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素盞嗚尊  作者: 橘川尚文
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追放篇

 昔、青年がいた。名をスサノオという。

 スサノオは、国父イザナギの長男である。

 が、彼は幼少の頃からどうしようもない放蕩息子であったため、ある日ついにイザナギの逆鱗に触れ、勘当されてしまった。

 そのため国政は長女のアマテラスが引き継いでおり、一方のスサノオは山の中に小さな庵を建てて、渓流で釣りをしたり、鳥獣を狩ったり、雨の日は朝から酒を飲み、ごろごろして過ごしている。

 スサノオにとっては願ったり叶ったりのことで、スサノオは自分に代わって譲位を受けた姉を妬むどころか、自分と違ってしっかり者のアマテラスならば、無理のない堅実な政で、国をよく富ましていくだろう、と思った。事実その通りになった。

 だが、この年は正月から様子がおかしかった。

 長雨が続き、春になっても気温が上がらず、それどころかますます寒くなっていく。

「あれれ、また雨か。今年は姉上らしくもない悪天だなぁ。何かあったのかなぁ」

 当時、天候不順とは君主の悪政のために起こるものであった。君主の執政がよくないとき、天が怒り、長雨や日照り、雷を起こして、民百姓を苦しめるのだ。

 星が落ちる夜などはその最たるものであり、スサノオは昨夜も二つ、星が閃いて山向こうに消えるのを見ている。

 スサノオは狭い庵の中を、そわそわと落ち着きなく歩き回った。

「どうにも心配だ……。よし、明日は久しぶりに姉上に会いに行こう」

 スサノオはそう決めると寝酒を呷り、ぐうぐう寝てしまった。

 絶え間なく轟いていた雷鳴が突然途絶え、雲が晴れたのは、その深夜のことである。


 翌朝になると、天にはもはや一片の雲もなかった。

「よかった、今日はいい天気だ」

 用意していた雨具を使うこともなく、スサノオは平服に一刀のみを佩びて、山を降りていった。手土産にしようと思い、道中、鮭を一尾釣った。

「病に伏しているのかもしれないしなぁ。精のつくものを食べてもらわないとだめだ」

 それにしてもアマテラスを訪れるのは本当に久しぶりだった。スサノオは姉の喜ぶ顔を思い浮かべながら、足取りも軽やかに宮城へ向かった。

 ところが参内したスサノオを出迎えたものは、小銃に銃剣を着け、仰々しく武装した兵士たちであった。

「何事が起きたんだ。ばかに警備がものものしいじゃないか」

 スサノオは背後の兵士に向かって訝しげに言った。

「だまれ!」

 そのとき、スサノオを怒鳴りつけた者がある。和国軍きっての猛将で、近衛兵司令官のアメノタヂカラオである。

 アメノタヂカラオはホルスターから拳銃を引き抜いて遊底を引き、スサノオに向けた。如何に近衛兵司令官と云えども、ミコトの称号を持ち、三貴士(アマテラス、ツクヨミ、スサノオ)の一人である彼に対してやってよいことではない。

 アメノタヂカラオは唾を飛ばして怒号した。

「貴様のやったことは何たるザマだ! 大逆罪だ!」

 スサノオにはわけがわからない。

「タヂカラオ、人違いするな。わしだ。スサノオだよ」

「そんなことは分かっとる。そのスサノオに言っている!」

 タヂカラオとのそうしたやり取りは数分も続き、やがてスサノオはだんだん腹が立ってきた。もとより気の長い男ではない。

「ええい、もういい! タヂカラオ、貴様如きでは話が分からん。兎に角姉上に会わせろ。いますぐだ!」

 スサノオは白刃をぎらっと引き抜いて、タヂカラオでもたじろぐような大声を発した。

 忽ち、兵士たちは色めき立ち、小銃のボルトを一斉に動かしてスサノオを狙った。刀を抜き、アマテラスに会わせろと怒鳴るスサノオの姿は、明らかに叛逆者のそれである。だがスサノオには、宮中を固めている近衛軍のほうを、叛逆者と思っている。

