どうせ誰も来ないだろ。
……と、思ってた時期が俺にもありました。うん、意外とこの店儲かってんのな。人がいっぱいくるぜ……! つっても俺一人でも対応できる程度の人数なんだけどさ。でも俺にコンビニでのアルバイト経験がなかったら危なかった……。
対応しているうちに、たくさん来るお客様達には一つの共通点がある事に気がついた。
「動物のにおい……?」
別に動物のにおいがするのがおかしいとか、嫌なにおいだとかは思わないんだが……こうも来た人来た人全員から同じようなにおいがするとなると多少気にはなる。ここら辺の人たちはみんな揃って犬でも飼っているんだろうか?
忙しかった昼時が終わり、店内もがらんとしてきた。おにぎりやパンなんかは元々入荷量が少なかったのもあって売り切れまじかである。
ぐぅぅ。
腹の虫が元気よく自己主張を始める。そういえば俺ってまだ昼飯食べてなかったな……。お客様達の対応をしていたらすっかり忘れてしまっていたらしい。
腕時計で確認すると時間はすでに二時を回っている。そりゃ、腹も減るよな……。そろそろ遅めの昼食でもとるか、とレジを立とうとした時、カランと出入口の鈴が鳴った。
「あの、すみません。御守りありませんか?」
やって来たのは若い女の人とその腕に抱かれた小さな赤子。二人とも揃ってつり目である。そして、この瞬間俺の昼食時間の延期が決定した。
「御守り、ですか?」
「はい、この子に買ってあげたくて。早産だったのであまり元気がなくて、それで、ここの御守りなら御利益あるかなと思って……」
言われてみれば、つり目のお母さんの腕に抱かれた赤子は元気がないようにも見える。
……しかし、そんなものこのコンビニ(らしき店)においてあっただろうか。俺の記憶にないだけなのか。というかなんでそんな大層な物がここにあると思っているんだろう。なんて考えつつ聞き返し、ついでに自分が今日代理でここに来たアルバイトである事を告げる。
「あ、アルバイトさんだったんですね。道理で普段見ない方だと思いました」
つり目のお母さんは眉を少し下げて笑った。……つり目のお母さんは呼びにくいから心の中では狐さんと呼ぶ事にしよう。つり目=狐という安易な発想が見え隠れしているが気にするな、俺もこの際自分のテキトーさは気にしない事にする。ええと、話が逸れた。
「そうなんです。だから、このコンビニの事まだよくわからなくて……よろしければその御守りがどんな物なのか教えてもらえませんか?」
そう、正直に話すと狐さんはにこやかに応じてくれた。
「ええと、私たちにもいまいち詳しい事はわからないから少し不思議な表現になってしまうんですけど、笑わないでくださいね?
…………御守りは、小さな巾着袋なんですけど……持っているとなんだか真っ暗で暖かくて騒がしくて綺麗で普通になれてそれでいて特別な気持ちになれる、そんな凄い物なんです。…………あの、どうかしました?」
「へっ?」
突然話を振られて思わず間抜けな声が漏れる。
「いえ、ぽかんとなさってたので……大丈夫ですか?」
だらしのない事に、俺は口を開けて話を聞いていたらしい。
「あ、いやすみません。どうも俺……私が小さい頃に叔父から聞いた話と似てたもんで……」
「叔父さん、ですか?」
不思議そうな顔で聞き返してくる狐さん。そういえば、さっきざっくりと説明したとはいえちゃんと話してはいないんだし、普通わかんないよな。
「はい。ここの店主のことですよ。あの人は私の祖父の少し年の離れた弟なんです」
狐さんは少し驚いたように「へぇ、そうなんですか」と言った。
さて、そろそろちゃんと御守りとやらを探さなくては。巾着袋で、話を聞くに触ったらすぐにわかりそうで、尚且つ神社とかでよく売ってる御守りのイメージ的には複数個が一箇所にまとめてあるものっぽいよな……。条件は結構狭まってるし、簡単に見つかりそうなもんなんだけどなぁ。
「あれっ、アルバイトさん。御守りレジのところにちゃんとありますよ」
ガサゴソとレジを離れて店の裏を探していると表から狐さんの声。
なん、だと……。言われてレジに戻ると、確かにそこには御守りがあった。ひぃ、ふぅ、みぃ……一ダースでまとめておいてあるやーん。
…………ハッ、駄目だお客様の前で変なテンションに入っては……!
