SCENE 67 * RENA * Epilogue
朝の八時すぎにホテルを出たレナは、ライアンと一緒に、エイト・フラッグにある“エニーズ・ランチオネット”という店に入った。
センター街の中で一番おかしなエリアだろうエイト・フラッグに構えるこの店は、ジャンルを問わず色々な軽食を提供している。サンドウィッチやホットドッグ、ケーキにドーナツ、かと思えばスープにチキン、バーガー、アイスクリームからフィッシュ・アンド・チップスまで。個々の料理の味のバリエーションはそれほどないものの、様々な種類の軽食がある。もちろんドリンクの種類もたくさんだ。
この店が他のエリアにあれば、昼食時は間違いなく超満員だろう。休日は特に、他のエリアの、客層を選ばないバーガーショップなどは、朝十時を過ぎたあたりからありえないほど人で混み、最悪に騒がしくなる。タイミングが悪ければ、何分も注文待ちをしたあげく、席を確保するのを諦めて持ち帰りにし、冬の寒い中でボードウォークに行くしかなくなる状態だ。
今日はバレンタインというイベントを備えた日曜だからか、時間と共にどんどん客が増え、席が埋まっていった。それもカップルばかりだ。みんなホテル街から来たのかと思うと、レナは少々ぞっとした。
赤い天井に白い壁、黒いタイルの床の店内。ランダムに置かれた白い丸や四角のテーブルと黒い木製の椅子がほとんどを締めるものの、一部はボックス席になっていて、客が次々と食べては消え、食べては消えと入れ替わっていく。そんな中、性格の悪いレナとライアンは、カウンターで注文し受け取った物を少しずつ食べながら、すでに一時間ほど、ここに居座っている。壁際の奥のボックス席で、見事に四人席を陣取ってだ。
ライアンの言葉が信じられず、レナはいくらか勢いまじりに訊き返した。
「三十八個!?」
彼は彼女の左隣、壁際で左足をソファに立て、チップスをつまんでいる。
「そ。中三の時のバレンタインは三十八個だった。それが今までの最高記録」
「でも義理もあるわよね」
「そりゃな。卒業控えてたってのもあるだろ。なんか後輩からもらったのもあったけど、“好きです”とかカード入れられても、お前誰だよって感じだし」
鬼だ。「で、ジャックは?」
「あいつは無理。二年になるまえからそういうの、ろくに受け取ってない。怖いオンナとつきあってたから」
そういえば、と彼女は思い出した。いや、怖いかどうかは知らないが。「まさかその三十八個の中に、ジャックに回るはずだったもののカウントが入ってたりしないわよね」
というかそもそも、ライアンもカノジョがいたことはあるはずだ。親友なはずなのに、女に対するこの態度の違いはなんなのだろう。
「入ってねえよアホ」と彼。「匿名っていう超怖いのはあったけど。でもたいていはおふくろとメグが食ってた」
レナもレオのをもらって食べる。「バレンタインて、けっきょくそんなもんよね」自分の前にある皿の上、フィッシュをフォークで切り分ける。「片想いだろうと両想いだろうと、チョコとかだと食べてもらえる可能性って低い気がする。とりあえずひとつ食べて“おいしかった”って言っておけば、あとはどうしたってバレないわけだし」
「だから男はバレンタインなんてもんにあんまこだわらねえ。何個もらったとか競うことはあっても、それは男同士の会話でしかないし」
そう言うと、彼はフィッシュを刺したフォークを彼女から奪い、食べた。
男はなぜ、こういうくだらないことで勝負をするのだろう。「ちょっと。バカ。私の」
「っていうかお前、これのあとにそのドーナツ食うわけ? 変じゃね?」最後の一切れのフィッシュをフォークに刺し、微笑んで彼女に向ける。「最後」
ライアンはやはり、少しおかしなままだ。レナは躊躇することなく、差し出されたそれを食べた。まえに食べた時よりもおいしくなっている気がする。いや、バカになっているわけではなく、本気で。
「肉まんのあとにアイス食おうとするあんたに言われたくない」
彼はフォークを置いて笑った。「確かに」
「相変わらずイチャついてるよ」
突然の声に、レナとライアンは通路のほうへと視線を向けた。トレイを持ったギャヴィンとマリーが立っている。
「ハイ、レナ」
「ハイ」
挨拶したはいいものの、また微妙な気まずさがレナの中に蘇る。だが今さらな気もする。昨日は、わりとすぐに消えた。ホテルに入ってしてからは、完全に消えた。
レナはなんというか、見事に好きモノにされた気がしていた。ライアン以上の十七歳はいないのではないかと、本気で思ったほどだ。たいしたことがないなどと言ったことを後悔した。罪悪感ではなく、火をつけてしまったから好きモノにされたような。
ギャヴィンとマリーの姿に、ライアンは天を仰いだ。
「裏の裏かいたつもりだったのに失敗かよ」
ギャヴィンが苦笑う。「それこっちのセリフだし。座っていい? 席空いてないんだけど」
「どーぞ」とレナが答えると、ギャヴィンはライアンの向かいに、マリーはレナの向かいの席に腰をおろした。
「お前ら、どんだけこの店にいるわけ?」テーブルの上の数枚の皿を見やったギャヴィンが訊いた。「十分や二十分じゃなさそうなんだけど」
アイスカフェオレの入ったグラス片手にレナが答える。「もう一時間くらい。なんか外出るの面倒で。眠いし」どこかの誰かさんが眠らせてくれず。
マリーが笑う。「こういう店は長居しちゃいけないと思ってた」
