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素盞嗚尊  作者: 橘川尚文
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八雲篇

 高天原を追い出されたスサノオは、暫くは姉アマテラスの顔を見たくないと思い、昇る太陽に背を向けて、それとは反対の方向へ飛んでいった。

 そうして出雲国の上空あたりまで来たとき、スサノオは奇妙な形の雲と出会った。その雲は途方もなく巨大で、なお天高く上り詰めようとしている。

 形は入道雲とも違い、クスノキの大樹のようだった。天辺で大きく笠が開き、膨らんでいる。

「面白い雲だ。こんな雲は見たことがない」

 スサノオは高天原で奪って来た双発の戦闘爆撃機・アメノハバキリを駆りながら、天に沸き起こる巨雲を見つめ、


 ――八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に

 八重垣作る 其の八重垣を


 と詠んだ。雲が何重にも重なる出雲の地に、多くの家を建て、妻とともに住みたいという意味で、これは最古の和歌である。

 頭上を見上げると、一本の飛行雲がするすると伸びていた。自機の高度を考えると、おそろしく高いところだ。

「なんだあれは。あんな高い場所を飛べるやつがあるのか」

 スサノオは感心するのと同時に、もし弓矢があれば撃ち落してやりたいと思った。弓矢で届くような距離ではないが、元々鳥を打って生活していた彼である。

 やがてスサノオは、機の燃料が尽きたため、眼下の緑々たる草原の上に着陸した。

 遠くに山があり、草原の隣を川が流れている。

 機を降りて川の水で身を清めていると、上流のほうから箸が一本だけ流れて来た。

「そうか、川上に人が居るのか。ちょうどよかった」

 スサノオは顔を手拭いで拭き、川上に向かった。

 アメノハバキリの二基の往復動機関は、まだパチパチ音を立てて燻っている。


 川のせせらぎを横に聞きながら歩いていくと、一軒のくたびれた水車小屋があった。

 その横では、こちらもやはりくたびれた老夫婦が、年甲斐もなくわぁわぁ声を上げて泣いている。

「お前たちどうしたんだ。何をそんなに泣いている?」

 スサノオが訊くと、老爺のアシナヅチが

「今年もヤマタノオロチがやって来る時期になったので、それで泣いているのです」

 と答え、言い終えるとまたすぐに泣き出してしまった。二人があんまり激しく泣くので、事情をまったく知らないスサノオまで、可哀想で涙が滲んで来た。

「ばか、泣いてばかりいても分からんじゃないか。そのオロチというのは何のことだ」

 すると、今度は老婆のテナヅチが答えた。

「オロチは、おそろしい化け物です。毎年村から一人、若い娘を生贄に出さなければ、その村は滅ぼされてしまいます。今年はついにクシナダの番になったので、悲しくて泣いています」