「じゃあ、お会計を……」
そう言って御守りを見るが、何処にも値札が付いていない。入っていた箱にも書いていない。
……さて、今俺の財布にはいくら入ってるだろうか。先月分のアルバイト代(勿論普通のだからな。こんな変な所でのじゃないぞ)はまだ殆ど手をつけてなかったから沢山あるはずだな。
「アルバイトさん?」
急に黙り込んだ俺を狐さんが心配そうに見やる。狐さんの腕には元気なさげな赤子。くっそぅ、何とかしてあげたくなっちゃうよなぁ!
「いえ、お代はいただかなくて結構です。お子さん、お大事に」
後で爺には俺から代金を払っておこう……っつーかちゃんと値段書いておかなかった爺が悪いんだからな!
結局あの後、人は来なかった。すっかり日も暮れてしまったし、狐さん達がこの日最後のお客様ということになりそうだった。そういえばこの店は何時まで営業してるのかとか、あの御守りは何だったのかとか、色々爺に聞いてないことがあったけど、取り敢えず店の後片付けをしながら爺になんと文句を言ってやろうか考える。腰をやっちゃったって何だよ……ぎっくり腰か。ぎっくり腰なのか。あの爺見た目だけは若く見えるからなぁ、あの面でぎっくり腰とか……ふっ、想像したら笑いが……っ。
笑いをかみ殺しつつ、なんとか片付けも一段落ついたし、まだ腹は減ってないけど昼の二の舞にならないとも限らないからな。晩飯は今の内に食べておこう…………と、鈴が鳴った。
なんか今日俺こんなんばっかだなぁ。
「旦那さんいらっしゃいまーすかー」
「あら、今日はあの人じゃないのね」
酷くふわふわとしたはしゃいだ声と凛とした声が聞こえた。でも確かに声は二つ聞こえたはずなのに、ドアから入って来たのはたった一人、少女だけ。
「ねぇそこの貴方。今日、ここの店主はどうしたの?」
少女がこちらを見て問う。どうやら凛とした声の持ち主はこの少女らしかった。簪で結われた長い黒髪は絹のように輝き、長い睫毛は少しつり上がって彼女の瞳を縁取る。すらっと伸びた手足は白く、薄暗くなった店の中では微かに発光しているようにさえ見えた。所詮美少女というやつである。
「ふぅん……ぎっくり腰ねぇ。あの人もそろそろ年かしら」
事情を話すと少女がクスリと笑った。そろそろ年かしら、って……。もうあの人六十くらいだし、普通に年寄りではあるんじゃなかろうか。
それにしても、ただのお客様にしては爺をよく知っているような口振りだったような。
「えーと、お嬢さんは爺……店主の知り合いか何かなんでしょうか?」
「あら、そんな畏まらなくていいんですよ。私達もくだけていきますからフランクにお願いします」
またあの声だ。ふわふわとしていて、耳触りのいい声。今度こそ空耳では無いはずなのに、やはり姿が見えない。
「下です! 下ですよー」
「えっ?」
声に従ってレジから身を乗り出して下の方を見てみると、そこにいたのは真っ白な一羽のうさぎだった。見た感じすごくもふもふしている……俺好みだ。
「取り敢えず、お言葉に甘えて言葉を崩すとして…………あのさ、君はうさぎでいいのかな? あってる?」
うさぎに話しかけるなんてどうかしてる。だって普通うさぎは話したりなんかしない。それは痛いほどわかってる。だからきっと返事なんてこない……。
「あってますよ! いやぁ、旦那さん以外の人間に会うのはホント久しぶりですよ~」
あいやぁ、普通に返ってきちゃったよ。
なんなんだ? 俺、ついに頭がおかしくなったのか?