「私も昔はそうだと思ってたんだけど、ベラは平気で居座るのよ。しかもあの子の場合、注文をいちいち小出しにするのよね。私たちがやってるのは、一気にいろいろ頼んで、まだ食べ終わってないからーみたいな雰囲気なんだけど。ベラの場合、ファミレスで、毎回毎回店員を呼ぶの。昼時でも遠慮なく。それ経験しちゃったら、もうなんかどうでもいいかなと思って」
彼女は天を仰いで笑った。
「なんならあと二時間はここにいる予定」ライアンが言った。「こいつ連れまわすとなに買わされるかわかんねえ」
「じゃああとで本屋行く?」レナが彼に訊く。「インテリア雑誌買って、それから雑貨ショップ。あんたのまとまりのない部屋をどうにかするために」
「あ、それいいな」
「ちょっと待て」ホットドッグを食べていたギャヴィンが口をはさんだ。「まさかグラフラじゃないよな。行こうとしてんだけど」
「ほんとに?」
レナが訊き返すと、サンドウィッチ片手にマリーは苦笑った。
「ほんと。ギャヴィンの買い物で、行こうとしてたの」
「ギャヴィンの部屋もジャックの部屋に負けないくらい殺風景」ライアンが言った。
ジャックの部屋のことを考えれば、ギャヴィンの部屋が殺風景というのも、レナには特に違和感を感じなかった。「ま、本屋や雑貨屋ならいくらでも──」
「あれ、みんなだ」
また声がし、レナは顔を上げた。マリーたちのうしろにトレイを持ったアニタとタイラーが立っている。
振り返ったマリーはとたんに笑顔になった。「アニタ! おはよう」
「やっほ。なに? 別々にデートかと思ってたんだけど」
「なんだ。なんなんだ」ライアン。「なんでお前らみんなここなんだよ」
タイラーが笑う。「いや、なんとなく。久々にここのフィッシュ・アンド・チップスが食いたくなって」
レナはもう食べた。「フィッシュの味が去年と変わってる」
「マジで? あの味が好きだったのに」
「おいしくなってると思うけど」
右隣の二人用の席が空いた。ラッキーと言いながら、アニタはマリー側の席に腰をおろす。タイラーはその向かい、レナ側に座った。
身を乗り出したギャヴィンが彼女たちに訊く。
「で、ふたりのそれはデートなわけ?」
「デート?」一度タイラーを見やってから、アニタが彼に答える。「友達でもデートって言うならデートだけど、残念ながらそっちとは違う」
男と女がふたりで歩いてればデートだと思ってしまうが、ただの友達だとすれば、デートと呼べるのかは微妙なところだ。女同士なら、冗談混じりでデートと言うけれど。
フォークでフィッシュを二口ぶんに切り分けながらタイラーが言う。「残念だと思うんならデートって言っとけばいいのに」
小首をかしげると、アニタは身を乗り出して彼に訊き返した。
「それはなに? デートしてくれるってこと? つきあってくれるってこと?」
タイラーが彼女の視線を受け止める。「その気がなきゃ日曜の朝っぱらからこんなとこまでこねえよ」
次の瞬間、彼女の口元は思いきりゆるんだ。「よし」再びレナたちに答える。「訂正する。デート中」
なにこのものすごく唐突な展開。
「アニタ! やった!」
マリーが笑顔で言った。アニタと嬉しそうに両手を合わせる。
呆れたようにギャヴィンがつぶやく。「なんだこの展開。魚食ってるけど、いいのかこんなんで」
タイラーはライアンと同じで、特に照れたりもしないらしい。「ん、いける。うまい」
よかったとは思う。けれどなんだか、あっさりすぎて笑える。「ヒトそれぞれよ」
「オレは違和感ないけど」と、ライアン。レナに言う。「ドーナツ持て。うるさいから出る」
「そうね。ダブルデートすればいいし」
「え、行っちゃうの?」アニタが訊いた。
ペーパーナプキンでドーナツを包む。「私たち、かなり居座ってるの。もう一時間以上。さすがに気まずいから行くわ」レナは立ち上がった。「またね」
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店を出たレナとライアンは、エイト・フラッグの本屋に行くことにし、歩き出した。
「それにしても荷物邪魔」ライアンが言った。彼は左手にバッグを持っている。
レナは半分まで減ったドーナツとハンドバッグを持っているだけだ。「コインロッカーにでも預ける?」
「またホテルに行くって手もある」
「体力ありすぎ」
「アホ。眠いんだろ。寝るんだよ」
「また猿扱い?」
「どっかの誰かさん、けっきょく拒否しなかったし」
確かにしなかった。だがあんな態度でいらると、拒否できるわけがない。
「寝かせてくれなかったのはそっちだし」と、レナ。
笑いながら立ち止まり、ライアンは右手をレナの腰にまわした。顔を近づけて悪戯に微笑む。
「お前、明日学校休むんだろ?」
明日は彼女、親戚の集まりがある。学校を休んでローア・ゲートの、曾祖母が住んでいた家に行く。
「うん。残念ながら明日は会えない」
「ジェニーが寂しがるな」
そう言うと、彼は彼女にキスをした。外なのに、歩道なのに、深くて長いキスだ。
寂しくないのかと言いたかったが、レナは答えを知っている。彼が寂しがるわけがない。
唇を離し、彼がまた微笑む。
「どうする? 休憩でホテルか、本屋とインテリアショップか」
そういうことをするから、断れない。「そんなの、決まってる」
そしてまた、ライアンとレナは、人の目も気にせずに深く長いキスをした。