「クシナダというのは、そなたらの娘か」

「はい。八人いた娘のうち、残った最後の子でございます」

 なるほど、とスサノオは思った。高天原では生贄という文化は既に廃れて久しいが、一歩その支配の及ばぬところへ出れば、まだまだこうした旧弊が色濃く残っているのだ。

 ――もしかしたら姉上がわしを送り出したのは、こうした辺境の騒乱を、わしに治めさせるためかもしれぬなぁ……。

 スサノオは、決心した。

「よし、アシナヅチ、テナヅチ。もうよい、泣くのをやめよ。わしがそのオロチとやらを懲らしめてやる」

 二人はしゃくり上げながら、顔を上げた。

「本当でございますか」

「あぁ、本当だとも。その代わり、そなたらの娘をわしの妻にくれ」

 アシナヅチとテナヅチは、驚いて顔を見合わせた。

「あなた様のような尊いお方に、私どもの娘を?」

 スサノオは大きく頷いた。

「うん。わしはこの出雲の地で妻を娶り、宮を建てて暮らすことに決めたのだ。こうして巡り合わせたのも縁というものだと思う」

 二人の夫婦神は感動してスサノオに抱きつき、またわぁわぁ泣き始めた。スサノオも、二人と一緒に大声を上げて泣いた。


 一方、そうした事情を知らないクシナダヒメは、小屋の中で縫い物をしていた。

「あなたが、スサノオノミコト様?」

 クシナダは、大きな目をぱちぱちさせて、スサノオを見ている。クシナダもスサノオの高名は耳にしているが、そのスサノオが何故こんなところに来ているのか分からない。

「そうだ。わしがオロチを退治して、そなたを妻にする」

 スサノオが言うと、クシナダは不安そうに小首を曲げた。

「そうですか。けれど、大丈夫かしら」

「どういう意味だ」

 スサノオはむっとした顔付きで、クシナダを見る。

「これまでも、他の村の人が生贄を差し出すのを拒んで、和国の空軍にオロチ退治をお願いしたことがございますの」

「そうなのか。それで、どうなった」

 クシナダは、針で着物を縫い合わせながら答えた。

「追い付けませぬ」

「なんだと?」

「オロチは雲よりも何よりも、高い高ぁいところを、それはそれは凄まじい速さで飛びますの。ですから、和軍の飛行機などではとても」

「撃ち落せないのか」

 クシナダは小さく頷いた。

「まず、無理ですわ」

 スサノオは、今朝のあの飛行雲のことを思い出した。もしあれがオロチだとすれば、なるほど一筋縄でいく相手ではない。

「それに、和軍がオロチを退治していたのなら、私が生贄になるようなこともありませんでしょう?」

「そりゃ、そうだ」

 それにこのクシナダという姫も、なかなか容易な少女ではない。

 クシナダはスサノオの顔をまっすぐ見つめながら、言った。

「いったい、あなた様にオロチを退治できましょうか」

「分からん」

 クシナダに訊かれて、スサノオは、きっぱりと答えた。こればっかりは、戦ってみなければなんとも言えない。

 クシナダは目を丸くして、スサノオを見ている。

「まぁ……。オロチを退治して、私をお嫁様になさるのではありませんの」

「いや、そなたのことは必ず嫁にする」

「それでは、オロチのほうも何とかごまかして、やっつけませんと」

「うん」

 スサノオは、早くも尻に敷かれつつあった。


 翌朝、村中の家から少しずつ酒を徴発したスサノオは、それをアメノハバキリに給油して、発動機を回した。

 ビイィ、と風を巻いて翅が回る。その隣では、男が愛馬に草を食ませていた。

「だんな。だんなの馬は、随分と速そうですねぇ」

「なんだ? よく聞こえん」

 男が話しかけてきたが、発動機の爆音がうるさく、スサノオは訊き返した。

「だんなの馬は、足が速そうだって言ったんですよ」

 するとスサノオは豪快に笑って、

「お前の栗毛も、捨てたものではなさそうだ」

 と応じた。

「ミコト様」

 反対の側から、今度はクシナダヒメが声をかけた。

「どうです、具合は」

 スサノオは発動機の回転数を上げてみた。音が高く、大きくなる。

「実にいい。これから飛んでみる」

 するとクシナダは、後席の風防を開け、足場に足をかけた。

「おい、どうする気だ」

 スサノオは後ろを振り返って、クシナダに言った。クシナダは身のこなしも軽く後席に飛び乗り、顔だけを出して答える。

「私も参ります。御供させてくださいまし」

「だめだ。何があるとも分からん。そなたは家にもどれ」

 クシナダは風でなびく髪を手で押さえながら言った。

「ミコト様ご存知? この型の砲は、後ろにいて弾をこめる仁がいなければ撃てませんのよ。それに、もしミコト様に何かあれば、私はオロチに食べられるのですから同じことです」