「貴方、もしかしてこの店について何も知らないの?」
「はぁ、まぁ今日だけの店主代理ッスからね……」
敬語はいらないと言われたばかりなのに、少女の雰囲気に押されてつい使ってしまう。
「そう、じゃあ教えてあげる。この店の事」
少女は淡々としている。
「――この店の名前は不思議堂。私と、彼が造った大切な場所」
店の名前くらい知ってるって……ん?
「私と彼が造った……? えっ、それはどういう」
びゅんっ……ドスッ
疑問を口に出そうとしたら顔のすぐ目の前を何か鋭いものが飛んでいった。そして、直後に壁に突き刺さる音がした。
「ッ!?」
な、何だよ、こわっ。何が飛んできたの!? てか今確実に俺に向かって飛んできてたよねえええ??! 思わず腰を抜かして床にへたり込んでしまう。視線の端で捉えたのは、壁に突き刺さった一本の簪。
「全くぅ、駄目じゃないですか彼女が喋ってる時に口をはさんだりなんかしたら。何が飛んできても文句言えないですよ~?」
いや文句は言えると思うけどな!! というかむしろここは文句を言って然るべきだろ!! 人に向かってものを投げるんじゃありません! マジで! 危ないんだからな?!
「続けていいかしら?」
「ハイ……」
結局何も言えない俺って……。いや、でもこの女の子めっちゃ怖いんだって!! 多分この子ヤバイ子だって!! もういいんだよ、実際刺さらなかったんだし……ううっ。
「あらあら、そんなに落ち込まないでくださいな。いいことありますよ、多分」
うなだれる俺の頭を優しくなでるうさぎさん。あぁ、俺の癒しよ……背伸びして一生懸命慰めてくれる感じが最高に可愛いです。でも最後の一言が余計だなぁ。
「……貴方には私がいくつに見える?」
突然どうしたんだこの女の子は。
「そうだなぁ……。十二、三ってとこ?」
身長も低そうだし。せいぜい百四十弱くらいかな……とは言わないけど! 少なくとも本人には言えない。身長とか気にしてるやつ結構いるもんなぁ。
「ハズレよ。私、こう見えてもあなたのおじさんと同年代、つまりおばあちゃんなのよ」
なんつー元気なおばあちゃんだ。うちの爺より何倍も元気じゃねぇか。
「……だんだん感覚がマヒしてきてますねぇ」
うさぎさんが何かボソッと呟いたような気がしたが、よく聞き取れなかったうえに、もう一度は言ってくれなさそうだったので気にしないことにした。
少女が、語り始める。
「私はここら辺一帯の森の守護者……まぁ番人みたいなものね。それになった。守護者である私は年を取らなくなったわけなんだけど、私が守護者になる前にも守護者はいて、その人の前にもいた。多分、そのずっと前にも。長い時間を使ってこの森にすむ動物たちや草や花と会話して和を結んだ。この森の動物たちは、彼女を見ればわかるように少し特殊だから……人間たちからは見つからないように保護しているの。そうやって森を守ってきたわ。貴方の叔父さんは、不器用な私の力になってくれているのよ」
彼女、と言われて胸を張るうさぎさん。成程、確かに人語を話すうさぎはだいぶ特殊だ。
「ってことはうさぎさんの他にも不思議な動物がいるのか……?」
思わず口を挟んでしまう。……今度は何も飛んでこないだろうな。
「あら、貴方はもうみんなに会っているはずだわ」
よかった、何も飛んでこなかった……ってそうじゃなくて。
「すでに会ってる……俺が? 今日は君たち以外には来てないぞ?」
後は、お客様なら結構来たけど…………。え、まさか。
「気づいたみたいね。多分貴方が思っているので間違いないわ。ここへやって来るのは何も近隣に住む人間だけじゃない、多くはこの森の動物たちよ」
「で、でも喋る動物なんてここには来なかったぞ?」
今日俺が実際に接客したお客様たちは全員人間だったはずだ。
少女がまた、クスリと笑う。いきなり簪を投げてきた時はどんなヤバイ子かと思ったが、案外普通の子かもしれない。いや、守護者とか言ってるし普通の子ではないのか。