 ――こいつらが姉上を、どうにかしてしまったのに違いない。

 いまやその一念に取り付かれているスサノオは、恐ろしい形相で兵士たちを睨みまわした。彼らはすっかりスサノオの気に呑まれている。

 このときもし、両者の間で戦端が開かれたならば、スサノオは一瞬のうちに彼らを皆殺しにしたであろう。

 だが、スサノオと近衛兵の激突は、すんでのところで回避された。

「タヂカラオ、何をしているのです」

 屋敷の奥から、アマテラスが姿を見せたのである。


「君! このような場所へいらしてはいけません、お退がりください」

 驚いたタヂカラオがアマテラスに言った。アマテラスは眉間を寄せる。

「わきまえなさい、タヂカラオ。皆も銃を下ろすのです」

「しかし、君」

 アマテラスは女官二人と共に、構わず進み出た。そうして、タヂカラオの耳元で、アマテラスはそっと囁く。

「命じた通りになさい。殺されますよ、全員」

「はっ――」

 タヂカラオは兵士たちに銃を下ろすよう命じ、自らも兵士たちと一緒に壁際へ引き下がった。アマテラスとスサノオの神格を考えれば、本当なら穴を掘ってそこに入らねばならないほどだ。

「姉上、一体何が起こったのですか。あの仰々しい近衛兵の武備は何事です。……それに、姉上まで」

 スサノオは言った。その日スサノオの前に現れたアマテラスは、いつもの華やかな十二単ではなく、カーキ色の野暮ったい軍服姿であった。肩から拳銃を吊り、刀まで提げている。供の二人の女官も、薙刀で武装している。

「スサノオ」

 アマテラスは静かに、しかし威厳ある口調で、その小さな口を開いた。

「あなたが、私の毒殺を図ったという噂が広まっています」

「ばかな!」

 スサノオば思わずアマテラスに詰め寄ろうとした。女官が薙刀を両手に構え、スサノオの前に立ちはだかる。

「貴様が正月に送り寄越して来た食物で、君は生死を彷徨われたのだ」

 タヂカラオが太い声で言った。

「畏れながら我が君。相手が如何に弟君とはいえど、慶賀と称して不浄の食物を送る輩ですぞ。直ちに検挙致しますゆえ」

 するとアマテラスは彼女には珍しく大きな声を出して、タヂカラオを叱り付けた。

「だまりなさいっ! スサノオをどうするかは私が決めることです。私の言い付けに従えないのですか」

 タヂカラオは恐懼して平伏し、その後は何も言わなくなった。

「姉上、そのようなことになっていたとは露知らず、拙者は」

 スサノオは言いながら、ぼろぼろ涙をこぼした。拳が震え、取り落とした刀が大きな音を立てる。

 アマテラスは女官たちを押し留めて、泣きじゃくるスサノオに近付き、ほかのだれにも聞こえないように小声で、そっと告げた。

「スサノオ、あなたはもうここに居てはいけません。直ちに内裏を出て、高天原を去りなさい。そうして、二度と私の前に現れてはなりません」

「姉上」

「スサノオ、心配は無用です。皆がどんなにあなたを責め立てようとも、私はあなたの性根の温かさを知っています。時折、便りを出しなさい」

 スサノオはゆっくりと顔を上げ、アマテラスの白く優しげな顔を見た。母親を知らないスサノオにとって、アマテラスは姉であると同時に、慈悲深い母でもある。そのアマテラスにもう会えないのかと思うと、また止め処もなく涙がこみ上げて来た。

 スサノオは最後にアマテラスの身体に触れたく思い、左手を伸ばした。だが、スサノオはすんでのところで、伸ばしたその手のひらを、ぎゅっと固く握り締める。自分は追放されたのだ。もし自分が姉上に触れようとすれば、姉上は自分の伸ばしたその手を、振り払わなければならない――。

 別れの苦痛に耐えようと、スサノオの顔が大きく歪み、めまぐるしく形を変えた。やがてスサノオは、ついに右手で自らの左手を掴み、強引にそれを引き下ろすと、足早に内裏を後にした。

 ――結局、父様の仰っていた通りになってしまいましたね……。

 スサノオの出て行った扉を見ながら、アマテラスは思った。父イザナギの言に背き、スサノオを高天原に住まわせたがための悲劇である。

 アマテラスは目を伏せ、踵を返した。水引で束ねた艶やかな黒髪が揺れると、タヂカラオや近衛兵たちは銃を置いて、一斉に平伏する。

 スサノオは、姉に渡すはずだった生鮭を頭からむしゃむしゃ食べながら庵に戻り、荷物を持ち出すと火を放った。

 その足で近くの空軍基地に向かった彼は、制止する警備兵たちを殴り飛ばしながら、手近な戦闘爆撃機の後席に荷物を積み、一人悠然と夕闇の向こうに離陸していった。

 その夜、高天原の主流河川のひとつが、雨も降らないのに突然洪水を起こした。人々は、追放されたスサノオの別れの涙で、堰が弾けたのだと噂した。


 この小説は、インターネット小説サイト「駿河南海軍工廠」のブログ「玉川上水」(http://aqira.blog61.fc2.com/)上に掲載した同名小説と同一のものです。

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