「それはそうだが……。わしはオロチなど放っておいて、そなたを乗せて逃げるやもしれぬぞ」

 すると、クシナダは声を上げて笑った。

「そのときは、私は自害して果てます。さあさ、これ以上の問答は無用。出発いたしましょう」

「仕方がないな」

 スサノオは車輪止めの岩を馬主の男に払ってもらい、風防を閉めて離陸した。


 スサノオは村の上空を二度、大きく旋回すると、そこから南に向かって針路を取った。

「何やら機械がいっぱいですわ」

 後席でクシナダが言った。

 スサノオが教えた通りにしていれば航空図を描いているはずだが、操縦席からは様子がよく分からない。

「後ろに乗ったからには、そなたにはしっかり覚えてもらわなくては困るな」

「私に出来ますかしら」

 自分から乗ったくせに、そんなことを言っている。

「大丈夫、わしは一晩で覚えた。そなたもそうしろ」

「はい」

 クシナダは面相筆に墨をつけながら答えた。

 そうやってしばらく飛んでいくと、青空の真ん中に黒点が現れた。

 見つけたのはクシナダのほうが早い。

「何かしら」

「どうした?」

「ソラマメが空を飛んでいます」

 スサノオは周囲を見回した。特に何も見えない。

「見えないぞ。方位は」

トリ

 即ち西である。いまは南に向かって飛んでいるから、右手の方向だ。

 スサノオもそれを認めた。確かに黒い豆粒が飛んでいる。同高度。

「あれがオロチかな」

「さぁ、よく見えませぬ」

「近付いてみよう」

 スサノオは操縦桿を傾けて、豆粒に近付いていった。肉眼でも形を確認出来るようになった。ゴツゴツした無骨な形を持ち、四基の発動機が轟々と音を立てている。

「どうだ?」

 スサノオが訊く。クシナダは首を振った。

「オロチではありませぬ。けれど、オロチの仲間ですわ。やっつけましょう」

 ふむ、とスサノオはすこし考えた。

「あれは、オロチのなんなんだ?」

「揮発油給油機です。ここで給油をしてから来るのだとか。和軍の兵隊から聞きました」

「そうか」

 スサノオはそろそろと給油機に接近していった。相手はさかんに発光信号を打って来る。スサノオには読めないが、おそらく「味方か?」とでも訊いているのだろう。

 スサノオは返事代わりに、いきなり20ミリ機関砲で相手の空中線を吹き飛ばし、次に旋回式の銃塔に狙いを定めて、同じように潰した。

 それを合図にして、相手は猛然と打ちまくってきたが、既に銃塔が一基潰れているので、その死角を縫って、スサノオは次々と銃塔を撃ち抜き、無力化していった。

 ついに全部の機銃座を破壊したスサノオは、機を相手機の操縦席の真横に近付け、指で「北へ行け」と合図した。

 相手操縦士たちが戸惑っていると、クシナダが13ミリ旋回機銃を取り出し、相手機の頭上に威嚇射撃した。相手は仕方なく、スサノオの言うとおりに機首を北に向けた。


「よし、お前たちの仕事は終わったぞ。どこへでも行け」

 給油機を元の草原に強制的に着陸させたスサノオは、高天原から持ってきた稲の苗を相手機の搭乗員たちに渡し、肩を竦めて去っていく彼らを見送った。

「こんなもの何に使いますの」

 クシナダは、鶸鼠色の給油機をぐるりと見て回って、スサノオに訊いた。速度は出ないし、動きも鈍い。なにより銃塔は全部スサノオが壊してしまっている。

 スサノオは腕を組んで給油機を見ている。如何にも頑丈そうなつくりで、スサノオはこれはこれで、嫌いな形ではない。

「オロチに冷や汗をかかせてやる。アシナヅチとテナヅチを呼んでくれ」

 クシナダは頷いて、家のほうへ向かった。


 この小説は、インターネット小説サイト「駿河南海軍工廠」のブログ「玉川上水」(http://aqira.blog61.fc2.com/)上に掲載した同名小説と同一のものです。

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