「この森は『不思議』が多くてね。例えば、ここにいる彼女の言葉が私たちに理解できることもそうなんだけど、この森の『不思議』は彼らを本来とは別の姿に変えることもできるの。勿論それも、彼らを人間たちから守るためよ」
ということは、俺は今日たくさんのもふもふを見逃していたというのか……? なんて、勿体ない事を……。
唖然としている俺を尻目にコホンと咳払いを一つして、少女が話を進める。
「さて、守護者には森を守る以外にもう一つ使命があって、それはこの森の『不思議』と深く関係してる。この森はさっきも言ったように『不思議』が多いけど、その中でも一番の『不思議』かもしれない。この森にはね、不思議な光が溢れ出している場所があるの。『不思議』を信じる人を、良い方へ導いていく光が。私たちはそんな光を少しずつ集めて袋に入れて御守りを作る。光の出てくる場所は日によって違うから、誰でも見つけられるわけじゃないわ。だから本当に困ったことになってもその力を使えないかもしれない。みんなが安心して『不思議』を分け合えるようにするために、そのためにこの店を造ったの。この場所は森の真ん中だから、わかりやすいでしょう?」
お、おおう……。なんか、俺の知らない世界の話だなぁ。まるでどこかの小説のようだ。
現実に起こりうるような話ではないというのに、信じてしまいそうになるのはなぜだろう。普通は会話なんて出来るはずがないうさぎの、そのふわふわとした声を聴いてしまったから? 話をする少女の髪が、開け放たれたドアから入った風で揺れ、その尖った耳が見えているから? それとも妙な雰囲気の漂った、この森に魅せられた?
「そんな大事そうなこと、部外者の俺に話してもよかったのか? それも、詳しめに」
何も考えずこの仕事を引き受けた、大事な話を好奇心で最後まで聞いてしまった自分が少し恨めしくなる。家族の誰も知らない、爺の秘密を盗み聞いたようで、勝手に話されたこととはいえ、申し訳なくなる。心配になって尋ねるとうさぎさんがころりと笑った。
「何言ってんですか~、あなたはもう私のお友達なんですから部外者なんかじゃないですよ?」
うさぎさんの言葉は俺の心を軽くする。流石俺の癒し! 大好きですうさぎさん!
「だから、そういうわけだから、あの人とここの事、どうかこれからもよろしくね」
少女がはにかむ。美少女の笑顔っていいよな、やっぱり。例えそれが自分よりはるかに年上でちょっとヤバめの子だとしても!
「まぁ、次会えるのがいつになるかはわからないけど、そん時はよろしく!」
たまにはこんな変な日もありかもしれない、そう思えた。
森のどこかで溢れている不思議な光が見えたような気がした。
「いや~、今度がいつになるかわからないって言ってたわりには次がはやかったですねぇ」
机の上でうさぎさんが笑う。うさぎさんは接客が上手いうえに、何がどこに置いてあるのか俺よりもしっかりと把握してるから傍にいてくれると素直に助かるし、何より俺自身のアニマルセラピーも出来て一石二鳥だ。ホントに何でこの店の昼時はこんなに人(?)が来るんだよ、多いっつうの! 俺一人じゃおろおろしてる間もないわ! ったく俺がこんなに忙しくしてるってのにあの爺は……。
「何が『風邪ひいてしまった。助けて』だ! 体調管理はしっかりしろとあれほど言っておいたのにいいいいいいい!!」
「なんだかんだ言ってちゃんと来てあげるあたり貴方もあの人のこと大好きよね……」
叫ぶ俺の背後で呆れたように笑う少女。さっきまで爺の見舞いに行ってていなかったくせに……いつの間に帰ってきたんだろう。
うさぎさんが笑い、俺が怒鳴り彼女が呆れる。これが日常になる日はそう遠くない、気がする。まぁそうなる前に爺にははやく元気になってもらわないとな!
こちら真っ暗森の不思議堂、本日も大繁盛なり!